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まとめ「中高生の進路選びに役立つ話」

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学校の先生は、大学と偏差値の話しかしない。
そのくせ、個性だ適職だと言ってくる。

だいたい、未来がどうなるかも分からないのに、
いま決められるわけがない!

どの時代の若者も、進路について悩んできた。

そんな悩める中高生のために、進路と生き方について、[スゴ本オフ]で、人生の先輩と話す会を企画した。様々なキャリアの人をお招きし、やって良かったこと、こうすれば良かったと後悔していること、あの頃に戻れるなら、どんな選択をするか等、いろいろ話してもらったので、ここにまとめる。

人を探せ・英語をやれ

最初はわたし。

やって良かったことは、「人」で進路を選んだこと。高校時代にハマった人に師事したく大学を選んだのだが、正解だった。この姿勢はいまにも通じる。興味のある方向の先にいる「人」を探し、私淑・親炙する(この方法は読書猿『アイデア大全』の「ルビッチならどうする?」に詳しい)。

しかし、「人」が分からない場合はどうする? 図書館のレファレンスサービスに質問を投げる。メールだけで完結し、なんといっても無料だ([東京都立図書館のレファレンス]が最強なり)。そして見つけたら、SNSでつながってしまおう。

一方、やっておけば良かったのが「英語」。受験や進路や転職など、ほぼ10年単位のインターバルで英語の壁が立ちはだかる。ほとんどが迂回したり諦めたりしてきており、今でも勉強中。

そこで、やすゆきさんと藤原さんからアドバイスが! お二方とも仕事道具として英語を使う方で、ポイントは「話す」にあるという。読み書きはある程度できても、しゃべれないと使えないから。そして、「話す」には実践が必要だ。

やすゆきさんがやってきた方法は、「通勤中に目に入る風景を心の中で英語で説明する」。できれば、同じことを3種類の言い方に置き換える。こうすることで、浮かんだことをパッと言葉にできるようになったという。

藤原さんのアドバイスは、「誉める」。とにかく誉める。髪型、ネクタイ、しゃべり方など、どんな些細な点でも見つけて、誉める。あるときなんて、履いてる靴下のセンスを誉めたという。誉め言葉からボキャブラリーを増やすのは面白いかも。

失敗する場としての学生時代

次は、編集者の傳さん。

まず、勉強について。遊ぶ時間を自分で決め、勉強の範囲を自分で決めることで、勉強の主導権を自分に取り戻す。ハードルを高く上げて、それで自分を追い詰めるやり方が有効だ。

そして、苦手なことをたくさんやっておく。「失敗する場」として学生時代は適している。社会に出てから失敗するよりも、学生時代に沢山失敗しておく。小さなリスクを負ってみる。例えば、自分の知らない食べ物屋に行って、馴染みのないものを注文してみるといったものからでもいい。学生時代は率先して失敗していきたい。

重要なのは、得られた経験からのフィードバックをたくさん・はやく回すこと。その意味で、もっと勉強しておけばよかった。社会に出ると、仕事に追われて、勉強する時間がなくなる。

お薦めは、『マンガの創り方』。なりたい職業に就いた後、そこに居続けるのは何十年とある。むしろ、その期間のほうがずっと長い。

だから、「なりたい職業についた「後」から逆算して、「今」すべきことを調べる。その職業に居続けるためにはで「技術」が必要で、この本には、マンガ家という職業に居続ける「技術」が書いてある(本書は、マンガ家に限らず、クリエイター職に通じる)。

いま見えている世界はとても狭い

次は、ほりもとさん。

紆余曲折を経たけれど、何がどこで役立つかは分からない。

というのも、人生の転機で「ワーキングホリデー」を選んだのは、そもそもそういう選択肢がある、ということを知っていたから。なぜ知っていたかというと、学生時代にそちらに向かう大人たちを見ていたから。そのときは、「後で役に立つ」なんて思いもよらなかったが、事実として今の自分を作り上げいる。

だから、学生さんに言いたいには、「いま見えている世界はとても狭い」ということ。これを前提として、自分と接点のない大人とたくさん接点を持つと、世界がひろがる。オープンキャンパスに行く、スゴ本オフに行くことで、そこにいる大人と話すといい。

全然ちがう大人の話を聞くことで、選択肢を広げるチャンスが得られる(そもそも、そういう選択肢があることを知ることができる)。興味をもつものが少なかろうと無かろうと、物事は繋がっていく。バイトから、部活から、先輩から、友人から、さまざまなチャンネルがある。意外なところから「やりたいなぁ」「知りたいなあ」が接点となる。

まず、フックになるものからスタートしてみる。

お薦めは、『仕事はもっと楽しくできる』。会社は、辞めるか、染まるか、変えるか。世の中には、凄い頑張っている。自分の環境・仕事をもっとよくしていこうと、頑張っている大人がいることが分かる一冊。

勉強は報われる

そして、曽我さん、東京大学→アイオワ州立大学→養豚業。

どこに行っても「なぜ養豚を?」「なぜここに?」と問われる異邦人だったけれど、人生のライフチャートのなかで、カッコいい方を選んできた結果が現在になる。

特にアイオワ州立大学の頃は、グリーンカード&高額サラリーのオファーが来たが、日本の養豚に貢献するほうがカッコいいという直感で戻ってきた。

勉強について。自分は勉強が好きだったし、今でも好き。あたかも「勉強ができる」ことがカッコ悪いかのような風潮があるが、『サマーウォーズ』を見て勇気をもらった(よろしくお願いしまあああぁぁす!!)。

『勉強の哲学 来るべきバカのために』によると、勉強をすると(一時的に)キモチ悪くなる。勉強することとは、違う視点・世界を手に入れること。その結果、いまいる環境との馴染みが悪くなり(ノリが悪くなり)、キモチが悪くなる。

できなくてもカッコ悪くてもいいから、勉強を続けていってほしい。ノリが悪くなっても、悪くなっても、勉強をしたほうがいい。知らない世界が一挙に広がる。今の勉強によって、未来は報われるかどうかはわからない。だが、過去の自分は確実に報われる

コミュニケーションをあきらめない

医療系コンサルタントの榊原さん。

患者さんをはじめ、利用者を助けるの医療系コンサルの仕事であり、人を救ってはいるものの、中身は年功序列の世界であり、内容は他の業界と変わらない。そうした状況を人事システムで変えていこうとしている。

そこで重要なのは、「コミュニケーションをあきらめない」こと。

コミュニケーションを行い、自分が思うような反応が返ってこなかったとしても、あきらめない。想像した行動をしなかったとしても、二度三度とやってみる。その時は自分のやり方を変えてみる。上手くいったら、「上手くいくやり方」を溜めていく。

お薦めとして、『あなたはなぜチェックリストを使わないのか』。やったかどうか、できているかどうかを「チェックリスト」という客観的な判断基準を設けることで確かにする。自分自身の目でいたとしても、認識しているものと、認識していないものがある。人の認知の限界を前提とし、自分の見えている範囲だけで世界を完結させないための道具がチェックリストになる。

選んだものを正解にする

広告会社のスナガさん。

共通の正解はない。あなたは一人であり、選んだものを正解にしていくしかない(DO THE RIGHT THING)。できない理由、やらない理由はいくらでも作れるが、自分が人生の主人公であることから目をそらさずに、ひとりで生きていくしかない。

糸井重里のゲーム『MOTHER』 や『萬流コピー塾』に感銘を受け、「広告は私達に微笑みかける死体」というベネトンの広告に影響されて広告業界へ。

お薦めの映画は、人類と人生の予行演習としてのB級映画『WALL・E』『IDIOCRACY』(26世紀青年)。(このまま行った先の)未来の人類は、食っちゃ寝のカウチポテトが行き着くところまで行くのかも。地球の歴史ではまだ一瞬の人類が絶滅しないで生きるためのヒントがあるのでは。

やりたいことをやれ

Webメディア編集者のズバピタさん、この企画の発起人でもある。

人生なにが起こるかわからない。だから、やりたいことをやれ! 一瞬先は闇だから、一番やりたいことをやろう。損得環境、時給いくらとかじゃなく、今何が面白いかという軸で判断する。

メインフレームのプログラミング(時代はPCへ)、雑誌の編集(紙からWebへ)、グルメサイト、ネットなど、栄枯盛衰を追いかけるように様々なことをやってきたけれど、意外なところから意外な仕事につながる。「まさかコミケが仕事になるとは!」未来は未確定なのだ。

だから、お薦めとしては、親や教師や上司の言うことを信じすぎないようにする本。直感を信じ、常識にとらわれないための本として『ファクトフルネス』を推す。

「恋」をしてほしい

UUUMでユーチューバーのマネージャーをやっているのSさん。

学生さんは「恋」をしてほしい。ドキドキするもの、笑えるもの、ココロを動かすもの、幸せになるもの。恋をする、好きになるということは、最高のエンタメ。

目標について。まず「ゴール」を設定しよう。高校生の今から「ゴール」までが進路。そのルートは一本でも一様でもないが、「ゴール」を決めない限り、進路を決めようがない。だから最初に「ゴール」を決める。

「ゴール」は職業ではない。「警察官になる」はゴールではない。「警察官になって〇〇をしたい」がゴールになる。(〇〇には、人を助ける、世の中をよくする等)。「警察官になる」はゴールではなく手段。

この「〇〇をしたい」を見つけることが、夢を見つけること。「〇〇という人間になりたい」こそが夢になる。

夢の見つけ方。「原体験」を探す。原体験は、自分の過去・現在、何にドキドキしているか(何に恋をしているか)にある。自分が好きなもの、熱くなれる原体験に、夢が埋まっている

誰かを好きになって、一歩を踏み出すのは、社会人に必要なスキル。すなわち「相手の気持ちを思いやる」スキル。これが最重要かつ最強。その人の立場に立って、それを望むとおりに行動するスキル。これを学ぶため『LOVE理論』をお薦めする。恋ではなく「愛」なら『北斗の拳』の17巻ラオウまで。兄弟愛、師弟愛、家族愛、友愛等、すべての愛がある。

自分の人生の主人公は自分

作家のRootportさん。

人生は偶然だ。自分は高校生よりも少し長生きしているだけで、人類600万年史から見たら誤差にすぎない。大人は過去の経験からアドバイスをしたがるが、大人の言う法則性は疑わしい。

たとえば七面鳥の話。毎朝決まった時間に餌が出てくるので、「この時間になると必ず餌がもらえる」という経験則が生まれるが、それはクリスマスイブの朝までしか通用しない。

あるいはハリポタの作者J・K・ローリング。シングルマザーとして生活保護を受けながら、コーヒーショップであの小説を書いたのだ。この挑戦は、大人の過去の経験からは導き出せない。

「ブラック・スワン」という言葉は、この世にありえないものを指すイデオムだったが、オーストラリアで実際に見つかってしまう。そして、同名の本がリーマンショックを予想していたかのごとくベストセラーになる。

他にも、911や311、自分自身が作家になったことも含めて、思いもよらないことが起きる。だから、誰かのマネをしたりアドバイスを間に受けてしまい、他人の人生の脇役にならないように……あなたの人生の主人公はあなた自身なのだから。

人生は偶然とはいえ、やり方はある。良い偶然が起こりやすい状況を増やし、悪い偶然を起こりにくくし、試行回数を増やすことで、より良い人生を手に入れることができる。

生き延びてさえいれば、あとはなんとでもなる

ラストは飛び入り参加の藤原さん。

最も伝えたいメッセージは、「生き延びてさえいれば、あとはなんとでもなる」

大学を卒業したけど、仕事がなかった。サウジアラビアの石油関係の仕事をしたあと、ロンドンに留学。アルバイトで電通に入ったけど、英文タイプの学校に通ってそこで、モトローラに紹介されて入社、紆余曲折を経てセミナーサービスの会社を起業し、現在は江戸のくずし字の講座をやっている。

紹介したいのは、『戦時中の暮らしの記録』。これ読むと進路で悩んだりするのが馬鹿らしくなる。生き延びていければ、あとはなんとでもなる。

紹介された本・映画

こんな感じで延々3時間、中学生・高校生に向かって大人が語った。ここではプレゼンの一部しかご紹介できなかったけれど、お薦めされた本の一覧は以下の通り。

『アイデア大全』読書猿(フォレスト出版)
『問題解決大全』読書猿(フォレスト出版)
『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』ふろむだ(ダイヤモンド社)
『怒らないこと』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書)
『せんせいのお人形』藤のよう(comico)
『河森正治 ビジョンクリエイターの視点』河森正治(キネマ旬報社)
『料理人と仕事』木沢武男(モーリスカンパニー)
『マンガの創り方』山本おさむ(双葉社)
『編集者という病』見城徹(集英社)
『シャンタラム』グレゴリー・デイヴィッド ロバーツ(新潮文庫)
『仕事ごっこ』沢渡あまね(技術評論社)
『マイクロソフトでは出会えなかった天職』ジョン・ウッド(ダイヤモンド社)
『仕事は楽しいかね?』デイル・ドーテン(きこ書房)
『仕事はもっと楽しくできる』ONEJAPAM(プレジデント社)
『「ない仕事」の作り方』みうらじゅん(文春文庫)
『勉強の哲学 来るべきバカのために』千葉雅也(文芸春秋)
『14歳からのケンチク学』五十嵐太郎(彰国社)
『代表的日本人』内村鑑三(岩波文庫青)
『戦闘妖精・雪風』『グッドラック』神林長平(早川署ぼ)
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか?』アトゥール・ガワンデ(晋遊舎)
『広告は私たちに微笑みかける死体』オリビエーロ トスカーニ(紀伊國屋書店)
『素晴らしき哉、人生!』フランク・キャプラ監督
『WALL・E』アンドリュー・スタントン監督
『IDIOCRACY』(26世紀青年)マイク・ジャッジ監督
『ファクトフルネス』ハンス・ロスリング(日経BP)
『ブラック・スワン』ナシーム・ニコラス・タレブ(ダイヤモンド社)
『ファスト&スロー』ダニエル・カーネマン(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
『ハッカーと画家』ポール グレアム(オーム社)
『LOVE理論』水野敬也(文響社)
『君たちはどう生きるか』吉野源三郎(岩波文庫)
『北斗の拳』原哲夫(集英社)
『人体600万年史』ダニエル・E・リーバーマン(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
『心の仕組み』スティーブン・ピンカー(ちくま学芸文庫)

スゴ本オフ「初」の、ノンアルコール・ガチのプレゼンだった。いつもはビール片手にまったり熱く語っているので、なかなか新鮮な体験だった。ご参加いただいた方、プレゼンしていただいた方、ありがとうございました! またやりましょう~

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ネタバレについて哲学者がガチバトルする「ネタバレのデザイン」

ネタバレは悪か?

Ntabare

ネタバレは悪という人は、作品から得られる楽しみが減ってしまうからだという。作品を堪能する前に、結末が分かったら、面白くないでしょ? 2018年に南極で起きた殺人未遂の動機は、読んでる本のネタバレをされたからだという[参考]

一方、ネタバレ許容派は、「作品の理解が進む」とか「ハラハラせず安心して楽しめる」という。「野外コンサートでいつ花火が上がるか」知らずにトイレに行っていたという具体的な例が出てくる。

このように、ネタバレをめぐる様々な主張は、各人の芸術観や価値観により変わってくることが分かる。

こうした背景を受け、日本を代表する哲学者が、ネタバレについてロジックで殴りあう。リング外の観客も、のんびり見てられない。マイクを放られて、「言いたいことあるでしょ?」と煽られる。恐怖の前置き「素人質問で恐縮ですが」から始まる素人離れした知識に震える。

前回の議論は[「ネタバレの美学」が最高に面白い]で紹介したが、詳細なのは『フィルカル vol4.2』をどうぞ。

今回は、代官山のおしゃれな蔦屋書店で、「ネタバレのデザイン」と称し、ガチ度を上げてこの3名が闘った。

森功次さん
美学・芸術哲学の第一人者。ネタバレ許せん派。映画館の予告編も許せないので、トレーラーが流れている間は下を向いているとのこと(想像すると微笑ましい)。

松本大輝さん
倫理・分析哲学のプロ。ネタバレ許容派というより、ネタバレ不寛容が許せん派。学会発表レベルの緻密なハンズアウトを作ってきて無事タイムオーバー。

仲山ひふみさん
精鋭批評家。「デュオニソス的な秘密のアポロン的パッケージング」など、難しい言葉が頻出し、よく分からなかったが、分かる所は凄く面白い。

ネタバレは倫理的に悪

まず森功次さん。「ネタバレは倫理的に悪」という立場から、ネタバレ許容派を攻撃してくる。きちんと用語を定義し、前提を整理する。というのも、ネタバレ議論が発散しがちとなった前回の反省を踏まえてである。

「ネタバレ」という言葉には様々な意味が込められている。対象となる「ネタバレ情報」、それを暴露させる「ネタバラシ行為」、そして対象への接近が意図か事故かという「ネタバレ接触」と分ける。

その上で、作品を鑑賞する前に、ネタバレ情報に対し、自分から接触しに行くことは、倫理的に悪いと主張する。(1) 作者への敬意(リスペクト)を欠いており、(2) アートワールドを腐敗させるという(結果、芸術文化として重視された価値観を狂わせることになる)。

さらに、ネタバレ許容派の「豊かな作品の理解」なんて、要するに「効率的な鑑賞」の方便にすぎぬと斬る。2回目以降に批評を参考にして何回も見ればいいのであって、初めて作品に触れたときだけに味わえる「清新な感動」を捨てるのはおかしいというのだ。

非本質ネタバレならOK

一方、ネタバレ許容派の松本大輝さんは、ロジックの隙を衝く。

まず、ネタバレ接触を2種類に分ける。物語の結末など「それを味わわないと作品を鑑賞したとはいえない」本質ネタバレ接触と、それ以外の、演出上の工夫やオマージュといった非本質ネタバレ接触の2つである。

そして、本質ネタバレ接触については「ネタバレ=悪」を受け入れた上で、非本質ネタバレから、ロジックの切り崩しにかかる。

「豊かな作品の理解」のため、2回目以降は批評などネタバレOKにしているが、2回目以降だって、「発見の楽しみ」はあるのではないかと問う。そして、この楽しみがある限り、ネタバレに接触するのは悪という理屈が成り立ち、主張に一貫性がないというのだ。

さらに、「アートワールドを腐敗させる」というまさにそのアートワールドって、理想化しすぎじゃね? とツッコむ。現実として、その作品の全ての芸術的工夫を見出せる鑑賞者なんて、存在しない。何回も見ればいいというが、実際のところ、そんなに何回も見れるものじゃない。

むしろ、各人が発見した作品の「見どころ」を持ち寄って、みんなで共有するという分業こそが、現実のアートワールドじゃないかというのだ。

独力で作品を味わいつくすことは難しい

この指摘は非常に面白い。作品を100%「味わう」には、現実的には一人では不可能だから、分担する必要があるという視点だ。

たとえば、膨大なシナリオ分岐を持つゲーム(fallout等)だと、全ての分岐を一人でプレイすることは、現実的に無理だ。代わりに、いわゆる攻略サイトを見てルートを選ぶこともある。あるいは、初見殺しと呼ばれるゲーム(DARK SOULS等)もそうだ。ストーリーは一本ながら、独力クリアは至難の業だで、攻略法を「みんなで」持ち寄ることが前提のゲームだろう。

これらは、「見どころ」を共有することが前提の作品といっていいだろうし、ここでの非本質ネタバレが許容されないと、少なくともわたしは、一生かけてもクリアできない。

作品の全情報が得られるボタンを押すか?

これに対し、森さんは、「ネタバレ情報を知りたくて作品に触れるのではない」と反論する。作品から「情報を得たい」がために鑑賞するのではなく、ただその作品を「味わいたい」というのである。

要するに、おまえら「情報を得る」ことに重きを置きすぎだ、というツッコミだ。

その思考実験として、「このボタンを押すと、作品の全ての情報が得られるけれど、あなたは押しますか?」と問うてくる。その作品からの情報を効率的に得ることが目的ならば、ボタンを押すだろう。だが、「作品を味わうこと」が目的であれば、ボタンを押したら損なわれるものがあるだろう。

この思考実験は面白い。

「味わう」対象を料理にすると、もっと象徴的な問いになる。「このサプリを飲むと、料理から得られる全ての栄養が得られるけれど、あなたは飲みますか?」となるから。食べるという行為が、栄養を摂るだけでなく、料理を「味わう」ことも含まれるのであれば、サプリにより損なわれるものがあるだろう。

そこから、「味わう」の中に、見た目による楽しみ、(食べる前の)ただよってくる匂い、スプーンや箸、あるいは手づかみで得られる変化や感覚、咀嚼による舌ざわりの触感や、そのとき口中を支配する香りも含めると、栄養という情報と、それを「味わう」の間にあるものが見えてくるかもしれぬ。

作品から得られる「情報」と「経験」は異なる

森反論に対し、松本&仲山タッグで共闘する。

作品から情報を得ることと、作品を味わうことは必ずしも等価ではないものの、両者は密接な関連があると指摘する。すなわち、適切なタイミングでネタバレ接触(おそらく非本質的ネタバレ接触)しないと、真の鑑賞経験が得られないという。

さらに、そもそもネタバレ接触(こっちは本質的ネタバレ接触)で壊れるようなものなら、芸術的価値として下だという(その例として『シックス・センス』を持ち出して、あれ芸術としてどうなの? というツッコミに会場が沸く)。

そこへ森再反論が畳みかける。「芸術的価値」と「鑑賞経験」は違うと刺して来る。その「真の鑑賞経験」とやらはなんぞやと。「俺の」鑑賞経験が損なわれるのが問題だというのである。返す刀で、展覧会をハシゴしている批評家は、本当に「味わって」いるのかと斬る。

情報の非対称性と「ネタ」の変容

そこへ、場外からキュレーターの話が飛び込んでくる。

美術展に集まる絵は、ただ漫然と選ばれ・並べられているわけではない。テーマに沿って集められ、聖書や神話の基礎知識を持ったキュレーターが、なんらかの「ストーリー」を背景に並べているというのだ。

一方、これを鑑賞する側は、アトリビュート(描かれた人物を象徴するモノ)を読み解きながら、その「ストーリー」を追従する楽しみがあるという。ただし、鑑賞側は全員が豊富な知識を持っているとは言えないため、どうしても解説(ネタバレ接触)が必要となる。

つまり、基礎知識を持っている・持っていないといった、情報の非対称性により、ネタバレの「ネタ」は変容していくことになる。同じ作品でも、子ども向け・大人向け・時代のコンテクストによって、芸術的工夫(=ネタ)は変化してゆく。

こんな感じで、熱く濃く面白かったけれど、ネタバレがテーマであるが故なのか、さまざまな作品のネタバレをカマされる。『美味しんぼ』から始まって、『シックス・センス』『ユージュアル・サスペクツ』『カメラを止めるな!』『オリエント急行殺人事件』など、楽しみにしている人がいたら……とヒヤヒヤする。

これ、前回のような[sli.do]も流せれば面白かったかも。観客も巻き込んでニコニコ動画のようにメッセージをスクリーンに流し、そこからツッコミをもらう仕掛けだ(森さんが試してたようだが、これやるときは2スクリーン欲しいな……発表者スライド用とsli.do用で)。

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高校生の進路選びに役立つ話

将来に向けて、いま何をするのか? 

Koukouseino

わき目もふらずガリ勉してればいいのか。
資格なんかも取らなきゃダメなのか。

学校の先生は、大学と偏差値の話しかしない。
そのくせ、個性だ適職だと言ってくる。

だいたい、未来がどうなるかも分からないのに、
いま決められるわけがない!

どの時代の若者も、進路について悩んできた。

そんな悩める高校生のために、進路と生き方について、人生の先輩と話す会を企画した。様々なキャリアの人をお招きし、やって良かったこと、こうすれば良かったと後悔していること、いま高校生に戻れるなら、どんな選択をするか等、いろいろ話してもらう。他では絶対に聞くことができない話ばかりで、進路を考える上で、きっと役に立つはずだ。

7/13(土)13:00~16:00 都内某所でやります。高校生を中心とした学生さんだけでなく、その親御さんにとっても、良いヒントが得られる会にします。

詳細と申込はこちら。
[高校生の進路選びに役立つ話]

 

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