今の中を生きるために歌がある『えーえんとくちから』
歌がうれしいのは、過去でもなく、未来でもなく、いまの、この瞬間に自分を合わせてくれるから。
昔を後悔するとき、自分の何%かはその昔にいる。
将来を思い悩むとき、自分の何%かを将来に配分している。未来への心配事の大部分は実現しないし、過去の出来事は変えられないのに。つまり、変えることも実現することもない昨日と明日に、リソースを配分した結果、今日の自分がボヤけてしまう。
そこから自分を取り戻すために、歌が効く。
歌をよむ、なぞる、つぶやく、くちずさむ、その瞬間に集中することで、自分自身に焦点があわさる。車の運転に集中したり、皿洗いに専念したり、ひたすら畑仕事に没頭するのと同じ。わたしが詩を手にするのは、そういう機能を求めているから。
『えーえんとくちから』は、まさにこれ。
26歳で夭折した笹井宏之さんの詩集だ。透明度の高い、解放された空間をのぞき込むように、言葉と向き合える。その一句と「今の」自分だけになれる。結果、昨日の後悔や、明日の心配は、たとえ一時的にせよ考えずに済む。
なにこれ? とひと呼吸考えたあとでジワる。
表題のはコレ。
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい
次々と読んでいって当たったのを何度も口にしてもいいし、一つ一つに自分なりのストーリーを考えたり固有名詞を付けてもいい。わたしの場合、眠れぬ夜に訥々とつぶやいてみると、ある種おまじないのようにはたらいてくれる。
胃のなかでくだもの死んでしまったら、
人ってときに墓なんですね
目から情報のように「読む」というよりも、むしろ空気や水を呑み込むように、身体の中に言葉を入れる。歌はクリアにするすると入り、胸の中でパッと熾ったり、耳の後ろをざわつかせたりする。記憶を刺激するだけでなく、肉体を伴った反応がきて面白い。
冬の野をことばの雨がおおうとき人はほんらい栞だと知る
あんまり「人」っぽくない詠み手がいるのが面白い。歌は人の専売特許ではないのだから、誰が詠んでもかまやしない。けれど、擬人でもなく、(人が比喩的に見る)なにかですらない。人の世界を早回しで眺めて見、人の言葉で語るならと前置きして、できあがった独り言のようだ。
よかったら絶望をしてくださいね
きちんとあとを追いますからね
どの句が意外に思えるかで、自分の想像性の縁を触られているようで、楽しい。言葉と遊んでいるとき、昨日の自分や、明日のわたしに悩むことなく、確かに、わたしは、今の中を生きている。
過去と未来の心配を避け、今の自分に焦点を合わせる。前中眺さん、この本を教えていただき、ありがとうございます。
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