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ヨーロッパ偏重のローマ帝国から離れる『岩波講座 世界歴史 03』

皇帝ネロの時代、ローマは火の海となった。炎は6日と7晩かけて、首都の大半を焼き尽くした。

「都を新しくしたいネロの陰謀」という風評をもみ消そうとして、ネロ帝はキリスト教徒を放火犯に仕立て上げ、火刑に処したという。

しかし、本書よると、これはキリスト教徒のプロパガンダらしい。

ネロの時代において、ユダヤ教とキリスト教は、はっきりと分化しておらず、「キリスト教徒」という集団では認知されていなかった。あくまでユダヤ教内での対立として、暴動を引き起こしていたという。

暴動の首謀者としてクレストゥス(Chrestus)とユダヤ人たちが追放されたという記録があるが、写本を引き継ぐ中で、イエス・キリスト(Christus)に書き換えられたのではないか、という説だ。つまり、刑に処せられたのはユダヤ人集団であり、キリスト教徒だけを狙い撃ちしたわけではないというのだ(※)。

一方、キリスト教徒に対する「迫害」が量産されるのは、4世紀以降になる。

それまでに記されなかった過去を振り返って「当時のキリスト教徒は迫害された」という文書が大量に残されるようになる。

なぜか? 教会指導者たちは、迫害を耐え抜いた、殉教の後継者としてのアイデンティティを確立するために、こうした「伝説」を創りあげたというのだ。

頭をガツンとされたような衝撃を受けた。

ローマ大火やキリスト教徒の迫害については、塩野七生『ローマ人の物語』や徹夜小説『クオ・ワディス』で、歴史的事実だと思っていた。

だが、歴史的事実とは、各時代の書き手が取捨選択したものの集積であり、そのまま受け取る前に、それぞれの書き手のバイアスを意識して読み解く必要が出てくる。4世紀から見るローマと、21世紀から振り返るローマは、別物だと思ったほうがいい。

例えば、近代におけるローマは、自由と文明の象徴として描かれていた。帝国を拡張することを「正義の戦い」と主張し、征服した「野蛮人」に「自由と文明」をもたらすのが、ローマになる。これは、植民地における「支配-被支配」の構造に落とし込み、帝国主義を正当化させるレトリックとしてのローマだろう。

あるいは、20世紀末になると、ヨーロッパ統合の進展を受けて、政治面においてローマ帝国が脚光を浴びることになる。統合された広大な領域と、ローマ全体で通用する共通通貨を踏まえて、「EUは古代ローマ帝国に匹敵」(プロディ欧州委員会委員長)とされる。

「ローマ帝国をどう見るか」というテーマは、そのまま「ローマをどう見たいか」につながり、それぞれの時代の写し鏡になる。

『世界歴史03 ローマ帝国と西アジア』は、前3~7世紀のローマ帝国がテーマとなる。特徴的なのは、昔ながらのヨーロッパ偏重から離れ、西アジアとのつながりが重視されている点にある。

ヨーロッパにとってのローマは精神的な故郷のようなものだろう。そのため、ローマ的なものを受け継ぐのは自分たちだという意識から、西側に重心がかかった「支配側からのローマ帝国」が描かれることになる。

しかし、実像としてのローマは、圧倒的多数かつ多様な「被支配者」や、その外側の西アジアの人々とのつながりの中で成り立っていた。こうした実態を踏まえ、本書では、女性やマイノリティからの視点や、ユーラシア規模での経済活動から、多角的にローマを活写する。

ヨーロッパ人が見たいローマではなく、逆側・裏側・外側からのローマが見えてくる一冊。お試しは、ここ[PDF]で読める。面白さは保証する。

 


The Historicity of the Neronian Persecution: A Response to Brent Shaw,Christopher P. Jones,Cambridge University Press,2016

https://www.cambridge.org/core/journals/new-testament-studies/article/historicity-of-the-neronian-persecution-a-response-to-brent-shaw/72A73656C0F1372963C197F8945D38D3

この論文の結論は、「『大火の責で、ネロがキリスト教徒を罰した』というタキトゥスの主張を反証できなかった」になる。この記事の主旨と合わないため、削除する。
(@JEREMIA10732539 さん、ありがとうございます)

 

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