医学的に無益な治療が、なぜ行われているのか『間違った医療』
「無脳症」を知っているだろうか?
文字通り脳が無い。そのため生命を維持することはできず、生まれてもすぐに死んでしまうことが多い。
手塚治虫の『ブラックジャック』を読んでいるなら、「その子を殺すな!」というエピソードを思い出すかもしれない。無脳症の赤ん坊が生まれるが、ブラックジャックは殺す方が慈悲だと言って殺す。
脳ミソのない子が どんな一生を送るというんだっ 殺せーーーっ
そのほうが慈悲なんだ!!
お前さんの超能力が神がかりだってことはよくわかったよ
だが医者はな ときには 患者のためなら 悪魔にもなることがあるんだぜ!
さあ 後始末は私がやる 出てってくれっ
「ベビーK」という赤ちゃん
無脳症は死亡率が高く、治療する術もないため、現実の世界でも、中絶が推奨されているという(Wikipedia:無脳症)。
だが、強い要望により、そのまま延命が行われることもある。
1992年10月、アメリカのバージニア州で生まれた赤ん坊だ。後にベビーKと呼ばれるその子には脳が無かった。
間もなく呼吸困難になったが、母親の強い要望により、人工呼吸器を取付け、延命治療が行われる。
たとえ延命治療を続けても、赤ん坊は生きていくことができない。医師は治療の打ち切りを打診するが、母親は拒絶し、積極的な治療を要求する。治療に医学的利点が無いとする病院と、生命の維持を主張する母親との折り合いはつかず、裁判で争うこととなる。
間違った医療
ベビーKは、人工呼吸器が無いとすぐに死んでしまう。たとえ延命を続けたとしても、無脳症を治療する方法は無いため、遅かれ早かれ死ぬ。
この治療は、医学的に有益なのだろうか?
この疑問を追求したのが、『間違った医療 医学的無益性とは何か』だ。
カリフォルニア大学医学部で教鞭をとり、医療倫理の権威として知られているローレンス・シュナイダーマン教授と、ワシントン大学医学部で生命倫理を専門とするナンシー・ジェッカー教授の共著である。
ベビーKを始め、本書には、さまざまな事例が紹介される。
- 永続的な植物状態にあると診断された寝たきりの高齢者
- 誤飲により脳への酸素供給が長時間絶たれ、意識不明で生命維持装置が必須となった幼児
- 交通事故により脳に損傷を負い、長期間の植物状態となり、人工呼吸器で生かされている女性
いずれも回復は見込めず、延命措置の打ち切りを求める病院と、継続を求める家族が裁判で争った事例である。こうした、永続的な無意識状態で生命維持されている患者は、アメリカ全土で3万5千人にのぼるという。
本書は、こうした医療のうち、かなりの数が医学的に無益だとし、間違った医療だと主張する。そして、「医学的無益性」という言葉を手がかりに、医師がどこまで治療すべきか/すべきでないかを検討する。
医学的無益性
医学的無益性とは何か?
それは、医学的に見て、患者が回復することはない試みのことを指す。
具体化すると、カリフォルニア大学サンディエゴ医療センターの無益性のポリシーがモデルとして挙げられている。
無益性とは、「集中治療室の外で生きることができるまで回復する現実的な可能性が見込めない治療」のこと。例えば、永続的無意識状態の患者の身体機能を保存しておくだけのような治療。
ただし、治療にかかわるチームにおいて意見の相違がある場合には、 この 無益性は引き合いに出されない、 と続けて述べられている。さらに、苦痛を和らげ、患者の尊厳を維持するための緩和ケアについては、決して無益ではないと強調されている。
本書はヒポクラテスまで遡り、医療とは本来、健康を回復するために人間本来の力(Physis)を助けることから、延命は医療のゴールではないと定義する。
そして、訴訟リスクを回避するためだけの防衛医療の廃止を訴え、「できるだけのことをしてほしい」という家族にどう向き合うかを提言する。
『間違った医療』への反論
論旨は明快で、豊富なデータや論文を用いており、説得力のある主張だと思う。
また、様々な反論を予想し、それに対する回答も準備されており、現場の医師にとっても実用的な本だと考えられる。
しかし、その一方で、議論が不十分だと感じた点があった。
それは、いわゆる「滑りやすい坂」論だ。
現状から、最初の一歩を踏み出すことで、坂道を滑っていくように歯止めが利かなくなることを恐れている。
現在は、制度化されたインフォームドコンセントに基づき、患者の意思が重視されている。だが、医学的無益性の判断は医師に委ねられるべきだという主張は、医療パターナリズムへの回帰になる。
無脳症など極端な例では正当性を持つだろうが、医療パターナリズムの濫用により何が起きたかは、歴史を紐解いてみるとすぐに分かる。
坂道を滑る極端な例としては、ナチスの安楽死計画[Wikipedia:T4作戦]がそれにあたる。
うつ病、知的障害、小人症、てんかん、性的錯誤、アル中……そうした人々が、他ならぬ医師によって「治療不可能」「生きるに値しない」として、ガス室に送られ、抹殺された歴史だ。
ナチスの安楽死計画については、本書でも触れられている。だが、対策として挙げられている「責任ある方針を定める」ことや、「無益性の決定は患者中心に行われる」だけで、濫用に歯止めがかかるとは考えにくい。
本書では、患者やその家族がバイアスにより見誤る例を掲げ、「だから医師が判断すべき」という結論に導いている。だが、なぜ、医師はバイアスフリーであると言えるのだろうか? 医師だって間違える。この事実が前提に組み込まれない施策は、いったん措いたほうがよいかもしれぬ。
無脳症のベビーKの生命維持についての裁判は、病院側の主張が認められず、最終的に連邦最高裁判所まで上訴されるが、1994年10月、却下された。
ベビーKは、人工呼吸器の力を借り、意識のないまま生き続けることが決まった。そして、生まれて2年半後の1995年4月、心停止により亡くなった。
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コメント
医師です。
私個人の経験からすると、この様な延命行為はほぼ全例において家族を不幸にしました。或いは本人の管理を病院に任せきりにして、家族がフェードアウトするかです。延命されている本人がどう感じるかは知る余地は有りませんが、少なくとも体内に何週間、何ヶ月も管を入れっぱなしにされるのは快い経験ではないと想像します。(私個人は想像を絶する苦痛なのではないかと考えています。勿論確かめる術は有りませんが。)
ご指摘の通り、無益性の決定などどんな人間にも出来ないことは百も承知ですが、少なくとも、日本の医療に於いてこの様な医療に対して国民健康保険を使用するのは明らかなリソースの無駄遣いであり、それを負担する国民への犯罪行為です。
治る見込みのない延命行為はご家族が実費で行うべきだと強く思います。
投稿: | 2021.09.25 09:52
人工透析は無駄であり自費で、と言った某氏がベコベコにぶっ叩かれたことはもう忘れちゃいましたか?
投稿: | 2021.09.25 12:33
>>医師@2021.09.25 09:52 さん
コメントありがとうございます。
本書について記事を公開する前に、医療に携わる方と意見を交換したのですが、医師さんと同じご意見でした。そして、医療リソースの無駄遣いについても、同様なご指摘がありました。
医療リソースと終末医療については、「死を効率化せよ」という記事にまとめています。
https://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2015/03/post-0036.html
私も同じ見解なのですが、『間違った医療』がもっと突き抜けているのは、「たとえ医療リソースが潤沢にあったとしても、患者のためにならない医療は積極的にやめるべき」という立場を貫いていた点です。医療行為は、患者の家族の罪悪感を和らげるためではなく、あくまでも患者自身のために尽くすべし、とはっきり述べています。
ただ、私の知る限り、日本において、このようなやり取りは、あくまでも個人の範囲でしか行われないように見えます。新聞のキャンペーンや、デモ活動のような一方的なものではなく、シンポジウムや公開討論のような場所がないように見受けられます。
投稿: Dain | 2021.09.25 13:50
>>名無しさん@2021.09.25 12:33
コメントはありがたいのですが、タイトルだけで反応するのではなく、本文も読んでいただければ幸いです。
投稿: Dain | 2021.09.25 13:52
自分メモ。はてなブックマークつながりで見つけた。
ブログ:地域医療日誌「誰にとって無益なのか?」
https://www.bycomet.tokyo/entry/sagamihara
"本来の「無益な治療」論とは、あくまでも特定の治療が特定の患者にもたらす利益と危害リスクを比較検討する、個別の医療判断のはずだが、いつのまにか特定の一人の患者にかかるコストと不特定多数の患者の利益との比較へと変質している"
投稿: Dain | 2021.09.25 14:31
本文の最後に、ベビーKは「意識のないまま生き続けることが決まった」とありますが、こうした「無脳症患者には意識がない」という従来の医学的見解に対し、マーク・ソームズという神経心理学者が異論を唱えています。
ソームズは、著書『意識はどこから生まれてくるのか』第3章「大脳皮質論の誤謬」のなかで、大脳の意識は脳幹の意識に依存するものであり、大脳皮質を意識の中核とする大脳皮質論は、「科学的根拠よりもむしろ、理論的な慣性に基づいてなされている」主張だと断じています。
投稿: もみのり | 2021.09.30 15:14
>>もみのりさん
ご教示ありがとうございます。ご指摘の「意識」の定義について、神経心理学者のみならず、哲学者からも様々な異論があると思います。そうした異論の一つが一般化することで、この議論が過去のものになる可能性もゼロではないでしょう。
投稿: Dain | 2021.09.30 19:29
アトラスは肩をすくめる アイン・ランド
投稿: fだえffg | 2021.12.05 10:30
>>fだえffgさん
ありがとうございます。『肩をすくめるアトラス』は、『水源』と共に絶賛挫折中です。米国知識人はこういうのが好きなんだよなぁ……と思いつつ、横目で眺めています。
投稿: Dain | 2021.12.05 15:35