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世界の人々をつなげる歴史として『岩波講座 世界歴史01』

歴史のイメージを壊し、再構築してくれる。

歴史とは、過去を扱うものだから、確定したものを選ぶ作業だと思っていた。起きたことは動かないし、その証拠は残っている。特定の観点や主義に合うよう選び、編集しすることが、歴史の実践だと考えていた。

だから、編集者が国家の場合、国民のアイデンティティを創出するストーリー(≠ history)は、神話のように国ごとにあり、学校教育制度によってくり返し上書き保存されていく記憶になる。歴史を学ぶほど、国家単位の記憶の分断が強化される。

あるいは、特定の主義主張を持つ人の場合、自説に都合の良い断片を寄せ集めて膨らませたものが歴史となり、自分のセクトを拡張し、反対する者を根絶やしにすることが歴史実践となる。歴史を学ぶほど、反対者を殴りやすくなる。

そういう、権力者や主義者に道具を差し出すことが、歴史家の仕事になると思っていた。やってる本人の自覚はともかく、歴史は、結果としてそのように扱われてしまうしかない、と諦めていた。

ところが、わたしの視野が狭いことが分かった。

もちろん歴史には、国民を育成する機能や、主義者にとっての便利な棒になることもある。だが、歴史には、「つなぐ」役割もあるのだという。

『岩波講座 世界歴史 01』のサブタイトルにこうある―――世界の人々を「つなげる」歴史を―――そこに込められた意志は、序文の小川幸司氏にはじまり、本書の隅々にまで行き渡っている。

加害者と被害者の共通教科書

たとえば、国民のアイデンティティを育成する教科書について。

「殺す/殺される」の両側が、同じ土俵に立てるなんて、想像もつかなかった。侵略、植民、虐殺と、言い回しはさておき、「したほう」は自己正当化に勤しみ、「されたほう」はその不当を刻む、それが教科書だと思っていた。

ところがドイツでは、事情が違ってくる。ヨーロッパで統合された歴史教科書を作る営みが進められており、ドイツ・フランスでは共通のものが実際に出ている。より溝が深いポーランドとの間でも、教科書改善の国際協力が進められているという。

重要なのは、共通教科書の一方的な押し付けではないところ。国民による見解の相違は当然であり、歴史認識の対立を是とする考え方だ。歴史認識の統一に向けて、対立は「克服されるべきもの」ではなく、複数の世界史像を認め合うことが大切だとある。

同じ動きは、日本・中国・韓国でも進められている。

歴史教科書における「侵略」「進出」に始まる外交問題や、「慰安婦」や「竹島」に対する抗議デモは記憶に新しい。こうした認識の相違について、歴史家は無力だと思っていた。

日中韓の歴史認識をアップデートする

しかし、これは単に、わたしが無知だった。

2001年には日韓、2006年には日中の共同研究プロジェクトが政府主導で始められ、2010年に『日中歴史共同研究報告書』が公開されていることを知った。その序文で、「戦争の責任について基本的共通認識があることを前提として学術的に討論」した結果「相互の理解を深め認識の隔たりを縮めることができる」成果が得られたとある。

面白いのはマスコミの対応だ。

この成果を評価する報道をした中国とは対照的に、日本では、歴史認識の「溝」を強調する報道が目立ったという。わたしは、この「溝」の方だけで判断していたのかもしれぬ。

どの要素を強調するかによって、解釈や記述は変わってくる。たとえ相手の意見に賛同できなくても、「なぜ相手がそう考えるのかは理解できる」という点で、研究者どうしが理解し合えたことが、重要なのだ。

研究者レベルではなく、教科書レベルでもある。

日本・中国・韓国の研究者や教師が集まって、『未来をひらく歴史』が作られた経緯が紹介されている。日本の植民地支配と抵抗の歴史は、中国・韓国の執筆者がそれぞれ担当し、出来上がった原稿を三者で相互に批判しながら修正されたとある。

実際に、『未来をひらく歴史』を手にしてみたところ、歴史イベントと解説を並べたコラム集のような構成だった。背景となったロシアの南下圧力や英仏の画策があまりなく、日中韓だけで歴史が動いているような印象を抱いた。

つなぐ=共感するための世界史

被害者・加害者の認識をめぐって、対立する叙述に引き裂かれてきたのが、世界史の歴史になる。両者をつなぐためには、「出来事レベルでの認識を共有し、解釈レベルでの対立が一定の範囲内に収まる努力をする」指針が提言されている。

高校教師でもある小川幸司氏は、こう説く―――たとえ相手がヘイト思想を振りかざしたとしても、何が相手の中で憎悪を生み出したのか、その思想自体に何か学べるのかという姿勢を持つべきだと。

それ、本当にできるの? と疑問を抱くかもしれない(わたしは疑問を感じた)。

だが、小川氏の授業で起きたことを読むと、可能かもしれない、と思うようになった。

たとえば、笠原十九司が南京事件を起こした日本兵たちの追いつめられた心理状態を考察したとき、あるいはラウル・ヒルバーグがユダヤ人大虐殺を遂行した巨大なメカニズムに膨大な人が積極的または消極的に加担していった様子を明らかにしたとき、そのテキストを教室で読んだ高校生と私の中に湧きおこったのは、加害者の非人間性を告発する憤りではなく、弱い自分が同じ状況に置かれたらどのような行動をとっただろうかという、強い痛みの自覚であった。

この痛みの自覚こそが、過去と現在をつなぎ、同時に、いま認識の違う人同士のつながりになるのだろう。

「歴史とは過去と現在の対話である」と言ったのはE.H.カーだが、『世界歴史』では、「歴史とは世界の人々との対話をつなぐものである」になる。

『岩波講座 世界歴史』の特徴

これから読もうという方へ。第1巻を読んだ時点で気づいた点をまとめておく。誰かの参考になれば。

  1. 各巻が対象地域と時代をマトリクスによって示せる(例:3巻がローマ帝国と西アジア、5巻が古代中華など、全体構成図参照)
  2. 各巻は単なる地域史ではなく、その地域から見た「世界史」になっている(★)
  3. 近世・現代史など特定の巻は、同時代を地域横断的に見る構成(20・21巻「2つの大戦と帝国主義」)
  4. 全巻に共通し、各巻「展望」「問題群」「焦点」の3部構成
  5. 「展望」で通史・枠組みを示し、「問題群」でテーマを取り上げて解説し、「焦点」でトピックを補完する
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特に目を引いたのが★だ。

ふつう「世界史」は、ヨーロッパを中心とした(あるいはヨーロッパが最終的に中心となるように)一体化する動向を描いたものに慣れていた。だが、このシリーズでは、ヨーロッパは、一定の影響を与えたものの、一つの「地域」として描かれている。

つまり、帝国支配や科学技術としてのヨーロッパと、ユーラシア大陸の端っこという欧「州」としてのヨーロッパが、分けられた構成となっている。ヨーロッパはいち地方なのである。

非常に気になっているのが、索引が無いこと。

第1巻には索引頁が無かった。各論文の末尾に、引用・参照書籍の一覧があるだけで、トピックや用語を串刺しで調べたいとき、強力な助っ人となる索引が存在しない。これ、致命的かも。

ただし、今までのシリーズを振り返ると、「索引巻」というものがあるため、今期も問題ないかも。まだ発表されていないだけで、全24巻+別巻1、2といった構成になると期待する。

『岩波講座 世界歴史』について語る

本書について、読書猿さんと熱くお話したのがこれ。

「本好きの度肝を抜く! 年末年始に必読の「世界史スゴ本」ラスボス的一冊」

「本好きもうなる!「歴史の学び直し」に最強のスゴ本ベスト4」

読書猿さんは、もっと端的に、本書の本質を語る。

歴史は人に何かあった時に、自動的に立ち上がる何かなんです。そうやって歴史を参照しながら考え、行動し、世界にほんの少し影響を与えて、現在を作り出す。それによって、次の歴史ができるのだと。歴史実践というのは、そういう循環的なものなんです。そして、歴史研究者の仕事も、そうした歴史実践と無縁のものではなくて、むしろ大切な歴史実践の一部なんだというんです。

また、本書を、スケザネさん、タケハルさんに熱くお薦めしたのがこれ。

【生放送】Dainさん・タケハルさんとともにオススメの歴史本を紹介しまくります!

なんであれ、深く・広く学ぼうとすると、必然的に世界史に分け入ることになる。いろいろと歴史本を読んできたが、本書は、ラスボス的なシリーズとして追いかけていきたい。

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