高度に発達した科学は音楽と見分けがつかない『零號琴』
一気に読んだ。最初は座っていたのだが、そのうち立ち上がり、ぐるぐるして、最後は叫びっぱなしだった。
何を見ても何かを思い出す
これは、エヴァとゴレンジャーとプリキュアのパロディであり、ナウシカとシンゴジとシンフォギアのリスペクトであり、どれみとどろろとまどマギの同人であり、火の鳥と寄生獣と日本沈没のオマージュである。ただし、どれも知らなくても無問題だ(後で説明する)。
これ、好きな人ならいくらでも幻視できる怪物で、どこを読んでも、何を切り取っても、どこかで観た・読んだ過去の作品とつながり、思い出し、いま目の前で進行する美麗で壮大で禍々しくもバカバカしい物語にオーバーラップする。
拡張現実から拡張虚構へ
どっぷり漬かりながら、ふと気づく。これ、小説でARを実現した人類最初の作品ではないかと。AR、つまり拡張現実(Augmented Reality)をテーマにしたというのではなく、この怪作を読むという行為そのものが現実を拡張していることになるのでは……
つまりこうだ。物語のフレームは、曰くありげな音楽家とその助手が、とある惑星で開催される假面劇の演奏を任されるのだが、とんでもない目に遭う……という昔ながらの設定であるものの、そこで展開されるネタや物語構造、舞台設定、セリフの端々、視線の動き(カメラのパン)、見得ポーズ、小道具と大道具、そして上演される劇そのものが、未来なのに懐かしい。
こうやって書くと、劇中劇がオマージュ盛り合わせのように見えるが、違う。物語で進行する劇は既に伝説となっていて、假面をつけた観客が、現実にオーバーレイされた演出で鑑賞すると同時に、劇の登場人物の一人となる。観る者と演る者が重なり合い、劇そのものを改変し、校正し、編纂する。
同様に、わたしの中のエヴァやマギカやナウシカの経験に、この物語がオーバーレイされる。もちろん、わたしが「リアル」に経験したエヴァとは違うが、この物語の中で発掘された首のない躯体は巨神兵として重ね書きされる。
この小説を読むことは、スマホをかざして見るときだけに現れる光景を眺めるのと同じだ。『零號琴』を通して記憶をたぐるときだけに現れる、(わたしが経験した)虚構に重ね書きされた現実を味わうことになる。
『零號琴』だけで恐ろしく面白いSFだが、これを手にする者のフィクションの経験分だけ、拡張される仕掛けとなっている。
いうなれば、『零號琴』は、拡張現実(AR)というよりも、むしろ拡張虚構(Augmented Fiction)であり、スマホでありHoloLensのようなデバイスなのである。本書を顔の前にかざし、その世界に没入することで、自分が経験してきた虚構が、鏡のように映し出され、多層化され、レイヤー結合された後、上書き保存される。
知らないネタがあっても大丈夫、これ、二回目を読むと、「一周目を読んだときの経験」が今度は地の虚構現実となり、そいつに二回目の虚構が拡張現実と化す。ネタバレを知っている自分をネタとして読めるのだ。
高度に発達した科学は音楽と見分けがつかない
ストーリーの紹介は、首都全体に配置された古の巨大楽器「美玉鐘」が500年ぶりに鳴らされる……ぐらいで良いだろう。これは体験するものであるから、その作用を味わうほかない。
ただ、この「美玉鐘」を楽器とみなし、それを鳴らそうとする人々は、わたしの感覚とはずれている。それを説明するために、わたしが子どもの頃に読んだ小話をご紹介しよう。マーチン・ガードナー『aha! Gotcha』で知ったもので、もちろん『零號琴』には出てこない。
―――宇宙の彼方から、異星人がやってきた。とても発達した科学技術をもち、たいへん友好的で、地球の人々と仲良くなった。日々は過ぎ、やがて故郷に帰るときがやってきた。異星人は、地球のことを知りたがったので、地球人は、百科事典をプレゼントした。
ところが百科事典は大変重く、宇宙船には重量オーバーだった。あいにく記憶装置も満杯だ。さてどうする?
宇宙人は慌てずに、一本の棒を用意した。その棒は丈夫なもので、折れたり曲がったり歪んだりしない。そして、百科事典に書いてある、文字の一つ一つに数字を割り当てた。
a...0001
b...0002
c...0003
…
こんな感じ。アルファベットだけでなく、「+」「*」といった記号も同様に数字を割り当てた。そして、辞書に書いてある全ての文字を数字に置き換えたのだ。こんな風に。
cat → c(0003) a(0001) t(0020) → 000300010020
dog → d(0004) o(0014) g(0007) → 000400140007
文字だけでなく、記号もスペースも改行も、全部数字に置き換えると、一つの巨大な数字列ができた。
000300010020000400140007...
そして宇宙人は、数字列の先頭に一つ点を打つと、それは長大ではあるものの、有限な小数となった。
0.000300010020000400140007…
次に宇宙人は棒の長さを正確に測り、その比がちょうど小数となるようになる箇所に、印をつけた。
|―――――|――――――――――|
a b
a/b=0.000300010020000400140007…
あとはこの棒を運ぶだけ。故郷についたら、aとbの長さを測り、比を求めれば小数が復号できる。残りは百科事典を印刷する手間だけだという。
わたしは、この棒を撥として無邪気に打って鳴らしているのが、人類のように見える。高度に発達した科学は魔法と見分けがつかないとクラークは言ったが、充分に発達した科学は音楽とも見分けがつかないのかもしれぬ。
記憶にオーバーレイされた拡張虚構を堪能し、高度に発達した科学が鳴らす「音」を体感すべし。

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