「人はなぜ笑うのか」への最新回答『進化でわかる人間行動の事典』
「笑い」とは何か?
まず、「笑い」を定義するところから始めよう。
だが、このやり方だと行き詰まる。
古来より、賢人たちは様々な答えを用意してきた。アリストテレス「動物の中で人間だけが笑う」から、ベルクソン「機械的なこわばり」まで、さまざまな説明が試みられてきたが、遅かれ早かれ上手くいかなくなる。
このアプローチでは、笑いに関する性質を調べ上げ、人が笑う理由を探すことになる。その背後には、原因となる本質があるはずだという前提が隠れている。普遍的・不変的なエッセンスを抽出し、それにより定義づけるのだ。
すると、定義にハマらない「笑い」の扱いに困ることになる。あるいは、定義どおりなのに笑えない反証が見つかる場合が出てくる(しかも多々ある)。嫉妬心の解消(プラトン)、暗黙の優越感(ホッブズ)、不一致の解消(カント、ショーペンハウエル)などがそうだろう。
機能に着目する
本質論の行き詰まりを回避するため、問題を再定義する。
「笑い」には、どのような機能があるのか。
このアプローチでは、笑いの役割に着目することになる。
つまり、人類が生き延びていく上で、笑いがどのような役目を果たしているかを考察する。その行動が適応度にどれだけ影響したのかという観点から、「人はなぜ笑うのか」を考えるのだ。すると、笑いの様々な役割が見えてくる。
赤ちゃんの笑い、愛想笑い、攻撃的な笑い
例えば、赤ちゃんの笑いだ。
生まれたばかりの赤ん坊は、ニッコリと笑うことがある。生理的微笑と呼ばれるもので、自分の意志ではなく、反射神経の働きともいわれている。また、生まれつき目が見えず、耳も聞こえない子どもも笑うことから、笑いは学習されるものではなく、生得的な行動だといえる(※1)
この笑いは、親からの養育行動を引き出す機能を持つと言われている。また、仰向けで寝る乳児との対面コミュニケーションが発達した人類は、親子で見つめ合い、微笑み合うことで、愛着関係を強めてきたと考えられている。
あるいは、チンパンジーの grimace と呼ばれる表情だ。
上下の歯を合わせて口角を引き、歯列を見せる行為で、劣位のサルが優位のサルに対して見せる。優位な個体への恐怖を示し、敵意が無いことを伝える服従の表情だとされている。これは人の smile の原型で、服従的な表情から、友好的文脈で用いられるようになったとされている(※2)。私たちがする「お愛想笑い」や「お追従笑い」の元は、これなのかもしれない。
また、笑いの起源を鳥類に求めた研究もある(※3)。
外敵に対し、仲間が集団になって騒ぎ立てて威嚇することがある(モビング)。笑いの対象(敵)を共有し、笑い声を伝播させて仲間内の結束を強める機能がある。嘲笑など、いわゆる攻撃的な笑いが相当するだろう。
他にも、攻撃的な遊びをしているが、本気ではないことを示す機能(※4)や、予想外の驚きをもたらしたことへの謝意といった役割(※5)がある。笑いが「伝染」するのは、仲間内で「安全だ」と伝え合い、ストレスを軽減させるためだという主張(※6)もある。
「人はなぜ笑うのか」という疑問に対し、笑いの「機能」に着目し、その行動がどのように適応的だったかを考える。そうすることで、笑いが実に様々な役割を果たしてきたのかが見えてくる。言い換えるなら、人は笑うことで生き延びてきたのだ。
以上が、『進化でわかる人間行動の事典』の「笑う」の項である。
きりがないので6つに絞ったが、数えてみたところ、「笑う」の項目だけで実に45の論文が紹介されている。現時点における、「人はなぜ笑うのか」に対する最新の回答といえるだろう。以前、適応としての笑いという記事で、可笑しさのメカニズムを紹介したが、『進化でわかる…』の方が網羅性が高い。
人はなぜ〇〇するのか
本書は、「遊ぶ」「描く」「踊る」「歌う」「助ける」「学ぶ」など、44の行動をピックアップして、それぞれについて、進化的観点から明らかにする。
- 人はなぜ遊ぶのか、遊ぶことの進化的な役割は何か(遊ぶ)
- 人はなぜ火を用いて料理をし、集団で食事をするのか(食べる)
- 人はいつから歌っており、なぜ歌うのか(歌う)
- 教える/教わることで、人はどのように優位になったか(教える、学ぶ、まねる)
- 人はなぜ装い、見せびらかすのか(飾る、見栄を張る)
- 人はなぜ結婚をするのか、いつから一夫一婦制なのか(結婚する、恋愛する)
- 人を殺すことが適応的になる場合があるのか、またそれはどんな場合か(殺す)
人の心は自然淘汰によって形成されたという前提から、「人とは何か」について、具体的に迫る一冊。本書は、shorebirdさんの書評で知り、その足で書店へ走った。これまで読んできた人間行動の科学を一望できる本に出会えてよかった。shorebirdさん、ありがとうございます。
※出典は下記の通り
- EIBL-EIBESFELDT I(1973).The expressive behavior of the deaf-and-blind-born, Social Communication and Movement, 1973
- van Hooff Jan A. R. A. M. A comparative approach to the phylogeny of laughter and smile,1972
- イレネウス・アイブル=アイベスフェルト『ヒューマン・エソロジー―人間行動の生物学』ミネルヴァ書房、2001
- Bridget M. Waller, Robin I. M. Dunbar, Differential Behavioural Effects of Silent Bared Teeth Display and Relaxed Open Mouth Display in Chimpanzees,2005
- WEISFELD G.E.,The adaptive value of humor and laughter,1993
- Matthew Gervais, David Sloan Wilson, The evolution and functions of laughter and humor: a synthetic approach,2005
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