「倫理的に正しい金儲け」が資本主義を最強にする『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
プロテスタンティズムが資本主義を生みだした? さらっと流すと、そう読めてしまう。
もちろん、マックス・ヴェーバーは「プロテスタンティズムが資本主義を生んだ」と言ってない。むしろ『プロ倫』では、そうした安易な一般化はダメと批判する。
ところが、そうした誘惑に駆られるのよ。はっきりした統計データが得られると、そこに「ストーリー」を捏造して説明したくなる誘惑は、抗いがたい。
ヴェーバーが魅せられた誘惑はこれ。弟子の書いた本を読んでいて、あることに気づいた。信じている宗派と、経済的な裕福さに相関があるのだ。
信仰は財産を生む?
人を金持ちにする宗教があるのか、金持ちが信じたがる宗教があるのかは分からない。だが、プロテスタントとカソリック教徒を、収益税を課税する対象1000人当たりで比較すると、こうなる。(p.18 [注6]よりグラフにした)
この着眼を出発点として、プロテスタントと経済合理性との関係を掘り下げ、近代資本主義への影響を問うたのが本書になる。
本書を面白くかつ難解にしているのは、「ストーリー」の捏造を戒める書きっぷり。
ヴェーバーにはずいぶん論敵がいたようで、膨大な注釈のあちこちで反論する。この丁々発止が面白いが、論難されないよう、言い回しを駆使して捏造を回避する。
おかげで何を言っているのか分からなくなったり、真逆の主張が混ざっているように見えて迷いがちだ。
倫理的に正しい金儲け
だが、タイトルの「資本主義の精神」とは何かを追いかけていくと、「正当な利潤を合理的に、職業として追い求める心構え」だということが見えてくる。ベンジャミン・フランクリンの例を挙げながら、この心構えこそが、資本主義的な企業を推進する原動力として働いたというのである。
では、金を稼ぐことを最高善という倫理は、どのような背景をもとに生まれたのか?
それは、宗教改革によって、キリスト教の合理的な禁欲と生活方法が、修道院から世俗の労働生活のうちに持ち出されたという。
例えば、信仰日記をつけるという習慣がある。自分の犯した罪とさらされた誘惑、恩寵による進歩を日々記録する習慣だ。
これらは表形式で記入され、あたかも功罪の勘定がバランスシートのように扱われる。ヴェーバーはこれを、「生活の聖化は、事業経営にも似た性格をおびるようになりえた」と結論づける。
そして、宗教を土台とする倫理は、信仰によって生み出された生活態度を規定してゆく。労働を義務とみなし、生産性の向上に勤しみ、信用という価値を蓄積する態度は、近代資本主義の原動力となったというのである。
ヴェーバー v.s. マルクス
『プロ倫』が面白いのは、『資本論』に真っ向勝負を挑んでいるところだ。ヴェーバーは、マルクスの唯物史観の真逆をやろうとしている。
つまりこうだ。
社会を上部構造(政治や法律、宗教や芸術)と下部構造(所有や分配といった経済構造)に分けた場合、下部構造が上部構造を規定すると主張したのがマルクスで、それに異を唱えたのが『プロ倫』になる
マルクスの唯物史観が「社会的・経済的存在が、その人の意識を規定する」とするならば、ヴェーバーは「プロテスタンティズムによって作られた倫理が近代資本主義を進めた」と、いうならば唯心史観を突きつけているのだ。
『プロ倫』は正しかったのか?
ただ、ここまで言い切ってしまうと先走りすぎることになる。最初の着眼点から話を膨らませすぎやしないか?
ヴェーバー本人も分かっていたようで、例えば先のグラフに「ユダヤ教」を入れるとこうなる。
ここ、「話が違うじゃねぇか」と声出して笑った。
近代資本主義に対する影響として、「プロテスタント v.s. カソリック」よりも、「キリスト教 v.s. ユダヤ教」で比較した方が明白で面白いんじゃないかとツッコミ入れたくなる。ユダヤ教は(文字通りの)生存バイアスを考慮する必要があるだろうが、一考の余地があるだろう。
だがヴェーバーはめげない。ユダヤ教は冒険商人的な資本主義の側に立っており、その倫理(富の追求、勤勉さ、信用、節約)をピューリタニズムは抜き取ったのだという。
結局のところ、ヴェーバーは正しかったのだろうか?
その答え合わせは、ハーバード大学のロバート・バローとラシェル・マクレアリーがしている。1960~90年代の国ごとの経済成長にもとづき、成長率に対して宗教がどの程度影響を与えるかを調査している。
結論からいうと、プロテスタントよりもカソリックの割合が高い国ほど、経済成長していることが明らかになっている。
さらに面白いことに、どの宗派にも共通しているのが、いわゆる「地獄」を信じる人の比率が高い国ほど、経済成長率が高いという結果が出ている。地獄を信じるからこそ、現世で徳を積むべく経済活動に勤しむのだろうか。「ストーリー」を捏造したくなる誘惑に駆られる。
めっちゃ読みにくい岩波文庫と異なり、新訳ではするりと読める。ヴェーバーが描いた「ストーリー」、ご自身の目で検証あれ。
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