検索する情報と、咀嚼する知識『人文学概論』
世の中には、情報を得る本と、知識を得る本があるが、これは後者だ。
情報と知識って、似たようなものに見えるが?
著者に言わせると、明確に区別する必要があるらしい。
情報は「判断を下したり起こしたりするために必要なもの」に過ぎないが、知識は「学問的な成果であって原理的に組織づけられた判断の体系」だという。情報は自分の外部にあるもので、体得され自己化されると知識になる、という構造だ。
本を読むことを「インプットする」と言う人がいるが、喩えるなら、インプットするのが情報で、インストールするのが知識になるとも言える。あるいは、検索するときのキーワードは情報なら、何をキーにするかは知識になる。知識がないと、そもそも何を検索すればよいかすら分からないから。
情報としての「無知の知」
具体例で考えてみる。
たとえば、ソクラテスの「無知の知」について。
検索すればヒットする。ギリシャの哲学者ソクラテスは、知恵があると評判の人との対話を通して、自分の無知を知っているという点で優れていると考えた……という話がいくつか出てくる。
も少し気の利く説明だと、論語の「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」が出てくる。無知の知とは、「無知のほうが優れている」という意味ではなく、無知を自覚していることで、知ろうとするからこそ優れている(不知の知)という視点だ。
「無知の知」を知識にする方法
「無知の知」で検索すれば出てくるものは情報になる。では、「無知の知」を咀嚼してインストールして知識にするためには、どうすればよいか?
ソクラテスを読めばいい。誰かのまとめ情報ではなく、ソクラテスに取り組むのだ。
すると、すぐに気づくだろう。ソクラテスは本なんて書いていない。重要なのは生きた対話なのに、書物は沈黙しか返さないとして、文字を嫌っていたのだ。ソクラテスの言葉は、プラトンが書き残したおかげで、向き合うことができる。
そして、プラトンの著書でソクラテスに触れると、すぐに気づくだろう。ソクラテスは史上最悪のウンコ豚野郎であることに。
プラトンの本は、基本的に対話だ。いわゆる「地の文」みたいなものはなく、ソクラテスがこういった、誰それがああいった、という掛け合いで続く。問答形式のターン制バトルのように話が進んでいく。
ソクラテスが糞なわけ
ソクラテスの基本的な戦略はこうだ。
「わたしは分かっていないので、教えて欲しい」と問うのだ。ソクラテスは、「あなたがAAだということは、何なのか?」と質問する。すると相手は、AAとはBBだ、と答える。さらに、BBとは何か? なぜBBと言えるのか? と問う。
これを続けていくと、ほころびが生じる。言い換えながら説明していくと、最初の意味とは似ても似つかぬものが出てくる。矛盾した語義をはらんだり、場合によって使い分ける言葉になったりする。ソクラテスはそこを衝くのだ。
相手にとっては嫌なものだ。なぜなら、自分自身が吐いた言葉によって刺されるのだから、反論しようのない。無知の立場から教えを乞うことで言葉を引き出し、その相手の言葉で切り刻むのが、ソクラテスの戦法なのだ。
しかも俎上に乗るのは「正義」とか「知恵」といったあいまいで多義的な言葉なのだ。ソクラテスは相手の言葉をよく覚えており、相手にしゃべりたいだけしゃべらせた後、かなり前の言葉に戻って切り崩し始める。
わたしは、ソクラテスのやり方が嫌いだ。青年を堕落させたとして裁判にかけられ、死刑を宣告されたというが、むべなるかな。
しかし、この「教えを乞う」やり方は使わせてもらっている。
議論をする際、原則として、質問をするほうが有利だ。「基本的な質問で恐縮ですが……」で切り出すと、たいてい相手は油断する。で、相手から引き出した言明のうち、キーワードを強調してオウム返しする。
「……とは何か」「なぜそう言えるのか」を複数重ねれば、話が接合しない所が出てくる。そこを衝くのだ。公の場で「相手をやりこめる」ただその一点に賭けるやり方で、めちゃくちゃ嫌われる。
ソクラテスが「使える」わけ
では、ソクラテスの無知の知は、人を不快にする邪悪なテクニックかというと、そうではない。使いどころによっては、素晴らしい方法にもなる。
それは、「わたしに教えてください」という教え方だ。
説明する。誰かに対してレクチャーしたとしよう。その人がどこまで理解できているかを、教えてもらうのだ。そのやり方は、「わたしが何も知らない人だとして、わたしに教えるように話して欲しい」とするのだ。
すると、その人は、無知なわたしに向かって、「……とは何か」「なぜそう言えるのか」と説明を始める。いくつかのキーワードは、最初にわたしが教えたものなるだろうが、そのうち、自分の表現で伝えるようになる。
相手の中にある知を、相手の言葉で引き出すのだ。ソクラテスはこうした考え方を持っており、そもそも知とは、各々の中に持っており、適切な問答を重ねることで引き出すことができるという(産婆術が生み出すものは知なのだ)。
うろ覚えだが、「教えることこそが最良の学び方だ、小学6年生でも分かるように説明できるようにしなさい」と物理学者のリチャード・ファインマンが言ったとか。
「無知の知」を知識にする
「無知の知」を検索するだけでは、こうした邪悪なテクニックや最良の学び方を知ることがない。これらは、プラトン『国家』や『テアイテトス』を紐解いて、ソクラテスの問答の意地悪さに付き合うことで身に付ける。
くりかえす。「無知の知」から検索できるものは情報だが、それを生み出したものと取っ組み合って身に付けたものは知識だ。「大人の教養」みたいな、まとめ情報のコピペ本を100冊読むよりも、知識を身に付けられる1冊に、直接向き合うほうが良い。『人文学概論』は、その素養を鍛え、入口を示してくれる。
本書は読書猿さんのつぶやきで手にした一冊。読書猿さん、ありがとうございます。
『人文学概論』目次
01 「人文学の終焉」からのスタート
「人文主義の終焉」――ペーター・スローターダイクの問題提起/人文主義と人文学/人文学と教養/人文学部と文学部/中世の大学と人文学/人文学の中心課題/「パンのための学問」と人文学
02 ギリシアにおける学知の誕生
ミュトスからロゴスヘ/ソクラテスにおける「哲学の人間学的転回」/プラトンとイデアの学説/アリストテレスの学問体系/真理探求と師弟関係
03 パイデイアとヨーロッパ的教養の伝統
パイデイアとは/フマニタス,自由学芸/リベラル・アーツの理念
04 知識人の覚醒と大学の誕生
革新の12世紀/12世紀ルネサンスの背景/12世紀の知識人とアベラール/大学の誕生
05 ルネサンス人文主義と「フマニタス研究」
ヒューマニズム/フマニタス研究/ルネサンス人文主義/北方人文主義とエラスムス/エラスムス的人文主義と「文芸共和国」の理想
06 「フンボルト理念」と近代的大学の理想
近代知のパラダイムと新しい大学の誕生/フンボルトの大学理念――孤独と自由/学問による教養/研究を通じての教育/自立的思考の練成場としてのゼミナール
07 人間と文化
文化とは何か/「文化」と「文明」の対立/クルトゥール・カルチャー・文化/人間と文化/異文化との出会いと知的覚醒
08 言語と芸術
「シンボルを操るもの」(animal symbolicum)/ミメーシス/言語/芸術の原理としての表象性
09 神話・宗教・祝祭
神話/宗教とは何か/絶対依存感情とヌミノーゼ/「究極的関心」と実在の自己実現/祝祭
10 時間・記憶・歴史
時間/存在と時間/記憶/記憶と忘却/記憶の媒体と記憶の大変動/歴史
11 原典と翻訳
人文学にとっての原典の意義/翻訳とは何か/翻訳の実際/「文人の翻訳」と「学人の翻訳」/文化の翻訳
12 文献学と解釈学
フィロロギーと文献学/解釈学とは何か/解釈学の命題/古典を学ぶ意義
13 書籍と図書館
図書館とアーカイブズ/博物館・美術館/アレクサンドリア図書館/セプトゥアギンタの翻訳/パピルスから羊皮紙へ/中国における図書館/中世西欧の修道院/イスラーム世界における図書館/ルネサンスと宗教改革期の図書館/近現代の図書館/納本制度と国立国会図書館/デジタル図書館・美術館の出現
14 情報とメディア
メディアとは何か/情報と知識基盤社会/インターネット/デジタル人文学?/クリティカとトピカ
15 新人文学/新人文主義のゆくえ
人文学の現代的境位/新人文主義の多義性/サイードと「新しい人文学」/文献学への回帰/理解の突如性/新人文学/新人文主義のゆくえ
補遺 人文学研究とその方法
ディルタイと「精神科学」/西南学派と「文化科学」/人文学の方法/人文学の学問性
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