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秘密の悩みは、バーチャル師匠に相談せよ

精神的にヤバいとき、どうするか? 自分ではどうしようもできず、かつ、誰にも相談できない悩みだったら、どうするか?

そんなとき、バーチャル師匠を召喚する。いわば仮想的な師匠である。

バーチャル師匠とは

あらかじめ「人生の師」を決めておき、困ったときに相談する。師から直接、教えを受けてなくてもいいし、生きている必要すらない。師を模範として慕い、学んでいればいい。それこそ、マスター・ヨーダを師としてもいい。私淑と呼ばれる方法で、『アイデア大全』(読書猿、フォレスト出版)から学んだ。

700年前の詩人ペトラルカも、私淑を実践した一人だ。
Peto

彼は詩人としての名声を博してはいたものの、うつ病に悩まされ、精神的危機に陥っていた。自己欺瞞による惨めさと、絶対に叶うことのない恋と、欲情が生み出したドロドロの愛憎関係に悩まされていた。

誰にも言えない悩みだから、脳内で相談する。彼にとっての、バーチャル師匠はアウグスティヌスだった。『告白』を読み込み、写本に書き込み、ついには脳内で擬人化できるまでに至る。

彼は、このバーチャル師匠向かって、赤裸々に心情を吐露する。アウグスティヌスは霊的な存在として立ち上がり、雄弁に弟子を叱る。『わが秘密』は、この師弟問答の対話体で成り立っている。

不幸だという嘆きには……

たとえば、自分のことを不幸だ、惨めだという嘆きには、「死」を考えよという。絶対確実なのは死ぬことだから、死をひたすら省察えよと説く。落ち込んでるとき、不吉なことを考えない方がよいのではと思うのだが、アウグスティヌスによると、人はみな死を遠くに見すぎだという。そして、愛や名誉といった欲望によって、死への省察が曇らされることが、苦悩の原因だというのだ。

なるほど、死が確定的なことは分かる。だが、「まだ」死なないつもりでいる限り、真にやりたいことが先送りされる。結果、目の前の欲望に引きずられ、現実とのFIT/GAPを感じるというわけか。自分の意思で、自分の不幸を選び取るという感覚は、確かにそうかも。

脳内アウグスティヌスは、キケロの言葉を引きつつ、「死ほど確かなものはなく、死の時ほど不確かなものはない」と述べる。それは明日どころか、次の瞬間だってありうる。これをありありと実感できるのなら、「まだ」死なないつもりから生じるさまざまな苦悩も消えることだろう。代わりに、限られた時のなかで真にやりたいこと(すべきこと)が何かを探し、それを実行しようとするに違いない。

悩みごとで自分を壊さないために

笑ってしまうのが、バーチャル師匠に嘘をつくこと。自分の脳内の話だから、嘘なんてつきようがない。にもかかわらず、あえて嘘を言い、論破され、考えを改める。本音の自分を守りつつ、建前の自分に折伏される経緯を記すことで、自己欺瞞を表面化させる。

本音の自分の「昔の女が忘れられないけど、今の女が愛おしい」という告白に、バーチャル師匠は叱責する。それを「愛」という名で呼ぶこと自体が、神の愛への冒涜になる。恋人どうしが互いに掻き立てる感情を「愛」と呼ぶことで、宗教的口実を与えているというのだ。

アウグスティヌスにとって愛とは、神の愛しかないのだから、同じ名で呼ぶなという建前は分かる。だが、本人は、あまりにも俗物的な告白をする。このコントラストが非常に面白いのだが、本音 vs 建前でキャラを分けるのは、自分を壊さないための多重人格なのかも。

さらに、異なる人格どうしの対話を記すことで客観視できる。脳内でこれをやると、だんだんすごい勢いになって収拾がつかなくなる。いったん「書く」ことで、正しいか否かに関係なく、確定させる。その上で吟味できるから、暴走を押さえることもできる。

ペトラルカは本書を誰にも見せず、生涯にわたって何度も手を加えたという(『わが秘密』というタイトルにした所以はこれ)。

私淑の実践をお試しあれ。

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