女の子の匂いを追い求めた男の話『香水』
目はそむけることができる。
耳は塞ぐことができる。
だが、息を止め続け、匂いを拒むことはできない。
匂いはそのまま体内に取り込まれ、胸に問いかけ、即座に決まる。好悪、欲情、嫌悪、愛憎が、頭で考える前に決まってしまう。
匂いは、どんな意志より説得力をもち、感情や記憶を直接ゆさぶる。人は匂いから逃れられない。
だから、匂いを支配する者は、人を支配する。
そんなことができればだが。
これは、そんなことを目指した男の物語である。
男の名は、ジャン=バティスト・グルヌイユ。
超人的な嗅覚をもち、あらゆる物体や場所を、においによって知り、識別し、記憶に刻みこむ。におい(匂い、臭い)に対し、異常なまでの執着心をもち、何万、何十万もの種類を貪欲に嗅ぎ分ける。彼に言わせると、世界はただ匂いで成り立っている。
舞台は18世紀のパリ。
通りは汚濁まみれ、垂れ流しの糞尿が鼻を刺す。魚と屠畜の腐臭と、鼻を背けたくなる疫病の膿んだ臭い、死体の山から漂ってくるものは、目にクる。小便とカビと経血の臭いが入り混じり、日常的に街を覆う。バリの香水が世界一なのは、パリが世界一臭い都市だったからなのかもしれぬ。
このパリで、グルヌイユは「匂い」でのし上がろうとする。
においという、精緻で的確で膨大な「語彙」をもつがゆえ、人とコミュニケートする「言葉」の貧弱さを低く見る(というか興味がない)。さらに、においを組み合わせ、新しいにおいを創造することができる。私たちが言葉を操るように、いや、それ以上に、グルヌイユはにおいを操り、意思を伝えることができる。しかも匂いは言葉より強い。私たちは、匂いを拒むことができないのだ。
そんな彼が、究極の匂いを持つ少女を嗅ぎつけてしまったら?
鋭敏すぎる嗅覚を持つグルヌイユにとって、世界一臭い都市パリは、端的にいって地獄である。誰と会っても、どこへ行っても、ひどい臭いから逃げられない。そんな彼にとって、馥郁たる香気を纏わせる少女が、どのように感じられるか。
本書は、「臭い」に限らず「匂い」の描写が素晴らしい。食欲をそそる香ばしさ、情欲を招き寄せる生々しいにおいと、眠りを誘う芳香。危険を発するきな臭さと、もう手遅れとなった血腥さ。あらゆる「におい」がここにある。そして、においは強烈であればあるほど儚い。ページを繰る手を止めて、思わずくんくんする。
目を凝らすように、耳を澄ますように、鼻に集中する。グルヌイユの運命をたどることで、わたしの嗅覚も鋭くなった気がする。
匂いは言葉より強い。彼が追い求めた究極のにおい、ぜひ一緒に嗅いでほしい。
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コメント
映画もありましたが小説の方が想像力を掻き立てられますね。
「香り」の表現方法として映像&音なのか文字なのかの違いかと思いますが。
※個人の感想です。
投稿: | 2019.06.07 15:54
香水って匂いを隠すというイメージです。自然な体臭や素朴な石鹸のほうが素敵とおもえます。似合うとか付ける時間帯とか…の工夫次第ですけど。背中だけに付けるという人も。
投稿: | 2019.06.09 08:24
>>名無しさん@2019.06.07 15:54
> 小説の方が想像力を掻き立てられます
においと言葉のイメージは結びつきやすいと思います。ワインを飲んでいるとき、ソムリエが「これはバニラ香が少し入っています」というと、感じられるのと同じように。いっぽう映像で香りは難しいかもです。映像→喚起される対象→その対象の香りの順になるので、どうしても喚起される対象を直接示せる言葉に負ける感じです。
>>名無しさん@2019.06.09 08:24
> 香水って匂いを隠すというイメージです
私もそう思います。本書を読むと、パリがいかに臭く、人はいかに清潔にしていないかが、よく分かります。自分の「臭い」を隠すために香水が大量に使われたため、シャネル本社はパリにあるのだと考えると、感慨深いです。
投稿: Dain | 2019.06.09 09:14
私も鼻が異常に利きますが、グルヌイユほどではありません。
小説を読んだ後、映画を観ました。なかなかうまく映像化していましたよね。ベン・ウィショーが素晴らしい。ダスティン・ホフマンもチャーミングで。でもなんといっても、あの映像表現。もう画面から、パリの悪臭が漂ってきそうでした。
そういえば、その昔『ピンクフラミンゴ』という臭い付き映画もありましたっけ。
臭いは生死を超えて付いてくるもの。生きていても死んでいても、程度の差こそあれ人はにおいます。グルヌイユは、処女のかぐわしい香りを求めて、彼女たちを殺めましたけど、死んでしまった時から腐敗は始まるわけで、やはりどう頑張っても死体から香水を作るのは無理だったんじゃないかな。。。。。
投稿: lunediblue | 2019.06.14 18:30
>> lunediblue さん
おおお! 映画めっちゃよさそうですね。実は小説だけで、映画の高い評判はよく耳にするのですが、未だ観ていません。「パリの悪臭がただよってきそうな映像表現」楽しみです、ありがとうございます。
投稿: Dain | 2019.06.15 16:06