現実も幻覚の一つであることが見えてくる研究『幻覚剤は役に立つのか』
LSDやサイロシビンなど、危険ドラッグと呼ばれているものは、持ってるだけで重罪だ。依存性があり、自分の意志ではやめられなくなる恐れがあると言われている。
だが、毒か薬か量による。
専門家の監督下で、正しい用法・用量を摂取することで、うつ病や不安障害といった精神疾患や、末期ガン患者に対し、驚くほどの効果が期待できるという。そして、著者自らが幻覚剤を体験することで、治療薬としての可能性を追求したのが、『幻覚剤は役に立つのか』である。
幻覚剤の効果
幻覚剤の体験で特徴的なものが、「子どもの目で世界を見る」である。
大人の場合、「見る」という行為ひとつとっても、「それは見たことがある」「あれに似ている」など、過去の経験や知識に基づいた見方をする。
だが子どもは、(経験が少ない分)そうした影響を受けにくい。見たもののを、そのままダイレクトに受け取ろうとする。
たとえば、緑色の点がフラクタルなパターンで視界に入れば、大人は「木の葉だろう」と考える。なぜなら、過去に何千何万回と見てきたため、ただそのパターンだけで推測してしまう。そうすることで、時間とエネルギーを節約しているのだ。
LSDを使用すると、そうした短絡的な知覚モードが遮断される。あたかも生まれて初めて目にするかのように、生々しく「葉っぱだ!」と感じ取る。大人になるにつれ失われてきた、センス・オブ・ワンダーを取り戻すというのだ。
また、意識の境界がぼやけて拡散することも特筆されている。主観的な「私」の感覚が崩壊し、どこまでが主観的な事実で、どこからが客観的なものか、分からなくなるという。
この辺りの感覚は分かる。いい感じにお酒が入ったり、瞑想が上手くいったとき、あるいは性行為の際、こうした経験がある。
周りの全てが生々しくなり、自分が溶ける。肌理と輪郭と細部と全体が一体となり、位置的に見えないはずの上や反対側からも見える。見るというより「ある」ことを受け入れるような、視覚と触覚が混ざったサイケデリックな経験だ(泥酔はしておらず、意識はクリアなのが怖い)。
サイケデリック体験のメカニズム
幻覚剤が、どのようにサイケデリック体験を引き起こすのか。
本書では、DMN(Default Mode Network/デフォルト・モード・ネットワーク)の観点から説明する。
DMNとは、「話す」「走る」など意識的な活動を行っていないときの脳内の神経活動のことを指す。ワシントン大学のマーカス・レイクル教授によると、DMNは、脳の各部に対しトップダウンに働きかけ、全体を整理する役割があるという。
そこでは、過去の出来事に思いを巡らしたり、未来に漠然と不安を抱くといった意識が流れており、DMNの活動が強すぎる場合、統合失調症やうつ病に関連している可能性もあるという(※1)。
幻覚剤を使用している被験者の脳内をfMRIで観察すると、ちょうど被験者が自我の消失を訴えるあたりから、DMNの活動が急激に低下することが報告されている(※2)。幻覚剤は、DMNのを抑制する働きがあるのだ。
DMNがオフラインになるとき、脳内のコミュニケーションの状態が大きく変わる。脳磁図と呼ばれる画像技術を用いてマッピングしたものが下記になる(※3)。左側が通常の脳で、右側がサイロシビンを使用している脳になる。
通常では、各部のネットワーク内でのみ交流し、一部の経路のみコミュニケーションが密となっている。
だが、サイロシビンの影響かにある脳では、新しい繋がりが無数にでき、通常ではほとんど交流しない遠方の領域ともリンクしてる。
この脳内ネットワークの一時的な再編によって、精神活動に影響が出てくる。
たとえば、感情を司る領域が、視覚情報を処理する領域と直接交流するようになれば、恐怖がそのまま視覚に影響を与えるようになる。知覚情報が混交し、色が音になったり、音が触感になることもありうる。記憶が視覚に変換されて、鏡に映った自分の顔が祖父に見えたりする。
幻覚剤は、「自己」を形作るため抑圧的に働いていたDMNのくびきを外す。見慣れたものに新たな意味を見出し、創造的なひらめきや、斬新な視点を得ることができる(※4)。さらに、DMNの働きを一時的にせよ弱めることで、統合失調症やうつ病への効果も期待できるというのだ。
私たちは管理された幻覚に生きている
なぜDMNがこれほど抑圧的に働くのか。
この問いに、興味深い仮説が提示されている。答えは単純で、「効率」による。
脳は複雑な予測マシンであって、外部環境を「ありのまま」知覚しているわけではない。視覚ひとつとっても、非常にデータ量が多く、全てをいちいち処理していたら判断が追い付かない。そのため、過去の経験や他の感覚からの信号に基づいた推測を行って、最小限の情報だけを受け入れるというのだ(予測符号化※5)。
感覚器を通してボトムアップに入力される「フラクタルな緑色の点」と、過去に何百何千回と見てきた「木漏れ日」からトップダウンに予測する誤差を最小化するように、脳は情報処理を行うのだ。
言い換えるなら、私たちが外界を知覚するとき、それは「ありのまま」の現実を転写したものではなく、知覚器官から得たデータと、過去の経験に基づいたモデルを結びつけ、整合的に組み合わされた幻覚だと言える(本書では、「管理された幻覚」と表現されている)。
日常の生命維持を容易にするよう、知覚は最適化されている。だが、それが崩れるとき、あらためて脳はそれを学習しようとする。
たとえば、私たちが「顔」らしきものを認識するとき、それは凸面であると脳は予測している。なぜなら、過去に何万何億回と、現実と予測のマッチングテストを行ってきたから。
しかし、以下のような錯視を目の当たりにすると、「このT-Rexは例外だ」と学習する。何度も見ているのに、それでも騙される。それぐらい管理された幻覚は強力なのである。
幻覚剤は、現実と認知情報の強固な結びつきを壊す。
脳は、どっと流れ込んできたローデータをなんとか処理しようとする。いつもの予測符号化が役に立たず、現実の予測が追い付かない。脳は必死に新しい現実予測を作り始め、過去の経験と大量のデータを無理やり結びつけようと試みる。その結果、ありもしないものを知覚するようになる。
幻覚剤は、幻覚を見せるのではなく、私たちが現実だと思っていた世界も幻覚の一つであることに気づかせてくれる。
※1 Default Mode Network Activity and Connectivity in Psychopathology
https://www.annualreviews.org/doi/abs/10.1146/annurev-clinpsy-032511-143049
※2 The entropic brain: a theory of conscious states informed by neuroimaging research with psychedelic drugs
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fnhum.2014.00020/full
※3 Psychedelics: Lifting the veil | Robin Carhart-Harris | TEDxWarwick
https://youtu.be/MZIaTaNR3gk
How do psychedelics work?
http://goodmedicine.org.uk/stressedtozest/2019/01/recent-psychedelic-research-how-do-they-work
※4 真逆のレポートもある。DMNが活性化すると、創造性が高まるというレポートだ。
The Importance of the Default Mode Network in Creativity—A Structural MRI Study
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/jocb.45
※5 予測符号化 (predictive coding) とは何か
https://omedstu.jimdofree.com/2018/08/17/%E4%BA%88%E6%B8%AC%E7%AC%A6%E5%8F%B7%E5%8C%96-predictive-coding-%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/
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コメント
VRはこの本のような薬の研究をすすめることのほうが、VR装置より薬の研究の発展のほうがVRの目的の現実感を達成できるような気がする。
投稿: にさと | 2021.05.16 14:52
>>にさとさん
コメントありがとうございます。ということは、VRと幻覚剤を併用すると、さらに効果を得られる可能性もあるんですね(良い意味でアブなさそう……)
投稿: Dain | 2021.05.23 10:07
図書館の新書コーナーで見たタイトルからの印象。
「ドラッグ・サブカルと哲学。そこに医学的・科学的に説明できない脳と感覚を関連させるよくある系の本だな。
内容はともかく分厚くて重いから筋トレの代用になるからとりあえず借りとくか。。。」
第一章ルネサンス、第二章博物学、第三章歴史、ここまでは退屈でした。
そして第四章旅行記。
「え?この意識と感覚って普通じゃないの?私、行こうと思えば行けるし帰ってこれるんですけど?
子供の頃からそれが普通だと思ってたし、今もそうだよ?
ドラッグも瞑想も呼吸法もトレパネーションも要らないよ?
なのにそれを知っている、判っている私はおかしいのでは?
あれ?あれれ???www」
深く考えるとはまりそうなので『読書酔い』もしくは『読書トリップ』という新語を造って考えるのを止めました。
面白かったです。
投稿: ( ・∀・)つ | 2021.07.15 09:35
追記:
脳を含む身体を一台のPCと捉え、脳や身体の処理がデザインパターンで設計されている。
更に各処理はCompositeでは無い、再帰的な処理で書き換えられる、と仮定してみます。
この仮定を踏まえて、デザパタのリストを眺めてみると、言葉にはできないけど腑に落ちる気がします。
投稿: ( ・∀・)つ | 2021.07.15 10:16