歴史認識をアップデートする『世界史の考え方』
歴史を学ぶ意義について、物理学の教授と話したことがある。
- 歴史とは、過去を扱う学問だ
- 過去は既に確定しており、覆ることはない
- 新たな史料が発見され、史実が変わることは滅多にない
だから、歴史を学ぶことは、昔の出来事を覚える作業になる。過去は確定しているから、教科書はほとんど変わらない―――そう教授は断言した。
「過去は変えられない、確定した出来事だ」という一言は妙に刺さり、なるほどなぁと納得したことを覚えている。
しかし、世界史を学びなおし、最近の教科書を読み直してみると、これは誤っていることが分かった。「過去は変えられない」は正しいが、「過去に対する認識」は変化するからだ。
現代は「平和な時代」か?
例えば、次の文を読んでみよう。
長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類史上、最も平和な時代に暮らしている
スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』の主張で、かつては、頷いた方もいたかもしれない。だが、今は違う。緊迫したウクライナ情勢の報道に接し、認識が大きく変わっている。
以前は、当たり前に感じていたものに、違和感を覚える。過去は変わらない。だからこそ、認識の変化に自覚的になるために、世界史をアップデートすることは有効だ。
この認識の変化を歴史の本を使って実践したのが、『世界史の考え方』だ。
まず、歴史学の古典を挙げ、かつては常識とされていた考え方を紹介する。次に、その主張に疑義を呈し、ひっくり返すような書籍をぶつける。いわば、「歴史の歴史」を語ろうとする。
その中で、前提として常識だと思い込んでいたことが、相対化され、乗り越えられてゆく。古い思考に囚われていたことに気づかされ、文字通り、蒙が開かれる思いだ。
植民地主義は「ジェノサイド」か?
例えば、植民地主義の「罪」を問う動き。
第二次世界大戦後の世界秩序は、植民地主義の責任追及を回避することで成り立ってきた。そこへ援用されたのが、「人道に対する罪」になる。植民地における先住民の排除や、そこで行われてきた戦争を問う罪になる。
この「人道に対する罪」は、元はと言えば、ニュルンベルク裁判の際に、従来の戦争犯罪では捉えきれないナチスの犯罪を裁くために導入された概念である。罪刑法定主義という法の常識を超えて、事後的に作り出された、新しい「罪」の概念となる。
「ジェノサイド」の概念も同様だ。特定の集団の抹殺を目指した組織的な行動で、ナチスによるユダヤ人迫害を性格づけるために作り出された。
現代では、「人道に対する罪」も「ジェノサイド」も、当たり前の概念として扱っている。だが、これらは後から発明された「罪」であり、歴史をさかのぼってその罪を問い、償わせるために行使されてきた。
であるならば、その「罪」は、植民地における破壊行為にも適用できるのではないか、という考えも出てくる。もともとそこに住んでいた人々を排除し、収奪し、抹殺してきたことは、ジェノサイドであり、人道に対する罪ではないか、という考え方だ。
つまり、直接的な虐殺や物理的破壊だけではなく、土地の収奪は経済的ジェノサイドであり、先住民を隔離したり同化することは文化的ジェノサイドになる。程度の差こそあれ、「近代化」する上で必然の産物であることが炙り出されてくる。
そうしたことへの責任を問い、償いを求める動きが、アフリカや南北アメリカやアフリカ系の中から沸き上がっている。過去そのものではなく、過去に対する認識が変化した例と言えるだろう。
欧米は歴史の「先頭」なのか?
あるいは、欧米中心主義。
欧米を特別なものとし、他を劣位とみなす考え方だ。イギリス、フランス、アメリカが歴史発展のモデルを作り、後発の国はそれを追いかける、という構造になる。
私は、「先進国」「発展途上」という言葉を当たり前のように使う。もとは工業化や経済的発展の進み具合を示す用語だ。だが、あたかも国の発展が、ただ一つの方向に従っており、欧米が最も進んでいるかのように考えてしまっている。
この欧米中心主義は、歴史学に根を下ろしている。短冊状に国ごとの歴史を並べて、政治と経済の革命を順調に進めた国のパターン、遅れている国のパターンを比較するといった方法が流行していた。欧米的な普遍性から、どれくらい逸脱しているかによって、その地位を割り当てる考え方だ。
これに異を唱えるのは、川北稔『砂糖の世界史』。砂糖、茶、コーヒー、チョコレートといった「世界商品」を手がかりに世界史を読み解き、世界のつながりを説明する。
17世紀、カリブ海の島々のプランテーションによって砂糖きびが栽培され、ヨーロッパ諸国がその砂糖を消費していた。アフリカ(奴隷)、アメリカ(生産)、ヨーロッパ(消費)の三角貿易と結びついた非対称の関係は、現代のカリブ海の人々を「発展途上」に留めているという。
ウォーラーステインの世界システム論を援用しながら、世界商品の生産と消費の関係には、支配と従属の関係が入り込んでいる構造を解析する。資本集約的で先端技術を持つ「中心」と、労働集約的で時代遅れの「周辺」のグローバルな分業体制だ。
では、これは確定した過去なのか? いまの支配-被支配の構造は既に出来上がっており、欧米の覇権を印象付ける歴史叙述に過ぎないのか?
『世界史の考え方』では、この視点をさらに乗り越える。
世界の諸地域を、「支配する側」と「支配される側」に構造化していったのが資本主義の歴史と見て、その世界システムが、現代の格差問題につながっている見方を提示する。この考えには、かなりの人が頷くだろう。
すると、この議論の最初に掲げた「欧米は歴史の『先頭』なのか?」の設問そのものがおかしいことに気づくかもしれない。先頭、後続といった発展段階で一元化するのではなく、そこに住む人々の多様性が浮かび上がるような参照軸で考える必要が出てくる。
欧米を先端モデルとするのではなく、別の考え方で捉えなおせるようになる。過去は確かに変わらないかもしれないが、歴史認識を変えることによって、現在を見通しよくできるようになる。
中国は「自由」か?
例えば、「自由」について。
欧米と対比すると、中国には自由が無いように見える。国家の専制的な性格や束縛が強調され、自由市場とは程遠いと見なしていた。
本書では、清朝の社会政策を取り上げながら、中国の「自由」について興味深い視点を提示する。18世紀の清朝の時代は、自由放任で競争の激しい社会だったという。だが、本当に何もしない政府かというと、そうではなかった。
例えば、各地に穀物貯蔵庫を造っておき、食糧不足の問題が生じると、穀物を分配したり、価格調整を行ったりしている。同時代のヨーロッパと比べて、はるかに大規模なセーフティーネットを構築している。
ただし、介入の仕方に特色があった。国家が市場に入っていって、大規模に穀物を買い付ける。一種の特権的プレーヤーとして、直接介入するやり方になる。これは、ヨーロッパ諸国家と大きく異なる。
ヨーロッパの国家は、法制度を整備して、民間で競争するためのインフラ、いわば競技場を作り、その中で自由に競争させる。国家自らは民間と競争せず、競技場の秩序の維持者として振舞おうとする。
この対比は、現代でも見ることができる。現代の中国でも激しい市場的競争が行われている(テクノロジーや金融市場が顕著だ)。そこに「自由な」民間経済の活力を感じることができる。
だが、それを支えるのは、ジョン・ロックが唱えた不可侵の権利や、所有権に基づく経済的な自由とは異なった「自由」だ。国家が介入する余地は、大きく開かれている。同じ「自由」という言葉でも、それを支える歴史認識が異なっていることが分かる。
欧米の自由をモデルにして、それとは異なるから「遅れて」いるわけではない。中国には別の「自由」があると考えると、これはこれで興味深い。
ただし、反対に、欧米と比べて中国の「自由」が優れているというわけでもない。清朝のセーフティーネットが可能だったのは、財政的に豊かな時期だけであり、財政難になると放任せざるを得なくなったことは、歴史が物語っている。
財政難や国際ルールの圧力により、「いちプレイヤーとしての振る舞い」をかなぐり捨て、ルールを変えたり、市場を閉鎖する未来は、ありうる。それは、中国に自由が無いからというよりも、むしろ、中国の「自由」を支える基盤に、所有権の概念が存在しないから―――と理解すると、腑に落ちる。
高校科目「歴史総合」を実践する
私が、所与のものとして扱っていた考え方は、実は確定していた過去ではなく、それをどう見なすか―――歴史認識によって支えられていることが分かる。
本書は、小川幸司と成田龍一、さらにゲストを加えた鼎談形式になっている。どのテーマ、どのトピックでも、私が当たり前に感じていた考えに揺さぶりをかけてくる。「100%正しい」歴史認識なんて存在しない。だからこそ、対話を重ねながら、歴史認識を共有していくことが重要になる。
- アメリカ合衆国の成長は、人種・民族に基づく「選び捨て」による移民の選別と、黒人を搾取可能な「自由労働者」することで、労働力創出に成功したことによる
- パレスチナにおける非対称の紛争は、戦争ではなくテロとして扱われることによって、歴史教育から不可視化されている
- ヘーゲルやマルクスが定式化した「国民国家を主体とした認識の枠組み」は、歴史学の前提として機能しており、移民の影響を捉えにくくしている
本書は、世界史と日本史を一体化した高校の必修科目「歴史総合」を学ぶ実践そのものとなる。読者は、歴史像の形成過程を学び、問いや対話に基づきながら、歴史認識をアップデートしていくことになる。
最近のコメント