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経済学は「科学」なのか?『社会科学の哲学入門』

経済学は「科学」だろうか?

頻繁に書き変わる教科書は、物理学のと好対照を成す。経済学の研究者は好きなことを勝手な方法で分析し、主張し、何やら数式モデルは出てくるけれど、再現性も説得力も無さそうに見える。

わたし自身、もう経済学の勉強はしていない。なぜなら、やればやるほど分からなくなるから。

現実を追いかける教科書

例えば、経済学の教科書は数年で書き変わる。

『クルーグマン国際経済学 理論と政策』が象徴的だ。3~4年で更新され続け、今冬12版が出る。更新のたび、理論が書き変わり、モデルが追加されてゆく。

世界金融危機やブレグジット、中国の台頭といった新しいトピックに対応していると言えば聞こえはいいが、その度に新しいモデルやパラメーターを導入し、既存の理論との整合性を(ムリヤリ?)取る。

そしてひとたび、想定外の事象が起きたら、「ブラック・スワン」などというカッコイイ名前を付けて説明できたことにする。現実の経済に経済学が追いついていない証拠に見える。既存の理論を疑うのではなく、新しい出来事が起きたものと見なすために、新しい名前を付けることで、経済学者の精神は守られる。

結果、経済学の教科書は順調に厚みを増し、理論やモデルの補注だらけ、パラメーターまみれになる。

お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな

いやいや、経済学の古典とも言える思想を辿るなら、そこは揺るがない(はず)。

そう信じて、マルクスやケインズを齧ると、別の疑いが出てくる。

教科書の元となる彼らの思想そのものが、なんら客観性もなく、個人の価値観で歪められたバイアスではないか、という疑いだ。いわゆる「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」疑惑である。

例えば、大学教授への道が閉ざされ、借金に追われて住居を転々としたマルクスが構想したのは、「破滅へ向かう資本主義」だった。一方で、絵画や古書への造詣も深く、裕福なパトロンとして人生を愛したケインズは、「持続可能な資本主義」の立役者となった。

同じ「資本主義」でも偉い違う。これは、二人の生きた時代の違いだけでなく、二人の出自や生活環境、持てる者/持たざる者に因る歪みではないか。ハイルブローナー『世俗の思想家たち』を読むと、この思いは一層強まってくる。

そして、その時代ごとの風潮や為政者の思惑に、「たまたま」マッチした思想がもてはやされ、一世を風靡した後、共に消えていく(そして時が流れ、また流行や思惑に合いそうなとき、ゾンビのように復活する)。

経済学に疑いを抱いているのは、わたしだけだと思っていた。

だが、吉田敬『社会科学の哲学入門』を読むと、誤りだと分かった。

社会科学の教科書がない理由

経済学を始めとする社会科学への欺瞞は、何十年も前から議論されており、現在進行形で続いている。

社会科学の教科書がない理由は、トマス・クーンにまで遡る。

「いや、経済学の教科書はあるぞ」という反論は、私もしたい。だが、時代や地域だけでなく、学派によって偉い違う。だいたい、教科書そのものが数年おきに書き変わる現状では、「パラダイムが無い」と言われても仕方ないかも。

1958年から59年にかけ、クーンはスタンフォード大学の行動科学高等研究センター に滞在していた。そこでは、社会科学者たちが共通的な前提を一切せず議論をしていた。クーンは一種のカルチャーショックを受けることになる。

物理学なら、研究者全員に共有される「なにか」がある。それは前提や教科書、あるいは枠組みだったりする。クーンは興味を抱き、その「なにか」を概念化したものをパラダイムと名づけ、『科学革命の構造』を著すことになる。

つまり、クーンの立場からすると、物理学にはパラダイムがあるが、社会科学にはパラダイムが無いのだ。

クーンのパラダイム論に対し、社会科学者は賛否両論だった。

科学史において中心的な位置を占めてきた物理学と比べると、社会科学はどうしても見劣りする。そのため、社会科学もパラダイムを持つべきだという意見が現れるようになった。

一方、反対する人もいる。スティーヴ・フラーが代表的で、「パラダイムを受け入れる=基本的前提を疑うことなくそれに従って研究を進める」ことがダメだという。社会科学とは、皆が常識と考えるまさにその前提に、批判の目を向ける学問だ。従って、パラダイムを受け入れるのは、自殺行為だというのである。

フラーの立場からすると、経済学の教科書は幾つあってもいいし、どんどん書き変わることこそが、正しいことになるのだ。

経済学にやたら数式が出てくる理由

数式をありがたがる(?)理由も紹介されている。

物理学や天文学がこれほどまでに成功した理由は、数学のおかげだ。数式に基づく数学に基づく形式的な言語に置き換えることで、自然現象の説明や予測に成功してきた。

そのため、社会現象も同様に、数学的ないし形式的に説明したり予測するようになることが、科学的であることの証だと考えるようになったという。言い換えるならば、物理学のようになることが科学的とされたのである。

この考えを「物理学羨望」と呼ぶという。そして羨望のあまり、社会科学の方法は、自然科学と同じであり、前者は後者に還元できるという立場の者も現れるようになる。

一方で、物理学羨望を批判する者も現れる。物理学を科学の典型としてマネする態度を、フリードリヒ・ハイエクが「科学主義」と呼び、攻撃する。

自然現象を分解し、再構成する機械論的な自然科学のアプローチ(自然主義)と異なり、社会科学は、個人の意図や信念といった主観的な要素を取り扱う。そのため、同じ方法ではダメで、意図や信念といったものを解釈を通じて研究する(解釈主義)必要があるという。

同じ学問領域の中でも、自然主義と解釈主義という、まるで正反対のアプローチが存在している。それだけ社会科学が豊かなのか、とりとめのないのか……

自然科学と社会科学は違わない

「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」疑惑も、見事に喝破されている。

ただしこれ、経済学に限ったことではなく、社会科学、自然科学も含め、同じ轍を踏んでいるという主張だ。文化相対主義という。

文化相対主義とは、生まれ育った環境や、現在の立場やグループの慣習によって、「正しさ」が形成されるという考え方だ。あるものが「正しい」「合理的」と判断する基準は、その文化や慣習に内在しており、客観的に判断できるような基準は存在しないという。

仮に、何らかの判断を客観的に正しいと言い切る科学者がいるのなら、その科学者こそ、自分のバイアスに気づいていないことになる。

これ、経済学ならそうだよね、と大きく頷けるだろう。だが、自然科学はそうした価値判断のバイアスから程遠いのではないか? と考える。

本書では、マックス・ヴェーバーやアーネスト・ネーゲルを引きつつ、科学的論証には、科学者の価値判断が混入している主張を紹介している。

私が気づいた例だと、自然科学の研究において、以下のバイアスに陥っている研究者がいる。

  • キリスト教的世界観から「ビッグバン=光あれ!」縛りから離れられず、ビッグバン以前は「現在利用できるデータ・理論から説明できない」と言うべきところを、「無」と答えてしまう。「説明できない=無」ではないことに気づけない
  • 神に創られし人が住まう地球こそ唯一無二という価値観から、生命の誕生は地球説に固執し、地球外で生命が誕生する可能性を否定
  • 太陽系モデルを標準としてしまい、ホット・ジュピターなど系外惑星を見落とす等、自己中心とした宇宙観

上記は、現在進行形で更新されつつあるので見てて楽しい。

科学者も人であり、人である限り何らかの価値観を持っている。だからといって、全てを相対的に見てしまうと、何をもって「正しい」とするか分からなくなる。自然科学、社会科学に限らず、自分のバイアスに自覚的になることが肝要ですな。

科学哲学の観点から営みの根本へとガイドする恰好の入門書。

本書は読書猿さんに教えてもらって読んだ素晴らしい一冊。ありがとうございます! 読書猿さん。

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コメント

自然科学に対する相対主義の適用の最悪の結果については「知の欺瞞」アラン・ソーカル、ジャック・ブリクモン。参照までに。まあ、知ってるか。最近久しぶりに再読したので。

物理学者達の<自戒>としては有効だけど、本業以外の人が軽々に「あなた達もバイアスを持ってますよ」というのは諸刃の剣だと思う。彼らと同様に実地の観測をした上での批判以外は言葉遊びに堕する危険性MAXですね。(というかフランス現代哲学から学べる教訓はほぼそれだけ)

投稿: 青達 | 2021.11.06 10:36

>>青達さん

コメントありがとうございます。

『「知」の欺瞞』、知ってはいるけど読んでないので迂闊なことを言えないのですが、自然科学への相対主義について語っているのですね。てっきり、ポストモダンで自然科学が濫用されてるぞーと告発する本だと思っていました……

(自分含めて)あらゆる人にはバイアスがあることを自覚しつつ、なるべく誠実に向かい合うしかないのかな、と思っています。

投稿: Dain | 2021.11.06 10:57

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