『戦争の世界史 大図鑑』はスゴ本
古来、歴史とは戦史を指す。人類の歴史が始まって以来、人は常に戦ってきた。
古代から現代まで、戦争の歴史を俯瞰する本書を眺めていると、どの時代であれ、必ずどこかで戦争が行われていることが分かる。戦争がない世界の方が例外であり、戦争が人間の常態なのだ。
本書は、記録に残っている各戦争の年月日に始まり、原因・経過・結果・影響を概説している。さらに、決戦が行われた場所の地図や戦術構成、兵力、戦闘技術、死傷者数といった基礎史料を網羅している。
実はこれ、「大図鑑」の通り巨大な図鑑だったのだが、そのコンパクト版が出たのだ。巨大版は、重い! デカい! ハードカバー! なのだが、いかんせん持ち運びに不適だし、何よりも腰にクる重さである。今回のコンパクト版は、迫力はほぼそのままで、持って出かけられるくらいにまで軽くなっているのが嬉しい。
本書が優れているのは、徹底的なビジュアルにこだわっている点にある。オールカラーで構成されており、の多彩な写真、絵画、地図、図解などを駆使して、多角的かつ斬新な視点から、戦争を捉えようとしている。ここは、巨大版、コンパクト版と変わらない。大きさだけを縮小し、中身は完全に同じなのである。
さらに、年代も場所も広範囲にわたって概説しているため、どんどんページをめくっていくことで、「いつ」「どこで」を取っ払って、「どのように」人は争ったのかに着目することができる。そして、時代を超えた視点から、全く別の時代の戦闘どうしの類似点やアイデアが浮き彫りになり、見るたびに発見がある。
たとえば、優れた将軍は、時代を超えた特質を備えていると指摘されている。チンギス・ハン率いるモンゴル騎馬軍と、1940年春にフランスに侵攻した装甲師団との間に類似性を見出し、機動力が戦闘と決する事例として紹介されている。
あるいは、敵軍包囲という古来の戦法は、古代ローマの世界でも第2次世界大戦でも等しく奏功しているが、5千年分の戦略図を眺めていると、戦いとは畢竟「どのように敵を包むか」のせめぎあいであり騙し合いであることが見えてくる。
テクノロジーが戦争を変える
テクノロジーが変えた戦争も興味深い(ここが一番面白い)。
たとえば、古代ローマとカルタゴが争ったポエニ戦争。初期はカルタゴが制海権を握っており、陸戦が本業のローマ軍は、海戦での経験が圧倒的に不足していた。ローマ軍はコルウスという鉤の付いた乗船橋を開発し、カルタゴ軍のガレー船が近づくと、ローマ軍はコルウスを落とし甲板にめり込ませ、それを渡って軍団兵が大挙して乗り込んだのだ。
つまり、船を操る海戦を、ローマ軍が最も得意とする陸上に変えてしまったのだ。この件は、『ローマ人の物語 ハンニバル編』(塩野七生、新潮文庫)で予習していたが、本書で指摘されているのは、軍の凄さだけでなく、ローマ人の工学技術と発明の才能である。
小火器(火打石式銃からAK47まで)の変遷は、歩兵の役割の変化の歴史であることも分かる。銃はいわゆる「飛び道具」だから、弓兵のような立場だと考えていた。だが、銃器の精度や射程距離が伸びるまでの間は、弓兵よりも槍兵のような立ち位置であったことが分かる。
つまり、遠距離(弓)と至近距離(サーベルや刀)の間にある、ミドルレンジを槍兵が担っていたのだ。16世紀の欧州が境目で、マスケット銃で武装した歩兵が増えるに従って、槍兵の占める割合が低下したという。
ブレイクスルーが戦争を変える
同時に、銃器に対する防御効果がなくなったため、甲冑の人気が衰えていったのも興味深い。テクノロジーが装備を変えた例だろう。16世紀の伝記作家ルイ・ド・ラ・トレモイユは、「戦争でこのような武器が使われるとしたら、騎士が武器を扱う腕前や、強さ、不屈の精神、規律はもはや何の役にも立たない」と嘆いたが、21世紀のドローンによる遠隔攻撃について、同じ嘆きが繰り返されていないだろうか。
また、弾丸の製造技術が戦術そのものを変えた例として、ミニエー弾が紹介されている。1850年頃、精密機械製造技術と大量生産技術の発達によりもたらされたブレイクスルーである。銃身内に腔線(らせん状の溝)が刻まれており、弾丸が旋回することで、射程も精度も飛躍的に向上したのだ。
ここは、『銃の科学』(かのよしのり著、サイエンス・アイ新書)でも同じ指摘があった。ナポレオンの時代では、太鼓に合わせて行進し、敵の前で密集隊形を組んでいた。だが、そんなことをしていたら、格好の的になる。そのため、戦列を作って圧倒するのではなく、散開方式が中心になったのだ。古代のファランクス(重装歩兵による密集陣形)方式を消したのは、ミニエー弾を大量に製造する技術だったのである。
土木が戦争を変える
長い目で見ると、要塞や大型船の変化を促したのは、火薬兵器の技術開発であることが分かる。陸上戦における顕著な変化は、大砲が積極的に導入されるようになった1500年代以降になる。すなわち、このあたりから、城塞の設計思想が変わったというのだ。
古代から中世にかけては、背の高い石造りの城塞により、敵の侵入を阻んでいた。これが、近代になると城壁は低い土塁となり、敵からの砲弾を遮ることが目的となる。さらに、稜堡(突出部)を塁壁前面に突き出し、大砲などの発射兵器を配置し、敵がどの方向から接近してきても対処るように構造を変えたのだ。
いわゆる星形要塞が代表的なもので、突き出た稜堡により互いの死角を失くし、さらに稜堡同士から同一の敵を狙うことで十字砲火を実現している。戦争が土木を変えたこの例は、『土木と文明』(合田良実、鹿島出版)で学んだ。土木から人類史を眺めたスゴ本なり。
写真が戦争を変える
アメリカ南北戦争あたりから、戦争写真が増えてくる。それまでは、戦争は絵画により描かれ、伝えられてきたが、近代から写真による生々しい姿を目にすることができる。戦争写真家の草分け、マシュー・プレイディによる映像は、戦争をロマン視していた大衆に、戦争の現実を突きつけた。
ゲティスバーグでは8千人が死亡し、戦場の至る所に死体が転がった。死体は夏の猛暑でたちまち膨れ上がったが、撤去には何週間もかかったという。その写真が、そのまま掲載されている。この写真は、当時の大衆の厭戦気分にも影響したという。
また、ベトナム戦争に報道記者として付き従ったカメラマンの写真が、アメリカ人の厭戦気分を煽り、最終的に戦争の終結に向けた世論の後押しとなったという。人類の愚行の歴史ともいえる写真は、何度も撮影され、報道されており、『世界を変えた100日』(ニック・ヤップ、ナショナル・ジオグラフィック)で見ることができる。
人類は忘れっぽい。ややもすると、こうした歴史が「なかった」ことにされてしまう。わたしが知らなかった、もしくは忘れていた戦争が、ここでは隈なく見ることができる。
戦争が「敵」を変える
世界大戦により、「敵」の定義が変化したという指摘は鋭い。
戦争の目的が資源の奪い合いである局地的なものであれば、攻撃対象は敵の兵士になる。ところが、近現代における総力戦は、国家の全資源が動員されることになる。一国の経済と民間人が、丸ごと戦争努力に総動員されれば、必然的に工場や民間人が軍事行動の標的となる。結果、第2次大戦では、民間の死亡者数が、軍人死亡者数を、はるかに上回ることになったのである。
「戦争」という言葉は一つだが、それが指し示している行為は、技術、文化、宗教の背景とともに変化していることが分かる。仮に「戦争」を、「戦闘員同士の殺し合い」と見なすならば、第2次大戦の死亡者数で、軍人を上回った民間人は、「なかった」ことにされる。また、仮に「戦争」を、「人間同士の大規模な殺し合い」と見なすならば、異教徒は人にあらずと殲滅された人々は、戦争による死者数にカウントされない。
フィクション・ノンフィクションを繋げる資料として
今まで読んできた本が、どんどん繋がってくるのが面白い。
アレクサンドロスは有名だが、彼の死後、配下の将軍どうしで主導権争いの戦争が行われる。その戦争の主導者は、『ヒストリエ』(岩明均、講談社)にもう登場している。ゆっくりと物語の時間が進む『ヒストリエ』では、まだそこに至っていないため、一種のネタバレのように覗き見ることができる。
また、『ガリア戦記』(カエサル、講談社学術文庫)が傑作であり第一級の史料であることは疑いないが、真実の中に利己的なプロパガンダも含まれている指摘もされている。
さらに、デーン人のイングランド侵略におけるアシンドンの戦いでは、『ヴィンランド・サガ』(幸村誠、講談社)のクヌート王を、源平合戦の倶利伽羅峠の圧倒的な逆転攻勢では、古川日出男が翻訳した『平家物語』を思い出す。
概観としての戦争の世界史なら、技芸としての戦争から、商業化・産業化された戦争までを語った『戦争の世界史』(ウイリアム・マクニール、中公文庫)や、『ヨーロッパ史における戦争』(マイケル・ハワード、中公文庫)に繋がる。これが現代になると、SFよりもSFな現実のルポルタージュ『ロボット兵士の戦争』(P.W.シンガー、NHK出版)になる。
「戦争の歴史」≒「人類の歴史」
戦争は文明より古い。戦争の変化の歴史が、人類の歴史と、ぴったりと重なっている。人類の様々な創意工夫は、戦争によりきっかけを得、数多くのブレイクスルーにつながった。その変遷を本書でざっと見るだけでも、ブレイクスルーどうしの繋がり合いに目を見張るだろう。
より深く人類を知るための一冊。
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