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ボーイズラブには葛藤があるべきか、「普通の」ラブストーリーとは何か、BLの主役はネコなのか、アニメ『同級生』をテーマに2時間語り合ったことを8000字ぐらいでまとめる

古今東西の傑作を俎上に、その面白さについて語り合うオンライン会が、「物語の探求」だ。

今回は、アニメ映画『同級生』をテーマに、その面白さや物語構造について語り合い、さらにBLとしての新しさがどこかについて考えた。

『同級生』は 中村明日美子のBLマンガが原作で、A-1 Picturesが制作したアニメーションだ。思春期に揺れる2人の、もどかしくてピュアで、ドキドキする感覚が、淡いタッチで丁寧に描かれている。

[公式サイト] からの紹介はこんな感じ……

 

思春期にゆれる少年たちの、

ピュア・ラブストーリー。

 

高校入試で全教科満点をとった秀才の佐条利人、

ライブ活動をして女子にも人気のバンドマン草壁光。

およそ交わらないであろう二人の男の子。

そんな「ジャンルが違う」彼らは、合唱祭の練習をきっかけに話すようになる。放課後の教室で、佐条に歌を教える草壁。音を感じ、声を聴き、ハーモニーを奏でるうちに、二人の心は響き合っていった。

ゆるやかに高まり、ふとした瞬間にはじける恋の感情。

お調子者だけどピュアで、まっすぐに思いを語る草壁光と、はねつけながらも少しずつ心を開いてゆく佐条利人。互いのこともよく知らず、おそらく自分のこともまだ分からない。そんな青いときのなかで、もがき、惑いつつも寄り添い合う二人。

やがて将来や進学を考える時期が訪れ、前に進もうとする彼らが見つけた思いとは……

 

 

(以下、『同級生』のネタバレがあります)


<目次>

  1. 男と男の、普通の、ラブストーリー
  2. 余白を上手く使った物語構造
  3. 「脚本」が無い理由
  4. 原作がある場合の脚本家の仕事とは
  5. BLにおける読者=壁?
  6. なぜ佐条が主役なのか?
  7. 「耳」を大事にした脚本
  8. 同性愛の葛藤があるべき?
  9. 普通の恋愛を丁寧に描く新しさ

 

1.  男と男の、普通の、ラブストーリー

タケハル:第一印象なんだけど、ボーイズ・ラブに慣れていない上に、そもそもこれがBLものだと知らずに観始めたので、チューニングに時間がかかりました。最初の感じから少女漫画かな? と思ったんだけど、いっこうに少女が出てこない。で、噴水の公園でキスするシーンで、頭が急回転したんです。

Dain:それはびっくりしたでしょ! でも、その恋愛は、あくまで普通のラブストーリーなんですよね。

タケハル:そうです、男と女がスポンと好きになるのといっしょ。あのまま佐条君を女の子にして歌を教えて公園でキスしても違和感がない。

スケザネ:ですよね。でもこれ、いまさら男女でやったら見てらんないかも。相合傘で一緒に帰るなんてベタすぎて。

恋愛物としてはベタで王道な展開が中心。男と男でやるから、異化効果的なもので目新しく新鮮に感じられたのかも。これが何年かたって、もう古いよということになったら、すごく素敵なことだろうな……

言い換えると、『同級生』が新鮮に見えるのは、まだLGBTへの認識が成熟していないことを表しているのかもしれません。男と女の恋も、男と男の恋も、いっしょなんだよね。

タケハル:十年後には、これがベタすぎるじゃねーか、というツッコミが普通になるってことね。

Dain:この作品を、見る人がどういう風に受け取るか、男同士の同性愛についてどういう意識を持っているかの試金石になるのかも。

 

2. 余白を上手く使った物語構造

スケザネ:僕の最初の印象は、「余白が多い」でしたね。物語の構造的に見ても、余白がうまい効果を上げていますね。

例えば、高校生を描くものなら、マクドナルドとかが出てくるけれど、具体的なものが出てこないのがいい。ここ、しっかり描き込まれてしまうと、古びるのも早いと思う。

純粋にテーマに絞り込まれて、コアなところ、要所要所が、ぽん、ぽんと描き込まれているけれど、その間のところで、彼らは何をして、何を想っているのかが無い。佐条くん目線も少ないので、これ、余白によっていろいろ掻き立てられるところがあるよね

Dain:同じこと考えていました。物語では語られない部分が、キャラの言動につながってくるところ。ハラセン(原先生)が佐条くんに迫るところあったでしょ、進路指導室のところ。でも佐条くん、抵抗しないよね。普通、抵抗するんじゃね?

ひょっとして、彼らの間で、描かれていない何かがあったんじゃないの? 草壁くんに向かって、「俺はあいつのこと1年のときから知ってた」なんて、思わせぶりやん原先生。

どうしても気になって、原作のコミック『同級生』を読んだんだけど、実は、あったんです、佐条くんとハラセンの過去が。各章の一覧表を書いてきたんだけど、これ。

【夏】Summer
【秋】Autumn
【はじめての人】 His first
【ばかと大馬鹿】 A complex fool and a simplex fool
【二度目の夏】 The second summer

映画もほぼ同じ構成なんだけど、この【はじめての人】の章が丸ごとカットされているの。これ、ハラセン目線で佐条くんとの出会い

スケザネ:1年のときに何かあったことが描かれるの?

Dain:ですです。1年のとき。カットされた部分も、ほんの数十分の、本当に短いこと。でも、その時間はものすごく濃いんです。

スケザネ:なんで削ったのだろう。削ったのは成功している? Dainさん目線で教えてほしいです。

Dain:レディ・プレイヤー1の対談」でスケザネさんが言ってた、情報密度の話からすると成功してる。短い時間に設定やキャラを詰め込みすぎると、観客が付いていけなくなるから、そういう意味で、ハラセンのエピソードはカットして正解かも。ハラセンの話を入れると、この2人のダブル主人公の物語の邪魔になる。好きな人は自分で補完してください、という感じで。

 

3. 「脚本」が無い理由

タケハル:クレジット見ると、面白いことが分かってくる。このアニメ、スタッフのほとんど、9割が女性なの。そして、「脚本」を担当している人がいない。これはすごい。脚本家ってのは、セリフを書くだけじゃなくって、物語の情報の整理も大事な仕事なので。

なぜだろう? 舞台なんかで女性スタッフが多い現場でたまに見かけるけれど、リーダー不在でもうまく回っていく、というのがある。女性ばかりだと、誰が決めたというわけじゃないのに、うまく分担して回っていく。

スケザネ:気がつかなかった!ということは、かなりの仕事を監督がやっているのかもしれない……

タケハル:ストーリーというより、キャラクターと絵が重要なんだろうね。確かに監督はいるけど、誰が作ったとは言えないような状況だったんじゃないかしらん。例えば噴水のキスシーンって、漫画だとどうなってる?

Dain:マンガと映画のセリフは、だいたい一緒だね。バストアップのシーンやカメラの構図も同じ。脚本とか演出にあたる部分は、原作のマンガで足りてる感じ。

タケハル:それだけマンガの完成度が高いのか!

 

4. 原作がある場合の脚本家の仕事とは

タケハル:原作があってそれをアニメや実写化してうまくいった場合、脚本家がいい仕事している場合が多いですね。逆もそうで、失敗した場合も脚本家に負うところが大きい。

スケザネ:それありますね、原作を生かすも殺すも脚本次第ですから。

タケハル:そうなんです! 例えばアニメ化された『ハチミツとクローバー』なんて象徴的なところがあって、日本を周ってきて、彼女に告白するシーンなんかがそれ。

美大生で、原作だと北海道で見た景色がキレイだったから、彼女にも見せたいんだっていうの、「景色を見せたい」ってね。

これがアニメだと、北海道で見た景色を、「『あなたの絵で』見たい」に変えてる。アニメで、ちょっと踏み込んで言わせてる。キャラクター性とか関係性は変えないで、でも原作を知っているお客さんの予想を越えることを言わせる

Dain:原作ラブの人は、そういう大事なシーンは読み込んでいるだろうから、変えたら噴き上がることありそう。原作の完成度が高ければ高いほどそうなりそう。

タケハル:脚本家がいると、そういうことやりたくなっちゃう。だいたいは失敗して、余計なことするな、って観客に怒られる。でもハチクロのこれは怒られない、確かにそれ言いそうなことだから。

スケザネ:鬼滅もそうだったなぁ……やれそうでやれないですよね。

タケハル:『岸辺露伴は動かない』にも似たようなところがあって、敵のスタンドと闘うんだけど、畳の縁(へり)を踏まないバトルになる。スタンドの能力を使って、縁を見えなくさせるの。んで、だまし討ちで敵に踏ませたときのセリフなんだけど、原作だと「ところでお前、縁踏んでるぞ」が、「ところでお前、足大丈夫か?」に変えている。

スケザネ&Dain:へえええええ!

タケハル:スパっと「踏んでるぞ」というより、さらに嫌味っぽく聞こえてて、いかにも言いそうなセリフになっているの。テーマは同じでも、きちんと進化させている。

これを下手にやったのが『美女と野獣』の実写版。

野獣の城から、ベルが家にいったん帰るところ。召使たちが「なんで帰すの? ここで真実の愛が見つかれば、人の姿に戻れるのに!」と残念がっているのに対し、ディズニーアニメだと野獣が「愛しているからだ」と答えている。

ところが実写だと、野獣は何も言わない。代わりにポット婦人が「あの娘を愛しているからよ」と答えさせている。

スケザネ&Dain:お前が言うんかよ!

タケハル:言ってる言葉は同じだけどね。アニメから実写にするとき、色々チューニングが出てくる。アニメだから耐えられるセリフと、そうじゃないセリフがある。そこを変えていく、表現方法を移すときのチューニング、プラグの役割を脚本家は担っているの

 

5. BLにおける読者=壁?

タケハル:根本的な話になるけれど、なんで女性作家がBLを描くの? 男の作家がBLを描くのもあるけれど、圧倒的に女性でしょ?

スケザネ:男がレズものを読むのは、芸術よりもリビドーとして求めているのではないかな。でも女性がBLを求めているのは、どうしてなのだろう?

Dain:僕の観測範囲だと、BLに女はいらないんじゃないか、と思ってる。

例えば男が百合モノを読むとき、その世界に男はいないほうがいい。可愛い女の子たちだけがキャッキャウフフするのを覗き見したい、という思いがある。そこでの男は邪魔なの。アキリの『ヴァンピアーズ』だと、男はモブか下僕だし、志村貴子の『青い花』なんて存在すらしていない。

それと同じように、女がBLを読むとき、その世界に女がいないほうがいい、と考えているのでは? BLの世界に女性が出てくると、女性の読者は女性性を意識してしまうから。美しい男と男が絡み合う様子を、自分という存在を消して、ただ見守っていたい。だから、壁になりたいと思っているはず

スケザネ&タケハル:壁になりたい!

Dain:twitterとかで呟いている人、いますよ。そこに「私という存在が見ている」となると、目線が気になってしまう。だから「私」を消すために、壁になりたい。

タケハル:不確定性原理のやつ!

Dain:それな! 観測によって結果が変わってしまうから、自分じゃなくて、壁として見たい、というか居たい。美しいものを美しいままで見るために、自分すら必要じゃないんじゃないの、というのがあるのかと。

タケハル:なるほど、女性キャラがいると、そこに感情移入してしまう。

Dain:そうそう。自分に近いキャラが出てくると、どうしてもそこに自己を投影しちゃうじゃないですか。それがイヤなんです。だから、ハナからそうさせないために、女性がいない、いても極めて少ない世界をつくる、というのはありだと思います。

美しいものを、そのままの姿でずっと眺めていたい……BLが美形キャラだらけなのは、そんな理由なのかも。現実はともかく、ボーイズ・ラブは美形だけで成り立ってる。

スケザネ:確かに! 文学なんかもそうで、『ヴェニスに死す』なんかも原作を映画化した時、ビョルン・アンドレセンとか美形キャラクターが起用されていた。古来から、男どうしだと美形キャラを出してくる。そういう風に思わせたいから。

タケハル:これは高等遊民マターだなw プラトンの『饗宴』とかあったなぁ

全員:www

 

6. なぜ佐条が主役なのか?

タケハル:キャスティングを見てて面白いのが、佐条くんが最初に出てくる。ふつう、キャスティングの最初は、主役になる。ということは、佐条くんが主役?

スケザネ:草壁くんじゃないんだ、もちろんダブル主人公だけど、映画のラストが草壁くんのナレーションだったから、すこし不思議な感じがする。

タケハル:ヒロインにあたるのが佐条くんだからなのかな?

スケザネ:でも、ヒロインを射止めようとする方が先にくるんじゃないの?

タケハル:ディズニープリンセスみたいに、白雪姫のヒロインは白雪姫みたいな感じで、ヒロインに佐条くんがくるのかも。

ちょっと余談だけど、ディズニープリンセスで、一人だけ人気のないキャラがいるんだけど、それは誰だと思う?

  • シンデレラ
  • 白雪姫
  • アリエル
  • ラプンツェル
  • ジャスミン

ヒントは、この中で一人だけ、違和感がある人になる。

スケザネ&Dain:うーーーーーーん?

タケハル:正解はジャスミン。彼女だけが主役じゃないから。プリンセスのストーリーとして、主役という存在は、「助けられるほう」になる。そう考えると、佐条くんが主役なのが納得できる。

たぶん、この場に女性がいたら、即答で「え?どう見たって佐条くんが主役じゃん」と言うんじゃないかな。

スケザネ:これは、ジェンダーの深いところにかかわってきそうですね。

 

7. 「耳」を大事にした脚本

スケザネ:会話のリアルさにしびれましたね。すごい印象的なのが、草壁君がライブに誘うところ。「そんな大袈裟なもんじゃないんだけど・・・ヨソのガッコ―のやつなんだけど、中学んときの友ダチなんだけど」と、言う。「だけど、だけど、だけど」と3回続いている。アニメは字幕ありで観たんだけど、文字だと違和感ありつつも、会話だったら絶対言うわこれって。

Dain:いまマンガの原作を見ているけれど、全く一緒ですね。脚本は、そのまま原作を持ってきているね。

スケザネ:ふつう、マンガとか小説だと、「だけど」を何度も続けるのは避けちゃいますよね、気持ち悪いから。だから、これをやれるのは凄い。

タケハル:この感覚は敵わない。ちゃんと聞いた言葉を、ちゃんと表現している。これはすごく耳を大事にしているからできてる

僕がやろうとすると、理性が働いちゃう。会話として耳で聞くとそうだなーと思うけれど、物語を作る中で文字にしようとすると、出てこない。

これをちゃんと言っている神谷浩史もすごい。下手にやると、「だけど」の連続に気づかれちゃう。

タケハル:あと、道具の使い方が上手いなぁ。噴水でNUDAがこぼれて炭酸水が広がるところ。ペットボトルを拾おうとして思わずキスする流れのところ。あの広がっていく白い水、精液を思わせる感じがしたなぁ……

Dain:言われてみると……いま原作のマンガ見返しても、そう見えますね。

タケハル:2008年、あの頃NUDAよく飲んでたんで、知ってます。地面に転がっても透明なものが広がるだけで、あんな色にはならない。

 

8. 同性愛の葛藤があるべき?

Dain:僕は、僕自身に偏見というか思い込みがあったことに気づかされましたね。「BLの登場人物は、同性愛に思い悩むべきだ」という偏見です。

なんでこんな偏見ができたのか? フォースターの小説の影響かも。BLの元祖ともいうべき小説で、『モーリス』というのがあるのですが、主人公のモーリスが性的嗜好に苦悶するんです。

スケザネ:生前は発表されなかった作品ですね。

Dain:そう、フォースター自身が同性愛者ということもあって、秘密にされていました。100年前のイギリスなので、同性愛は犯罪扱いされていた時代です。

タケハル:オスカーワイルドなんかもそうですね。

Dain:はい、ワイルドもそういう目で見られてました。『モーリス』の中では同性愛のことを、「ワイルドの病気」みたいな言い方をされてました。同性愛を描こうとすると、社会からおかしな存在だと思い悩むもの同士が、共犯者として扱われる。それを読者が「覗く」という構造になっています。

でも、『同級生』は苦悶しない。それはちょっとは悩むことはあるけれど、極端なことは考えない。普通の、自然の恋愛として描かれてます。

タケハル:ラストなんて、普通に公園でキスしてましたよね。

Dain:そーそー、人目を気にしながら。だから、これを新鮮に思う、ということ自体が、僕の同性愛に対する規範化された偏見の裏返しなんだろな、と思ったのです。

スケザネ:何年か後には、もうあたりまえになっているかも。そうあるようにがんばりたいですね。

 

9. 普通の恋愛を丁寧に描く新しさ

Dain:『同級生』の、ベタな展開が新鮮に見えました。これぞ青春ってのが、「走る」こと。いたたまれなくなって逃げ出したり、それを走って追いかけたり、原作をチェックしたら、5章の全て、草壁くんと佐条くん、必ず走ってます。

あと、相合傘もそうだし、なんでもないすれ違いで喧嘩するとか、進路どうするとか、そいういうありがち展開を、丁寧に、忠実に再現する。

これ観てて、『月がきれい』の既視感を覚えました。

中学生の男の子と女の子が出会い、恋に落ちるプロセスを、丁寧に、忠実に描いたアニメ。いろんなラブストーリーを食い散らかしてきた僕には、めちゃくちゃ深いところまで刺さりました。

スケザネ:普通が新鮮なのは面白いですね。

ただ、物語としてはどうなんでしょう? リアルに寄せたビジュアルで、普通の恋愛をベタベタに描くことで、面白い物語になっているかが気になります。

Dain:誰しも思い当たるような、普通の恋愛のハードルを、一つ一つ越えていく話なんだけど、それを説明してもなぁ……全12話にサブタイトルがついていて、そのサブタイトルが、手がかりになると思います。

第1話のサブタイトルが「春と修羅」、第2話が「一握の砂」、次が「月に吠える」……

スケザネ&タケハル:

Dain:5話なんて「こころ」だし、6話は「走れメロス」と続きます。

スケザネ&タケハル:www

Dain:そうなんです、文芸作品のタイトルが、サブタイトルになっているんです。

スケザネ:そーか、「月がきれい」もそこから来ているんだ!

Dain:そーです。漱石が、“I Love You” を「月がきれいですね」と訳したのは都市伝説と言われていますが、みんなそれを承知の上で、「月がきれい」を “I Love You” だと思っているじゃないですか。それを、ちゃんと、やるんです、男の子が。「月がきれいだね」って言おうとするんです、でも、「つき……」で止まってしまう。

けどそれって、漱石のネタを知っている人にしか伝わらないですよね。男の子は趣味で小説を書いているので、知っているんです。

でも、言われた女の子は知らないんですよ。部活で陸上やってて、走るの大好き少女で。でも男の子のことは気になってて……

で、知らないから、普通に返すんですよ、「つき、きれいだね」ってすごくいい笑顔で。

これを、このすれ違いを、「美しい」と思える人にはめちゃくちゃ刺さるんです。そういうアニメなんです、これは。第1話は Youtube で視聴できます

スケザネ:あ、これ観たい。

タケハル:ビジュアル的に女の子のほうが文学少女っぽく見えるけれど、実はそうでもないんですね。

Dain:普通なのに新しい、と思えるのは、僕自身が物語モンスターだからかも。

この物語は、どうやって僕を感動させてくれるのだろう? どんな過去の因縁があるの? どんな能力があるの? どこから転生してきたの? もっと、もっと頂戴って、物語を食べるモンスターなんです、僕は。そんな物語モンスターからすると、生々しい「普通の」ラブストーリーは、すごく眩しく見えるんです。

【了】


今回の対談も、たいへん勉強になりましたな。BLは質も量も大きすぎて、ほとんど知らない世界だったけれど、『同級生』という素晴らしい作品に出会えたのは、物語の探求読書会のおかげ。

その作品をどのように味わうかで、自分がどんな考えを持っており、どういった感性が反応しているかが炙り出されてくる……この自分自身の暴き立てが面白い。これは、一人で観る/読むには限界があり、対話によって発見していくものなのかも。

さて、次回は、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』をテーマに語り合う予定。本が禁制品となった未来を舞台にした名作SFやね。場所はスケザネさんが検討中なので、そのうち告知されるかも?

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