« 文学の手法を取り入れた医療『ナラティブ・メディスン』 | トップページ | 受験英語【だけ】頑張った私に足りないのは語彙力『英語の読み方』 »

レイ・ブラッドベリ『華氏451度』を物語を創る側から分析する―――第3回物語の探求読書会レポート

小説、漫画、映画、舞台、ゲームなどジャンルの垣根を越えて、「物語」について考えるオンライン読書会。

今回は、SFの古典レイ・ブラッドベリの傑作を俎上に、脚本家タケハルさん、文学系Youtuberスケザネさん、そして私ことDainでとことん語り合った。

書物を焼く意味とは? 本を殺す洗練されたやり方や、焚書に抗う究極の対策を始め、ブラッドベリの創作技法など、盛りだくさんでお届けする。

451

以下、ブラッドベリ『華氏451度』の内容に触れており、ネタバレをしています。

<目次>

  1. 本を焼く者は、やがて人を焼くようになる
  2. 華氏451の根源「多様性を殺していく」
  3. 時代を超える本の条件:a passionate few
  4. 本の殺し方
  5. 本はカジュアルに焼かれてきた
  6. イマジネーションを喚起させるSF作家
  7. 焚書への究極の対抗策:暗記
  8. 他の芸術と比較した文学の強みとは
  9. 思想小説とサスペンス性
  10. この世ならざる世界にいかにして引き込むか
  11. 現実世界との架け橋をつなぐか
  12. 批評をするな、物語らせよ
  13. ブラッドベリの創作技法
  14. 終わりに&次回の課題図書

 

<動画>

https://youtu.be/zXwVgaKuaXM

 

<本文>

スケザネ:今回はブラッドベリ『華氏451度』についてお話しましょう。2月くらいに課題図書に決めたのですが、これ、Eテレの100分de名著『華氏451度』の2021年6月で紹介されるんですよね。びっくりしました。『華氏451度』はタケハルさんの提案だったのですが、どうしてこれを?

タケハル:ぶっちゃけ偶然です。課題図書を決めるとき、なんか小説にしようと思って本棚を見たら最初に目に入ったのがこれだから。ディストピアもので、予言的なものもあるかな、と思って。

スケザネ:久々に読み直してこれ、1950年代に書かれたのかよ、やべーなと何度も呟きました。

Dain:読んだ&映画観たのがすっごい昔で、ほぼ忘れてたので私も読み直しました。最初に読んだときの印象と、おっさんになって読むときの感じ方がかなり違ったので、その辺を話せたらと思います。

 

1. 本を焼く者は、やがて人を焼くようになる

Dain:最初に届いたメッセージはこれ、「本を焼く者は、やがて人を焼くようになる」ですね。ドイツの詩人でしたっけ、ナチスの焚書について言っていたと記憶しています。で、ナチスの焚書だと、本のリストの本(A Book Of Book Lists)というのがあって、そこで紹介されてます。

 <ナチスが焼いた本のリスト>

  • 武器よさらば(アーネスト・ヘミングウェイ)
  • いかにして私は社会主義者となったか(ヘレン・ケラー)
  • 野性の呼び声(ジャック・ロンドン)
  • 鉄の踵(ジャック・ロンドン)
  • 世界史概観(H.G.ウェルズ)
  • 理性に訴える(トーマス・マン)
  • ジークムント・フロイトの全著作

ナチスが焼いた本のリストを眺めていると、ナチスが何を嫌がってて消したがっているのかが透けて見える。

そしてこれ、インターネットの法則と合致しているのが面白いです。あれです、「消すと広がる」という法則。twitterとかでつい口が滑ってヤバいこと言ってしまい、謝らずに消すと、誰かが魚拓を取ったりしてて逆に広がってしまうやつ。

たとえばウェルズなんて宇宙戦争が有名なんですが、ナチスが焼いた本ということで、『世界史概観』が歴史に残り続けるんだろうなぁと。

スケザネ:確か岩波で出てますね、ウェルズの『世界史概観』。消すと広がる、皮肉なものですね。

Dain:はい。そして焼かれた本のリストつながりで、『華氏451度』で焼かれた本のリストを作ってきました。これです。

 <『華氏451度』で焼かれた本のリスト>

  • バートランド・ラッセルのエッセイ
  • ミレー(画家の?)
  • ホイットマン
  • フォークナー
  • ダンテ
  • スウィフト
  • マルクス・アウレリウス

文学が目立ちますが、このリストを見ていると、今度はブラッドベリが何を重要な本としているのかが透けて見えて面白いですね。

でもここに、マンガが無いんですよ。マンガは? と思っていると、こうある。

引き金を引いたのはテクノロジーと大衆搾取と少数派からのプレッシャーだ。おかげでいまはみんな夜も昼もしあわせに暮らし、政府お目こぼしのコミックと古き良き告白ものと業界紙を読んでいる。

p.98 より

ブラッドベリに言わせると、コミックは低俗なもので、人にものを考えさせないように、人をバカにさせるイメージがあるんでしょうか。

タケハル:1950年代っていったら、スパイダーマンすらいないですからね。スーパーマンがいたくらいかな。手塚? ディズニーはいましたね。

スケザネ:日本だったら水木しげるですかね。まぁ確かに1950年代のアメリカのコミックといったら俗悪という印象があるかも……

 

2. 華氏451の根源「多様性を殺していく」

Dain:『華氏451度』が突き抜けているのは、無差別なんですよね。昔の焚書は選んで焼いてた。ナチスは焚書のリストを作ったし、始皇帝は医学や占いや農学以外を焼くなど、選んでた。でも『華氏451度』では、本を読むと人は考え始めるから無差別に焼け、なんです。

人に考えさせないために、本は短くなるというのが面白いんです。本の内容は圧縮され、ダイジェストやタブロイドになり、最後は10行ぐらいの要約だけが辞書に残る。

『ハムレット』について世間で知られていることといえば、「古典を完全読破して時代に追いつこう」と謳った本にある1ページのダイジェストがせいぜいだ。保育園から大学へ、そしてまた保育園へ逆戻り。

p.92より

これで思い出したのが、『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』みたいなやつ。古典や名著のダイジェスト版です。よく間違われるのは「あらすじを知っている=教養がある」こと。そうではなく、「あらすじを知っている=教養のあるフリができる」んですよね……こういう本がガンガン売れるということは、華氏451度の世界に近づいているんだなぁと。

スケザネ:ホント、これ恐ろしくて、同じ92ページに、「そして大衆の心をつかめばつかむほど中身は単純化された」とあって、この作品全体の根源にある考え方として、多様性を殺していくところにあるんですよね

そして、そのあらすじですら多様性があるはずなんです。同じ作品を100人読んだら100通りのあらすじができるはずなんですよ。それすら1つに固定していく……そこすらも多様性を許さず、画一的なものにしていく。その先には、価値観を固定化していく世界まで、あと数歩のところの危ない状況なんですよね。

タケハル:いろんな予言的なシーンがあるんだけど、ここはピンポイントで当たっちゃったなぁ。

Dain:これ、予言的というより変わっていないといえるのかも。「これさえ読めば教養が身に付く」という宣伝文句で、世界文学全集が世に出たのが1950年代……じゃなくて1905年だった。これ、古典の抄録なんですよ。「1日15分読むだけでモテる」という売り文句で、50万セット売ったという。昔も今も一緒ですね。

スケザネ&タケハル:www 変わってない www

Dain:華氏451が予言的だな、と思う反面、1950年代と今と、なんら変わってないのかもしれませんね。

スケザネ:もっと暗澹たる話ですね。

 

3. 時代を超える本の条件:a passionate few

タケハル:確かに! 華氏451を下敷きに、これから頑張っていこうとかいう話じゃなくて、同じことがまた繰り返されるというオチwww これ、裏を返せば、最後のほうの、図書館のアーノルド・ベネットの話につながりますね。時代を超えて読み継がれる条件となる、a passionate few というやつ。

たとえばシェイクスピア。どうしてシェイクスピアが今でも残ってるのかというと、シェイクスピアを熱烈に評価する少数(a passionate few)がいたから。当時、シェイクスピアが世に出たとき、劇作家のクリストファー・マーロウは既にいた。だけど、マーロウではなくシェイクスピアが残っているのは、「シェイクスピアが好きだ」と延々と言い続ける人がいたから

だから、華氏451のラストで残るものは a passionate few がいる。プラトンとかはこの世界でも残り続けるんでしょうね。で、熱烈なファンがいない作品は消えていく……

スケザネ:そこでやべーなと思うのがゲーテ。ドイツ文学の大家だから、熱烈なファンがいるんじゃないかと思ってたら、ゲーテ、特にゲーテの小説を研究している人、日本に少ないんですよ。名前だけ大きくて存在感が大きいので、逆にa passionate few がいない。

タケハル:嘘でしょ!?

Dain:研究しつくされちゃったとか?

スケザネ:むしろ逆です。莫大な著作量で、しかも著作の幅も広い。一口にゲーテと言っても、小説だけじゃなく自然科学、戯曲集もあるし、文学家や政治家としての分野ごとの仕事があって、本国ですら全集が―――まだ、本当の完全なる全集が―――編まれていないんですよ。その中でも、ゲーテとかシラーの文学作品って、新しい翻訳がほとんどない。こないだ1冊だけ出たぐらい。(※追記:幻戯書房のルリユール叢書にて、シラーの新訳が出版されることが発表された。)

タケハル:そうそう、シラーの戯曲の新しいの、ホントに出てほしい。訳が古いとシナリオというより本を読んでる感じになってしまう。

スケザネ:古いやつだとシラーじゃなくて「シルレル」とか書いてありますもんね……脱線しまくってますねw

Dain:いやいや、今の新訳が出ないという話、華氏451につながります。当局側、つまり本の弾圧側に立つと、もっと徹底的なやり方があるんじゃないかと。「人々にものを考えさせない」ために、考える材料となる海外からの翻訳本を殺す。つまり、翻訳する人への補助金を止めるとかして、活動しにくくするんです。

 

4. 本の殺し方

Dain:もちろん華氏451は小説だから、「本を集めて焼く」というスペクタクルなシーンを入れる方がお話としては面白い。でも、そんなことすると、レジスタンスが生まれる。だから、そんな派手なことをせず、もっとサイレントに徹底的にやる。

そんなとき参考になるのが、オーウェル『1984年』です。ポイントは、「置き換える」です。ニュースピークと言われているやつ。good と bad じゃなくって、bad を ungood に置き換えたりして、どんどん言葉を減らしていく。そうすることで、本は、本質的な意味で、薄くなっていく。

スケザネ:そもそも、原本から薄くなっていく、ということですね。

Dain:そうそう。そして次に考えたのが、電子書籍への置き換えです。華氏451では、電子ペーパーや電子書籍といったものは無かったはず。でも、今の僕らはスマホやタブレットやPCで電子書籍を読んでる。

10年ぐらい前、電子書籍元年とか言われて、いろんな端末や本の規格がバーッと出ました。紙から電子への置き換えが進む一方で、沢山の種類の端末や版元が消えていったはずです。そのときは気にも留めなかったけれど、今考えると、「本を消す」のに上手いやり方ですね。

電子書籍への移行を優遇して、どんどん紙から電子に置き換えていって、こっそり消すんです。端末のアップデートしないとかして。

スケザネ:考えもしなかった……いま Kindle が無くなると消える本って、確かにありますね。いま、Kindle でしか出してない本ってあるから何割かはこのやり方で消せますね。

Dain:いまので思ったのが、ソシャゲ。ソシャゲのサービスが終了したら、何も残らないですね、当たり前ですけど。URLにアクセスしても、跡形もない。一方、カセットとかディスクとか何十年も前のが残っていて、今でも遊べる。それはモノとしてのメディアがあるから。だから Amazon は、Kindle のメディアを維持していくために、金よこせという話もあるかも。

タケハル:印刷するとか流通するとかのコストが無くなった反面、元を絶たれると一気に無くなるというリスクを追うことになるんですね。

スケザネ:近い時代では映画でこれが起きていますね。古い映画の何割かってもう観られないじゃないですか。これは意図せざるものもあるし、燃やされたというのもある。その波は既に起きているのかも。

タケハル:アリストテレスの著作が残っていないといっても、何百年単位で起きている話ですけど、映画についてはここ100年で起きてます。技術が発展する速度が上っていくにつれて、消える速度も上っていくという矛盾。

Dain:マングウェル『愛書家の楽園』のエピソードにつながります。イングランドの土地台帳で、千年前に作られた本です。これを電子化しようという動きがあって、3億円かけて文字・画像・動画を CD-ROM にしたのが1986年。でも CD-ROM って10年ぐらいでダメになるんですよね。16年後に読み出そうとしたら、データが劣化してて再生できなかったという話。

スケザネ:10年ってめちゃくちゃ耐久力弱いじゃないですか!

Dain:映画だとデジタル・リマスター版というのがあるじゃないですか。あれも、新しいメディアにアップデートしていく必要があるんです。

タケハル:デジタル化したから大丈夫だと油断していると、規格が変わったりとかするんですね。

スケザネ:ハードが進歩すればするほど、維持していくコストがどんどん増えていくんですね。昔はほら、洞窟に描いたらいまだに残っているじゃないですか、数千年前のものが。

タケハル:最強は石ですね!

スケザネ:最強は石、次は紙!

一同:www

 

5. 本はカジュアルに焼かれてきた

Dain:あと、フェルナンド・バエス『書物の破壊の世界史』を読むと、本って結構カジュアルに焼かれてきたことが分かります。

  • 記録抹殺刑:古代ローマで、反逆罪を犯したものに対し、ダムナティオ・メモリアエ(記録抹殺刑)→罪人が後世に名を残さぬよう、碑文、書物、記念碑などあらゆるものを破壊する
  • ボスニアの国立図書館の空爆:1896年創立した図書館、1992年8月25日夜、空爆の目標となり破壊された。軍事施設ではない図書館が標的になる理由→共同体と密着した文化財である図書館が、ある民族の象徴のひとつであるという事実の裏づけ
  • ナボコフは、メモリアルホールで600人以上の学生を前に、セルバンテス『ドン・キホーテ』を燃やすよう求めた
  • ボルヘスも『自伝風エッセイ』で初期の自著を焼却したことを語っている(数年前までは値段が高すぎなければ、自分で買い取って焼いていた)
  • 最近の本は、溶解されたり、圧縮される←ボフミル・フラバル『あまりにも騒がしい孤独』
  • プラトンがライバル視していたデモクリトスへの言及すら拒み、著作を集めて燃やそうとしていた(デモクリトスの哲学の入門書『大宇宙体系』がプラトンの著作と驚くほど似ていたから)

タケハル:ナボコフ、なんで『ドン・キホーテ』を焼きたかったんだろう?

スケザネ:『ナボコフのドン・キホーテ講義』というのがあって、そこでドン・キホーテをこき下ろすんです。そのくせ500ページぐらい使って説明するんです。この本の中では、焼くんじゃなく、ズタズタに破ったみたいなことが書いてある。

Dain:本を書くからといって、言論の自由にコミットしているわけじゃないことが分かるよね。

タケハル:プラトンにはそういうことしてほしくなかったなー

Dain:プラトンが焼いた、じゃなく伝聞ですからね。

タケハル:でもプラトンならそういうことやりかねない、って思われていたのかも。

スケザネ:「本を焼く」の定義をもう少し拡張して、破る、破壊する、発禁するとかにすると、実にいろいろ出てきますよね。

タケハル:聖書とか宗教的なものとかだとありますね。

Dain:サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』を翻訳した大学教授が殺されたとか。あと、PTAの白いポストとか。自分に都合が悪い存在に対し、直接殴ったりするのではなく、その言説をまとめた「本」を攻撃する。本は、ターゲットとされやすい、攻撃されやすいものなのかも。

タケハル:確かに! 本を燃やしても犯罪にはならないですからね。

スケザネ:紙焼いているだけですからね。象徴的だと、国旗とかもありますね。

Dain:そう、このボスニアの国立図書館の空爆って象徴的です。図書館を空爆することは許されることではないけれど、ものすごく効果的だと思います。「おまえの国(言語、歴史)ってのは無いんだぞ」というデモンストレーションとして有効。

タケハル:精神的なダメージがありますね。

 

6. イマジネーションを喚起させるSF作家

タケハル:『華氏451度』に戻ると、イマジネーションに富んだ比喩が良かったですね。印象に残っているシーンとしてはこれ。

  • ジェット・カーから見える景色の話(p.22)
  • フェイバーの話「うつくしい氷の彫像が、太陽のまえに溶けていくような気持ち」(p.190)
  • 「床の上には、表紙をもぎとられ、白鳥の羽根と化したかれの書物が、なんら問題にする価値のない品となって散乱している。」(p.244)

高速道路をジェット・カーで走っているときの景色で、「緑のものが草になってピンクが薔薇になる」とか。これ、ちゃんとブラッドベリが頭の中に思い浮かべて、目で写し取っているなぁ、というのがあります。

瑞瑞しい表現が頻発されるので、ディストピアものなのに、『1984年』読んでる時よりは怖い思いをしない。

ブラッドベリは、SF作家として有名だけど、かなり文学よりのSF作家ですね。

 

7. 焚書への究極の対抗策:暗記

タケハル:あと、終盤に出てくる人間図書館。これ、実際にあった話で、アフマートヴァ『レクイエム』になります。ソ連の時代に詩人のアフマートヴァが危険思想家扱いになっちゃって、印刷を許されなくなった。作品メモを残すと、それすらも拘留の対象になってしまう。

そこで彼女は、自分の詩を友だちに暗記させるんですね、10人くらいに分けて。そしてスターリンがいなくなった後で、それを集めてくっつけて外国で出版する。暗記とは、本を燃やすことへの究極の対抗策なんですね。

スケザネ:暗記は昔からありましたよね、稗田阿礼とかホメロスとか。

タケハル:ただ、稗田阿礼やホメロスと違うのは、アフマートヴァの友だちは普通の人なんですよね。口伝のプロなら覚えるための訓練をしているし、ホメロスに至っては即興で句を入れ替えたりする。

でもアフマートヴァの友人は素人だからすげー苦労してた。そして、さらに厄介なのは、アフマートヴァがプロだということ。プロということは、覚えさせた後に、やっぱり改訂したいとか言い出すんです。

スケザネ&Dain:www

タケハル:専用の数字とアルファベットと数字も考えて、持ち回りで20年ぐらい暗記してもらってやっと出版できたという話。華氏451のラストでこれを思い出しましたね。

 

8. 他の芸術と比較した文学の強みとは

スケザネ:いまの話と一緒のエピソードがあります。辺見じゅん『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』です。ノンフィクションで、シベリア抑留された日本人の話。仲間の一人が病気になって死を覚悟するんです。

でもその人は、故郷の日本に残してきた人に、どうしても伝えたいメッセージがあるんです。遺書ですね。でも収容所では紙も無いしペンもない。だから何人かで、彼の遺志を暗記しようという話になるんです。みんなで一節ずつ暗記していって、どうにか日本に戻ってから、故郷の家族の前で一人一人暗唱していく。

タケハル&Dain:すごい……!

スケザネ:ホントここに、文学の営為みたいなものがあると感じさせられます。文学の強みって、ここにあると思いますね。他の芸術、たとえば美術や音楽は、絶対に道具が要ります。楽器がないとダメとか、絵具とかキャンバスが無いとダメとか。

でも、文学は道具がなくてもいい。極端いうと、身体一つあれば成立なる。だからこそ、共有体験ができるし、こういう極限状態でも成立する。

これ、さっきの岩に描いた話にもつながるけれど、ハードウェアがシンプルであればあるほど、耐久性が強いんじゃないかと。いろんなものが棄損されていく中で、最後の砦になった、というのが分かる。

タケハル:確かに、物語を通していろんなギミックが出てくるけれど、結局最後まで残ったものが暗記だった、という話ですね。石よりも強い暗記。

Dain:未来の世代に伝える最も確実な方法を思い出しました。遠い未来へ物語や危険を伝えたいとき、どうするか? 紙に文字の形で残すことはできる。だけど、さっきの CD-ROM と一緒で、そのうち消えていく。石に刻むのもいいけれど、言葉は変わっていくから確実ではない。

ではどうするか? 人類が持っている一番古い、シンプルな方法が、「祭り」なんです。一年のサイクルで同じ時期に集まって、皆でお祭りをする。何かに感謝する、踊るという方法で、伝えていく。

タケハル:なるほど、伝えることをイベントにしちゃうんですね。

Dain:お神輿は壊れますよね、木でできているから。でも毎年同じ時期に、皆で集まって飲み食いし、神聖なる「なにか」を抱えるんだ、という記憶は、どんな言葉であろうとも、たとえ書き言葉が無くなろうとも、伝え続けることができるという発想です。

スケザネ:式年遷宮ってのがあるじゃないですか。伊勢神宮の社殿を20年ごとに建て直すってやつ。これもお神輿のやつと同じで、壊しちゃう。20年に1回、同じものを立て直して元のものは無くなっていく。

物体としては別だけれど、存在という概念が同じものが作り直されていく。テセウスの船のように、そこに存在することが重要だと思います。存在としての価値が連綿とつながっていく。建物という「モノ」であれば壊れたり焼けたりするけれど、作り直していくという「行為」に託したが故に、式年遷宮はこれだけ長く続いているんじゃないかと。

Dain:なぜ遷宮が20年おきに行われるか、考えたことがあります。20年とか25年って、1つの世代、ワン・ジェネレーションじゃないですか。そして、同じ社殿を作り上げるために、木を切って、特定の形に加工して、組み上げる必要がある。そこには技術が必要で、当たり前だけれどその技術は人が担っている。その大工さんが現役として技術を習得し、次の世代に伝える間隔が20年なんです。

スケザネ:なるほど!

タケハル:これ、かなり腑におちますね。

Dain:これが40年だったら、遷宮に携わった人がいなくなり、技術が次に伝わらない。10年だったら、壊して作り直すコストのほうが高くつく。なので20年なのかなと。スケザネさんの「モノは残らないが、行為として残る」はこれかなと。

タケハル:面白いですね! ブラッドベリは人間図書館で、個人の身体性による話を目指したけれど、ここの話だと、行為として、イベントとして世代を超えて伝えていく結論になりそうですね。

スケザネ:華氏451のラストから何年か経ったら、モンターグの仲間たちが集まって、暗唱による朗読会とかするのでしょうかね。

タケハル:これやらないと次の世代に残らないですよね。この人間図書館のコミュニティを次々とつないでいくとチラっと言及してはいるけれど、途絶える恐れだってあるから、技術を作ることが重要かも。a passionate few が居れば解決する問題じゃなくって、さっきのゲームの話にもつながるけれど、(人間という)ハードウェアへの配慮がないと、人間図書館が途絶える可能性だってある

 

9. 思想小説とサスペンス性

タケハル:華氏451はディストピアものなんだけど、ビーティとの議論とか、「本」そのものとは何なんだろうとか、思想的な議論が多い。ビーティを燃やした後、今度はモンターグが追われる立場になり、サスペンス性は上る。けれども、彼がさらに人を殺すとか、ケガをするといった展開にはならない。主人公は大変な思いはしているけれど、「本」に対する議論が続く。

最近のドラマ『ウォーキング・デッド』と比較すると明らかで、ゾンビとの戦いとか、物理的な恐怖やドラマが原型にある。物語をつくるとき、サスペンス性を前面に出すのだけれど、華氏451はそれを使わず、思想性を出す。

物語作品でこうした思想的な議論が減っている。減っていることは別に悪いことじゃないけれど、でも、昔は結構あったけど、今は少なくなっている。ということは、物語を作る側が、サスペンス性を使いたいという魅力に勝てなくなっている。

物語作品に思想を込める「大きい作家」が少なくなっている一方で、サスペンス技術が進んだ結果、それを使わずにはいられなくなっている。

Dain:サスペンス性の方に、物語の重心が行っちゃっているということなんですね。

タケハル:というか、サスペンス性はパワーが強く、読者や視聴者にウケるから、使わざるを得ないという話なんです。心に訴える思想的な議論よりも、身体に訴えるサスペンス性の方が力が強い

スケザネ:そこ! 新訳でいうとp.96 の「民衆による多くのスポーツの団体精神を育み面白さを追求し……」とぴったり合っている。

タケハル:そうそう、作家ですらもうそれに敵わなくなっちゃっている。

スケザネ:小説というハードの中の話でありながらも、その中で比較しても、思想性よりもサスペンス性の方に傾斜してしまっているんですね、最近のは。

スケザネ:それに比べると、華氏451は冒頭からして動きありませんものね。60ページぐらいまで何の動きもなくて、どうやって読者を読ませるか。物語の序盤の駆動力としては、さっきタケハルさんが言ってた、言葉の美しさ、比喩の巧みさにあるんじゃないかと。これがないと、最初の5~60ページで投げ出す人がいたんじゃないかな。ブラッドベリはそこに自信があったと思う。

タケハル:俺が編集だったら序盤を書き直せって言ってるはず。誰が誰だか分かんないでしょwww

スケザネ:言う言うwww

Dain:華氏451って、1984と同じく、「名前は知っているけど読んでる人は少ない」作品ですね。物語として面白いか面白くないかというと、確かに最初の60ページで萎える人が多いと思う。ダルいし。

タケハル:クラリスが死ぬってところと、あとお祖母ちゃんが燃やされるってところぐらいまで行かないと、物語が動いていかない感じがする。

スケザネ:クラリス、変なキャラであんなに重要そうなのに、早々と退場しますもんね。

タケハル:クラリスを追いかける旅かと思ったらそうでもないし。

スケザネ:村上春樹だったら追いかけさせるね。なのに50ページぐらいで「クラリスが消えた」とかマジっすかwww そっから言及ほとんどないし。いわゆるエンタメの小説としては、構造的にガタガタなところがある。先見性とか希少性、思想の議論は抜群によくできているし、後半になるとモンターグ逃げ切れるかなとか、上司を燃やしちゃったよとか、面白いところがあるんだけれど、構造としては危ういところがある。

タケハル:イヤホン型のレシーバーとかのやり取りは結構面白いのにね。

Dain:もっと面白くできるのに、面白くさせていない。

タケハル:50年ですからね、エンタメ技術が発達していない可能性もある。

スケザネ:あの当時の小説としては前書きにあれくらい使うのは当然なのかも。もっと昔だと、100ページ200ページ助走にかけるのがあって、「こいつまだ本編始まらない」というのもザラ。そういうのに比べると短いけれど、現代から見るとまだ長い。

Dain:ディケンズの『荒涼館』、めちゃくちゃ面白かったけれど、物語が始まるまでめちゃくちゃ長かったことを覚えてます。

スケザネ:ディケンズ、助走めっちゃ長いんですよね。19世紀の小説ってみんなそうなんですよね。「ごめん、物語が始まるまでちょっと待って」みたいな。

Dain:現代の読者のほうが待てなくて、説明とか能書きはいいから、早く面白くしてくれ、早く物語を始めてくれってなってるのかも。

スケザネ:『ジャンプ』ですね!

タケハル:先見性もあるとともに、時代性も感じますね、華氏451は。最後核戦争っぽいので終わるし。あのときはリアリティがあったんですね。冷戦中だし……キューバ危機の前ですよ。

スケザネ:朝鮮戦争くらい。

タケハル:限りなくあったかい冷戦ですね。確かに、戦争が起きそうという小説の空気感は当時の人もあったんだと思う。

 

10. この世ならざる世界にいかにして引き込むか

スケザネ:SFとかファンタジーについてまわる課題なんだけど、この世ならざる世界に、いかにして読者・視聴者を引き込むか?

SFとかファンタジーが難しいのは、現実世界とは違うことを説明しないといけない。ところが、SFやファンタジーの人たちは、その世界の住人なので、「この世界はこうですよ」などとわざわざ説明してくれることはない。そこで当たり前に生活しているから。

なので、常套手段として使われるのは、「その世界に違和感を持っているやつ」とか、「その世界の外部からやってきた人」を設定する

たとえば『十二国記』、現代日本の世界から、異国の世界にやってきた女子高生の目で説明してくれる。人間の世界から魔法の世界へ行くハリー・ポッターの場合だと、ハリーの目でその世界が語られる。視聴者もなるほどね、という風に理解していく。

ところが、華氏451だと、違和感を説明してくれない。外側から来た人がいないから。だからクラリスが出てくる。クラリスはその世界の住民なんだけど、その世界に違和感を抱いている。だからクラリスは、モンターグに色々と質問をしてくる。「あなた昇火士だけど、昇火士の仕事どう思ってるの?」とか。

この質問には二重の意味がある。

  1. クラリスがこの世界に違和感を抱いていることを示す内在的な要求
  2. この世界を読者に説明するという外在的な要求

この2が無いと、読者は物語の世界に入っていけない。クラリスを通じて、読者はこの世界を知るんです。

Dain:確かにクラリスがいないと冒頭60ページがもっとわけわかんなくて離脱者がさらに増えるww クラリスって、主人公を体制側から反体制側へ連れていくトリックスター的な存在だと思ってた。「この世界ってなんなの?」ということを、主人公に質問することで引き出す役もあるんですね。

スケザネ:クラリスの奇行が目立つのは、そのせいじゃないかと。ほら、最初に雨飲んだりするじゃないですか。雨ってけっこう美味しいのよとか、急にタンポポ塗りたくってきたりとか。それに対してモンターグは、現実世界で考えても、普通に近い振る舞いをしている。でもクラリスは、言ってることや思想は現実世界に近いんですけど、行動は、やってることは奇行に近いんですよ。

これ、クラリスの行動が普通だったら、華氏451の世界の中で、逆に浮いちゃう。クラリスが奇妙な行動を取ることで、バランスを取っている。

タケハル:確かに、奇行をさせることによって、この世界にいるための重しをつけているような感じですね。

 

11. 現実世界との架け橋をつなぐか

スケザネ:それが、次の課題「物語世界と現実世界との架け橋をつなぐか、つながないか」という問題に接続されます。

たとえば、ハリー・ポッターだと、ハグリッドという巨人が迎えに来る。人間世界で生活しているハリーを、魔法世界へ連れていくために迎えに来るんです。読者に対して分かりやすく、現実世界と魔法世界をナビゲートする狂言回し的なポジションにいるんです。

でも、華氏451はその世界で閉じていて、現実世界から行く架け橋はない。だからクラリスという異質なキャラクターを用意して、限りなく現実世界に近い代弁者としていてもらう……そんな物語の建付けにしているんじゃないかと。

Dain:クラリス、それほど重要なキャラクターだったら、もっと引っ張ればいいのに、もったいない。

タケハル:外在的な役割なら、教授とかに引き継がれているのかも。モンターグ自体も、この世界に違和感を抱き始めるから、読者からも共感できるようになる。

スケザネ:映画だと、フランソワ・トリュフォーが監督していて、面白いことに、クラリスとミルドレッドは、同じ役者さん(ジュリー・クリスティ)がやっているんです。

これ、ブラッドベリは怒ってるんですけど、監督の気持ち、めちゃめちゃ分かります。クラリスは序盤でいなくなってしまうのに、そこにキャスティングを贅沢にできないという事情がある。

タケハル:ギミックとしてすげー面白い!

Dain:映画観たはずなのに気づかなかった……主人公にとってかけがえのないという存在だったという意味で、非常に示唆的ですね。

 

12. 批評をするな、物語らせよ

スケザネ:『ブラッドベリ、自作を語る』というのが晶文社から出ていて、インタビュー集なんですね。本作についても、「華氏451は社会批評の要素があるけども、それは冒険物語という全体の中に隠れてるんだ」と語っています。

これ、本についていろいろ議論している思想的な要素もあるのですが、基本は冒険活劇だと言っている。議論が多いぞ、とは思うけれど、もしブラッドベリが、1950年代に議論のところだけを精緻に書いていたら、今に至るまで残っていないかもしれない。

重要なのは、批評してはいけないという点。物語を作る人は、批評に対して批評で返すのではないと。代わりに、物語という具体的な世界の中で語らせることに意識的であってほしいという話です。

タケハル:確かに! トルストイ『復活』読んでてあったんだけど、ラスト100ページぐらいになって延々と思想的な話が出てくる。キリスト教徒としてはどうあるべきか的な。トルストイがそれ言いたいのは分かるけれど、今までの話の方が面白かったのに、答え合わせするみたいなのはやめてよ、と言いたくなる。

Dain:へー、『復活』読んでないから気になる……

タケハル:確かにいいこと書いてあるんだけど、それ言われちゃうと、今までの主人公たちの冒険はなんだったん的な気持ちになる。

Dain:ユゴーの『レ・ミゼラブル』を思い出した。『ああ無情』の短いのじゃなくて、全部だと何巻もあるんです。で、そこで丸々一巻を使って、作者がこの世界について延々と語るところがある。ジャン・バルジャンやコゼットの話を放り出して、ずーっと作者の思想に付き合わされる。

たぶん俺を同じことを考えた編集者さんがいて、ユゴーのおしゃべりを丸ごとカットして、ストーリーだけにした版もある。

スケザネ:ユゴー、そういうの好きで、『ノートルダム・ド・パリ』というのがあって、そこだと丸々一章使ってパリの街の歴史について語るところがある。19世紀は小説というジャンルが未熟というか独り立ちしていないところがあって、物語だけじゃなく色々なものが詰め込まれている。

典型的なのがメルヴィル『白鯨』で、18~19世紀の百科全書的な思想を注いで、物語という形式で世界全体を包含しようという試みがなされている。クジラの辞書を入れてみたりとか、格言集を作ってみたりとかしている。小説で何でもやってやるぜという意気込みが好きですね。

でも、物語として楽しもうというときには煩いですよね。

Dain:確か岩波文庫だと、最終巻の解説で、章分けしている。物語パートはこの章とか、クジラの辞書はこの章とか、それぞれ色分けしている一覧があったはず。もし、物語だけを楽しみたいのなら、この章だけツマめばOKというのが分かる。物語が「小説」という枠に飲み込まれている。

スケザネ:芥川賞作家の丸山健二が、そういう物語以外のところをカットして、物語部分を中心にリライトした『白鯨物語』というのがあります。あるいは、『カラマーゾフの兄弟』の父殺しの所だけをクローズアップした『ミステリー・カット版 カラマーゾフの兄弟』というのがあります。

Dain:もともと「小説」って、そういうものだったのかも。いま僕らが、物語を楽しむための形式を小説と読んでいるけれど、昔はそんなんじゃなくって、作者が言いたい何か―――思想とか主張とか批判とか―――があって、それをそのまま書こうとすると、さっきのブラッドベリじゃないけれど、それは作家の役割じゃないとなるから、それを「物語」に包んで伝える。

パリの街並みの美しさをそのまま語っても誰も読まない。だから、物語の舞台に設定することで、読んでもらう。読者は、物語の先を知りたいという欲求があるから、作者の主張も一緒に読んでいた。

けれども時代を追うにつれて、作者の主張というのが引っ込んでいって、読者の「早く物語に入りたい」というニーズに合わせていくうちに、今の物語主体の小説になっていったんじゃないかなと。

スケザネ:17~18世紀だと、逆に、物語が市民権を得ていないからこそ、「事実で物語を担保する」というのがあったんです。たとえば『ガリヴァー旅行記』『ロビンソン・クルーソー』や、書簡体小説、たとえば『ペルシャ人の手紙』とか、あの時代ですね。

あの時代って、まだ物語が良いものとされていなかった。だから、どういう風に読んでもらおうとしたかというと、「序文をつける」ことです。やたら序文がついてて、どこどこ女王からの序文とか、7個ぐらいついてる。で、権威があります、本当の話なんですとする。あるいは、これは誰かが書いた手紙です、本物なんですとする。事実を担保として物語を届ける、というやり方だった。

タケハル:フィクションということの価値が低かったんだろうね……

スケザネ:英語の辞典とか引くと、fact という言葉が出てきたのは、1600年代ぐらい、シェイクスピアの時代ですね。フィクションとかファクトという価値概念が無かった。17世紀、fiction とは何か、fact とは何だろうという区別が必要になって、こうした言葉が使われるようになったんじゃないかと。

タケハル:文学史やんないと! フィクションとかファクトとか、物語とは何かを、そうした文学史の流れの中で押さえたうえでないと、さっきのブラッドベリの発言が分からなくなっちゃう。

 

13. ブラッドベリの創作技法

スケザネ:『ブラッドベリ、自作を語る』には、創作技法が紹介されてます。ブラッドベリが物語を作るときに、どういうことをしているかを語っている。

まず、名詞のリストをつくって、そこからストーリーを思いつくと言ってます。ビン、桶、湖とか、ガイコツとか。

タケハル:なんか落語の三題噺みたいな?

スケザネ:そうそう、で、自分のキライなものを10個書き出せという。そして、キライなものを物語の中でやっつけていけという。それで物語が出来ていく。ブラッドベリは本を燃やす人が大嫌いで図書館が大好きだから、『華氏451』が出来上がった。本を燃やすような連中を貶して、図書館的なものを持ち上げる、それが原初だった。

じゃぁ、その10個ってどんな風に思いつけるか? ブラッドベリは、人間の頭の中には3つのことがあるという。

  1. 実体験(物理的)
  2. 実体験への感情や反応(心の中)
  3. 芸術体験

1つは、普通に自分が体験したこと自体。そして、その体験に基づいた自分の反応や感情が2つ目。そして最後は芸術体験だと。この3つを軸にして、10個を挙げて書いて見ろと。ホントにそれで書けるのかはどうかだけど、少なくとも書き出すことはできる。

タケハル:プロの違いは、自分を訓練する方法を思いつけるかにあるかも。創作するためのルーティーンといったら機械的だけど、イマジネーションを深めるための方法論を持っているか。漠然と、「何かアイデアないかな」だとやっていけない。

スケザネ:漠然と何か出すなんて無理で、頭の中から何かを出すのはすごく難しい。スタンバイ状態になっているメモを作るとかしないと。Dain さんブログ書いてるけれど、何かメモ的なものってやってます?

Dain:やってますよ。Googleドキュメントや、最近だったら Google Keep に読んだ本の感想や抜き書き、ボイスレコード、写真を残していってます。追跡が難しいので、いまやっているのが、スプレッドシートに読んだ本のトピックや参照文献をずらっと並べて一覧化してます。読書猿さんの『独学大全』で紹介されてるやつ。考えるタネみたいなやつ。

あと、いろんな名言というか、「そうか!」と心にキた言葉を集めています。たとえばこんなの。

“告白、0を1にするんじゃなくて99を100にする行為だと知ったのはだいぶ先の話”
— 元気になった焼肉みくさんのツイート

"SNSで精神を病む最大の方法は「嫌いなひとやものを逐一監視する」です。だいたいこれでおかしくなります"
via:tumblr

“責任感が強いからクラス委員に向いてるって、君はおっぱいが大っきいんだから水着を着てなさいって言ってるようなもんだわ。”
- ゴースト≠ノイズ(リダクション) 上 / 十市 社 (via k-quote)

“感情とは価値判断のショートカットだ。理性による判断はどうしても処理に時間を要する。というより究極的には、理性に価値判断を任せていては人間は物事を一切決定することができない。完全に理性的な存在があったとして、それがすべての条件を考慮したならば、なにかを決めるということ自体不可能だろう。”
— 伊藤計劃『虐殺器官』

クスっと笑ったり、「これはイイ!」と思った言葉を集めておいて、ときどき読み返したりしていますね。あと、自分のブログそのものを検索して、そこからネタを膨らませていますね。

タケハル:なんだかんだしても、結局作業にまで落とし込む必要がありますね。

 

14. 終わりに&次回の課題図書

Dain:やっぱり「本を焼く者は人を焼くようになる」というメッセージが強烈でしたね。焼くほうが焼かれるほうになるとか。あと、若いときに読んだときと、いま読み直すときとの反応が違っていたのが面白い。俺だったらこういうディストピアにするのに、という読み方ができて良かった。

タケハル:題材が本を焼く話だったので、物語を伝える側としては、物語を乗せるハードウェアに目が向きました。何を遺していくべきかだけでなく、何「に」残していくべきかという点です。あと時代の問題、小説がどのように変化してきたのか、勉強することが沢山あるなぁと思いましたね。

スケザネ:楽しかったです! こんなに話が広がっていくとは思わなかった。そして、世相的な意味で、いいタイミングで読めたのが良かった。100分de名著『華氏451度』の6月にもこれが俎上に乗るみたいだし。あとこれ、70年も前の作品なのに、メッセージが古びないのが凄いですね。

さて次回はどうします? 今回はタケハルさん推薦でしたが、Dain さん、あります?

Dain:次回というか、いま僕が興味があることで、感情、特に「恐怖」があります。怖いとは何かについて。僕はホラー映画や小説が好きなんだけど、怖いと分かっているのに、わざわざ読んだり観たりする。「怖い」とは、嫌だ、避けたいというネガティブな感情なのに、好んでそれを味わおうとするのはなぜか?

そういう疑問に答えてくれるのが、戸田山 和久『恐怖の哲学』です。具体的なホラー映画の作品を挙げながら、恐怖の正体に迫ります。物語の作り手側からすると、読者の感情をコントロールして、上手に恐怖を刺激するヒントが得られるかもです。

スケザネ&タケハル:了解です!

このエントリーをはてなブックマークに追加

|

« 文学の手法を取り入れた医療『ナラティブ・メディスン』 | トップページ | 受験英語【だけ】頑張った私に足りないのは語彙力『英語の読み方』 »

コメント

はじめまして。
通りすがりですがシラー『群盗』は新訳で公演されています。
初演は一昨年だったかな?宣伝するつもりはなかったのですが検索したら間もなく再公演でした。


劇団CEDAR
〜メインビジュアル&公演詳細発表〜

CEDAR Produce vol.8
『群盗』

メインビジュアルが公開になりました!
そして全キャストとチケットの詳細も発表になりましたのでご確認ください。

キャスト先行予約は11/14〜、先着先行は11/20〜、一般発売は11/27より開始です!
https://twitter.com/cedar_engeki/status/1459461054325424130

投稿: 通りすがり | 2021.11.17 09:23

>>通りすがりさん

おおおお!
情報ありがとうございます。スケザネさん、タケハルさんにも伝えておきます。

投稿: Dain | 2021.11.17 10:54

教えていただいたURLが切れていたので、再掲しておきますね。
改行を入れましたので、適宜修正して貼り付けてください。

https://twitter.com/cedar_engeki/status/
1389776886109065220

投稿: Dain | 2021.11.17 11:01

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 文学の手法を取り入れた医療『ナラティブ・メディスン』 | トップページ | 受験英語【だけ】頑張った私に足りないのは語彙力『英語の読み方』 »