読書猿「大人のためのBESTマンガ36」から3つ選んだ
「お薦めのマンガを紹介しあおう!」という企画で膨大なリストを作り、読書猿さんとマンガ対談(第1回、第2回)をしたんだけど、とにかく物量がハンパない。収拾つかないと思ってたら、読書猿さんから「大人のためのBESTマンガ」が出てきた。
「人間を理解する」という目的で36作に厳選されており、「知」「意」「情」の切り口から12作品ずつ紹介されている。
何度も読んだ『プラネテス』や、未読だけど気になってる『紛争でしたら八田まで』、全然知らない『ナビレラ』など、見ているだけで楽しくて、気づいたら「注文を確定する」ボタンを押していた。
ここでは、そこから3つ、読書猿さんお薦めでハマった作品を紹介する。最初に言っておくと、読書猿さんありがとう。お薦めされなかったら、きっと知ることもなかった興奮と感動を教えてくれて。
『アオアシ』小林有吾・小学館
めちゃくちゃ面白いだけでなく、読んだらサッカーの観方が180度変わった。
だが、『アオアシ』を読んだら、ボールの周りにいない選手の方が気になるようになった。ボールを持っていない選手がどこに居て、何を見て、何をしようとしているかを見たいと感じるようになった。
主人公は、サッカー大好き中学3年の青井葦人(あおいアシト)。粗削りながら特異な才能を秘めており、努力と根性でJリーグのユースをのし上がっていく王道マンガ……と思いきや、180度違ってた。
もちろん努力と根性もある。サッカーが好きな田舎の少年が、エリート養成のユースチームで技術的に通用するはずがない。それこそ寝る間も惜しんで練習する。
でも、当たり前だけど、みんな練習してきたんだ、積み上げてきた質と量が違う。そんな単純に、努力と根性でクリアできるはずがない。
だから葦人は考える。いまは「できない」、じゃぁ「どうする」と問いを立て、考える。そして、仲間、監督、はたまた敵役からヒントを求め、考え抜き、実行する。葦人の名前は、パスカル「人は考える葦である」から採っているんだと思うくらい、考える。
葦人の武器は一つだけ。ストーリー開始時点、本人は気づかない能力で、フィールド全体を俯瞰し、記憶することができる。私たちが観戦しているとき、「あそこスペースが空いてる」とか「反対サイドがフリーなのに」と、もどかしく感じることがあるだろう。その「目」を持っているのだ(※1)。
足りない技術、高いハードル、限られた時間という制約の中で、葦人は、それを乗り越える以上のことをやってくれる。そういうシーンを目の当たりにすると、全身が総毛だつ。
第16話「クロウ」より
そのゾッとする 場面はゴールだけじゃないんだ。もちろんゴールシーンも印象的だけど、ボールを持っていないときが多い。どのように自分が動き、周囲を動かすか、そのために何を見、どうやってメッセージを伝え、エリアを連携しあっていくかこそが大切なんだ、ということが分かる。
もちろんボールは大事。だってボールをゴールに入れることでしか得点にならないから。でも、そのためには、ボールを持っていない人がどう動くかこそが、サッカーの見どころの一つなんだということが、めちゃめちゃ腑に落ちる。
『せんせいのお人形』藤のよう・KADOKAWA
人は「知る」ことで運命を変えることができる。その運命を目の当たりにできる物語がこれ。そして、「人はなぜ学ぶのか」への一つの応答でもある。
ネグレクトされ、親戚中をたらい回しにされていたのを表紙の男(昭明)があずかり、マイフェアレディよろしく育てる。『うさぎドロップス』が頭に浮かんだが、ぜんぜん違っていた。誰からも愛されることなく、流されるがままに生きてきたスミカが、彼の元で心を取り戻していく過程の一つ一つが胸に響く。
たとえば、スミカが名前を呼ばれるところ。
名前を呼ばれるとは、その一人の存在を認めること。名前を呼ばれたことすらないということは、「いない子=いらない子」としてずっと生きてきたこと。自分の存在を認めることがない世界で生かされてきたこと。それがあたりまえだったスミカが、自分の思いを、昭明に向かって、身を絞るように吐き出す。そのセリフだけで胸がいっぱいになる。
「なぜ人は学ぶのか」のわけを、スミカが自分自身で見つけだすところ。最初の「知りたい」から始まって調べていくと、どんどん「知りたい」が広がってゆく。数学について調べていたら天文学になり、歴史になり、科学になる。
誰にも顧みられず、孤独の中で生きてきたスミカが、知が有機的につながっていること、その真ん中に「知りたい」と思う自分がいること、そしてその気持ちを持っている限り、決して一人ではないことに覚醒するシーンは、読んでるこっちが戦慄した。ここ、読書猿さんが言ってた「同じものを読む人は、遠くにいる」と同じだ。
第20話「学問の鳥観図」より
この直後、昭明の、「それは君が手放さない限り 君をどこまでも連れていくものだ」「ほかの誰にも奪えないものだ」という言葉が刺さる刺さる。これは、タイガーウッズの母が、子どもに向かって言い聞かせていたセリフと同じであり、わたしが、わが子に向かって言い聞かせているセリフと同じだ。
変わってゆくのはスミカだけではない。
彼女に挨拶を教え、礼儀を教え、本を読むことを教え、知る方法を教え、約束を守ることを教えてゆくうちに、昭明自身が変化してゆく。スミカが初めて(おそらく、生まれて初めて)家に帰ってきて、「ただいま」というのだが、このシーンは何度見ても泣いてしまう。これはスミカの魂の再生だけではなく、昭明の心、ひいては読み手の心を溶かしてゆく物語でもある。
『チ。』魚豊・小学館
人は「知る」ことで自分と世界を変えてしまう。そして、いったん知ってしまったら、「知らなかった」世界へ戻ることはできない。
知的興奮という言葉がある。いままで知らなかったことを知るだけではなく、知っていたはずのものに、別の解釈があることを知りなおしたときの、肌が粟立つような、世界の解像度が上るような感覚だ。この感覚を味わえる。
タイトルの『チ。』は、地動説の「チ」だ。
中世のヨーロッパが舞台で、天動説が絶対である世の中だ。そんな世界で地動説を研究することは、ほとんど自殺行為に等しい。社会的身分を剥奪されるだけでなく、異端として拷問を受けたり、火炙りで処刑されてしまうことになる。
それが分かっていても、地動説を追い求める人がいる。
もし、天動説を元にして、月や太陽や星々の観測結果を説明しようとすると、非常に複雑で無秩序な「宇宙」ができあがる。二重三重に絡み合った軌道の星が空を覆うだけでなく、ふらふらと動き、まるで惑っているような星が存在することになる。
そんな不確かな宇宙を、神が設計したのだろうか? この宇宙を神が作ったとするならば、それはもっと確かで美しいものではないのだろうか?
地動説を追い求める人は、神の絶対性を信じるが故に、自分の「目」を信じ、自分の「知」を信じようとする。
そして、いったん地動説を受け入れると、もうそれで世界の見え方がガラリと変わってしまう。なぜ世界がそうなっているのかが分かってしまう。
私は教育のおかげで地動説を所与のものとしているが、そうではなく、新しい形で宇宙を見る知性を手に入れたなら、きっとこうなるだろうな、という感覚になる。タイトルの『チ。』は「知」でもあるのだ。
第1話より
ただ一つ、この人々へ問いたいことがある。地動説や天動説の話ではなく、(この時代にはまだ無い)科学についてだ。
「美しさと理屈が落ち合う、だから真理である」という考え方だ。
自分の仮説を説明しきれないとき、科学者が使う「美」というレトリックに危うさを感じる。ある理論が美しいかそうでないかは、理解も同感もできる。
だが、それが美しいからといって正しいとは限らないことに、科学者は自覚的になっていないように感じる。この危うさは、『数学に魅せられて、科学を見失う』のレビューにまとめたが、同じものを、『チ。』にも感じている。
以上、3作品を紹介したが、あくまで読書猿さんに教わって最近読んだものに限っている。「大人のためのBESTマンガ」は良質なリストなので、ぜひ手に入れて欲しい。週刊ダイヤモンドの別冊付録なのだが、Kindleだと掲載されていないように見える。できれば紙媒体で勝った方が無難かも。確認したところ、Kindle版でも付録は付いているとのこと。
良いマンガで、良い夏休みを。
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