だまされたと思って読んでほしいアントニオ・タブッキ『インド夜想曲』
「だまされたと思って読んで。読まずに死んだらもったいないから」
そう渡されたのが、アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』。手渡すときの、いたずらっぽい目つきと、「読んだら【すぐに】 感想教えて」という口調が気になった。
150ページたらずで、そのうち読むつもりだったが、「あとで読む」は後で読まないのは本当だね。そのまま長い年月が経った。昨今のコロナ禍で死が身近になった今、読まずに死ねるかと開いたらあっという間だった。
静謐で、濃密で、これ以上ないほど贅沢な一時間となった。
インド、ボンベイ。主人公がタクシーに乗るところから始まるので、紀行文学の体をした小説というのが第一印象。地の文が「僕」で語られる点は村上春樹に似ているけれど、「僕」が雰囲気に流されない点は似ていない。
読み始めてすぐ、「僕」は誰かを探していることが分かる。どうやら失踪した友人のようだが、彼のほうは会いたくないらしい。だが「僕」は、手がかりを丹念に集め、手繰り寄せ、近づいていく。
ボンベイ、マドラス、そしてゴアと、友人の痕跡をたどってゆく。夜のバス停で出会う美しい目をした少年、もと郵便配達のアメリカの青年、5つ星ホテルで隣り合わせた女など、様々な人々と交流する。「僕」は、地図上の移動だけでなく、階層をも上下しつつ、インドを探ってゆく。
12章の断片に分かれるどのシーンどのシーンも印象的で、いかに醜悪な光景でも、はっとする一瞬を切り取っている。読み進めるうち、ほんとうに友人に会えるのか、そもそもなぜ、彼を探しているのか、気になってくる。
だが、作者は、要所要所にヒントを残している。私が一番好きなのはこれだ。
「肉体のことです」僕がこたえた。「鞄みたいなものではないでしょうか。われわれは自分で自分を運んでいるといった」
p.48過ぎ去った現実は、大体において、実際にそうだったよりも改善される。記憶はおそるべき贋作者だ。その気がなくても、時間の汚染は避けられない。こうして、いくつものホテルが僕たちの空想の世界を満たしている。
p.110
最初はふらついていた足取りは、ラストに近づくにつれ、だんだん確かなものになってゆく。「僕」が目指しているものが、だんだん私にも見えてくる。ほんとうに短いので、惜しみ惜しみ進みながら、最後のページに達する。
もちろん、『インド夜想曲』を薦めてくれた女の子なんて存在しないし、このごちそうを積読するなど罰当たりなことなんてしていない。ただ、「だまされたと思って読んで。読まずに死んだらもったいないから」は本当だ。そして読んだら分かるはず。あなたを騙したわけではないことを。
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