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ヒストリエを20倍楽しく読む方法『アレクサンドロスとオリュンピアス』

岩明均『ヒストリエ』は、噛めば噛むほど味がある。

ただ面白いだけでなく、予備知識をアップデートして読むと、伏線や演出が張り巡らされていることに気づき、もっと夢中になれる。あの瞬間の表情の理由、あの言葉の裏の意味……噛めば噛むほど楽しめる。

万が一、これを読んでいるあなたが、未読なら、羨ましい! ぜひ堪能してほしい。絶対に面白いと断言できる。

『ヒストリエ』を、もっと面白く読む方法がある[『ヒストリエ』を10倍楽しく読む方法]では、アレクサンドロス大王の予備知識を仕込んだが、ここでは、オリュンピアスに迫る本を紹介する(この記事ではネタバレ回避して書くのでご安心を)。

アレクサンドロス大王の母であり、フィリッポス二世の妻であるオリュンピアス。蛇を崇める密儀の狂信者であり、暗殺を企んだ残虐きわまりない悪女という噂と、智勇を備え王家の血統を守らんと奮闘した王妃という悲話と、両方が伝わっている。

どちらが真実の姿に近いのだろうか。

『ヒストリエ』では、才と美の二物を与えられ、息子を溺愛し、恐ろしく頭が切れる女として描かれている。11巻で身の危険が迫り、大変なことになってるが、『アレクサンドロスとオリュンピアス』を読むと、この後さらにスゴいことになることが分かる。

暗殺の首謀者オリュンピアス

本書は、男性優位の社会で自立しようとした女性に対するバイアスと格闘しながら、史料を読みほどき、オリュンピアスの歴史的実像に迫る。

たとえば、『ヒストリエ』ではこの後、暗殺事件が起きるのだが、その首謀者としてオリュンピアスが取り沙汰される。それが事実である理由として、暗殺者の遺体に冠を被せ、犠牲式を行い、暗殺に使われた短剣を神殿に奉納した、というオリュンピアス伝承がある。

しかし、これは信用できないとバッサリ斬る。あからさま過ぎるという。

そして、この伝承は、彼女の影響力を恐れた政敵が流したプロパガンダだという。さらにこの噂を、ワイドショー的な興味からローマの作家が伝記の形で定着させたというのだ(犯人は、ヘレニズム時代の作家サテュロスとまで名指しである)。言い換えるなら、それだけ大きな影響力を持っていたということになる。

ジェンダーバイアスまみれの史料

古代史料を丹念に史料を追うと、男女の違いが見えてくる。

男が残虐な行為をしても、道徳的な判断は少なく、淡々と書かれるだけだという。

カッサンドロス配下の将軍は、敵対する支持者500人を建物の中で生きながら焼き殺したとか、ペルディッカスは政敵50人(または500人)を象に踏みつぶさせたとあるが、非難めいた言葉は添えられていない。

一方、オリュンピアスは批判的に書かれている。

たとえば、ある赤ん坊を股にはさんで絞め殺し、その母親を自殺するように仕向けたことについて、残酷だと批判され、否定的な価値判断で書かれている。敵対していたアンティパトロスの遺言「女には決して王国を支配させてはならぬ」が現代にまで伝わっているのも、その証左だろう。

エウメネスとオリュンピアス

『ヒストリエ』愛読者なら、エウメネスが気になるだろう(実は、わたしがめちゃめちゃ気になっている)。本書では、エウメネスはこんな風に紹介されている。

  • カルディア出身のギリシア人で、前361年に生まれ
  • フィリッポス二世が彼の才能を見出して登用
  • アレクサンドロスも彼を信頼して遠征軍の書記官に任命
  • 大王の治世は騎兵部隊を指揮して軍事的才能を現わす
  • 大王の死後は小アジア北東部の総督領を割り当てられる
  • 後継者戦争においても王家に対する忠誠を守った

そして、オリュンピアスの手紙の中で、「エウメネスだけが最も信頼できる友人である」と述べられている。大王の死後、孤立感を深めるオリュンピアスにとってただ一人本心を打ち明けることのできる将軍だったというのだ。

!?

あ……ありえない! だって〇〇が△△されて✖✖になっちゃうんだぜ。エウメネスとオリュンピアスの関係は最悪になるだろう。にもかかわらず、オリュンピアスはエウメネスを「信頼できる」と断定するんだぜ。どんな魔法を使うんだオリュンピアス!

ネタバレ妄想

ここからネタバレ込みの妄想な(反転文字)。

<<< 反転文字ここから >>>

『ヒストリエ』のテーマとして、「歴史は繰り返す」がある。戦争や和平といった大きな営みだけでなく、たとえば「エウメネスが惚れた女は王が娶る」というパターンがある(パフラゴニアのサテュラ、アッタロス家のエウリュディケを思い出してほしい)。

そこで、「エウメネスは騙される」が出てくるのではないか? と妄想する(「よくもぼくをォ‼ だましたなァ!!」を思い出してほしい)。エウメネスが最も大切にする存在が、人質にされるのではないだろうか? 

彼が最も大切にする存在、すなわち、エウリュディケを生かしておく。その代わりに、大王に忠誠を誓えという展開が待っているのではないだろうか(エウリュディケとの関係が示唆されているため、オリュンピアスが股に挟んで殺す赤ん坊は、エウメネスの子でもある可能性……は考えすぎだろうか)。

そして、騙されたエウメネスはどうするか?

当然、復讐だ。

しかし、単に殺すだけでは飽き足らない。オリュンピアスを絶望の淵に叩き込むには、自分が最も期待されるときに、それを裏切るように仕向けないと―――と考えると、雌伏するほかない。

優れた軍事的手腕はあるが、血筋や財産を持っているわけではないエウメネスは、自身が将軍として軍団を任されるときまで待つ。そして、時が流れ、状況が変わり、オリュンピアスがエウメネスの軍が最も必要とするタイミングに、「寝返る」という形で復讐を果たすのではなかろうか(ハルパゴスの「ば~~~~っかじゃねぇの!?」を思い出してほしい)。

ハァハァハァ……妄想しすぎだろうか。もしこの与太話が(マンガの中で)現実になるのなら、エウメネスは、我が子の料理を食べることになるだろう。

<<< 反転文字ここまで >>>

与太話はここまでにして、『アレクサンドロスとオリュンピアス』は、妄想を捗らせてくれる。「誰が語ったか」を元に、どんなバイアスが潜むか炙り出し、慎重に吟味しながら事実を狭めてゆく、ミステリのようにも読める。

Alex




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