ピンチョン『ブリーディング・エッジ』を読むという異様な体験をした
ピンチョンの没入型小説。
相変わらず異様だ。めり込むように読む。どれだけ異様かというと、主な登場人物を見ると分かる。主役はマキシーン・ターノウ。
マキシーン・ターノウ | ティレム・アンド・ネレイム調査会社の詐欺調査のエージェント。ホルスト・レフラーの「準元妻」。子どもはジギーとオーティス。アッパーウェストサイド在住。ベレッタを愛用。ユダヤ人。 |
ヴァーヴァ | ジャスティンの妻。足元は基本の黒のスパイクヒールでキメている。ポモナ大卒、マイナードットコムで成功。娘はフィオーナで、クーゲルリッツに在籍。 |
ルーカス | ジャスティンのビジネスパートナー。ディープウェブを探索する3Dバーチャルアニメ「ディープアーチャー(Departure/出発)」をジャスティンと一緒に開発。AKIRAのネオ東京、攻殻機動隊、メタルギアソリッドの影響が強く出ている。お気に入りのTシャツはDEFCONの「FBIみっけた(I spotted the fed!)」 |
デイトーナ・ロラン | マキシーンの会社の受付。 |
ショーン | 禅クリニックを経営。マキシーンのセラピスト。臨済宗の公案問答をする。サーファー。 |
アーニーとエレイン | マキシーンの両親。オペラ大好き。 |
ブルックとアヴラム・「アヴィ」・デシュラー | ブルックはマキシーンの妹。仲は微妙。アヴィはブルックの夫。イスラエルから到着。一年間キブツで暮らしてた。ハッシュスリンガーズはアヴィにオファーを出す。ウィンダストはアヴィに興味がある。Tシャツのロゴは「ALL YOUR BASE ARE BELONG TO US」 |
エマ・レヴィン | ジギーのクラヴマガ(近接格闘術)の先生。恋人はナフタリ(元モサド)。 |
レッジ・デスパード | ドキュメンタリー映画の制作者。ビデオ撮影を通じて交友関係が広い。コンピュータセキュリティ会社のハッシュスリンガーズに雇われている。マキシーンに助けを求める。エリックと一緒に、ハッシュスリンガーズのとんでもない不正を見つけてしまう |
エリック・アウトフィールド | コンピュータオタク。ハッキングが得意。足フェチ。レッグに雇われている。ロウワー・イースト・アベニューのワンルームに住む。Tシャツのロゴ「真のギーグはコマンドプロンプトを使う」。使っているマグカップには「CSS IS AWSOME」がプリントされている。 |
ハイディ・コズマック | 高校時代からのマキシーンの親友。ポップカルチャーの教授。香水はプワゾン。 |
エヴァン・スチューベル | ハイディの元婚約者。 |
ドリスコル・パジェット | hwgaahwgh.comのWebグラフィックデザイナー。ウォッカスクリプトというバーで時々ボーカルをしている。 |
ホルスト・レフラー | マキシーンとフレンドリーに分かれた元旦那。最近、世界貿易センタービルの百何階かを転貸しはじめた。 |
ゲイブリエル・アイス | ドットコム億万長者で、ハッシュスリンガーズの最高経営責任者(CEO)。マキシーンはその金融取引に疑いを抱く。妻はタリス、子どもはケネディ。ディープ・アーチャーの買収をもくろむ。 |
タリス | アイスの妻。ハッシュスリンガーズの代表。 |
ニコラス・ウィンダスト | 五十歳ぐらい。ポリエステルの割合の高そうなトレンチコート。レイバンのパチもんのサングラス。あるいは、パープル・ドランク色のTシャツと鮫革のスポーツジャケット。政府と民間の回転ドアを出たり入ったりするネオリベ。十一番街のアパートに住む。 |
シオマラ | ウインダストの最初の妻。グアテマラ国籍。 |
ドッティ | ウインダストの2番目の妻。 |
マーチ・ケレハー | タリスの母。マキシーンの友人でありご近所さん。ブロガー。コロンバス・アベニューとアムステルダム・アベニューの間に住む。かかとにサウンドチップが埋め込まれ、歩くたびに『ジョーズ』(1975)のオープニング曲が流れてくるスリッパを愛用。ブログ執筆は、キーライム色のiBookを使う。 |
シド・ケレハー | 運び屋。優しそうなおじさん風情で、短めに刈り込んだ軍人カットにプレジデンテのロングネック。 |
フィリップス「ヴィップ」エパデュー | ザッパー詐欺の一味。シェイとブルーノは友達。 |
フェリークス・ボインゴー | 10代のカナダ人。アンチ・ザッパーのプログラマ。モントリオールとニューヨークを行ったり来たり。レスターのパートナー。派手なオレンジ系のダブルニットのスーツ。 |
ロックウェル「ロッキー」スレージャット | ベンチャーキャピタリスト。アイスの新興企業に投資している。 |
コーネリア | ロッキーの「WASP」妻。買い物依存症。 |
レスター・トレイプス | hwgaahwgh.comの元従業員。アイスのマネーロンダリングから横領している。 |
イゴール・ダシュコフ | 表向きはソビエト式のアイスクリームや違法飽和脂肪バターを扱う。スペツナズの顔役。ミーシャとグリーシャは手下。ロシアの高級リムジンZiL-41047に乗る。80歳。ブレジネフみたいな顔。『霧につつまれたハリネズミ』(1975)が好き。 |
チャンドラー・プラット | 金融業界の大物フィクサー。ミッドタウンの六番街に法律事務所を構える。 |
コンクリング・スピードウェル | 犬レベルの嗅覚を持つ「フリーランスの鼻のプロ」。ネイザー・ガンの発明者。ヒトラーの匂いを追い求めている。ハイディと付き合っている。 |
チャーズ・ラーディ | 光ファイバーのセールスマン。タリスのボーイフレンド。アイスが雇ったタリスのお目付け役。ペニスが本体で、それに東テキサス人が付いている。 |
カーマイン・ノッツォーリ | 第20管区の刑事。連邦犯罪者データベースのアクセス権限を持つイタリア男。アロハシャツが短すぎて腰の拳銃が微妙に見え隠れしている。マキシーンのことを助けてくれる。ハイディと付き合っている。 |
マーヴィン | ピストバイク便のメッセンジャー。ドレッドヘア。オレンジのジャケットにブルーのカーゴパンツ。メッセンジャーバックもオレンジ。kozmo.comのロゴ。USBフラッシュメモリ、VHSテープ、彼が届けるブツは意外なヒントをマキシーンにもたらす。 |
ランディ | 小柄でずんぐり、でも武器を持っているタイプ。赤い野球帽の後ろの穴からポニーテールが飛び出している。アイスの屋敷でマキシーンと一緒にワインを盗む。 |
ジャスティン | シリコンバレー出身のプログラマー。ルーカスとはスタンフォード大学で出会った。 |
ロイド・スラッブウェル | CIAの監査局。ワシントンDC勤務。コーネリアのいとこ。 |
イアン・ロングスプーン | ベンチャーキャピタルの投資家。ジンジャーエールをチェイサーにして、フェルネット・ブランカを飲む。 |
エブラー・コーエン | イカサマ臭い確定給付型退職金プランのやつ。 |
ユーリ | 陽気なスポーツマンタイプ。1万5000千ワット出力の発電機を牽引するハマーを運転。 |
断っておくが、実際に出てくるのは100人を超える。ページをめくるたび新キャラが増殖し、好き勝手にしゃべりまくり、動き回る。ディープ・ウェブを徘徊する3Dインタフェース、戦闘少女サブカルチャーのスパイクヒール、バスケットボールの先祖となるマヤ文明の儀式、ヒトラーが愛用したアフターシェーブローション、誘拐した子どもをスパイに育てる施設、LSAが起動する創造性、「私を見ろ」と話しかけるペニス……ギャグ、挿話、エピソードトーク、戯れ歌、いいまつがい、百科全書的なネタの1割しか分からなくても、5分おきに笑わせられる。次から次へと奔流のように翻弄されながら、訳注や GoogleMap を頼りにストーリーをつかみとる。
主人公はマキシーン、おせっかい母ちゃんだ。小学児童2人を育て、円満離婚の<元>夫と付き合い、ベレッタをバッグに、詐欺調査のエキスパートとして働く。主役も脇役もキャラが入り混じる『逆光』や『ヴァインランド』とは異なり、マキシーンだけ見てればいい。彼女が、次から次へと首をツッコみ、マンハッタンを駆け回り、事件と事故の目撃者となる様を見てればいい。
舞台は2001年のニューヨーク。春分の日から始まるから、同時多発テロの半年前。00年のドットコム・バブルが弾けた直後で、Google は IPO前、マイクロソフトが「悪の帝国」と呼ばれていた時代だ(懐かし―!)。会計検査士の資格を剥奪されたものの、不正を見る目は超一流のマキシーン。ひょっこり見つけた変なお金の流れから、アメリカの闇にうっかり踏み込んでゆく。
対する敵役は大金持ちのゲイブリエル・アイス。バブル崩壊に乗じて、膨大な量の光ファイバーケーブルとサーバを買占め、検索エンジン(Yahoo! だ!!)のクロールから隠れた深淵「ディープ・ウェブ」に進出して、巨万の利益を吸い上げる。秘匿していた情報を嗅ぎまわるマキシーンは邪魔っちゃ邪魔なんだけど、家族や会社も含めて入り組んだ妙な関係になってしまっているのが笑える。
プロットの奔流も様々で、後期資本主義の構造的な悪を糾弾する流れもあるし、インターネット監視社会を幻視するハードボイルドな光景も見られる。バーチャル・リアリティが、ミート・リアリティを浸食する怪談チックな演出も入っているし、洗脳装置としてのテレビジョンが定期的に浮上してきたり、やってることはドロドロなのに、妙にスタイリッシュな不倫とか、ワケが分からないよ(でも楽し―)。
デフォルメされ戯画化されたキャラ造形や、マキシーン完全ご都合主義的なストーリー展開、陰謀&パラノイア小説だと思っていたら、完璧な家族小説だったとか、臨界突破した伏線のせいで2回以上読む必要が出てくる物語構造など、規格外の異様な小説となっているが、ピンチョンならば平常運転やね。
これがピンチョンの最新作『ブリーディング・エッジ』の紹介だ。
ん? わけ分からんって?
それで合ってる。ピンチョンの小説を読むということは、説明できない体験をすることだから。
ピンチョンの小説体験に代わる何かを説明するのは難しい。ちょっと見てみな、ピンチョンの感想を語る人は、ピンチョンの他の作品を引き合いにあれこれ述べている。他の何かと比べられない、唯一無二の存在なのだ。ドストエフスキーのおしゃべりの響き合いと、千夜一夜のてんこ盛りエピソードと、白鯨の脱線と引用が交じり合い、足して割らない濃密な物語に揉みしだかれ、惑い、迷い、ビクつき、笑い、憤る。
そういう、異様な体験をした。
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