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「死にたくなったら読む本」は本当に辛いとき役に立つのか

読書は自殺の時間稼ぎになる。そう信じている人はいないだろうか。

自死を考えている人に本を渡し、「本を読んでいるあいだは、死のことを考えずにすむ」というコメントを目にしたことがある。

あるいは、「死にたくなったら読む本」と紹介される本がある。NHK「理想本箱」では、「大丈夫だ」と励ましたり、「自分の価値は自分で作ることができる」と支えてくれる本が紹介されている。

だが、本当に辛いときは、本を読んでられない。その苦しみや悲しさを、やり過ごすのに精いっぱいで、目は頁を滑り、文字を追うことすらままならない(経験あるだろう?)。

ただし、「この本がある」と思うことで支えになる、そんなお守りのような本は、確かにある。辛いとき、読まなくてもいい。触っているだけでも、その場所に目をやるだけでもいい。

例えば、クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか』という本を推す。

心に痛みを抱きながら、日々をなんとかしのいでいる人がいる。事故や病気、子どもや配偶者の死など、わが身に降りかかった突然の災厄に、文字通り「なぜ私がこんな酷い目に遭うのか?」と悲嘆に暮れる人がいる。

そんな人が望んでいることは、ただ傍にいて、嘆きを聞いてくれることだという。理不尽な不幸は、神の試練でもなく、神が引き起こしたことですらないという。神は災厄の側ではなく、犠牲者と共にいると説く。

人に運命を選ばせるという自由を与えた以上、人がどんな選択をするのかを、神はコントロールすることができない。たとえ、それが隣人や自分自身を傷つけるとしても。

だから、どんなに悲惨なときでも、怒りに我を忘れて「神よ、なぜわたしだけが苦しむのですか?」と問うのではなく、「神よ、この困難に立ち向かう勇気を、わたしにください」と祈れというのだ。

辛いとき、非道な目にあったとき、この本を読んだという記憶があれば、わずかでも和らぐことがあるかもしれない。そのときに、読まなくてもいい、「本棚のあそこにある」と思うだけでいいのだ。

あるいは、頭木弘樹『絶望読書』を知っておいてほしい。

辛いときが数日、数週間から数年になるとき、どうすれば良いか。大病を患った経験のある著者が、お薦めと、お薦めでないものを紹介する。

入院中に渡された、いわゆる「元気の出る本」はダメだという。ポジティブシンキングとか、引き寄せとか、「信じれば願いはかなう」系は、どんどん気分が沈んでいったという。

ほんとうに辛いときに必要なものは、激励や克服などではなく、ただ傍によりそってくれることだという。そして、ドストエフスキーから桂米朝まで、本に限らず「よりそってくれる」作品を選んでいる。

絶望の底では、本は読めない。それでも、「あそこにあの本がある」と心のどこかに引っ掛けておくことで、お守りにはなる。

数少ないそんな本を知っていることは、生きていく保険になる。

だいじょうぶ、本は待っていてくれる。

 

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コメント

「そんな人が望んでいることは、ただ傍にいて、嘆きを聞いてくれることだという。」

紹介された本を拝見しておりませんのですみませんが、上記の引用文に引っかかって何度も読み返して考えました。誰でも構わないのか?或いは人は、悲嘆にくれて死をも考えながら、話を聞いてくれる人を選ぶのではないかと。話を理解しない人に話して余計絶望するのは危険。

昔、ミッションスクール中高の聖書の授業で「ヨブ紀」読みましたが、人生、ヨブの時代から理不尽の連続。ヨブの場合これでもかという極端な不幸続きを人を試すとして示されていますが、ヨブが、自死を考えるまで行ったかとは、考えたこともなかったです。よく人がいうのは、「試練に耐えられる力があるから、試されている」、という発想法かも。こういう発想の転換ができるかは、結局おっしゃるように、何を読んで来て、或いは何を知っているか、によるのかな。

また人はドストエフスキーを読みながらでも自死のことを同時に考えることをしうる気はするが、その場合には、本当には読んでいないで、文字の上を目が滑っているだけなのか?自死など。他ごとを考えながらもすなる読書もあるが、考えるだけで、実行しなければ、モラトリアム期間の苦しみは死よりマシなのか。死より苦しみ考える方がマシだったとは、生き残って初めて過去を振り返り言えることなのかもしれないが、反証しにくい仮説に過ぎないのでやめます。

当事者になってみないと、読書しながら自死を留保することの即物的以上の意味は、まだ要検証かも、ですね。戯言失礼。「コレラの時代の愛」書評から飛びました。参考になりました。感謝。

投稿: みん | 2021.12.30 13:29

>>みんさん

コメントありがとうございます。聖書のヨブ記は、「神に試されたとしても、神を試すな」というお話だと思っています。

> 生き残って初めて過去を振り返り言えることなのかもしれない

ここ、まさにその通りだと思います。「死んだ方がまし」かどうかは、死んでみないと分からないし、死んでしまったら比較できないし。

自死を考えるかどうかはともかく、辛いときは、本どころか、起きているのも、立つのも座るのも横になることも辛いです。何もしたくないし、「何もしたくない」と考える事すら嫌になります……が、無邪気に「読書はモラトリアムになる」と薦める人は、この辛さ、知らないんじゃないかと、うっすらと思っています。

投稿: Dain | 2021.12.30 16:38

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