面白い世界史の本を3人で2時間お薦めしあった中から厳選した12冊(後編)
世界史を学びなおす最適な入門書から、歴史をメタに語る一冊まで、徹底的に熱く語り合った2時間をまとめた。
世界をバズらせる
スケザネ:「書かれたものが世界を変える」という観点だと、これにつながりそう。『「世界文学」はつくられる:1827-2020』(秋草俊一郎、東京大学出版会)という本で、「世界文学」という概念がどのように作られ、変わっていったかがテーマです。以前の対談でも話題になってたやつです。
そこに、ゴーリキーの世界文学叢書が出てきます。ソビエト連邦という国家が誕生し、当代一流の世界文学を集めて出版しようという話になった。実はここに、政治的な動機がありました。
ロシア文学だけでなく、世界各国の言語から優れた作品を選び取り、なおかつ全集として出せるというのは、それだけロシアが文化的に先進的だという政治的なメッセージになるのです。国や言語を越境して発信する、コスモポリタンな思想が徹底されていることが分かります。
ほら、最近の映画って、世界同時公開やりたがるじゃないですか。国や言語を越えて全世界一斉配信する。あれがあるから、一斉に話題になったりするんじゃないかと。
Dain:それ、つながりますね。世界一斉公開の映画の話と、さっきのスケザネさんの共産党宣言の話と。
コンテンツを持っている人と、それを発信する人が違うと、情報の受け渡しにズレが起きます。さらに、発信したものが人から人へ伝播したり、翻訳による時間的なずれ。
このズレを一気に乗り越えているのが、youtuberになりますね。しゃべった内容を字幕にして、さらに同時翻訳すれば、コンテンツを持っている人が、世界に向けて一斉配信できる。共産党宣言がバズったように、一斉発信できる仕組みはもうある。youtubeは、情報を持っている人と世界一斉発信する人を揃えている。
youtubeに限らず、DiscordでもスペースでもClubhouseでも同じことが言えますね。
作者と発信者と消費者の一体化
タケハル:情報の発信者と媒介者とのずれは、今までの歴史が物語ってきましたね。作家と活版印刷者から始まって、発信者とマスメディア、検閲される人とする人の争い。これからは、インターネット基盤を持っている人や企業と、その人や企業の倫理観を問う人との戦いになるかもしれませんね。
スケザネ:いまの話で、『チェンソーマン』の作者・藤本タツキの『ルックバック』を思い出しました。SNSで今年すごく話題になったやつだから、ご存知の方も多いと思います。無償でアップされて、2日か3日のあいだにもの凄い勢いで拡散し、読まれ、批判され、さらにそれがフィードバックで修正されるという全てのプロセスが爆速で進みました。
こないだ単行本になって発売されていましたが、あの出た当初のスピード感と熱量は感じませんでした。SNS時代のマンガ発信と消費のスピードは、作者と発信者が混然一体となっているところにあるのかもしれませんね。
Dain:それ、確かにありますね。歴史本から横道にそれるのですが、『からかい上手の高木さん』を思い出しました。今はアニメ化もされたメジャーですが、私の第一印象は、twitterで「ちょっと面白いマンガを見つけた」というイメージですから(高木さんのキャラも違う)。1話読んで、これ面白い! という感想が拡散してバズっていく。作者=発信者となれる仕組みがあるのはすごく強みです。
同じノリで、発信者と媒体の一体化からすると、「書評」もそうですね。メディアの書評を一切見なくなりました。昔は、新聞の日曜の書評欄を毎週チェックしていました。また、主な雑誌の書評欄、つまりプロが書いた、フィルタリングされたレビューを参考にしていました……が、今は見向きもしなくなりました。
代わりに、SNSやレビューサイト(Goodreads、読書メーター)を見るようになりました。特に、twitter での作者自身の呟きや、動画(スケザネさんのやつも!)での発言を参考にするようになりました。作者と消費者と媒体が一体化しています。プロの書評家は、私には要らないですね。
スケザネ:それあれですね、tiktok での本の紹介について、プロの書評家が呟いた話につながりますね。
Dain:その話する? www
スケザネ:超リスキーなwww
あれは、書評の質がどうこうの話じゃないと思います。いい本があって、まずはそれを知ってもらう、手に取ってもらうというフェーズがあって、その一歩目のパワーは、tiktok にあると思います。マーケティングの世界で、圧倒的だと思います。それと、書評の「質」とは別の話なんです。
そうしたパワーは、その時々のメディアに依拠していると思います。ある時代だと新聞がその力を持っていましたし、別の時だとテレビがそうでしょう。なんか歴史本からどんどん拡散していく~ 面白いけどw
『近世日本国民史 明治維新と江戸幕府』
スケザネ:そろそろお時間が近づいてきましたけれど、「これは!」というのがあればどうぞ。
タケハル:ええ!もう? じゃぁ『近世日本国民史』(徳富蘇峰、講談社学術文庫)を紹介しないと。歴史学者でもありジャーナリストでもある徳富蘇峰が、明治という偉大な時代を描こうとした本です。
徳富蘇峰は明治を書こうとしたのですが、明治だけでは収まらない。明治を知るためには江戸時代を知る必要がある、そして江戸を知るために戦国をしらなければならない、と遡って、結局、織田信長まで射程を伸ばしています。
近世(安土桃山時代、江戸時代)以降の日本の通史なのですが、これさえあれば他は要らない、というぐらい詳細で、日単位で書かれているものもある。書簡の引用も充実しているだけでなく、同時代に生きていた勝海舟、伊藤博文といった維新の元勲に直接インタビューしているから、史料としても最強です。
ただボリュームもハンパなく、時間とパワーが必要。全部読んだら人格変わるくらいのインパクトがあります。
スケザネ:講談社学術文庫で全50冊ありますからね。
Dain:すごい! 全部読むのは骨が折れそう……タケハルさんからして、「ここだけは読んでおけ」という巻はあります?
タケハル:幕末と明治維新のところですね。「明治維新と江戸幕府」の巻です。僕が読んだのもここなのですが、面白かったです。一通り日本史をやって、司馬遼太郎を読んでいるヒトなら、余裕で楽しめます。でも全部読むのは大変でしょうね……
歴史の記述そのものが変化している『岩波講座 世界歴史』
Dain:これを残り時間で紹介するのは難しいですが、『岩波講座 世界歴史』は言わせてください。
歴史って、結局「勝ったほうが書いたもの」になります。負けたほうは皆殺しにされるか飼い殺しにされるかはともかく、ほとんど残らないんです。乱暴な言い方ですが、私たちがあたりまえに歴史だと思っているものは、ヨーロッパやアメリカという覇者が書いた歴史がベースになります。
それが当たり前に思えているから、「当たり前」を揺さぶるようなものが出てくる。先ほど紹介した『反穀物の人類史』のような研究なんかがそうです。
『岩波講座 世界歴史』は、そうした揺さぶりをかけるようなシリーズです。
今の歴史は、欧米が中心で成立するグローバル経済という「結果」になるように逆算して書かれています。でも現実がそうではなくなりつつあり、そこから抗おうとする動きが、高校世界史の教科書ではないかと考えています。
『岩波講座 世界歴史』では、各巻が特定の地域+時代で構成されており、ヨーロッパは一つの「地方」として描かれています。世界に大きな影響を与えたのは確かですが、欧米は一つの地域にすぎないということが分かる構成になっているのです。
もう一つ。いま、世界のあちこちで、歴史の教科書を合同でつくるプロジェクトが進んでいます。例えばドイツとフランス。タケハルさんの地政学のお薦めで指摘された通り、国境が川一つで仲が悪いことで有名ですが、共同教科書は、実際に世に出ています(※1)。また、ドイツとポーランドでも、教科書を共通化する動きがあります。
重要なのは、共通の教科書を押し付けるのではなく、見解が分かれるところは、その両方を是とする姿勢で書かれている点です。スケザネさんが紹介した『論点・西洋史学』と同じ。史実として共通認識している所と、主張が分かれるところを分けて書く。そこが従来の教科書と違う点です。
同じ動きが、日本と中国、日本と韓国でもあります。歴史的事実を共同研究するプロジェクトを通じて相互理解を深める目的で、サブテキストの形で出版されています(※2)。
『岩波講座 世界歴史』には、こうした、歴史の歴史が紹介されています。私たちが知る歴史の記述そのものが、動いていることが分かります。
スケザネ:その動きを受けて2022年に大きく変わるのが、高校の「歴史総合」ですね。日本史とか世界史とかの区別なく、融合した科目が誕生します。近現代史に特化しており、グローバル化に対応していると言われています。
この動きの旗振り役の一人が、イスラーム史を研究されている羽田正さんです。岩波新書『新しい世界史へ』の中で、歴史とは、一国一国のナショナルな記述の積み重ねではなく、つながりのある本当の意味でのグローバルな記述が必要だと述べています。
Dain:これ、私からもお薦めです。「もし、全人類に共通する世界史を書くとするならば、それはどんなものになるか」を議論したものです。いわばメタ世界史、世界史論といったものです。
全人類共通の世界史には、何が書かれるかというと、それは「価値観の歴史」になります。現代で共通する価値観、例えば「人間の尊厳」「法の支配」「暴力の否定」「民主主義」といった価値観を拾い出し、その価値観が、それぞれの地域や社会、体制の中で、どのように尊重され、育まれていったか(あるいは疎外され、弾圧されていたか)を語ったものになります。この方針は、『岩波講座 世界歴史』にもつながります。
スケザネ:そろそろ時間が迫ってきたので、振り返りまとめつつ、最後に私からお薦めして、締めようと思います。
まず、全時代・全地域に渡って記述した、通史的なお話がありました。世界史の入門として、高校の教科書や図鑑は、うってつけだということで意見が一致しました。
次に、テーマ史的な話になりました。「地政学」を通じて、歴史における地理の重要性が明らかになりました。むしろ地理からやるべきかもしれませんね、世界史は。「反穀物」では、中心と周辺という世界システム論を逆転させるような話にまで発展して、とても興味深かったです。
そして最後に、メタ世界史、つまり世界史をどのように語りなおすかという視点から、『岩波講座 世界歴史』のご紹介がありました。
そうした流れで、歴史学とは何か、歴史とはそもそも何を語ろうとしているのかを考えると、お薦めなのが、この2冊です。
20世紀初頭、ソシュールによる言語の恣意性について議論が隆盛を極めました。つまり、私たちが使っている言葉、言語は、社会慣習としての約束事にすぎず、客観的なものではないという議論です。そして、そんな言語によって記述されている歴史、これもまた恣意的なものにすぎないという議論へと繋がります。
この議論に、フランスにおける文学と歴史学の変遷から考察をしたのが、『歴史をどう語るか』(小倉孝誠、法政大学出版局、2021)になります。
「歴史をどう語るか」というテーマを遡っていくと、古代ギリシャに至ります。アリストテレスは『詩学』で詩学(文学)と歴史の関係性をこう語ります。文学は過去・現在・未来を語ることができるが、一方で歴史は、起きたもの、具体的なものしか語りえない。つまり、文学は普遍的なものを書くことができるのに対して、歴史は具体的な一つの事しか記すことができないという見方です。
西洋ではアリストテレスの歴史観を長いこと引きずって、歴史は、文学作品に対して低い地位に貶められてきました。しかし、19世紀になると、歴史も科学たりえようという動きが出てきます。当時は「科学」という客観的で、実証主義的な考え方が徐々に生まれてきた頃ですから、歴史も「歴史学」として、王権を正当化するためとか、偏った主張を支える物語のような役割から、いかに脱却するかが求められました。
そんな動きの中で、フランスの歴史家ミシュレや、ドイツのランケが、近代歴史学を切り開いてきます。歴史を科学にするために奔走し、どうやって文学と差別化していったか、あるいは相互補完していったかが描かれています。
本書は、特にフランスの歴史学と文学とが、お互いにどのような影響を与えあいながら発展してきたかについて詳細に語られます。『ボヴァリー夫人』のラストがいかに歴史的かという記述はかなり震えます。
類書として、『歴史は現代文学である』(イヴァン・ジャブロンカ、名古屋大学出版会、2018)があります。なかなか挑発的なタイトルですが、結局歴史とは、「今の視点から過去を振り返る」行為なので、必然的に今の視点が持つ偏りや特徴をはらんでいることになり、究極的には現代文学なんだ、という考えです。
『歴史をどう語るか』に比べると、フランス以外も視野に入っており、現代史にも紙面が割かれていますが、少し難しい印象でした。
そして最後、『歴史学の思考法』(東京大学教養学部歴史学部会、岩波書店、2020)。東大教養学部の歴史学の講義を全12回の形でまとめたもので、歴史を語るうえで出てくる様々なトピックを網羅しています。さっきの「現代文学としての歴史」という視点や、出来事を双方の立場から見るとか、歴史の法則性があるのかなど、今日の対談で出てきた論点がほぼ網羅されていると思います。オムニバス形式なので、好きなところを拾い読みしても良いかもしれません。
学問としての「歴史」(歴史学)について考えるためには必携の一冊と言えるでしょう。
歴史とは何か、歴史とはそもそも語れるのかについて、お薦めしたい本のご紹介でした。
さて、そろそろお時間なので、皆さん一言ずつ頂いて締めましょうか。
タケハル:歴史って一口に言っても、人によって様々な切り口があり、その味が楽しめました。「反穀物」は読みたい!
Dain:本についてしゃべっているけれど、権力の話とか、Google や youtube の話など、どんどん脱線していくのが楽しかったです。
スケザネ:どんどん脱線していくのが愉しいので、またやりましょう。ありがとうございました。
タケハル&Dain:是非やりましょう! 本日はありがとうございました。
おまけ:お薦めされたブックリスト
3人が紹介した本に加えて、チャット欄でお薦めされたものもあわせてリスト化した。太字は対談の前に考えてた12冊だけど、話していくうちにドンドン広がるのが良い。
最初は世界史について語っていたはずなのに、歴史のダイナミズムを生むのは何かから、youtube や Google のパワーに飛び火し、新しい本との出会い方など、色々転がっていって楽しかった。
「歴史の本じゃない!」というツッコミ上等、その通り(でも歴史の話につながる)。「それが良いならこれなんてどう?」というお薦めがあれば、ぜひどうぞ。
- 『詳説 世界史B』(山川出版社)
- 『詳説 世界史研究』(山川出版社)
- 『詳説 日本史研究』(山川出版社)
- 『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』(ハンス・ロスリング、日経BP)
- 『独学大全』(読書猿、ダイヤモンド社)
- 『新詳 世界史B』(帝国書院)
- 『最新世界史図説 タペストリー』(帝国書院)
- 『恐怖の地政学』(T.マーシャル、さくら舎)
- 『サクッとわかる ビジネス教養 地政学』(奥山真司、新星出版社)
- 『マッキンダーの地政学』(H.J.マッキンダー、原書房)
- 『赤毛のエイリークのサガ(他) (1000点世界文学大系 北欧篇)』(山元 正憲、pプレスポート)
- 『高校 世界史を ひとつひとつわかりやすく』(鈴木悠介、学研プラス)
- 『論点・西洋史学』(ミネルヴァ書房)
- 『論点・東洋史学』(ミネルヴァ書房)
- 『歴史に残る外交三賢人-ビスマルク、タレーラン、ドゴール 』(伊藤貫、中公新書ラクレ)
- 『反穀物の人類史』(ジェームス・C・スコット、みすず書房 )
- 『実践 日々のアナキズム』(ジェームス・C・スコット、岩波書店 )
- 『ゾミア―― 脱国家の世界史』(ジェームス・C・スコット、みすず書房 )
- 『物語創生』(マーティン・プフナー 、早川書房)
- 『「世界文学」はつくられる:1827-2020』(秋草俊一郎、東京大学出版会)
- 『ルックバック』(藤本タツキ、集英社)
- 『からかい上手の高木さん』(山本崇一朗 、小学館)
- 『葬送のフリーレン』(山田鐘人、小学館)
- 『近世日本国民史 明治維新と江戸幕府』(徳富蘇峰、講談社学術文庫)
- 『岩波講座 世界歴史』(岩波書店)
- 『新しい世界史へ』(羽田正、岩波書店)
- 『歴史をどう語るか』(小倉孝誠、法政大学出版局
- 『歴史は現代文学である』(イヴァン・ジャブロンカ、名古屋大学出版会)
- 『歴史学の思考法』(東京大学出版会)
- 『ジョルジョ・ヴァザーリと美術家の顕彰 16世紀後半フィレンツェにおける記憶のパトロネージ』(古川萌、中央公論新社)
- 『虐殺器官』(伊藤計劃、早川書房)
- 『宇宙・肉体・悪魔』(J.D.バナール、みすず書房)
- 『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎、新潮社)
- 『タイムマシン』(H.G.ウェルズ、光文社古典新訳文庫)
- 『歴史の起源と目標』(カール・ヤスパース)
- 『New Scientist 起源図鑑 ビッグバンからへそのゴマまで、ほとんどあらゆることの歴史』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
- 『世界哲学史シリーズ』(ちくま新書)
- 『ジオコスモスの変容』(山田俊弘、勁草書房)
- 『現代版 魔女の鉄槌』(苫米地英人、フォレスト出版)
- 『想像の共同体』(ベネディクト・アンダーソン、書籍工房早山)
- 『東京の生活史』(岸政彦、筑摩書房)
- 『歌う国民―唱歌、校歌、うたごえ 』(渡辺 裕、中公新書)
※1 『ドイツ・フランス共通歴史教科書』(ペーター ガイス、ギヨーム・ル カントレック、明石書店、2008)
※2 『未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史』(日中韓3国共通歴史教材委員会、高文研、2006)

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