辺境と文明が逆転する『遊牧民から見た世界史』
中国がなぜ中国かというと、世界の中心を意味するから。
中国皇帝が世界の真ん中にあり、朝廷の文化と思想が最高の価値を持ち、周辺に行くにつれ程度が低くなり、辺境より先は蛮族として卑しむ華夷思想が根底にある[Wikipedia:中華思想]。
しかし、蛮族とされている遊牧民から見ると、舞台はユーラシア全体となる。遊牧生活によって培われた軍事力で圧倒し、スキタイ、匈奴の時代から、鮮卑、突厥、モンゴル帝国を経て、大陸全域の歴史に関わる。中心と周辺が反転し、中華は一地域になる。
視点を反転することで、いままで「常識」だと考えてきたことが揺らぎ、再考せざるを得なくなる。歴史を複眼的に眺めるダイナミズムが面白い。『遊牧民から見た世界史』は、その手がかりを与えてくれる。
「モンゴル残酷論」の誤り
たとえば、「モンゴル残酷論」これは誤りだとする。
モンゴル帝国といえば、暴力、破壊、殺戮というイメージが付きまとう。PS4ゲーム『ゴースト・オブ・ツシマ』やコミック『アンゴルモア元寇合戦記』に登場する蒙古は、血塗られた侵略者として描かれている。
しかし、これは歴史の書き手による願望であり、よほどの例外を除きモンゴルはほとんど戦っていないという。
仮に、敵とみれば殺したという伝説が本当だとすると、モンゴルは増えない。ヨーロッパから中国まで、ユーラシア大陸を横断する規模で拡張するためには、仲間を増やす必要がある。
モンゴルの優れた点は、仲間づくりの上手さにあったという。自らの強さを喧伝することで、戦わずに吸収することを目指す。モンゴルという仲間になれば、身の安全が保たれるという、一種の安全保障を提供することで、帰順させるのだ。
軍事力を背景としながらも前面に出さず、関税を撤廃して経済と流通を隆盛させ、ユーラシア・サイズの通商を実現できた事実と、暴力と破壊のイメージはかけ離れている。おそらくこれ、どちらかが本当という二択ではなく、イメージと実践を使い分けたプロパガンダなのではなかろうか。
『ヒストリエ』とは違うスキタイ
スキタイの概念もひっくり返った。
スキタイといえば、教科書にある「遊牧民族」というカテゴリに加え、『ヒストリエ』では、主人公エウメネスがスキタイの血を引く者として描かれている。そこでは、誇り高く、残忍な一族だと示されている(以下、岩明均『ヒストリエ』2巻より)。
しかし、それはヘロドトスの言う「王族スキタイ」の一部の人々だという。スキタイの中のスキタイだという一族で、遊牧を行い、戦闘能力に長けた集団になる。スキタイは、この他に、以下も含まれるというのだ。
- 農耕・通商・航海をおこなう都市居住民
- 商業風の農業経営民
- 純粋農民、都市を作らない農村居住民
- 草原地帯に住む遊牧民の諸集団
つまり、遊牧だけでなく、商業や農業も入るし、草原のみならず都市や農村に住む人々も入る。人種(レイス)や民族(ネイション)に関係なく、王族を中心に結成された、政治連合体を、「スキタイ」と呼ぶのが最も近いというのである。
いったん、「スキタイ=民族」という公式から、離れる必要があるのだろう。ギリシャ人から見た「スキタイという民族」というイメージと、現実の「スキタイ」と呼ばれる人々との実態は、異なるようだ。
なぜ遊牧民は「残虐」なのか
なぜ遊牧民にマイナスのイメージがあるのか?
本書によると、遊牧民は「蛮族」というレッテルを押し付けられてきたという。その理由は、「遊牧民は、自らの歴史をほとんど残さなかった」ことにある。
一方で、記録する側は、自分たちを「文明人」だと考えて、遊牧民に対し誤解や曲筆の多い書き方をしたという。遊牧民に攻撃・支配された時代は、被害者意識を過大に記述するか黙殺し、記録する側が攻勢にある時期は、遊牧民に対し、蔑視や優越感が溢れる表現になる。
歴史を記す側は、正統性を主張し、覇道を唱えるため、残虐や非道ではないことを証明しなければならない。その仮想敵こそが匈奴・鮮卑といった外側の人々だというのだ。
本書では、遊牧民が自ら書いた数少ない史書のうち、『集史』を紹介する。
これは、モンゴル政権において国家編纂された一大歴史書で、モンゴル史を柱に、ユダヤ史、アラブ・イスラーム史、フランク史(ヨーロッパ史)、ヒタイ史(中国史)、オグズ史(遊牧民史)、インド史を含む空前の人類史だという。
ヘロドトス『歴史』と司馬遷『史記』に、この『集史』を加えることで、世界三大史書になる。本書では、三者を重ね合わせて読むことで、遊牧民から見た世界をダイナミックに解き明かしてくれる。
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