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ピンチョン『ブリーディング・エッジ』読書会が楽しすぎて時が溶けた

ありのまま、起こったことを話すと、読書会が始まったかと思ったら、いつのまにか終わってた。何を言ってるのか分からないかもしれないが、私も何が起きたのか分からない。

トマス・ピンチョンの最新作『ブリーディング・エッジ』のオンライン読書会に参加したら、時間が溶けた。みなさんのオリジナルな斬り口、読者目線、ネタ、面白解釈、論争発火点を次々と聞いているうちに、あっという間に4時間が過ぎた。


ウェブで死者と出会う意味

もちろんピンチョンだから、どこをどう料理しても面白い。

百科全書な小説で、神話や歴史から始まって文学、数学、物理学、暴力と陰謀とパラノイア、都市伝説と幻想怪奇、洒落と地口、メタフィクション、セルフパロディなど、いくらでも、どれだけでも話せる。

たとえば誰かが「ここ良いよねー」と言うと、皆でふむふむと読み直しながら、あーでもない、こーでもないと同意したりツッコんだり。オンラインだから各人の画面で見ているけれど、これ、同じ画面をスクリーンに映しながら検索結果や Youtube や GoogleMap を眺めながら話したら、無限に語り合える気がする。

しかも今回、『ブリーディング・エッジ』は2000年代のTech系(しかもウェイ系)を俎上に乗せているから、IT関連の皆さんからすると大好物だったかもしれぬ。

たとえば、ウェブで死者と出会うこと。

あの時代は、本人とアカウントが紐づいていた。匿名性を盾にネット人格を作る人がいる一方で、プロフィールに住所や連絡先をカジュアルに書く人も少なからずいた。だから、ネットで本人だといえば、向こう側に本人がいると考えるのが自然だった。

では、ネットの海の深~いところで、死んだはずの人が接触してきたら、どう考える? 物語の後半、主人公と深~い仲になったある男と話し合うところがある。そいつしか分からないような情報を持っているし、いかにも彼なら言いそうなセリフを吐く。

いまの感覚なら、なりすましやbotを疑う。

あるいは、パラノイア的に、彼女の偏執が生み出した妄想に過ぎないと考えることができる。一方で、ロマンティックなものとして読み取った方もいた。彼の魂じみたものがいっときとどまる場所として、ディープ・ウェブがあると考えると美談になる。私はここ、惑星ソラリスの「海」的なものを想起していたが、同じことを考えてる方がいて安心した。

パラノイア or ロマンティックと、どちらでも両義的に読めるように仕掛けてあるのが楽しい。

この「ディープ・ウェブ」、2000年代に物議をかもした「セカンドライフ」をモデルにしている(ような気がする)。ネット最大(?)という噂の仮想世界で、今でもサーバが生きてて驚いた。

ピンチョン・マゾヒズム度は低め

死者の痕跡を探すところで、昔の、フィルムノワールやスパイものの型を踏襲している、という指摘が鋭い。

シニカルな男の主人公、謎めいた女、冷酷な悪役が出てくる犯罪映画だが、その男女を逆転させている。

絶妙なタイミングで救いの手が差し伸べられたり、ドンピシャのタイミングで危機一髪を切り抜けるなど、昔のスパイ映画まんまなのだが、ピンチョンはこれを意図的にオーバーライドしているというのだ(確かにボンドガールを逆転させたような役回りのトミー・リー・ジョーンズみたいなキャラが出てくる……)。

ピンチョン「らしからぬ」物語構造への指摘も鋭かった。

ピンチョンといえば、ページをめくるたびに新しいキャラが登場し、今までの脈絡と無関係のエピソードが際限なく連なり、全く違う空間と時間で物語が展開されるなど、読者の鼻先を掴んで振り回すのが十八番だ(ピンチョン・マゾヒズムと呼ばれていたが、激しく同意するwww)。

しかし、『ブリーディング・エッジ』は主人公のマキシーンだけにライトが当たっていて、読み手は彼女だけを追いかけていれば筋が追えるようになっている。

新キャラがどんどん出てくるのは通常運転だけど、新キャラ登場→(マキシーン脳内の)回想シーン→新キャラとマキシーンの絡み→退場というシークエンスをきっちり守っており、分かりやすい。「これ誰?」にならずに読めるのは珍しい。さらに、現代のアメリカ合衆国を舞台にしているという点でも、世界に入りやすいと言える。

ピンチョン「にしては」読みやすいのも手伝って、本書は、ピンチョンの入門書としても良いかも、という意見もあった。確かにピンチョン未読の方に『メイソン&ディクソン』や『逆光』はお薦めできないなぁ……

ピンチョンの、ピンチョンによる、ピンチョンのためのセルフパロディ

ずっと引っ掛ってた謎に決着がついたのも良かった。

マキシーン、とある男に抱かれるのだが、あれほどシニカルでロジカルで辛口な彼女が、なぜ(分かったうえで)ノコノコと男の部屋に行くのが、どうしても理解できなかった。

だって、第一印象最悪だぜ? さらに某所で手に入れた情報によると、その男、南米で色々と後ろ暗いことをしていたらしく、(かつ既婚で)どう見てもお近づきにならないほうが良い経歴なのに、なぜ?

猛者たちに問うてみたところ、意外と惹かれている描写があったよとか、最初は嫌いなキャラが好きになるってマンガとかでよくあるよとか意見がもらえる。あるある、「こいつ、おもしれー女」とか、少女漫画に典型のパターンやね。

なかでもユニークなのは、恋愛モノの典型パターンを踏んだ上で、それをパロってぃるのではないか、という指摘だ。なるほど! これコミックとして軽く読んでもらうため、と考えると、その後の〇〇〇な展開が楽になってくる。物語を重くさせないための仕掛けなのかなぁ……

他にも、死ぬ死ぬフラグが立ちまくっているのに死なないキャラとか、(勃起するとミサイルが落ちてくるから)尿意が起きると情報が飛びこんでくるとか、現実と幻想の境目が分からなくなったとき、現実との錨となるのが家族といった、さまざまな視点を教えてもらう。

いわれてみると、確かにそう読める。同じ小説を読んでたのに、そう取るのか!? と何度も驚かされる。笑うポイントが微妙にずれてたり、ピッタリ合致してたり、いろいろあって楽しい。

読者の数だけ物語を成立させてみせる神技を、あらためて知らされる。たいへん楽しい読書会でした! 主催のふくろうさん、参加された皆さん、ありがとうございました。コロナ禍が落ち着いたら(これも常套句になりつつある)、酒盛りしながら本談義をしたいですね。

以下自分メモ。

ピンチョンwiki

https://pynchonwiki.com/

重力の虹wiki

https://scrapbox.io/GravitysRainbow/

ふくろうさんの『重力の虹』レビューが狂ってて好き。

https://owlman.hateblo.jp/entry/2019/12/30/192042

山形浩生さんの「トマス・ピンチョン東京行」、お手本にしたいくらい最高の嘘。

https://cruel.org/talkingheads/pynchon.html



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