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『眼の誕生』はスゴ本

 「世界の見えかたが一変する」という意味で、目からウロコの一冊。

Menotanjou

 先入観やバイアスは、明示されるまで気づかない場合が多い。例示されて初めてハッとする。それまで、「見えている」と思っていたものが、実は「見て」すらいなかったり、「見える=存在する」という思い込みの強さに囚われていたことに気づく。


見えていない ≠ 存在しない

 わたしの「世界の見えかた」を変えたのが、爆撃機の話だ。第二次大戦中、敵機の攻撃から生還した爆撃機を調査した統計学者が、ある提言をした。それは、「被弾箇所(赤ドット)ではなく、空白部分を強化すべし」というのである。なぜなら、空白箇所に被弾した機は、そもそも生還しなかったからという理屈だ。


Wikipedia:Survivorship biasより引用

 「生存バイアス」とも呼ばれるこの理屈、ポイントは「見えている」という時点で何らかの選択がされていることだ。したがって、「むしろ見えていないものは何か?」という観点から「それはなぜか?」を考えると、問題そのものが一変する。いかに自分が「見えている」ことに囚われていたかに気づき、世界がぐるりと裏返るような目まいを生じる。


極上のミステリのようなノンフィクション

 『眼の誕生』を読んでいるときも、これと同様に、世界がぐるりと裏返る衝撃を受けた。本書のテーマは、「カンブリア紀大進化の謎を解く」である。文字通り、事実を積み上げ、ロジックを組み立て、動かぬ証拠をつきつける、極上のミステリを読まされているかのようなサイエンス・ノンフィクションである。

 「カンブリア紀大進化」は、「大爆発」とも呼ばれ、生物学史上の巨大な謎とされてきた。カンブリア紀の始まりである5億4300万年前、生物は突如、爆発的に進化したという謎である。それ以前の地層からは、ほとんどの生物は似たような姿形で、種類もたいしたことなく、さらに数もいなかった。

 それが、5億4300万年前から5億3800万年前までの間(地球史的には一瞬である)、硬い殻やトゲ、剣、鱗、歯を備えた、多種多様の生物が誕生したのである。突然、生物たちが申し合わせたかのように一斉に進化したのは、なぜか?

 その答えは、タイトルにある。『眼の誕生』こそが、進化の引き金となったというのである。犯人がタイトルに書いているようなミステリで、かつ、これほど鮮やかにガツンとやられるのは皆無にひとしい。

 つまりこうだ、光を感知するだけでなく、像として把握する「視覚」は、生物の捕食行動を促すことになるだけでなく、捕食者から逃れるための防衛機能や外部形態への淘汰圧となる。さらに視覚は、異性を惹きつけるためのディスプレイといった性淘汰にも影響する。眼はすなわち、世界を変えたのである。

 光スイッチ説という、この結論に至るまでの積み上げが凄い。生命の誕生まで遡り、光学の基礎を解説する。面白いのは、「色」を感じる仕組みにまで説明しようとすると、生物が発する色には、色素の色と構造の色があることまで理解する必要が出てくる。

 たとえば、赤色は、受けた光のうち、赤以外を吸収して、赤のみを反射するから「赤い」と知覚する。これが色素の色だ。いっぽう、鳥の羽やチョウの翅に顕著な、何色とは一概にいえず、見る角度によって様々な色になる構造色がある。化石をしらべるとき、色素は化学変化により失われる場合が多いが、構造色は残されていることがある。これを手がかりにして、「視覚」の誕生はまた「色」の誕生であることを突き止める。


動物の「視覚の進化」を見える化する

 ビジュアルテキストとして、『動物が見ている世界と進化』を併読したのだが、これが正解だった。大英自然史博物館を中心とした標本写真やグラフ、図版を元に、動物の眼はどのように進化してきたのか、色が生まれる仕組みや、色を持つことによる進化的利点が、まさに手に取るように見える。

 物理現象である「光」と、それを感受する器官、さらに内部で像を結ぶ「視覚」とし、波長による「色」を認識する一連の流れは、さらに、環境や状況に応じ、どのように適応させていったかの生物の多様な視覚器官がフルカラーで見える(お約束の昆虫の複眼の拡大写真もある)。


化石がない ≠ 存在しない

 カンブリア紀より以前、もともと生物はそこに「いた」のだ。だが、硬い殻や鋭い歯を持っていなかったため、化石として残されたものが少なかっただけなのである。眼の誕生により、食うか食われるかの環境になり、生物の大半が殻を持つようになったからこそ、あたかも多様な生物が一斉に誕生したように見えたのである。

 化石として見えるものがないからといって、存在しなかったわけではない。著者は、化石として残されていないものは、柔らかい体のほかに何が無かったか? という問いを立てたからこそ、「眼」への発想が生まれたともいえる。

 見えるものが全てではない。見えていないものから、世界の見えかたを、変えてみよう。

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コメント

はじめまして。mと申します。いつもブログを拝見させていただいています。読みたい本を探す際の参考にしてます。ありがとうございます。

さて、「眼の誕生」と関係して面白そうな本を紹介させて下さい。三浦雅士「孤独の発明 または言語の政治学」です。言語と視覚(第三者の視点の獲得)の関係性を書いたものです。

お時間あれば、ぜひお読み下さい。

投稿: m | 2019.02.05 17:38

>>m さん

教えていただき、ありがとうございます!
コミュニケーションではなく、世界をとらえるための言語という発想がユニークで面白そうですね。ぜひ読ませていただきます。

投稿: Dain | 2019.02.05 21:08

ブログを読ませていただいて、「眼の冒険」を買いました。
今回もすごい。読み応えがありました。

ところで、私からも「眼の誕生」に近いテーマのスゴ本を紹介させてください。
ハル フォスター「視覚論」とジョン・バージャー「見るということ」「イメージ―視覚とメディア」の三冊です。視覚表象文化の基本文献なのですでにご存知かもしれませんが…。

投稿: クロ | 2019.02.26 06:37

>>クロさん

ご教示ありがとうございます! どれも名前だけ知っているという程度なので、ありがたいです。

文化や歴史からアプローチした視覚論では、ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』や若桑みどり『イメージの歴史』が積読状態となっていますが、この手の議論は、文化論の亜種として面白がっています。

いっぽう、この手の議論を、器官や視覚システムから比較すると、面白そうな気がします(名づけるなら、認知視覚論でしょうか)。異なる文化で「見え方」が違う理由からスタートして、訓練や外科的処置により視覚を拡張したり変化させることが可能か、さらに異なる生物どうしで見えている世界の違いが、その行動や進化にどのような影響を与えている(与えてきた)かについて掘り下げるといった議論です。

投稿: Dain | 2019.02.28 07:35

>異なる文化で「見え方」が違う
これは、読書猿さんと山川賢一さんが推薦していた、ガイドイッチャーの言語が違えば、世界も違って見えるわけの議論ですよね。

>異なる生物どうしで見えている世界の違い
これは、ユクスキュルですよね。

ここまでの名著を踏まえて掘り下げる・・・すごい!

>認知視覚論
私の勘違いになっているかもしれませんが、
「本を読むときに何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間」が読みやすかったです。

投稿: クロ | 2019.06.13 03:10

>>クロさん

コメントありがとうございます。『言語が違えば、世界も違って見える』は文化という切り口ですが、もっと生物学寄りのアプローチでも有効そうです。ガイドイッチャー読みます!

投稿: Dain | 2019.06.14 10:58

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