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マジック・リアリズムを『20世紀ラテンアメリカ短篇選』で体験する

Raten

次の一文には「マジック・リアリズム」が潜んでいる。

カーテンを開けた。夏もたけなわの八月、窓の向こうには、燃え立つ月世界のような土地が島の反対側まで広がっているのが見え、太陽は空で動きを止めていた。

『20世紀ラテンアメリカ短篇選』にあるガルシア=マルケス「フォルベス先生の幸福な夏」からの一文だ。あまりにも何気ないので、読み流してしまうかもしれない。

ここは、主人公が薄暗い浴室で弟とシャワーを浴びるシーンだ。薄気味悪い話をしていたので、カーテンを開けることで、視覚ばかりか気持ちも明るくなったことが分かる。

ここから重要。これ見ているのは主人公(兄)であるにもかかわらず、避暑地になっているくらいの大きな島(パンテレッリア島)の反対側まで一望できるはずがない。

パンテレッリア島

ところが、さっと開けた窓ごしに島の反対側まで広がっているのが見えるのは、窓の外へ「見」ている存在が漂い出て、そのまま上昇し、俯瞰している。まるで急上昇するドローンから空撮したかのような画を、さらっと描いている

アリストテレスのカタルシス効果

カーテンを開けるまでは、暗い場所で怖い話をしていたため、湿気や不安に囲まれている状況が読み手に伝染し、落ち着かない気分にさせている。そのカメラが(切り替えなしに)明るく燃え立つ世界に移るため、一気に胸のつかえがとれる。

つまり、アリストテレスのカタルシス効果を描写でこなしているのだ。

登場人物を鬱屈させて読み手に伝染させた後、重しを取り払うことでスッキリさせる。息苦しい接写から、いきなり開けた場所に放り出す。視覚的な緩急をつけ、緊張感を自在に出したり引っ込めたりできるのは、マルケス一流の話法である。

ただ、この技法そのものは、マジック・リアリズムとは限らない。欧米の幻想小説でもさんざ扱われている。「制約→開放」のプロセスは、小説や漫画・映画において、カットあたり情報量の疎密でコントロールする基本的な技法だから。

しかし、この「制約→開放」プロセスを、人でない存在に任せることが、「魔術的」だと言える。窓から漂い出たドローンから空撮したような視覚は、見えるはずもない。

「見えないもの」をどう扱うか

この、人でない存在、見えるはずもないものを「見る」となると、普通の幻想小説と、マジック・リアリズムは大きく異なる。

普通の幻想小説の場合、この「見えるはずもないもの」、すなわち不可視の「存在」を特定し、名付けようとする。幽霊や妖精的な「なにか」を設定しようとする。さらには、物語に「なにか」を組み込もうとする。

ところが、マジック・リアリズムのばあい、「なにか」という存在を必ずしも必要としない。もちろん精霊的な「なにか」をモチーフにする場合もあるが、必要条件ではないのだ。

窓の外へ漂い出て見る「なにか」。この主体は、ちょっと前までは「兄」だったはずなのに、いつの間にやらシームレスに「なにか」になっている。

主客の逆転、喰い合い、異なる時空の主体との重なりが、さらっと書かれており、気づかずに読み流した場合、一種サブリミナル効果のように働く。読み手は通り過ぎながら、言葉にできない違和感を抱き続ける

他にも、ドアの前を通る一瞬で、部屋の中を詳細に見て、あるものを「二十七」と数え上げるシーンも出てくるが、主体は「兄」なのに、そこには名付けようのない「なにか」が入り込んでいる(そして「なにか」は特別視も言及もされないし、兄は特別な能力を持っているわけでもない)。

つまり、後にカメラが主体を捉えたとき、ぜんぜん違った場所に置いてかれて愕然とするような、欧米ならそれだけで小説になる驚くべき現象が、ごく自然に受け入れられてしまう。

出来事の異常さよりも、異常の何気なさ

振り返ると異常なのに、それが淡々と描かれる。他にも、スーパーナチュラルなのに、男女の三角関係のドロドロを描いていたり、何の説明も無く(しかし確信をもって)酷い最期に至る話が続々とある。出来事の異常さそのものよりも、異常の何気なさのほうに不気味になる

この、何気ない異常の感覚こそ、マジック・リアリズムの本質だ。よく読むと明らかにおかしい。だが、登場人物や作者はおかしいと感じていないように描かれるのだ。

よくある「日常と非日常の境界が曖昧になる」というよりも、むしろ、もともと境界はないのだ。だから、小説に落とし込むときに生ずる、「異様の扱いが異常とされていない」ズレが、一種の人工的な眩暈を引き起こす。

ボルヘス、アレナス、カサ―レスに釣られて手を出したら、全部あたりのアンソロジー。岩波の短篇集はハズレなしというジンクスを再確認する。

人工的な眩暈を、おたのしみあれ。

 

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