嘘を嘘と見抜けない人に小説は難しい『詐欺師の楽園』
プロチェゴヴィーナ公国のレンブラントと称せられる画家アヤクス・マズルカ―――美術史上最大の意義をになう人物のひとりとされているこの巨匠は、実はかつて実際にこの世に存在したことはない。彼の作品は後世の偽作であり、彼の評伝は虚構である。
ヴォルフガング・ヒルデスハイマー『詐欺師の楽園』は、こう始まっているが、一行目どころか、一言目からして嘘である。
欧州の地図を広げるまでもなく、「プロチェゴヴィーナ」なんて国は存在しない。もちろん、美術史のどこを探しても、アヤクス・マズルカという画家なんていない。
しかし、彼が描いた作品は確かに存在し、レンブラントに匹敵する傑作だという。あまりの素晴らしさに、贋作までが登場するくらいだという。
唯一の語り手「私」による手記の体裁をしたこの小説、さて、どこまで信用できるのか?
徹頭徹尾フィクションで塗り固めているのではなく、ところどころに史実や真実を折り込ませているので、自分がどこまで騙されてて、何を信用していいかが分からなくなる。
ここで、本書のあらすじをかいつまむような野暮なことはしない。
ただ、この小説には、様々な詐欺師、ペテン師、いかさま師が化かし合う。恩を仇で返す奴、芸術レベルのゆすり&たかり、まっとうな人間はほぼ出てこない(出てきたとしてもカモにされる)。
どれくらい眉を湿らせるべきかのご判断は、読者に任せる。まぁ、語り手自身が「読者が信頼してくれようとは思わない」などと最初に断っている。「信頼できない語り手」を自任しているかごとき人を食った態度はページの端々ににじみ出ており、風刺が小気味よい。
偽物を本物にする条件
この詐欺の手法は、たいへんタメになる。
存在しない画家が描いた、いわば「本物の偽物」が、どのように真作として成り立つかを考えると、芸術の虚構性が見えてくる。本書のあらすじを紹介しない代わりに、この詐欺の手法について考えてみよう。
たとえばレンブラント。
光と影の魔術師という異名を持ち、油彩だけでなく、エッチングや銅版画、デッサンも含めると数千点に及ぶ膨大な作品を遺している。その分、贋作や偽作も数多いとされている。
いかにもレンブラントがモチーフにしそうな人物を、当時の絵具や画材を忠実に再現して、構成・構図、光の当て方、色使い、細部のこだわりも含めて完璧なレンブラント・タッチで描いたとしたら、それは「レンブラントの作品」になるのだろうか?
これに挑戦したのが、「ネクスト・レンブラント」だ。AIにレンブラントの肖像画を学習させ、もしレンブラントが347年の時を経て蘇ったら描いたであろう「新作」を制作したのがこれだ。
専門家のコメントは酷評で、発表会場では「味気なく、無神経で、魂のない茶番」とこき下ろされ、レンブラントの作品に向き合ったときに人が感じる、「レンブラントの身震い」は無かったという。
真贋を決めるのは人
この経緯は、コンピュータは創造性を持てるか?『レンブラントの身震い』に詳しいが、ポイントは、レンブラントを真作たらしめているのは、専門家であるということ。
たとえば映画の『THE GAME』や小説『白昼の死角』よろしく、レンブラントの発表会場そのものがフェイクで、ギャラリー全員がグルだったら? いわゆるカゴ脱け詐欺をすれば「レンブラントの身震い」も自ずと出てくるだろう。雰囲気でどうとでもなる人の気持ちなんて、いくらでも変えられる。
真贋を決めるのは、結局のところ「人」だ。
そして、プロフェッショナルはそこを巧妙に衝く。
顕微鏡やX線、化学分析で贋作を見破れる、という人がいる。そんな人には、本書で紹介される手法や、天才贋作家ハン・ファン・メーヘレンがヒントになるだろう(当時の画材を用いて、年数経過を偽装する)。贋作の作り手は、それがどのように見破られるかも含めて研究している。そして、「人」さえクリアすれば、数値は誤差として扱われるのだ。
フィクションの中の嘘が嘘だとしたら?
ちょっとした実験を提案する。
虚構と現実のあわい目を巧妙に衝いたこの傑作、信頼できない語り手をいったん信頼してみよう。そして、読み終えた後、「この本で語られている虚構そのものが嘘だったら?」と、想像してみるのだ。
つまり、このフィクションそのものが偽物=ホンモノだったとしたら?
開始2頁目で「私」は、アメリカやヨーロッパの名だたる美術館には、少なからずの贋作が紛れ込んでいることを暴露する。なるほど、それはありうるだろう。だとするなら、冒頭で虚構だと指摘された人物「アヤクス・マズルカ(Ayax Mazyrka)」が、本当にいないのかどうかは、じゅうぶん疑ったほうがよいのではないだろうか。
「私」に限らず、本書に出てくる詐欺師たちは、様々な偽名を使いこなす。そして、偽名がいつのまにか本当になったりもする。
ひょっとすると、アヤクス・マズルカは、小説の中だけの偽名で、現実の世界では別の名前で呼ばれているのではないか。そして、その別名を、私たちは後生大事に信じている可能性だって、じゅうぶんありうる。
ちなみに、「アヤクス・マズルカ(Ayax Mazyrka)」をアナグラムで入れ替えると、ポーランド語で「karyzma xaya (カリシズム・サーヤ)」になる。
意味は、「最初の非難」である。
『詐欺師の楽園』を現代にアレンジする
もし、現代に応用するなら、こんな風になるだろう。
- AIに学習させて名画を描かせる(例:レンブラントを真似させる)
- その絵画を、オークションにかけて落札させる
……という詐欺ビジネスを持ちかけて、金持ちに出資してもらう。
オークションは秘密裏に行われ、集まってくるギャラリー、司会者、スタッフは全員フェイクだ。そこで落札される額は数千万をくだらない。だから、十分にお釣りが来る。
しかも、やってきたカモを信じさせるため、出資者自身に参加してもらい、入札してもらう。顔出しが不安なら、ネットで参加すれば良い。カモと競り合い、頃合いを見て降りてもらえれば、稼ぎは数億にのぼるだろう……
さて、ここまで読んできたら、本当のカモが誰か、お分かりだろう。
この詐欺ビジネスに出資する人が、本当のカモになる。オークション会場がフェイクなのはもちろん、そこにやってくるカモも、「カモの演技」をする。出資者は顔出しを嫌がるだろうから、ネットで参加してもらうだろう(その場合、オークション会場は、スタジオになる)。
出資者から巻き上げたお金と、オークションでの値を釣り上げるための見せ金と、ダブルで騙し取れる。
既に誰かがやってそうだけど、まんま『スティング』なので、騙される方も途中で気づくかもしれない。
信頼できない語り手の「嘘」は本当か嘘か
『詐欺師の楽園』を読んでいると、どこまでが本当で、どこからが嘘か、分からなくなる。
ぜんぶ嘘だとしたら、作中に出てくるレンブラントやモナ・リザまでも嘘なのか。信頼できない語り手が、「これは嘘なんだけどね……」と切り出したら、それを嘘だと思うのが正しいのか、それとも、クレタ人の嘘として信じるのが正しいのか。
信じようと、信じまいと、騙されている気になる。
眉を十分に湿らせて、確かめてほしい。

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コメント
『詐欺師の楽園』で白水社というと、種村季弘の博覧強記を思い出しましたが、おなじタイトルの小説が出たのですね。読んでみよう~。
投稿: kaoru | 2022.01.13 18:03
>>kaoru さん
コメントありがとうございます。種村季弘氏から出ている同名の本も手にしたことがあります(ヒルデスハイマーのと間違えて)。
実は、ヒルデスハイマーの『詐欺師の楽園』の方が先で、1968年に出版されており、今回の白水社のは復刊みたいですね。
投稿: Dain | 2022.01.14 09:11
お。そうだったんですね。ふむふむと種村季弘のあとがきを再読したところ、詐欺師小説としてシュニツラーの『カザノヴァの帰還』、マンの『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』を漁った、とありました。ヒルデスハイマーへの記述はないようです。それはそれで興味深い。
投稿: kaoru | 2022.01.20 18:06
>>kaoru さん
ありがとうございます。種村版『詐欺師の楽園』は、実は最初のエピソードだけを読んだのですが、これは小説ではなく、実在する人物を描いたものかな、と思いました。ですが、私の「実在する人物」という考えは誤りで、一杯食わされたのかも? と思うと愉しいですね。
投稿: Dain | 2022.01.21 21:53