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『ウイルスの意味論』はスゴ本

 見えてるはずなのに見ていないことに気づくと、より世界が見えるようになる。目にウロコなどなく、先入観に邪魔されていただけなのだ。そして、先入観に気づくだけで、世界が一変する。なぜなら、そこに「ある」という確信をもって、見ようとするからだ。

Virus

「惑星系=太陽系」という先入観

 たとえば、系外惑星。太陽系以外の惑星のこと。観測技術が向上したにも関わらず、近年までほとんど見つけることができなかった。しかし、1995年に「ホット・ジュピター」と呼ばれる系外惑星が見つかってから、ほとんど爆発的といってもいいほど大量に発見されている。

 ここで重要なのは、ひとたび見つかると、ラッシュのように見つけられる点にある。なぜか? それは、それまで探す対象としていたモデルが、太陽系だったから。われわれのよく知るサンプル(=1)を基に望遠鏡を向け、似たようなサイズや軌道や周期を探しても、なかなか見つからない。

 しかし、超巨大なのに恒星に近距離でしかも超高速で巡る「非常識な」惑星をたまたま見つけると、今度はそれに近いモデルで探すようになる。すると、そこらじゅうが「非常識な」惑星に満ちていることが分かってくる。太陽系というモデルは、実は例外だったのである。

 つまり、「太陽系という先入観」が、そこに「ある」確信を曇らせていたのである。かつて、地球のことを「ロンリープラネット」とか「奇跡の惑星」と呼んでいたが、『系外惑星と太陽系』を読むと、この常識も書き換える時代がやってきていることが分かる。

「ウイルス=病原体」という先入観

 これと同じことが、ウイルス研究にも起きている。病原体としてのウイルス研究が、「ウイルスという先入観」を生みだし、その先入観が「見る」ことの邪魔をしていたのだ。本書は、ウイルスの驚くべき生態と共に、生命そのものの定義を書き換えていることを明らかにする。わたしたちは、ウイルスに囲まれ、ウイルスを内に保ち、ウイルスと共に生きている。これ、教科書が変わるレベル(パラダイムシフト)だぜ。

 たとえば、ミミウイルス。1992年に発見され、「ウイルスは細菌より小さい」という常識を覆した巨大ウイルスだ。

 そして、ひとたび「非常識な」巨大ウイルスが見つかると、ここ十年でラッシュのように巨大ウイルスが発見されるようになる。シベリアの永久凍土に眠っていた3万年前のウイルスから、セーヌ川、ビルの冷却水、ハエの複眼、コンタクトレンズの保存液など、そこらじゅうで「非常識な」巨大ウイルスが見えるようになる。

 奴らは別に隠れていたわけでなく、われわれが「見て」いなかっただけなのだ。それは、病原体として研究してきたウイルスのサイズが、「ウイルスは小さいという先入観」を作り出していたにすぎない。

 あるいは、コミュニケーションをするウイルス。ウイルスは細胞に取りつき、増殖するだけの単純な存在だと見られてきたが、ファージ(細菌に感染するウイルス)同士でペプチドをやり取りすることで、細菌の生息密度を伝える集団感知システム[クオラムセンシングシステム]が紹介されている。枯草菌に感染したファージの数が一定の数になると、細菌を溶かすようになる。この溶かす・溶かさないを決定するペプチドを、ファージがメッセージとして放出しているというのだ。

 実をいうと、「クオラムセンシングシステム」は発光バクテリアや緑膿菌といった細菌の振る舞いについての説明である。もちろん細菌とウイルスは別物なのだが、ローテム・ソーレクが2017年にネイチャーにした報告[*]によると、ファージの間にもこのシステムがあるというのである。

*Callaway,E.:Do you speak virus? Phages caught sending chemical messages. Nature ,18 Jan 2017

 他にも、ウイルスに寄生するウイルスや、致命傷を負っても、DNA部品をかき集めて損傷した自分自身を再構成するウイルスが紹介される。これまで、ウイルスを無生物のような単純なものと見たり、「生物と無生物のあいだ」的な存在として扱ってきたことが、「ウイルスという先入観」を生みだしていたことに気づかされる。そして、ウイルスという先入観が、生物の定義を限定的にしていたことが分かってくる。

生命の定義を書き換える

 著者は、ウイルスの死は、生物の死の概念を超えているというが、本書を読めば読むほど、逆なのではないか? と思えてくる。ヒトが今まで陸上や水中で見てきて「生物」だと考えてきたものこそが限定的で、その定義では捉えきれない現象があることに、ようやく気付けるようになったのではないか、と思えてくる。

 生命とは何か? 英語だと、生命とはライフ(life)で、ライフとは生物のことを指す。岩波書店の『生物学事典』によるとこうなる。

 ・生物とは、生命現象を営む者
 ・生命とは、生物の本質的属性

あれだ、辞書でAを引くとBと書いてあり、Bを見るとAと書いてあるやつwww 本書では、この循環から大きく踏み出し、生命を3つの単語で定義することを試みる。すなわち、生命は、変化を伴う自力増殖が可能で代謝活性のある情報システムで、エネルギーと適切な環境を必要とする存在だとし、最終的に、

 self-reproduction with variations(変異を伴う自力増殖)

までまとめている。19世紀前半までは、生物とは動物と植物だった。後半になると、ワインやビールを発酵させる酵母(真菌)が発見され、さらに病気の原因となる炭疽菌が見つかった。さらに、20世紀末のDNA研究により、リボソームの構造から分類が見直され、3つのドメインが定説となっている。

 生命とは、
   ・真核生物(動物、植物、真菌)
   ・原核生物(細菌)
   ・アーキア
 である。

 しかし、巨大ウイルスやコミュニケーションするファージなど、上記では括れない「変異を伴う自己増殖」する存在が次々と見つかることで、新たな定義を提案する。

 生命とは、
  ●リボソームをコードする生命体
    ・真核生物(動物、植物、真菌)
    ・原核生物(細菌)
    ・アーキア
  ●カプシドをコードする生命体
    ・真核生物ウイルス
    ・ファージ
    ・アーキウイルス
 である。

 何のことはない、ウイルスを単純な存在だと見なしていたヒトこそが、見えてるものが全てだと思い込むくらい単純な存在だったのである。そして、それに気づくくらい「見える」ようになったのである。

ウイルスから地球を見る

 たいへん興味深いのは、系外惑星を見つけるのに望遠技術が必要だったのではなく、「先入観を捨てること」だったことと同じことが、生命の研究においても起きていること。そして、先入観を捨てて生命を再定義すると、世界はもっと「見える」ようになる。

 たとえば、水圏(海水、淡水)。水圏にいる藻類や微生物を宿主とするウイルスは、地球規模で影響を与えていることが分かってきている。すなわち、ウイルスが雲の形成に関わっているというのである。つまりこうだ、藻類が大気に放出する硫黄化合物ジメチルスルフィルド(DMS)が、エアロゾル(雲のもと)になるのだが、これは、ウイルスの感染によるというのだ。

 あるいは、生命の起源として、深海中の熱水噴出孔近辺だという説があるが、この領域でもアーキウイルスが発見されている。

 高温高圧の極限下、無酸素で増殖している微生物がいるが、微生物と共におびただしい数のウイルスが活動している。「高温高圧の極限下」という表現そのものがヒト中心の偏見であり、1ml中に1000万個検出されているウイルスにすれば故郷みたいなものだろう。そして、生命誕生そのものにもウイルスが関わっている可能性が指摘されている。

ウイルスから世界史を見る

 ウイルスは世界史にも影響を与えている。マクニール『疫病と世界史』が世界史からの「ヒト中心」のアプローチなら、本書はウイルスから世界史を見る。わかりやすいのはインフルエンザの流行だが、そうした「疫病」という形を取らない災厄もある。

 たとえば、モンゴル軍がもたらした牛疫だ。多くの品種の牛に感染し、致死率70%の毒性がる疫病である。

 モンゴル帝国が急速に拡大していった理由として、騎兵と弓兵を活かした機動力の高い戦術や、軍事国家であること、投石器や火薬といった中国やイスラムの技術を活用したことが挙げられるが、本書によると、牛疫ウイルスが一役買っていたという。

 ただし、モンゴルの高原地帯で飼育される灰色牛(グレイ・ステップ牛)は抵抗性があった。そのため、感染しても症状をほとんど出すことなく、数ヶ月にわたってウイルスを糞便で排出し続けることになる。

 そして、モンゴル軍は、物資の輸送役+食糧として、灰色牛を連れていた。灰色牛は行く先々で糞便と共に牛疫ウイルスをまき散らし、農耕での重要な労働力である牛を全滅させていった結果、国力を低下させる。つまり、灰色牛は事実上、モンゴル軍の生物兵器になっていたというのだ。

ウイルスからSFを見る

 著者はウイルス研究の第一人者である、山内一也東大名誉教授だ。そして本書はもちろんノンフィクションの分類に入るのだが、ウイルスの振る舞いと未来予想を見ていると、どうしてもフィクション、しかもSFを想起させる。あまりに生々しく、現実味のある脅威が、実は身近にある(あった)ことが、よく分かる。

 たとえば、天然痘ウイルスの人工合成だ。

 1980年に根絶が宣言された天然痘だが、「基礎研究のため」米国とロシアの研究所で保管されている。厳重に保管されていたウイルスが盗み出され、紛失するというシナリオは、小松左京『復活の日』を思い出すが、今ではDIY可能である。

 まず、天然痘ウイルスのゲノムの塩基配列はすべて解読され、公開されている。もちろん、天然痘ウイルスのDNA合成は禁じられており、WHOはゲノムの20%以上を作成することを制限している。そのため、DNA合成を受託する会社は、天然痘ウイルスのDNA合成できない制約が課せられている。

 しかし、これには抜け穴がある。カナダの大学がこの抜け穴から馬痘を合成してみせたのである。

 まず、馬痘ウイルスのゲノムを10個の断片に分けて、複数のDNA合成会社に発注する。できたDNA断片をつなぎ合わせ、馬痘のゲノムを構築した。それだけだと感染性がないため、ヘルパーウイルスを感染させた細胞に導入し、再活性化できるようにした。発注は全てメールで済ませ、合成の代金は全部で10万ドル(1100万円)だったという。

 理論上では、天然痘も可能である。この手順はあまりにも危険性が高いと判断され、「サイエンス」「ネイチャー」誌からは掲載が却下されたが、「プロスワン」誌は慎重に検討した上で掲載している。むかし、ネットで水素爆弾の製造の仕方が公開されて物議をかもしたが、今では天然痘の作り方が公開される時代となっている

 バイオテロリストにとっては嬉しい話だろう。インフルエンザの2倍の感染力を持ち、感染から発症まで10日間の潜伏期間がある(医師が天然痘に気づくまでにさらに数日はかかる)。テロリストは自分に種痘しておけば、自分が感染することなく、合成、培養、散布することができる。都市部ではパンデミック級の威力を持つのであれば、1100万円は安いものだ。

 他にも、冷蔵設備が無い状況でワクチンを運ぶため「孤児」を使う話から『ザ・ラスト・オブ・アス』を、芋虫に卵を産み付け、孵った幼虫が芋虫を食べるヒメバチの習性は、7000万年前に始まったウイルスとの共生からという話から『エイリアン』を、さらに致死的ダメージを喰らっても、他の生きた部品から自分を再構成する件なんて、『ジョジョの奇妙な冒険』のゴールドエクスペリエンスを思い出す。

 [基本読書の冬木さんと対談]したとき、冬木さんが「世界の様相をガラリと変えるのがSFだ」と喝破したが、これはまさにSFとしても読めるし、そう読むことで次のSFのヒントが詰まっているともいえる。

 ウイルスの興味深い振る舞いから始まり、「生命とは何か」の根幹に衝撃を与え、さらには世界の「見え方」が変わってしまう一冊。

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この「冒険」の本・映像・ゲームがスゴい!

 お薦め本を持ち寄って、まったり熱く語り合うオフ会、それがスゴ本オフ(最新情報は[facebookスゴ本オフ])。参加すると、読みたいリストがどんどん増えて、積読山がさらに高くなる。今回のテーマは「冒険」。時間・空間・非日常を飛び越えて、「これが冒険だ!」という本、映画、音楽、ゲームにマンガにメディアのもろもろが、集まったり集まったり。

Bouken01

山と旅と空への冒険

ありえない光景、シスパーレ

 度肝を抜かれたのが、ササキさんの紹介。日本を代表するクライマー平出和也が、シスパーレに挑んだ映像だ。端的に言ってありえない光景を見ることができる。一目見れば、「無理!」と叫びだしたくなる場所で、かつては、そこに登った人だけが目の当たりにできた。過酷で美しい世界を、安全で暖かな部屋から眺めることができる。

 冒険とはすなわち「危険を冒す」。何かの目的があって、時間や空間を超えて、危険に満ちた体験の中に身を置くこと。ただ、そこから還ってこなければならない(と思う)。行ったきりの冒険も物語としてはあるが、現実だとあまりにも辛い。

Bouken02

熱量高い

勇気と無謀の違い『サハラに死す』

 えりさんが紹介してくれた『サハラに死す』(上温湯隆著、ヤマケイ文庫)が重い。昭和の時代、誰もやったことのない、サハラ砂漠の単独横断に挑戦した記録だ。世界最大のこの砂漠は、現地の人々にとって「縦断」するものであって「横断」するものではない(従って「横断」ルートというものはない)。

 ガイドなし、ラクダ1頭のみで旅を始めるが、ラクダは死亡、水は無くなる、食べ物は無くなる……「著者が本人ということは、帰ってこれたんじゃないの?」というツッコミに、「遺された手記を元にした本」とのこと。「冒険とは、可能性への信仰である」と記されており、当時のバックパッカーのバイブルだったというが、「帰ったら大学受験しよう」と書き残しているのが日本人の呪い的だとのこと。

生きていることのレベルを上げる『ビヨンド・リスク』

 危険を冒すとは何かについて知りたいなら、『ビヨンド・リスク』(ニコラス・オコネル、ヤマケイ文庫)を読むと、そのヒントが得られる。伝説のクライマー17人にインタビューした冒険の思想集である。

 生きることは登ることと同様に意味がない。にもかかわらず、なぜ登るのか? 本書には数多くの「答え」があるが、ここでは、一つ、ロイヤル・ロビンスの引用をしたい。

危険があれば冒険の度合いが増す、ということは十分気をつけて行動しなければならないということです。クライミングは注意力や知覚力のレベル、つまり生きていることのレベルを引き上げてくれます。(太字化は私)

 他の人の話も併せて聞くと、共通する考え方が見えてくる。ただ生命を維持するというだけでなく、本気で生きる。生きることに真剣になる(せざるを得なくする)場所が、たまたま岩の上だったということが分かる。生きることそのものが冒険なのだ、というメッセージが伝わってくる。これは読みたい。

Bouken03

ロバート・パーカーごっそり

未読の人は幸せもの『シャンタラム』

 生きることが冒険なら、ルートポートさんが持ってきた『シャンタラム』、これはわたしもお薦めしたい。絵に描いたような波瀾万丈で、一寸先も見えない状況とドラマティックな展開に、ページを繰る手が止まらなくなる。もし、これを読んでいないという人がいたら、幸せ者だと伝えたい。できるだけ予備知識を排して手にとって欲しい(新潮文庫だから裏表紙にあらすじが書いてあるが、それすら読まずに読んで欲しい)。

冒険の冒険『ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む4万5千キロを競ったふたりの女性記者』

八十日間世界一周に挑む 冒険の冒険、すなわちメタ冒険できるのがこれ。みかん星人さんとOnoさんのお二人から教わったのだが、面白そう。ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』を、リアルで実行する「冒険」と、世界一周をするのが女性記者であるという意味で「冒険」が重なる。というのも、120年前の当時、女性であるというだけで様々な差別や困難が立ちはだかるから。さらに、女性記者は二人おり、それぞれ東回り、西回りで競争するのだ。NHK歴史秘話ヒストリアでも放送されたとのこと[決着!80日間世界一周]

Bouken04

バサラいいよバサラ!

公開中の『バジュランギおじさんと、小さな迷子』と『ファーストマン』は劇場で観るべし

 すごい勢いでプッシュされ、そのまま映画館に行きたくなったのがこの2つ。きはらさんお薦めの『バジュランギおじさんと、小さな迷子』は、インドに取り残されてしまった女の子を、偶然であったおじさんがパキスタンまで連れて行くお話。絶対感動するやつやん、と身構えながら観たけどやっぱり感動したとのこと。前中眺さん、みかん星人さん、sngkskさん激推しの『ファーストマン』は、ニール・アームストロングの人生を描いたもの。映像音も凄いとのことで、まず4DXで見て、それからIMAXで観るべしとのこと。2つとも劇場で観たい。本は積めるけど、ロードショーは行かないと!

数メートル移動しただけで人生は変わる「ウェイクフィールド」

 [キリキリソテーにうってつけの日]の中の人のふくろうさんが紹介したのが「ウェイクフィールド」だと知ったとき、「あっ!」と思った。「ウェイクフィールド」という男が、失踪したふりをして、自宅から目と鼻の先にある部屋に潜伏する話。時は流れ、死んだことにされるが、男はその部屋から、寡婦となった妻の生活を眺める。わたしは、ふくろうさんの[このレビュー]に惹かれて「ウェイクフィールド」を読んだが、このプレゼンで再読したくなった(ホーソーン怖いな)。

世界を言葉で更新する『えーえんとくちから』

 オフ会やってて良かったなと思うのが、わたしが知らないスゴ本に出会えること。前中眺さんお薦めの、笹井宏之の短歌集は、全く知らなかった。というか、この詩人の存在すら知らなかった。これ、文字列よりも音読するほうが沁みる。「えーえんとくちから」を声に出して読んでもらったが、意味が分かった瞬間にぞわっとした。口に出した音が意味として伝わる前に、その言葉が捉える世界をアップデートしてしまえるのではないか、とさえ思う(ポチった)。

だよね!『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』

 激しく同意したのが、きはらさんが持ってきたこれ。日本で100万本、世界で1,000万本売れた傑作で、わたしもこのためにSwitch買った。ゼルダシリーズ初のオープンワールドで、どこへ行っても何をするのも自由な世界で、目的を忘れて道草→探検→深みにハマり、ゼルダ姫に注意されること請合う。そうだよな! と思ったのが、「世界のあまりの美しさに、ゲームコントローラーの手を止めて、ずっと見入ることが、何度もあった」。

人生とは冒険だ『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』

 おそろしくそそられるのが、羊飼いの星さんお薦めのこれ。怪しげな表紙、冒頭のどん底感、下ネタ上等の構えなんだけれど、70人との出会いと別れの中で、著者自身が学び、世界が広がり、人生が動き出していく過程は、「冒険」そのものだといえる。ブックガイドとしても面白いとのこと。

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冒険野郎・高野秀行

 紹介された作品は以下の通り。やりたいゲーム、観たい映画、そしてもちろん読みたい本ががしがし溜まる。Amazonのカート、図書館の予約、ToDoリストが積み上がる。本を介して人を知り、人を通じて本に会う、すばらしいひとときでした。ご参加いただいた皆さま、ネット越しにご紹介いただいた方々、ありがとうございました!

山!
『銀嶺の空白地帯に挑む カラコルム・シスパーレ』平出和也 DVD
『ビヨンド・リスク 世界のクライマー17人が語る冒険の思想』ニコラス・オコネル(ヤマケイ文庫)
『栄光の岩壁』新田次郎(新潮文庫)
『アイガー北壁・気象遭難』新田次郎(新潮文庫)
『全ての装備を知恵に置き換えること 』石川直樹(集英社)
『いま生きているという冒険』石川直樹(理論社)

旅!
『サハラに死す』上温湯隆(ヤマケイ文庫)
『旅と冒険の人類史大図鑑』サイモン・アダムズ(河出書房新社)
『ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む4万5千キロを競ったふたりの女性記者』マシュー・グッドマン(柏書房)
『謎の独立国家ソマリランド』高野秀行(集英社文庫)
『辺境メシ』高野秀行(文藝春秋)
『冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見』ジム・ロジャーズ(日経ビジネス文庫)
『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』 斉藤惇夫(岩波少年文庫)
『ガリバー旅行記』スウィフト(岩波書店)
『バジュランギおじさんと、小さな迷子』(インド映画)

空!
『アポロとソユーズ 米ソ宇宙飛行士が明かした開発レースの真実』デイヴィッド・スコット/アレクセイ・レオーノフ(ソニーマガジンズ)
『ロケット・ボーイズ』ホーマー・ヒッカム・ジュニア(草思社)
『まんがサイエンスⅡ ロケットの作り方おしえます』あさりよしとお(Gakken)
『夏のロケット』川端裕人(文春文庫)
『夜間飛行』サン・テグジュペリ(新潮文庫)

物語!
『シャンタラム』グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ(新潮文庫)
『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』(任天堂)
『はてしない物語』(岩波書店)
『BASARA』田村由美(小学館)
『ヘテロゲニア リンギスティコ』瀬野反人(KADOKAWA)
『ラベルのない缶詰をめぐる冒険』アレックス・シアラー(竹書房)
『魔術師』W・サマセット・モーム(新潮社)
『人外魔境』小栗虫太郎(角川文庫)
『ねずみとくじら』ウィリアム・スタイグ (評論社の児童図書館・絵本の部屋)
『ドングリドングラ』コマヤスカン(くもん出版)
『セミオーシス』スー・バーク(ハヤカワ文庫)
『ぼくのロボット大旅行』 松岡達英 (福音館の科学シリーズ)
『COMIC恐竜物語』(ポプラ社)
『ヘルマンヘッセン全集13 』ヘルマンヘッセン(臨川書店)

冒険とは経験だ!
『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』花田 菜々子(河出書房新社)
『神話の力』ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ(ハヤカワノンフィクション文庫)
『物語の法則 』クリストファーボグラー、ディビッドマッケナ(アスキーメディアワークス)
『レンタルチャイルド』石井光太(新潮社)
『あたしを溺れさせて。そして溺れ死ぬあたしを見ていて』菊地成孔(東京キララ社)
『謝罪本』WACK(フリーペーパー)
『初秋』ロバート・B・パーカー(早川書房)
『レガイア伝説、というプレイステーションRPGのCM』
『BEFORE THEY PASS AWAY』(パイインターナショナル)
『ハードウェアハッカー ~新しいモノをつくる破壊と創造の冒険』(技術評論社)
『自己犠牲とは何か 哲学的考察』田村均(名古屋大学出版社)
『トマス・アクイナス 理性と神秘』山本芳久(岩波新書)
『会計が動かす世界の歴史』ルートポート(KADOKAWA)
『眼の冒険』松田行正(紀伊國屋書店)
『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン(新潮社)
『若き友よ。』五木寛之(幻冬舎)
『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た!』馬場康夫(講談社)
『バザーリア講義録 自由こそ治療だ』フランコ・バザーリア(岩波書店)

言葉と文学の冒険
『えーえんとくちから』笹井宏之(パルコ)
『れもんよむもん』はるな檸檬(新潮社)
『百人一首という感情』最果タヒ(リトルモア)
『アメリカン・マスターピース古典篇』柴田元幸翻訳(スイッチ・パブリッシング)
『夜になる前に』レイナルド・アレナス(国書刊行会文学の冒険シリーズ)
『エバ・ルーナのお話』イザベル・アジェンデ(国書刊行会文学の冒険シリーズ)
『鞄図書館』芳崎せいむ(東京創元社)
『図書館の神様』妹尾まいこ(ちくま文庫)

 次回のスゴ本オフのテーマは「桜散る、ダークネス」だ。サクラチル、ブラック、ネガティブ、復讐、後悔、殺意、闇など、暗くて黒いやつにしよう(4月かな……)。

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ガンバと文学の冒険

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橋本大也さんの最近のお薦め10冊を聞いてきた

 [情報考学 Passion For The Future]をご存知だろうか?

 科学の啓蒙書や経済・経営のノンフィクションから、SF、純文学、教養と思想、ゴリゴリの猟奇モノまで幅広く紹介するブログだ。更新頻度もひんぱんで、新刊もそうでないのも分けへだてなく、「基本誉める」を貫いており、たいへん参考にさせていただいた(というより、あこがれまじりで追いかけていた)。書評ブログといえばここだったのだが、ここ数年、あまり更新されていない。

 仕事が大変で、書評どころでないのだろうな……と思いきや、某所で活動されているのを耳にした。数年前、一念発起して英語を学び直し、今は英語の本が中心とのこと。audible も活用し、耳からの読書もしているという。書評も英語圏で発信しており、(当然のことながら)日本語ではない。詳しいことは、デジタルハリウッド大学の企画[今、この10冊が面白い!]という対談会でお話を伺ってきた。

 対談は、学生図書館長の森泉さんと、橋本大也さんのお二人で行われた。森泉さんは、日本人作家の小説が中心で、橋本さんは洋書オンリーという20冊+アルファの構成だった。ここでは、橋本さんが紹介された本を中心にまとめる。

”The Buddha in the Attic”Julie Otsuka/『屋根裏の仏さま』ジュリー・オオツカ

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"We" で始まる独創的な小説

 めっちゃソソられたのがこれ。非常に前衛的で独創的といってもいい文体だという。その秘密はすぐに教えてもらった。Amazonの中身検索を見ると、ほぼ全てのパラフラフが ”We” で始まるのだ。

 本書は、写真花嫁(picture bride)たちの物語である。日系移民一世(ほとんどが男性)が配偶者を見つけるために写真だけでお見合いした結果、一度も会っていない夫を頼りに渡米してきた花嫁たちである。特定の登場人物がおらず、女性たちの集合的な記憶をつむぐかのように表現するために、”We” が使われている。

 そのため、英語としては非常に分かりやすくなっている。なんせ、全てのパラグラフが ”We” で始まるのだから。一方で、”They” が使われるとき、それは渡米した女性たちの「外側」を示すことになる。それは男性たちであったり、馴染めないアメリカ文化であったり、差別的な社会になる。邦訳は『屋根裏の仏さま』とのこと。

”The Fault in Our Stars”John Green/『さよならを待つふたりのために』ジョン・グリーン

 これはわたしもオススメ。「難病のカップル」「ボーイ・ミーツ・ガール」「タイムリミットのある恋」と、かなりキツいお話となっている。主人公は16歳のヘイゼルで、がんの進行を薬で抑えており、自分でもそう長くないことは分かっている。「自分が死んだ後、悲しむ人は少ないほうがいい」と割り切った生き方をする彼女が恋をしたらどうなるか?

 紹介とともに、洋書読みとしてのポイントもあわせて教えてもらう。YA(ヤングアダルト)のメリットは、比較的易しい表現が多く、読みやすいことと、今の若者用語を学ぶことができるという点にあるという。前者は分かるが、後者は今のYAを読む理由になる。"The Catcher in the Rye" (ライ麦畑でつかまえて)や ”To Kill a Mockingbird” (アラバマ物語)という名作もあるけれど、いかんせん古く、アメリカの若者はそんな言葉は使わないらしい。

 ちょっともったいないのが、タイトル。原作は、”The Fault in Our Stars” なのが、邦訳で『さよならを待つふたりのために』になり、さらに映画で「きっと、星のせいじゃない。」に変わる。そして映画にあわせて邦訳も変えられてしまうのだ。わたしもブログやSNSで紹介したが、名前をコロコロ変えたことで、検索してもらう力がダウンしたのではないかと思う。わたしが読んだのは邦訳だが[書評]、これは原書も挑戦したい。

”Sphere”Michael Crichton/『スフィア 球体』マイケル・クライトン

 「この作家のおかげで英語が読めるようになった!」というのがマイケル・クライトン。やさしい英語で、見てきたように明示的に書いてくれている。映画を意識しているのか、ビジュアルで全てを語ろうとする。文学小説にある、「行間を読ませる」とか、一文に意味を込めるといった技巧は凝らさないため、読むことと理解が同期する(リーダビリティが高いともいう)。

 何冊か読んだ中でのダントツは、”Sphere” だという。テクノロジをミステリ仕立てで語り、読者をノせるのが非常に上手いだけでなく、ちょっと「哲学」が入っているのがいいのだと。クライトンのお約束である、「何かトンでもないものが発見される」→「最先端の科学チームが結成されて調査に赴く」→「たいへんなことが起きる」を忠実に踏襲しており、安心してハマれそう。これは読みたい!

“The Nightingale” Kristin Hannah/『ナイチンゲール』クリスティン・ハナ

 ものすごく気になるのがこれ。英語の本を読むようになると、当然のことながら、英語の本を読む人々での評判もチェックするようになる。そして、「英語圏での傑作」を見ていると、「なぜ日本で売れていないの?」と首をかしげるような現象があるという。

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こんなに傑作なのに、なぜか日本で売れてない?

 つまりこうだ、質量ともに十分な読み手が「これは傑作」と太鼓判を押し、なおかつその高評価でもって邦訳を出したのに、日本では鳴かず飛ばずという(マーケティングの失敗なのか日本人ウケしなかったのか……)。

 その代表格として、これ。第二次大戦下のフランスの姉妹の物語。優しく受身の姉と、活発で反抗的な妹が、戦争の運命に巻き込まれてゆく。ドイツの侵攻から生家を守ろうとする姉と、レジスタンス活動に身を投じる妹の、それぞれの人生が歴史のうねりの中で大きく変わってゆく感動物語だという。

 原書と邦訳版のパッケージを見比べると分かるが、おそらく「読み手に届く」形になっていなかったのかも(あるいはアニメ化も念頭にあったのかも)。

“Cathedral”Raymond Carver/『大聖堂』レイモンド・カーヴァー

 これも大好きな作品。「ぐっと胸にせまる」「心あたたまる」という形容がぴったり。なかでも傑作なのが『大聖堂』だ。妻の古い友人ということで、盲目の黒人が家にやってくるのだが、語り手である「私」は固い反感じみたものを感じていた。それが、ふとしたきっかけで、心がつながりあってゆく。

 カーヴァーが書く小説の登場人物は、自分の感情をべらべらとしゃべらない。だから読者は、人物の外側の描写や、彼・彼女が感じた断片から推し量るほかない。わたしは村上春樹の翻訳で読んだのだが、(原文を知らないにもかかわらず)素晴らしい名訳だと思った。橋本さんを見習って、原作に挑戦してみるか。その場合、最初に読む Carver は、” Small, Good Thing” (ささやかだけれど、役にたつこと)だな。

”The Overstory”Richard Powers/『オーバーストーリー』(未邦訳)リチャード・パワーズ

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正座して邦訳を待つパワーズ本

 最近のベスト本とのこと。樹木に宿命づけられた10人の運命がばらばらに語られてゆくうちに、最終的にまとまって、一つの物語に収斂するという。個人個人の物語がだんだん絡み合ってゆき、最後に大きな流れに一体化する骨格は、『舞踏会へ向かう三人の農夫』[書評]が浮かぶが、今度は10人とは! めっちゃ気になる。橋本さんは、『われらが歌う時』[情報考学の書評]も絶賛していたけれど、これも負けず劣らず傑作とのこと。いずれ邦訳されるだろうし、わたしの英語力では追い付かないので、正座して待つ。

英語の本をどうやって探すか?

 これは頭を悩ませているところ。日本語の本なら、ネット、読書会、図書館、リアル書店、Amazonを通じて沢山のチャネルがあり、そこから本の情報を入手できるが、英語の本はどうするか?

 わたしがチェックしているのは、ブッカー賞や全米図書賞の候補作、ベストセラーリストぐらい。「ビルゲイツお薦め」が「キング絶賛」と同程度のコピーであることに気づいたいま、広告に惑わされない読み手が欲しい。

 それは、橋本さんであり、[未翻訳ブックレビュー]のかもめさんだ。そんな「読み手」をどうやって探せばよいか。「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」の「あなた」を探す洋書版である。

 そんな質問を橋本さんにぶつけてみたら、ど真ん中が帰ってきた。

 それは、[goodreads] だ。

 読書メーターやブクログのような、本の登録+評価+レビューサイトだが、凄いのはその質量。英語を話す人という時点で分母が巨大な上に、そこで洗練された評者のレビューがありがたい。出版社や作家といった「中の人」ともつながることができるのも嬉しい。

 インターネットの中で、知を発信し続けるスゴい人がいる。そのNo.1は[読書猿さん]だ。わたしの目標の一つに、「英語圏の読書猿を見つける」がある。市井に住み、知を愛し、ネットで発信する哲人は、必ず居ると信じる。なんとなく、米国よりも、イスラエルとかインドにいそうな予感だけれど、goodreadsから探せそうだ。

 goodreads での橋本大也さんのレビューの入口は[Daiya Hashimoto]、もちろん英語だ。

どうやって読書の時間を捻出するか?

 これも悩ましい。わたしの場合、通勤時間を利用しているが、橋本さんも一緒みたい。「通勤時間=読書時間」と決めてしまうことで、まとまった時間を読書に割り当てることができる。考えてみれば、自分の時間が比較的ある休日のほうが、本を読んでいない。もちろんこうして書いているからということもあるが、それでも、Dark Souls にかける時間を減らせば、もっと読めるはずだ(あとは薪の王のみ)。

 そして、もう一つ、嬉しいことが聞けた。それは、audible の利用だ。混雑した電車で小さい字を追いかけるのも大変だが、聞いて読むという手でクリアできる。audible を活用することで、英語力の向上+目を使わずに読書している。ノンフィクション系が良いとのこと。というのも、小説の場合、一文で状況が変わってしまうことがあり、聞き逃しの致命度が高い。一方、ノンフィクションだと似たような表現や補足をしてくれるため、audible 向けだという。なるほど。

 そして、日本のよりも米国のほうが質量ともに凄いらしい。audible 専用のラジオドラマシリーズがあるぐらいで、Netflix と同じビジネスモデルが成り立っているという。どんな番組がいいか分からない場合は、とりあえず audictid がお薦めらしい。audible の addict(中毒)で、女の子たちがお薦めを語ってくれるガールズチャットだという。

「今、この10冊が面白い!」で紹介された本のリスト

今、この10冊が面白い!
”The Buddha in the Attic” Julie Otsuka(屋根裏の仏さま)
”The Fault in Our Stars” John Green(さよならを待つふたりのために)
”Sphere” Michael Crichton (スフィア・球体)
“Jaws” Peter Benchley(ジョーズ)
”Me Before You" Jojo Moyes(ミー・ビフォア・ユー)
“The Nightingale” Kristin Hannah(ナイチンゲール)
“Cathedral” Raymond Carver(大聖堂)
“Olive Kitteridge” Elizabeth Strout(オリーヴ・キタリッジの生活)
“Washington Black” Esi Edugyan
"Sing, Unburied, Sing" Jesmyn Ward
“The Underground Railroad” Colson Whitehead(地下鉄道)
“Grinding It Out” Ray Kroc(成功はゴミ箱の中に)
“Google It” Anna Crowley Redding

英語読書の入口(映画の原作&やさしめ)
“The Godfather” Mario Puzo(ゴッドファーザー)
“The Exorcist” William Peter Blatty(エクソシスト)
“The Shining” Stephen King(シャイニング)

映画より原作が面白い
“The Sheltering Sky” Paul Bowles(シェルたリング・スカイ)
“The Hotel New Hampshire” John Irving(ホテル・ニューハンプシャー)

世界でベストセラーだけど日本ではほぼ知られていないノンフィクション(経済編)
“Conspiracy” Ryan Holiday
“Bad Blood” John Carreyrou
“Billion Dollar Whale” Tom Wright,Bradley Hope

最近のベスト
”The Overstory” Richard Powers
"Circe" Madeline Miller

森泉さんのお薦め
『いなくなれ、群青』河野裕
『罪人が祈るとき』小林由香
『望郷』湊かなえ
『ON 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』内藤了
『君は月夜に光輝く』佐野徹夜
『かがみの孤城』辻村深月
『また、同じ夢を見ていた』住野よる
『星か獣になる季節』最果タヒ
『渦森今日子は宇宙に期待しない』最果タヒ
『夜空はいつでも最高密度の青色だ』最果タヒ
『ドグラ・マグラ』夢野久作
『舞姫』森鷗外

 最果タヒ作品が魅力的なので、これを機に手を出してみるつもり。
いっぽう、エログロ猟奇系なら『異常快楽殺人』、制限時間つきの人生なら『死ぬまでにしたい10のこと』、いじめの強烈なやつなら『ぼくはお城の王様だ』をお薦めしてきた。

 めちゃめちゃ充実した時間でした。橋本さん、森泉さん、ありがとうございます!

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『会計が動かす世界の歴史』はスゴ本

 シャーロック・ホームズの金銭感覚や、ダーウィンの資産活用から、会計と革命の意外すぎる関係、複式簿記から解き明かす知性の進化など、歴史を縦横に行き交い、ミクロからマクロ経済まで自在にピントを合わせながら、人類の歴史を損得の視点から紐解く。

Kaikeiga

 パッケージから、最初は「簿記の歴史」や「会計の世界史」という印象を持った。だが、本書の焦点深度はもっと広い。そして、めちゃめちゃ面白い。これは、お金と人との関わり合いをドラマティックに描くだけでなく、それを通じて「お金とは何か」ひいては「価値とは何か」についても答えようとしているからだ。

「お金」が人を作った?

 誤解を恐れずに言うと、「お金」が人を作ったといえる。

 逆じゃね? と思うだろう。壱万円札を作ったのは人だし、その紙に「壱万円分の価値がある」(ここ重要)と信じているのは人だから。なぜ壱万円に壱萬円分の価値があるかというと、壱萬円の価値があるとみんなが信じているから。この「みんなが信じる価値」がお金の本質である。

 そんな「価値」みたいな概念ではなく、金や銀といった貴金属がお金じゃないの? という疑問が出てくる。本書では、お金と人の歴史を振り返りながら、「みんなが信じる価値」と「お金」の関係に迫る。

 たとえば、スペイン帝国がもたらした価値革命の例をあげて、金銀はお金というよりも、お金を計るためのモノサシだと答える。植民地化した中南米から大量の銀が持ち込まれた結果、銀という通貨の供給量が増え、大規模なインフレが発生する。すなわち、ヨーロッパでの銀に対する「みんなが信じる価値」が下がったのだ。

 あるいは、最古の金融バブルと呼ばれているオランダのチューリップ・バブルや、詐欺師ジョン・ローが引き起こしたミシシッピ・バブルの話をする。彼が作り出した「利子付きのお金」は、良い意味でも悪い意味でも応用が利くだろう。欲望が欲望を生み、「みんなが信じる価値」が膨らんで弾けた出来事だ。

 面白いところをつまみ食いするだけなら、[ペペラのバブル物語]を読めばいい(めちゃくちゃ面白いゾ)。だが本書では、「なぜバブルが弾けたのか」という問いを立てる。ありがちな「みんなが現実に目覚めたから」ではなく、「なぜ現実に目覚めたのか」という視点から、生々しい理由を炙り出す(p.173の解説は、あらゆる先物取引(の損切タイミング)に応用が利くだろう)

なぜ文字より先に簿記が生まれたのか?

 本書が類書より優れているのは、さらに「みんなが信じる価値」の先へ踏み込んでいるところだ。サブタイトルの「なぜ文字より先に簿記が生まれたのか?」の秘密はそこにある。

 紀元前4千年までさかのぼる。最初の簿記はメソポタミア文明の「駒」だという。トークンと呼ばれる、粘土製のおはじきのようなもので、穀物や家畜を表していた。トークンは現実の羊やパンと1対1で対応し、税の取り立てや財産管理に使われていたという。

 紀元前3千年にイノベーションが起き、トークンそのものではなく、粘土板にトークンを押し付け、型を記録するようになる。現実と同数同種類のトークンを用意する必要がなく、トークンを現実の数だけ押し付け、粘土板を管理すればいいようになる(簿記の原型)。そして型押しが簡略化され、粘土板に溝を彫るようになったのが文字の誕生になる。

簿記に隠された進化の鍵

 そして、簿記の歴史を紐解きながら、「みんなが信じる価値」の本質に迫る。

 興味深いことに、粘土板から始まりルネサンス期に完成した複式簿記と、独自で発達した日本の簿記と、似たような構造をしているという。つまり、勘定科目を借方と貸方に分けて記載し、貸借を一致させるという構造だ。

 あたりまえだろ? 誰かにとっての「借り」は、その相手にとってみれば「貸し」になる。千円借りたら、千円返さないと。ここに時間の概念を入れると、利子や償却といった要素が必要になるが、簿記の基本は、「貸し」と「借り」が一致することにある。

 しかし、この「あたりまえ」こそが、ヒトを人たらしめた原因だというのだ。

 社会的動物であるヒトが、そのコミュニティの中でうまくやっていくためには、個体を分別し、その個体が自分にとって得となるか損となるか判断する必要がある。仲間だから協調する部分もあるが、食物や異性の取り合いとなることが出てくる。

 つまり、裏切ったり裏切られたりする関係性を続けながら、うまく生き延びる必要がある。場合によっては、自分に有利なときでも、仲間に恩を売ったほうがトクになることが出てくる。この協力と裏切りの駆け引きの中で、知性すなわち脳は進化していったという(これを[マキャベリ的知性仮説]と呼ぶ。以前の記事で、イカの脳についても同じ説が展開されている[頭足類の心を考える])。

 その中で重要なのは、身近な仲間を判別し、それぞれの「貸し」「借り」を理解し、記憶していくためには、高度な知能が必要となる。現代では、お金を貸したとき「貸付金」として登録しているが、昔は「貸した人の名前+金額」で債権を記録していた(人名勘定)。つまり、簿記の基本構造の中に、知性の進化の秘密が隠されているといえる。

「お金」の本質=譲渡できる信用

 誰かに「貸し」を作ったら、それを報酬として受け取れるのは、返してもらえると信用しているから。以前に「借り」たものを返すのは、それをしないとコミュニティでやっていけないから。

 そのための約束ごとが、「みんなが信じる価値」すなわちお金になる。時代によって、それは貝殻だったり金銀といった貴金属、あるいはデジタルデータとして計られるが、その計られる対象である信用が、知性を進化させたのである。

 会計という視点で人類史を斬ると、その断面にお金の本質が見える。18世紀イギリスの産業革命を経済現象として読み解いたり、未来の通貨と呼ばれる仮想通貨の構造的な弱点を明らかにしたり、盛りだくさんの内容となっている。

 愚者は自分の経験から学び、賢者は歴史から学ぶという。さらに、歴史を通じて現在の問題を理解することができる。「会計」という斬り口から歴史を眺め、伏線と謎解きを張り巡らし、極上のミステリに仕立てた一冊。

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生きる目的なんて無いが、生きがいは有る。問題は、2つを混同させることにある。

 生きる目的なんて無い。だが、生きがいは有る。問題は、2つを混同させることである。

 「誰かに誉めてもらうため」に生きているのなら、誉めてくれる人がいなくなった時点で、生きる目的がなくなる。しかし、それはおかしい。したがって、「誉めてもらうことを生きる目的とする」前提がおかしいことが分かる。

 たとえば、誰かに誉めてもらうために努力し、「良い子」「良い生徒」「良い社会人」「良い夫」をするのもいい。だがその努力は、「誉めてもらうと嬉しい」のであって、そのために生きているわけじゃない(ここ重要)。「誉めてもらうこと」を目的にしてしまうと、誉めてもらうためにする「良い〇」に飽きたり疲れたりした時点で詰む。「良い〇」でないからといって電車に飛び込む必要なんて無いし、誉めてくれなくなった誰かを憎むのもおかしい。

 そして、「誰かに誉めてもらうため」の代わりに、「社会に貢献するため」「子孫を残すため」「家族を養うため」を入れても同様だということが分かる。つまり、カッコ「」内が実現できなくなったら、生きていても仕方なく、死んでもいい、ということになる。しかし、それはおかしい。これは、文章にすると違和感が増す。

 ・社会に貢献するために、わたしは生きている
 ・わたしの子孫を残すために、わたしは生きている
 ・家族を養うために、わたしは生きている

 それでも、最後の「家族を養うため」のセリフは、よく耳にする。だからこそ、病気やケガ等でそれができなくなったときに、電車に飛び込む人がいるともいえる。目的としてしまうから、それが失われたとき、「生きていても意味が無い」「何のために生きるのか分からない」になってしまう。

 これは、前提が違うのだ。おそらく、カッコ「」内に何を入れても、おかしいことになる。ここから導かれる結論は、「カッコ内のために生きる」ということ自体が、おかしい。およそ、「〇〇のために生きる」なんてことは無い。ただ生きていればいい。社会に貢献したり、家族を養うのは余禄みたいなものなのだ。

 これには、ただし書きがつく。〇〇が、ただ唯一の生きる目的ではなく、生きていてよかったと思える甲斐である場合、「〇〇のために生きる」は成り立つ。〇〇にあなたの大好きなこと、真夏の夜のビール、ロードショー初日に見に行く、土曜の午後に本を読む、気の合う仲間とセッションする等を入れると分かる。

 そして、その〇〇は、ただ一つだけではないはずだ。そこからつながる別の〇〇や、仲間や憧れの人(生きているとは限らない)がいて、そうした出会いと別れの諸々が、沢山出てくるはずだ。この、生きがいという意味に限り、「〇〇のために生きる」という表現を使ったほうが、安全だ。

 生きる目的と生きがいは違う。「この一杯のために生きている」は、あくまでも比喩であり強調表現だ。その限りでは、「家族のために生きている」はアリだ。だが、比喩を離れ、生きる目的としてしまうとおかしな話になる。それは、「この一杯が飲めなくなったら死にたい」という文がおかしいぐらいに。

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知的冒険の書『ウンベルト・エーコの世界文明講義』

 知の巨人ウンベルト・エーコの、十余年にわたる講義録。


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 美と醜、虚構と陰謀、絶対と相対など、抽象的なテーマを俎上にのせ、フルカラーの図版を通して、具体的に迫ってゆく。ニュースやメディアで馴染んだネタから、ネットを駆使して追いかける必要のある美術作品まで、知的に振り回されるのが楽しい。

 たっぷり知的興奮を味わったあと、見知ったはずの世界にある、見知らぬ裂け目に気づいたり、まるで異なる時代なのに、そこを貫く原理原則があったことを発見する。世界はもっとつながり合っているし、時代はもっと重なり合っている。人の営みは、かくも美しく、かくも醜いことを、あらためて知って驚く。



美とは何か

 たとえば、「美」について。

 「美とは何か?」と概念で問われると、答えに窮する。イデアのように「美しさ」そのものを指し示されたとしても、それが(他の言葉でいう)何であるかなんて、分かるはずもない。せいぜい、わたしが美しいと感じるオブジェクトを挙げるしかない。このあたりの機微は小林秀雄が上手いこと言っており、「美しい花がある、花の美しさという様なものはない」がそれだ。

 ところがエーコは、もっと具体的に「美」に迫る。

 美しいと考えられるもの―――それは絵画や彫刻といった美術作品だったり、美的体験を伝える物語だったりする―――を具体的に挙げてゆき、そこに共通したものを見出す。すなわち、「美は変わる」ことだ。

 「美」が絶対的で不変的なものであったことは一度だってなく、それは時代や国によって、複数の異なる顔を見せてきた。これはオブジェクトが、男や女や裸体や景色といった物理的な美しさに限らず、神やイデアといった形而上的な美しさも然りだという。

 さらに、美にまつわる様々なテクストを通じて、美の中にある価値観を救い出す。「美しい」という言葉には、「優美な」あるいは「崇高な」「素晴らしい」といった形容が含まれることを指摘する。「美しいものとは、それがみられたときに喜びをあたえるもの」なのである。

 この件は、『美の歴史』を思い出させる。「完璧な美とは存在するのか?」という疑問に答えるべく、古代から現代に至る、美術作品、文学や音楽、数学や哲学や神学、天文学に至るまでを追いかけて、美の観念の変遷を渉猟した大著である。持つにも読むにもデカいので、『世界文明講義』のこの章からエッセンスを汲み取るのもいい。



醜とは何か

 あるいは、「醜」についての考察も具体的だ。

 美と同様に、醜も相対的であることは変わりないが、面白いのは醜は「美との関係性」において捉えられている点だ。醜とはすなわち、「美女と野獣」の変化形であり、いったん美の基準が定められると、ほぼ自動的に対応する醜の基準も定めるのが自然だと考えられてきたという。完全性と不完全性、秩序と秩序を壊すもの、といった風に。

 ただし、こうした相対性から離れ、美の理想にふさわしくない、という理由で醜いとされる対象もある。たとえば、アドルフ・ヒトラーが20歳のときに描いた花瓶の絵を挙げ、エーコはこれを醜いとする。


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ヒトラーが20歳のときに描いた絵(右頁)


 反感や憎悪、恐怖や不安の反応を引き出す要素があれば、それを「醜」だと定義づけることができる。美人とされる姿かたちは、時代とともに変化する。だが、美人の腐乱死体は普遍的に醜い。『美』は文化的背景の価値観を反映し、『醜』はその先にある「死」の概念をまとう。

 この辺りの考察は、『美の歴史』の姉妹本となる『醜の歴史』に詳しい。ほとんどの人が「美は文化なり」に賛同するだろうが、では醜は? と訊かれると窮するに違いない。この質問に対し、諸芸術における暗黒・怪奇・異形という観点で斬り込んだ『醜の歴史』は、『美』よりも面白いことを請け合う。『世界文明講義』から「醜」方面に手を伸ばすならこれ。



「巨人の肩に乗る小人」をひっくり返す

 あるいは、「巨人の肩」の洞察が面白い。

 先人の積み重ねた業績に基づいて新たな発見をすることを「巨人の肩に立つ」というが、これ、アイザック・ニュートンが最初だと思っていた。

 ところがエーコは、様々な文献を次々と開き、芸術と人類の歴史をたどりながら、この箴言が沢山の人びとの手から手へと渡り歩き、かたちや意味を変えながら伝わってきていることを示す。

 小人と巨人の箴言は、12世紀の哲学者・シャルトルのベルナルドゥスの言葉だとされている。だがエーコは、もっと以前の発案者に目を向ける。さらに6世紀前のカエサリアのプリスキアヌスによって語られていることを示し、さらにプリスキアヌスとベルナルドゥスの間にも、コンシュのギヨームを指摘する。

 そして、人類の知は、それを集積したメタファー「巨人」とともに、時代時代を受け継がれながら人口に膾炙する。いまでは、「先人の業績があってこそ」というニュアンスが強いが、かつては、「巨人よりも遠くまで見える」という、「肩の上に立つ小人」の方に重きを置く意味合いが強かったという。

 先人の研究は、まとまった一冊の本といった形に編纂されておらず、世界にバラバラに散らばっている。それを一つの価値体系としてまとめ、そこからさらに敷衍するということは、巨人よりもむしろ小人の方が重きを置かれるべきだろう。この、巨人と小人の逆転が面白い。

 他にも、陰謀が成功するためには、核となる秘密が完全な嘘である必要性を『フーコーの振り子』で明かしたり、嘘が歴史になるプロセスをダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』のネタバレで考察する章も面白い。シャーロック・ホームズやアンナ・カレーニナから物語を読むときの「ごっこ遊び」の可能世界論へのアプローチや、「ゴキブリの脳が進化しなかったのは、それが完全である一方、人の脳が不完全であるからこそ進化の余地がある」といった視点は、世界を新しい目で捉えることに役に立つ。

 ユーモアと皮肉を交えながら、美と醜、アフォリズムとパロディ、嘘が歴史的事実となる経緯など、エーコの思想がエーコを通して語られる。エーコ一流の箴言の宝庫であり、見たことのない絵や写真を眺めているだけでも楽しい、知の財産みたいな一冊である。

 知的冒険の一冊を、堪能すべし。

 そして、次回のスゴ本オフのテーマは「冒険」だ。本を通じて人を知り、人を介して本に出会うオフ会、それがスゴ本オフ。2/16(土)午後、渋谷でやりますぞ。概要は[スゴ本オフ「冒険」のご案内]、申し込みは[facebook:スゴ本オフ「冒険」]でどうぞ。


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