宇宙の果てから素粒子の奥への旅『ズームイン・ユニバース』
極大の世界で「果てしない宇宙」というが、観測可能な宇宙には果てがある。それは、ここから1027m先になる。これより向こうは、観測できないため、あるとかないとか分からない。ゼロを並べるとこうだ。
1,000,000,000,000,000,000,000,000,000m
いっぽう、極小の世界だと、人類の想像の限界のサイズになる。それは、10-35m)の「場」に満ちた世界になる。これより奥は、理論で説明できる範囲外となる。ゼロを並べるとこうだ。
100,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000 分の1m
「いま・ここ」から究極にまで遠ざかった場所から、限りなく近づいた世界まで、極大~極小を一冊にまとめたのが本書だ。ページを開くと、宇宙の果てから出発し、1/10ずつスケールダウンしながら、近づいてゆく。
極大から極小への旅
最初は、すごいスピードだ。138億歳の宇宙―――膨張する時空構造から、超銀河団、銀河団を横目にぐんぐん近づいてゆき、がらんとした星間空間にある暗黒物質、ガス、チリを通り過ぎ、重力の井戸に捕まって降りて行く先は太陽系だ。その一つの岩石惑星・地球に向かい、とある大陸の、とある生物の背中に降り立つ。
そこからスピードを落としてゆき、細胞表面に付着している細菌に近づき、細菌の奥へ進んでゆき、その単細胞のDNAらせんをくぐり、組み込まれている炭素原子を通り過ぎ、その原子内の無の空間を延々と進み、ついに陽子の最深部にたどりつく。
旅路の途中で出会うものにまつわるトピックが面白い。宇宙の誕生について、暗黒物質について、宇宙と原子の深い関係について、光の本質について、系外惑星について、潮汐現象について、生物の主成分が炭素である理由、「場」とは何かについて学ぶことができる。
それぞれのビジュアルや解説は、最新の科学で裏付けされており、宇宙物理学から天文学、地球科学、分子生物学、量子論などの領域を「スケール」で縦断していくのが楽しい。
この、スケールを変えながら宇宙を旅するというアイデアは、たとえば『パワーズ・オブ・テン』(チャールズ&レイ・イームズ,1977)が有名だ。美しい写真とイラストが豊富だが、いかんせんデータが古くなっている。『ズームイン・ユニバース』は、最新情報をアップデートし、見せ方を工夫したものになる。
ぐんぐん進む旅路に身を任せてページをめくるのもいいが、興味を引いた記事を熟読した後、自分で調べ始めるのもいい。
1013→109「惑星の多彩な顔」
わたしの眼を惹いたのは、1013mあたりの、系外惑星(太陽系以外の惑星)のトピックだ。
近年に発見された惑星を推計した膨大なデータがビジュアライズされている。これを見ると、たいていの惑星系では、太陽系に比べて主星にかなり近い位置に存在していることが分かる。言い換えるなら、内よりに星が集まったものが多く、太陽系の惑星は、典型的でないようだ。
さらに、地球に似た生命活動が可能な(ハビタブル)惑星も数多く見つかっていることが示されている。昔からよく言われる「奇跡の惑星」は、実は「ありふれた奇跡」に近いのかも……と思えてくる。
おそらく、「神に選ばれし人が住むこの星」を特殊だと思いたい宗教的バイアスがあると考える。キリスト教の宗教観が、大なり小なり宇宙論に影響を与えており、そこから逃れるには、こうしたエビデンスの積み重ねが必要なのかも。この辺りの経緯は、『系外惑星と太陽系』(井田茂、岩波新書)のレビューで考察している。
10-6→10-10「ミクロの扉の向こう側」
面白いというより、不思議な感覚を抱いたのが、タンパク質と炭素の関係だ。
ヒトの体には、60兆個の細胞があり、それぞれ80億個のタンパク質を持っているといわれている。そして、1つの細胞のミクロコスモスを拡大してゆく。「巨大分子の部屋」と称する解説では、タンパク質を「巨大構造物」として扱っている。そして、リボゾームがタンパク質を合成する過程を、オートメーション化された無人工場ラインで製造されていくかのように説明する。
物質がいかに生物となっていくかの精妙なプロセスや品質管理は、『タンパク質の一生』(永田和宏、岩波新書)で知った。だが、この旅ではさらにその奥、なぜタンパク質(というか生物の基本要素)が炭素で構成されているかまで進んでゆく。
本書によると、炭素原子は、あらゆる種類の分子を作るのに都合よくできているという。量子の言葉で言うなら、炭素原子の周りのちょうどいい場所で価電子の存在確率が高くなることで、他の原子と結合できる(すなわち、化学結合が作られる)というのだ。
この「都合のいい」「ちょうどいい場所」がなぜそうなっているかは、説明されていない。偶然の所産として扱われているが、そこからは物理学(と、ひょっとすると哲学)の領域なのかもしれぬ。
10-16→10-18……10-35「「場」が満ちた世界」
学校で習った分子や原子は、まだイメージが湧く。問題はさらにその先、原子核の奥の陽子や中性子と、さらに複合粒子の向こう側へ行こうとすると、途端に複雑になる。
これは、たいへん面白い。なぜなら、物質をどんどん分けてゆき、その源となるシンプルな本質を確かめようとする科学が、(現時点では)矛盾した状況に行き当たっているからだ。
たとえば、「鉄とは何か」という問いに、鉄なる物体を分割してゆき、もうそれ以上分割できない(atom)極微の物質として、原子を定義づけた。それが、調べてみると原子核には陽子と中性子があり、さらにそれらは複数のクォークで構成されている。
そこからは素粒子の世界で、分割できないと定義したものなのに、さらに「素」が付けられる。クォークは6通りの「フレーバー」を持ち、基本的な力(電磁気力、重力、強い力、弱い力)の作用を受けるという。さらに、6種類のレプトンやフェルミ粒子、ボース粒子のモデルが紹介されている。物質の源を探す旅なのに、恐ろしく複雑な構造になっている。
実験や観測で得られる、複雑で確率的な結果を説明しようと、ひもの振動や時空の泡のモデルが研究されている。スケールが違うだけで、2,000年以上前に議論された atom と同じやり方だ。言い換えれば、人は2,000年で10-35mまで届いたとも言える。
1027mより先は、そもそも観測する手段を持っていないが、10-35mより奥は、どうなるか分からない。人にとって、宇宙には果てがあるけれど、存在の究極がどうなるかは、これからなのかも。
極大マクロから極小ミクロへ旅する一冊。

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コメント
『タンパク質の一生』の著者が誤って記されています.
投稿: | 2020.02.10 00:46
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
投稿: Dain | 2020.02.11 08:33