人類を平等にするのは戦争『暴力と不平等の人類史』
貧富の差は拡大する一方。一向に格差の是正が進む気配はない。
日本に限った話ではない。北米、南米、中国、東南アジア、アフリカ……世界中、至るところで格差は絶賛拡大中だ。格差の拡大は、人類社会の宿命なのだろうか?
古今東西の不平等の歴史を分析した、ウォルター・シャイデル『暴力と不平等の人類史』を読むと、これは事実ではないことが分かる。たしかに貧富の不平等はあるが、これを一掃する平等化が果たされる。人類の歴史は、不平等の歴史でもあるが、平等化の歴史でもあるのだ。
本書の目的は、この平等化のメカニズムを解明するところにある。データと史料とエビデンスでもって緻密に徹底的に分析する。
不平等のメカニズム
まず著者は、不平等は人間社会の基本的特徴だという。人類が食糧生産を始め、定住化と国家形成を行い、さらに世襲財産権を認めて以降、不平等が進むのは既定の事実だと述べる。なんとなくそうではなかろうかで済ませがちだが、著者はあくまでデータで示す。
たとえば、物質的不平等を、残された亡骸や住居跡から判別する。上流階級の人間が、その他大勢より背が高かったことを、ギリシャのミケーネで発掘された骨格記録から考証する。
あるいは、古代から中世のイギリスにおける住居サイズの中央値を調べ上げ、不平等との相関を明らかにする。そして、階層分化が激しかった社会は、そうでない社会よりも、貧富の差が体格や住居の差に現れていたことを、データでもって実証するのだ。
土地や奴隷といった資産管理や、徴税・納税が記録として残されている時代になると、著者は、「ジニ係数」と「上位1%の所得シェア」の統計値を推計する。
「ジニ係数」は0から1までの値を取り、0に近づくほど平等に分配されており、1に近づくほど不平等になる。「ジニ係数=1」なら、たった一人が全所得を独占していることになる。「上位1%」は全人類を富者から貧者まで並べ、上位の1%がどれだけ独占しているかを示す。
「ジニ係数」と「上位1%」、著者はこの2つの視点を元に、膨大なデータと史料を駆使しながら、貧富の格差がどのように拡大し、そして均されていったか明らかにする。
そこで明らかになるのは、数千年にわたり、文明のおかげで平和裏に平等化が進んだことはなかったという事実である。古代エジプトであれヴィクトリア朝時代のイギリスであれ、ローマ帝国であれアメリカ合衆国であれ、社会が安定すると不平等が拡大したことは動かしがたい。
富を紙にする「戦争」
この貧富の差を解消し、不平等を大幅に是正する存在がある。
戦争だ。
それも国家レベルで大量動員し、国土を焦土と化すほどの大規模なものになる。物理的な破壊のみならず、没収的な課税、インフレ、政府規制などにより、エリート層の富は消え去る。
著者は、戦争の規模とそれが平等化の是正に与える影響をデータでもって示してくれる。なかでも史上最大の平等化装置となったのは、第2次世界大戦だという。1935~1975年の上位1%の所得シェアの推移を見ると、大戦を境に、20%から8%へと急激に低下している。
日本における不平等も、太平洋戦争が解消してくれたと言える。
まず、戦争が行われている間、政府規制、大量動員、インフレ、物理的破壊が、所得と富の分配を平準化した。戦後になると、財閥の解体による私有財産の再分配が行われ、農地改革による地主制度が根絶したという。これに加え、海外資産の喪失と金融の崩壊により、富は紙になった。
さらに、企業別労働組合の創設や、累進性の高い所得税や相続税といった制度の適用により、所得と不平等と富の蓄積はある程度押さえられたと分析している。
太平洋戦争を境に、日本のジニ係数は0.6から0.3へと大幅に低下している。何百万もの人命と、国土に甚大な被害をもたらした戦争が、結果として、他に見られない独自の平等化をもたらしたというのだ。
ただ、あらゆる戦争が平等化をもたらすかというと、違う。近代以前の略奪と征服を特徴とする伝統的な戦争は、たいてい勝者側のエリートに利をもたらし、急激に不平等を拡大させていた。さらに、戦争規模が小さい場合、平等化は一時的なものにすぎないという。格差解消のために戦争を求める声もあるが、徹底的な破壊と大量の血が必要となりそうだ。
全員を貧民にする「革命」
不平等を是正するのは戦争だけではない。それは何か?
革命だ。
持てるものから強制的に奪い、持たざる者に分け与える。抵抗するエリートは追放するか、抹殺する、暴力的な革命だ。本書では、レーニン、スターリン、毛沢東が成し遂げたことが、どれほど平等化において効果的であったかを検証する。
「金持ちを吊るせ、奴ら全員に死を!」というレーニンの訴えは、スターリンの富農撲滅策で遂行される。小作農が地主の土地を奪い取ることを奨励し、標的が不足すると富農の定義を拡大した。雇用している者、碾き臼などの生産設備を所有しているもの、商売をしている者が、次々と含められ、逮捕や強制差し押さえが行われた。ブルジョアやエリートを標的とした大粛清では、150万人が逮捕され、その半数が抹殺されたという。
その経済の行く末は破滅的になる。没収を免れるため、農民は生産を抑え、家畜を殺し、農具を破壊した。耕地面積も収穫量も、革命前と比べて激減した。金持ちを殺し、追放し、奪ったことにより、格差は激減する。国全体が貧しくなったのだから。
毛沢東が成し遂げた平等化も、緻密に検証されている。
1950年の土地改革法により、地主の土地のみならず商業資産も没収対象となった。村の集会に強制的に引き出された地主は、糾弾され、財産は没収され、処刑されたという。最終的には1000万人以上の地主が財産を没収され、土地の40%が再分配され、殺されるか、自殺に追いやられたのは200万人に上る。
大量の血が流されたが、この革命により、中国における平等化は劇的に進んだという。中国全体の市場所得ジニ係数は、実証的には分かっていないものの、推測値として0.31(毛沢東が死去した1976年)が挙げられている。さらに、1980年前後の都市部の所得ジニ係数は0.16と推計されている。
ただ、あらゆる革命が平等化をもたらすかというと、違う。これは戦争と同様で、平等化のためには中途半端な暴力は役に立たず、充分な破壊と血を必要とする。キューバやニカラグアでの革命政権は、暴力的な強制に頼らず、民主的共存を目指したため、有効な平等化を果たせなかったことが、データでもって示される。特に、フランス革命は歴史として有名だが、富の分配への影響は地味なものだったことが明らかにされている。
暴力革命がもたらしたもの
血と暴力による革命のおかげで小さくなったジニ係数は、経済自由化により劇的に反転する。
毛沢東の死後、20年で国民市場所得のジニ係数は0.23から0.51になり、本書が執筆された時点(2017年)では0.55とみられている。さらに、家計純資産のジニ係数は、1990~2012年の間に、0.45から0.73まで上昇したというデータも示されている。また、ロシア市場収入のジニ係数は、1980~2011年で0.26から0.51に上昇する。
社会が安定し、資産が保護され、経済が回り、富が蓄積するようになると、ほとんど人類の仕様のように格差は広がる。著者は、暴力革命が平等化において果たした役割と、その後に拡大した貧富の差を指摘した後、こうまとめる。
これらの事例のほとんどでは、共産主義政権が名目上は権力を握り続けているものの、経済の自由化が急速に不平等を押し広げてきた。同じことが共産主義政権崩壊後の中欧社会にも当てはまる。共産主義が何億何千万という人命を犠牲にしてまで、どんな価値あるものを得たのかということは、本書の研究の対象外とするところではない。だが、ひとつだけ確かなことがある。共産主義が多くの血を流して手に入れた大幅な物質的平等というものは、もはや影も形もなくなっている。
平等化の四騎士
人類の仕様としての不平等と、それを大幅に解消する暴力的破壊。ここでは、「戦争」と「革命」を中心に紹介したが、本書では、これに2つを加え、以下を平等化の四騎士として紹介する。
- 大量動員戦争
- 暴力革命
- 国家の破綻
- 致死的伝染病の大流行
どれも膨大なデータと徹底的な検証により導き出された「平等化の騎士」であり、どれだけ不都合だろうとも、いったんはファクトとして受け止める必要がある。
読んでいて、どうしてもぬぐえぬ違和感があった。それは、「平等化」をジニ係数や上位1%で見る視点だ。
わたしは、「平等化」とは、富の分配の話だと考える。単純に、富める者から貧しい者へ、富を分配すればいいのに、人類はそれをするのが不得意だ。一方、平等化の四騎士は、極めて得意だということが、本書の主張である。
だが、そこでなされていることは、「富の分配」ではなく、富の破壊である(2.は、「富の分配」を目指していたかもしれないが、実際は、富の破壊だった)。戦争、革命、崩壊、疫病の現場において、エリートは奪われる富を持っていた。だが、貧乏人は奪われるといったら命しか残っていなかった。
生き残ったエリートは、富の大部分を失い、生き残った貧者は、生産設備に対する労働力の相対的な価値が上がり、賃金が上昇した。これを数字にすると、ジニ係数の低下になるが、死んだ人は「貧者」としてカウントされない(文字通り、死人に口なし)。違和感の正体はこれだ。
平等化の四騎士がやっていることは、富の破壊であるだけでなく、貧者の口減らしでもある。ジニ係数だけを見ていると、貧者が奪われるものを見失うだろう。

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