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「いま・ここ」から離れる『世界文学アンソロジー』

Sekaibungaku_

日ごろ「自分」を機械的にやっていると、外面の「自分」が当たり前になる。仕事上の立場だとか、SNSで被っているキャラといった、日常的に使い分けている「自分」が、内面のわたしを乗っ取りはじめる。

そんな「自分」を異化するため、他人の物語を聞く。しかも、できるだけ「いま・ここ」の自分から離れたものがいい。異なる言葉、違う文化の物語を聞くことで、自分にとっての当たり前が、当たり前でないことを思い知る。

『世界文学アンソロジー』を手にすると、このアタリマエじゃ無い感が浮彫りにされてくる。

固まった「自分」に一撃を加える

たとえば、フランツ・カフカの「夏の暑い日のこと」がそう。

わずか2頁の掌編なのに、常識が丸ごと壊される感覚を味わえる。何も悪いことをした覚えがないのに、突然逮捕される『訴訟(審判)』を思い出させる。あるいは、自分の身の上に、何か重要な間違いが起きつつあるのに、それに関わらせてもらえない『城』を予感させられる。常識というものが、いかに脆弱な日常の上に成り立っているか、嫌というほど分からせてくれる。カフカ未体験の人には、比較的短い『変身』がお薦めされているけれど、こっちを推したい。2頁でカフカの喪失感が味わえる。

あるいは、サイイド・カシューア「ヘルツルは真夜中に消える」もそれ。

昼間はユダヤ人として過ごし、真夜中を過ぎるとアラブ人へと変貌する話だ。外見はどこも変わらないのに、話す言葉や信条・思想が完全に入れ替わる。ジキル・ハイドやドリアングレイを想起させられるが、彼がなぜ、どのように変貌するかは、説明が一切ない。わたしの場合だと、社会的な立ち位置や慣習が、自分の内なる信条を強化するが、ヘルツルの場合では、なり替わる人格という内面が外化する。

「いま・ここ」を再確認する

しかし、異なる言葉・違う文化の物語を聞いているうちに、まるで自分のことを言われているような気がしてくる。自分の当たり前を外から眺め、揺さぶるうちに、ぐるりと巡って、まさに「いま・ここ」へ戻ってくる感がある。

イタロカルヴィーノの「ある夫婦の冒険」がそうだった。

夫は夜のシフトで、妻は昼の勤務の日常を切り取った短編だ。ベッドを共にはしているが、その間はわずかだ。相手が帰ってきて、身体を洗ったり食事を一緒にしたりする折々で、ちょっとしたすれ違いとときめきが同居する。自分のライフサイクルと全然違うのに、なぜかこのクスクス笑いをしたことあるぞ……という気にさせられる。仕事にでかけた伴侶が寝ていたベッドの温かい場所を足で探すその動きは、まさにわたしもしたことがある。

そして、フリオ・コルタサル「グラフィティ」がぐっときた。

軍事政権の重苦しい中で、壁に落書きをする若者たちの話だ。落書きといっても、人や鳥や抽象的な図を、チョークでこっそりと書きつける、グラフィティアートだ。監視の目が光っているから、めったなことを描くと、連行される。そんな状況で、若者は、自分が描いた図案の隣に、黒いチョークで言葉が書きつけられていることに気づく。

わたしは痛みを抱えている。

2時間と経たず、警察が直々にその絵を消しにやってくる。それからは、絵だけでやり取りをする。2人称で描かれているため、この話を最後まで聞くと、まるでチョークを渡されたような気になる。描くこと、言葉を発すること、表現することについて、「いま・ここ」も同じのかもしれぬ、そんな気分になっている。

収録作品一覧

日常に凝り固まった自分を、いったん離して眺めるために、異なる言葉、違う文化の物語を聞く。自分の当たり前は、世界の当たり前じゃないことに気づく。その一方で、異なる言葉、違う文化の中に、まさに自分自身を見出す。

短く、特徴的な話を厳選しているため、「はじめての世界文学」の入り口として最適だ。「愛」「家族」「戦争」といったテーマごとに、硬軟とり揃えて、もっと読みたい人向けのブックリストも紹介している(しかも難易度が★で分かる!)。気に入った作品を手掛かりに、もっと奥に行きたい人にはうってつけだ。

『世界文学アンソロジー』は、まさに世界文学スターターパックの一冊といえる。

  • エミリー・ディキンスン(アメリカ)「ことば」
  • 李良枝(韓国/日本)「由煕」
  • サイイド・カシューア(イスラエル/アラブ)「ヘルツル真夜中に消える」
  • フェルナンド・ペソーア(ポルトガル)「わたしは逃亡者」
  • ハンス・クリスチャン・アンデルセン(デンマーク)「影法師」
  • チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(アメリカ)「なにかが首のまわりに」
  • フォローグ・ファッロフザード(イラン)「あの日々」
  • ジェイムズ・ジョイス(アイルランド)「土くれ」
  • 魯迅(中国)「狂人日記」
  • 石垣りん「子供」
  • プレームチャンド(インド)「私の兄さん」
  • チヌア・アチェベ(ナイジェリア )「終わりの始まり」
  • パウル・ツェラーン(ルーマニア)「死のフーガ」
  • イサーク・バーベリ(ロシア)「ズブルチ河を越えて/私の最初のガチョウ」
  • フリオ・コルタサル(アルゼンチン)「グラフィティ」
  • ファン・ラモン・ヒメネス(スペイン)「わたしはよく知っている/鳥達は何処から来たか知っている」
  • 石牟礼道子「神々の村」
  • クリスタ・ヴォルフ(東ドイツ)「故障――ある日について、いくつかの報告」
  • コレット(フランス)「ジタネット」
  • イタロ・カルヴィーノ(イタリア)「ある夫婦の冒険」
  • 莫言(中国)「白い犬とブランコ」
  • フランツ・カフカ(チェコ)「夏の暑い日のこと」
  • アズィズ・ネスィン(トルコ)「神の恵みがありますように」
  • 宮澤賢治「毒もみのすきな署長さん」
  • ディラン・トマス(ウェールズ)「あのおだやかな夜におとなしく入ってはいけない」
  • ジュール・シュペルヴィエル(フランス)「沖合の少女」
  • ガブリエル・ガルシア=マルケス(コロンビア)「世界でいちばん美しい溺れびと」
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