「おいしい!」と感じるとき、何が起きているのか『味覚と嗜好のサイエンス』
「味」は信号だが、「おいしい」は経験だ。
味覚というものは、食べ物が体に入ってくる時に最初に感じるセンサーの役割になる。甘味はエネルギー源となる糖、塩味はミネラル、うま味はタンパク質、酸味や苦味は腐敗物の存在を感知する。
では、塩何パーセント、砂糖何グラムといった味覚が最適化されれば、自動的に「おいしい」になるわけではない。料理の見た目やにおい、口に入れたときの食感やのどごし、風味の全てで、わたしたちは味わう。
さらに、昔から食べ慣れているかも含め、いまの体感と過去に学習してきた記憶を総動員して、「おいしい」と感じる。ふだんの食生活で見過ごされがちだが、「おいしい」とは、結構複雑な結果なのだ。
本書は、この味覚と「おいしい」を手がかりに、食べるとは何かを探求したもの。
家系ラーメンがおいしい理由は、モルヒネと同じ
最も興味深かったのが、「油」の存在だ。料理に不可欠で、かつおいしくさせる油脂なのだが、実はこれは無味無臭。油脂の「味」というものは、塩味や酸味のような、古典的な意味での味覚ではないのだという(※1)。
ホント!? 家系ラーメンのスープに浮かぶ背油を、わたしは「おいしい」と感じるのだが、それは味じゃないのか……
「おいしい」と感じるメカニズムは、油脂に含まれる脂肪酸が神経を刺激し、脳内で快楽物質βエンドルフィンやドーパミンの放出を促しているのだという。モルヒネによる快楽と同じメカニズムが働いているのだ。
なぜ「コクがある」とおいしいのか
「コク」の話も興味深い。
わたしたちが「コクがある」という時、そこに何が含まれているか。フォアグラやウニ、生クリームやバター、イクラやアボカドの共通項として、油脂や糖やうま味が挙げられる。
そして、油脂や糖やうま味が示しているのは、高カロリー、タンパク質、糖分だ。生きる上で必須のアミノ酸や糖分を豊富に含み、効率的に摂取することができるのが、「コクがある」食べ物になる。なるほど!
本書はこれを「コクの原型」と呼び、その周囲に「コクの第二層」があるという。コクがある食べ物を口にし、そのにおいや食感、のどごしを学習し続けるうちに、コクを感じるようになるという。つまり、学習と洗練の結果、アミノ酸や糖分がなくても、その存在を感知させるだけでいいのだ。
たとえば、あんかけやとろみ、濃厚な香りは、コクのある素材を濃縮したことでもたらされ、コクを想起させる。これ、料理するとき、「調味料は足したくないけど、おいしそうにさせたい」技として、とろみちゃんを振るのだが、それに似ているかも。
食文化という適応
ハッとさせられたのが、「食文化の多様性は、人の代謝の適応性の賜物」というくだり。
ちょっと考えれば自明なのだが、生きるために必要な栄養素が全て、容易に満たされるような環境は、あまりない。気候や風土によって手に入る食材が異なる。人は、自らの代謝機能を駆使して、偏った食材から、必要な栄養素をつくりだすことで、生きてきたのだという。
たとえば、生野菜がない地域では、生肉や動物の内臓からビタミンを確保する。米国人が食べるステーキと、日本人が食べるご飯は、どちらも最終的に糖になる。代謝のおかげで、異なる地域で人は生きていける。
そして、その地域での食文化によって、好みが学習される。
食べ慣れたものを好ましく感じるのは、「食べたことがある」という味覚や風味は、食の安全の信号だからだという。親や家族が食べていたから、子どもも食べる。これが繰り返されて、嗜好ができあがるのだという。
たとえば、日本では海苔が好まれるが、慣れない米国人にとっては、「食べ物とは思えない」といわれる。日本の場合、周辺を海に囲まれ海苔が作りやすかったことと、海苔を食べる習慣が古くから伝わっていたことで、必要な栄養素を海苔に頼る文化になった。一方米国では、海苔の風味が栄養や食習慣と結びつかなかった。「おいしい」は学習なのだ。
よく、グルメ漫画で、美食を尽くした成金を黙らせるために、その人が幼少の頃に食べていた料理・食材を出すというエピソードがあるが、ノスタルジーだけではなく、安心感もあったのかもしれぬ。
ふだんの毎日で、見過ごされがちな「食べる」について、より注意深くなれる一冊。ふろむださん、ご紹介ありがとうございました。
※1 2018年の研究では、脂肪酸に発現する味細胞が、マウス実験によって示されている(油脂の志向性のメカニズムに関する研究[PDF])。また、「第六の味覚 脂肪味」として、2019年にNHKクローズアップ現代で放送されている(あなたは“脂肪味”を感じますか?[URL])
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