« 経済学は「科学」なのか?『社会科学の哲学入門』 | トップページ | イギリスの歴史の教科書に嘘は書いていないが本当の事も省かれている »

ポルノではないリアルなセックスを描いた作品(18禁含む)

「エッチ」というキーワードで検索すると、ポルノやアダルトサイトがヒットする。

上位には、不倫・眠姦・NTRが並んでいる。念のため申し述べておくが、履歴を消した検索なので、私の嗜好は反映されてない。

性に興味を持ちはじめた子どもにとって、最初の洗礼はキツいかもしれない。

そしてポルノで学ぶと、「セックスって、こんなものか」と思ってしまうおそれがある。ネットが身近な子どもなら、検索の方法を覚えるほうが、学校の保健体育よりも早いだろう。そして、検索の方が授業よりも速く教えてくれる。

もちろん、適切なキーワードさえあれば、「こんなもの」ではないセックスを知ることができるだろう。だが、その「適切なキーワード」に辿り着く前に、SEO対策済のサイトに誘引されるのが現状だ。

そこで描かれるセックスは、描写が濃密であるほど、情欲を掻き立てる役割を与えられる。検索した人が欲しい情景を見せて、消費されるためのセックスになる。ありえないシチュや都合の良すぎるファンタジーセックスといえるだろう。

そういう、使ってもらうための「こんなもの」ではなく、「ありふれた」セックスはないだろうか。どこにでもいそうなカップルが、関係性を育み、一線を超える―――そんな作品は、ないだろうか。

慣れないため想定通りにいかなかったり、ちょっとしたトラブルに見舞われたりする。二人の関係が変わってしまうことへの不安と、ぎこちない動きにもどかしさを感じながら初々しくぶつかりあう。

あるいは、時間をかけてお互いによく理解し合っている二人が、安心して身をゆだねられるような、日常的なセックスをする。

相思相愛のカップルが、幸せそうに愛し合う、そんな作品はないだろうか。

絵本から学ぶ「ごまかしのない」セックス

『ぼくどこからきたの?』は、ピーター・メイルが著し、谷川俊太郎が翻訳した絵本だ。

男女の違いから始まって、セックスとは何かを説明する。赤ちゃんがどうやってできるか、お腹のどこで大きくなるか、そして、どのように生まれてくるかを描いている。

一切のごまかしをせず、例え話に逃げず、オブラートに包んだり省略することもしないで、具体的に、丁寧に、分かりやすく説明する。小さい子どもでも読めるよう、ひらがなで書かれている。

家庭内性教育はこの一択だ。大切なのは、セックスを冗談や卑猥なもので歪ませたメディアから伝えられること。遅かれ早かれ、子どもは知る。その「知り方」が重要なのだ。

文字が読めなくても大丈夫で、大人が読み聞かせてもいい。だけど、男女が何をしているかが分かるぐらいの年頃からになる。

生臭くて、ぎこちないセックス

『幾日』は、幾花にいろが描いた成年コミックだ(リンク先18禁注意)。

幾花にいろ『幾日』「咬合」より

20211106

さまざまなカップルが、それぞれの事情を抱えて、最終的には幸せなセックスをする。裸のラインが綺麗で、乳お化けじゃないのが良い。モデル並みの身体が現実離れしているけれど、キャラ設定が妙にリアルで、男も女も、身近にいるいる感がある。

たとえば、オフ会したらまさか相手が女の子だったという展開は非現実的だけど、その子と一日中遊び回って車の中でイタしたら臭かったという描写はとても現実的だ。ありそう感/なさそう感のバランスが生々しい。

それが行為を生臭さくする。スマートじゃない、動物的なリアルだ。一方で、コンドーム装着が丁寧に描かれているのも好感が持てる。セーフセックス大事やね。

臭いと匂いは紙一重

音声や映像といった媒体だと、後回しにされがちなのが嗅覚。

匂い(臭い)って、理解しあう上でかなり重要。

意識する/しないに関わらず、向かい合って話をする、一緒にご飯を食べるといったプロセスの中で、お互いの匂い(臭い)で相性を判断している。そもそも、キスの起源は鼻をくっつけあって嗅ぎ合うことなのだから。

そこで山田金鉄『あせとせっけん』、臭いフェチ御用達オフィスラブコメだ。

汗っかきがコンプレックスな地味メガネ女子✕ 匂いフェチ売れっ子商品デザイナーの組み合わせ。体臭が気に入ったのがなれそめというのが良い。「毎日あなたの匂いを嗅ぎたい」というのは完全セクハラだけど、嗅がれる方の「っ!」という表情もカワイイ。

この「嗅ぐ」という行為は、触れたり抱いたりえっちする、ずっと前から始まっているプロセスだということが分かる。

ここで紹介したいのは、本編ではなくスピンオフ(?)の18禁ほう。作家本人が同人の形で出すめずらしい作品なのだが、あのカップルが、ガチで子づくりセックスをする。ストーリーとしてのヤマやオチは無く、ひたすら行為に励むのはリアルなり。

相思相愛で結婚したカップルであっても、避妊せずに性行為をするのは、一種の覚悟というか心構えが違ってくる、あの感覚が伝わってきて生々しい。

ただし、最中に「ワキの臭い嗅がせて」は言わないよね。黙ってするもの/されるもので、わざわざ言葉にするのは羞恥プレイ、ひいては読者サービスの一環なのかも。リンク先18禁ご注意を。

男性同士のセックス

幸せなセックスに、同性も異性もない。そう確信できるのがこれ、中村明日美子『同級生』『卒業生』だ。

男子校が舞台で、2人の男の子が恋に落ちる。

ひとりは学校一の秀才。入試で全科目満点を叩き出すぐらい優秀で、真面目がメガネをかけた理知的な印象がある。すぐ赤面する。

もうひとりはバンドマン。ライブでギター弾いてて、女の子にも人気者。くしゃっとした明るい髪と人好きのする顔立ちだ。すぐ赤面する。

そんな、普通なら決して交わることのない2人が、あることをきっかけに互いを意識し、距離を近づけてゆき、思いを伝え合う。

初々しく、可愛らしく、読んでるこっちが甘酸っぱい気持ちで一杯になる。あふれ出すリビドーを持て余していた自分と比べると、なんとも純粋な恋で、痛苦しくなる。そこに欲望があるのだが、互いに相手のことを慮るのが素晴らしい。

中村明日美子『卒業生』-春-「京都にて」より

20211103

性欲満載の年頃だから、ガマンできるほうが凄いと思う。

そのタガが外れたときにすることといえば、異性のそれと全く一緒。何か特殊なことを考えるのがおかしい。「することは同じ」なのだから。

「ふつう」は難しい

わたし自身、ポルノに染まっており、ありふれた「ふつうの」が何であるか、とらえどころが無くなってしまっている。

  • 性を真正面からとらえ
  • 肯定的で
  • 人間関係を強化する
  • コミュニケーション手段の一つとしつつ
  • 物語そのものの目的としない

これ、かなり難しい。

なぜなら、物語の目的は、葛藤と遅延だから。

主人公から何かを欲しがり、それを探すために彷徨う……というのが、あらゆる物語の原型になる。そして、主人公が求める「何か」を手にすることを遅延させることが、物語のエンジンになるのだから。

仮に、満ち足りた主人公を考えてみると分かる。「欲しいもの=愛する恋人」と相思相愛になり、何の障害も葛藤もなく、ひたすらいちゃいちゃしているだけの物語は、あるにはあるけど、続かない。

そのため、物語に持ち込まれるセックスは、(劣情を掻き立てることを目的としたものでない限り)、紆余曲折や葛藤や冒険を経た、物語のゴールとして扱われる。

しかし、そうした物語の縛りから外されたセックスは、「見る」ものではなく「する」ものなのかもしれない。その意味で、ここに紹介する作品は珍しい部類に入る。極めて個人的なことでありながら、「することは同じ」普遍的なものなのにね。

「ふつうの」を扱った、お薦めがあったら教えてください。

このエントリーをはてなブックマークに追加

|

« 経済学は「科学」なのか?『社会科学の哲学入門』 | トップページ | イギリスの歴史の教科書に嘘は書いていないが本当の事も省かれている »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 経済学は「科学」なのか?『社会科学の哲学入門』 | トップページ | イギリスの歴史の教科書に嘘は書いていないが本当の事も省かれている »