『財政破綻後』という奇貨居くべし
問題は、いつ起きるかではないし、どう回避するかでもない。起きることは必然で、そのときどんな打ち手が「いま」準備できているかだ。
- だれも財政破綻を気にしていない?
- 財政破綻とは何か
- 財政破綻の始まり
- 財政破綻後の日本
- 財政破綻後にやれること
- 切りやすいところから切る
- もしもゼロから作るなら
- 生きかたを選ぶ=死にかたを選ぶ
- 財政破綻という「奇貨」
1. だれも財政破綻を気にしていない?
興味深いことに、Googleトレンドを見る限り、「財政破綻」を検索している人は過去最低ラインとなっている。問題が消え去ったわけでもなく、債務は積みあがっているにもかかわらず、財政はまだ詰んでいない。
大きく2つの波がある。リーマン・ショックを発端とした2007年の世界金融危機と、ギリシャ経済破綻が大きく報道された2010年のユーロ危機だ。順番からすると次は日本か中国か。中国がコケて日本が無償で済むはずがない。
そこで、財政破綻した「後」、日本がどうなっているか、どうすれば被害を最小限にできるのかを議論した、『財政破綻後』を読む。
2. 財政破綻とは何か
本書が優れている点は、具体的なところ。
政治家や官僚やマスコミは、口をそろえて「国民一人当たりの借金ガー」という明後日の方向か、「破綻させないための議論だから起きたときのことは議論すべきではない」といった無謬性のロジックを捏ねる(で、起きたら「想定外ガー」と来る)。
だが本書は、政策立案者の観点から具体的に議論される。たとえば、「財政破綻とは何か」という定義から入る。
最初は、投資家が日本国債を買わなくなるという事態だという。そんなことがあるだろうか? 外貨建てだと国債の償還ができなくなる→債務不履行(デフォルト)に陥るが、日本の場合は円建てが主なので、(日本銀行が買い支える限り)いくらでも借り換えができる。
しかし、これは理論上の話であり、貨幣供給が過多となった状態で引き金(景気回復によるクラウディングアウト、首都直下型地震、他国の経済破綻による連鎖)によってインフレが止まらなくなった場合を想定する。インフレを抑えようと国債の買い入れを止めれば、国債価格が暴落(≒名目金利が高騰)することになる。
ここまで想定した上で、あらためて「財政破綻とは、インフレ率または名目金利が高騰する状態」と定義する。具体的には、「緩やかな(2%以下の)インフレ率のもとで正常な(4%以下の)名目金利を維持できない状態」になる。そしてこれは、日本国債への信頼が失われればいつでも発生しうるという。
3. 財政破綻の始まり
では、財政破綻の始まりは、どのように「見える」か?
わたしたちの目に触れるのは、「国債の未達」のニュースになる。未達とは、国債が売れ残る状況であり、その分、政府は資金を確保できなくなる。結果、社会保障の給付、地方自治体への補助金が滞ることになる。
重要なのは、未達=財政破綻ではないこと。年金など特別会計にある積立金を充てることで当座はしのげるし、地方交付税の先送りで予算執行を抑制するといった手もあるという(ex : 2012.9閣議決定)。
ただし、未達のショックで国債価格が下落すると話は別だ。国債を大量に保管する金融機関のバランスシートが大きく毀損し、中小金融機関から経営破綻、取引企業が資金調達できずに連鎖倒産に至る未来が待っている。
4. 財政破綻後の日本
そして、社会保障の給付が滞ると、診療報酬・介護報酬の公費分が未収金となり、ほぼすべての病院が赤字となり、民間医療・介護団体を中心に倒産が続出するという(国公立病院は責任をとる制度が無いため、しばらくは赤字経営が続くが、時間の問題)。
そのとき何が起こるかは、旧ソ連やギリシャの現実から学ぶことが多い。財政破綻で最も深刻な影響を受けたのは医療分野だという。
ソ連が崩壊した際、透析医療がストップしたため2か月で人工透析患者のほとんどが死亡した。ギリシャでは国立病院の予算が半減し、医師、看護師、医療品が極端に不足し、まともな医療を受けるためには賄賂を使う必要が出ているという。
本書では「国民の25%にあたる250万人が失業、無保険者になる」と留めているが、治安の悪化も深刻化していることは想像に難くない。日本がそうなるかどうかは神のみぞ知るが、経済規模の大きい分、さらに大きなインパクトが生じるだろう。
未来予想図としては、2007年に人口1万3000人、380億円の借金を抱えて破綻した北海道夕張市が挙げられる。現在、国と北海道の管理の下、財政再建計画が実行されている。
そこでは、職員は半減・給与30%カットされ、市立病院や小中学校は縮小・削減し、所得税、固定資産税、住民税は増税(軽自動車税は他の1.5倍)という状況だ。見切りをつけて引っ越しする人もいる。国の財政破綻とは、究極的には国民自身の生活の破綻なのだ。
人口で見るなら、この1000倍が起きるのだ(ただし、引っ越し先は国外になる)。
5. 財政破綻後にやれること
時間的余裕がないなかで、政府の選択肢は限られる。
歳出の執行停止、先送りなど止血処置や、大幅な増税、大幅な歳出削減など、すでに何度も議論されており、未だ決着のつかない施策が挙げられる。本書は、対策を遅らせないよう、何を残し、何をカットするのかをあらかじめ決めておくこと(財政破綻のトリアージ)を提言する。
守るべきものとして、必要最小限の防衛費、治安維持のための警察費、災害救助費
医療では、救急、周産期医療、透析、未来への投資として、義務教育、保育園を挙げる。
そして、政府・議員がずっと目をそらし続けてきた、国家予算の30兆円を占める社会保障に手を付けざるを得なくなる。そのとき、何が起きるか?
6. 切りやすいところから切る
おそらく、ヒステリックになった国民(の一部?)が、公務員の給料を減らせと言いだすだろうが、全部あわせても5兆円。もちろん、公務員や議員の給与・歳費カットもあるだろうが、実際の貢献よりも、「政府は本気だ」というシグナルとしてあげられる。
そして、大増税と併せて「切りやすいところから切る」ロジックを予想する。すなわち、政治的弱者(若者、子育て世代)から切り捨てるロジックである。
たとえば、東日本大震災時は、「子ども手当」がバラマキであると見なされ、歳出削減の対象として槍玉に挙げられた。バラマキは子ども手当に限ったことではなく、国から地方への補助金、医療・介護を含む社会保障サービス、公共事業にも残っていたが、なぜ子ども手当が狙い撃ちされたのか?
本書では、純粋な政治力学が働いたという。子育て世代は(ニーズが分散するため)政治力が相対的に弱い。結果、医療や介護へのニーズに集約され票を多く持つ高齢者世代から見た、「切りやすいところ」になる。
反対に、高齢者世代にとって不利益になるような年金・医療・介護に手を付けようとすると、猛反発を食らうことは必至である(高齢者世代を顧客とする新聞とテレビが音頭取ってキャンペーンを張るだろう)。「民意(いま生きている有権者)」の多数は誰かと考えれば、シルバー民主主義がまかり通る。ここでも老人栄えて国滅ぶ未来が待っている。
7. もしもゼロから作るなら
これは、通常の民主主義で解決することができない。どうすればよいか?
本書では、仮想的な未来世代を代弁する組織をつくり、将来生まれてくる日本人の利益を代表する提言をしている。本書にはないが、一人一票ではなく、子どもの数だけ親が投票できる制度も検討されるべきだろう。ただし、これらもシルバー民主主義の「民意」に圧殺されることが予想される。
そして、日本経済が焼け野原になった後、制度設計をゼロスタートするならばという前提で、それに向けた準備を提言する。これまで改革を阻んできた既得権益者たちが消えたという世界である。
具体的にはこうだ。
- 医療・介護サービスの配給制
- 企業の組合健保を解散して都道府県単位で協会健保、国保と合併
- 患者負担割合を年齢に関係なく原則3割
- 国公立病院、大学附属病院を広域単位で強制合併
そして、公的医療制度の二階建てを提言する。すなわち、有効性が認められた医療すべてを保険の給付対象とするのではなく、費用対効果を精査し、基本分(皆保障)+オプション化することで、給付と負担のバランスを段階的にするのだ。その上で、国民自身に「生き方(裏返せば死に方)」を選んでもらうのである。
8. 生きかたを選ぶ=死にかたを選ぶ
つまりこうだ。ある年齢に達した時に、延命医療のレベルをどうするか、国民一人ひとりに選択させて、その後支払う保険料に差を設けるのである。
死ぬ間際の数週間を、(どういう状態かは想像したくないが)最低限心臓だけを動かしている状態にするために行われる「医療」行為を、まだ元気なうちにするかしないか、選んでもらうのである。
現在では、アリバイ作りのように湯水のごとく医療費が注ぎ込まれている(延命医療に生涯医療費の3割を注ぎ込んでいる例もあるという)。本書では医療費に焦点が当てられているが、[敬老の日なので、長生きについて考えて欲しい]を読むと、「長生き」とは単に長く生きることなのか? と疑問が湧き上がる。
生きるのがままならないなら、せめて、死ぬときくらいは選ばせてほしい。マスコミにより、「安楽死」が酷く叩かれた時期があったが、死を選ぶというよりも、自分で生きるのが困難になったなら―――その基準は人によるだろう―――むりやり生かすのではなく、自然に任せてほしい。生あるものはみな死ぬのに、死ぬのがこれほど困難な時代にいる。これが変わるために、社会保障制度を焼け野原にしなくてもいいのでは、と思えてくる。
9. 財政破綻という「奇貨」
ただし、完全なガラガラポンは難しいと考える。社会保障制度は、一部が崩れ、一部は形を変えたり輸血で生き残るのではないだろうか。
つまりこうだ、年金基金などプールから汲みだしているものは、積立金を取り崩して生き永らえるだろうが、診療報酬・介護報酬のようなサイクルの中で回しているものは、破綻は輸血停止を意味し、民間医療・介護事業体は壊死する。
そのため、完全な崩壊から大ナタを振るう形ではなく、弥縫的に(泥縄的に?)あっちを立てたり、こっちを変えたりツギハギしながら立ち上がろうとするだろう(前述の透析医療関連への保障は、最速で立法化が求められる)。
そして、本書で提言されている制度の再建が達成されるとするなら、いま多数を占めている高齢者がいなくなる2050年頃となるだろう。いまの高齢者を変えるのは難しいが、これから高齢者になる人たちは、いまの高齢者を見ている。そこから学ぶのか、真似るのか、選ぶことができる。
いつ起きるか・どう回避するかではなく、必ず起きる財政破綻を奇貨と居けるかどうかは、「いま」に懸かっている。


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コメント
>大きく2つの波がある。リーマン・ショックを発端とした2007年の世界金融危機と、ギリシャ経済破綻が大きく報道された2010年のユーロ危機だ。順番からすると次は日本か中国か。中国がコケて日本が無償で済むはずがない。
この部分ですが、海外発からの不況の波は、日本では大抵そのままデフレ型不況という形で影響することになりました。これは円キャリートレードの存在と成長を外需に依存する脆弱な経済状況が主因なのですが、いずれにせよ、リーマンショック時に実際に起きたのが不況激化と国債金利の低下(上昇ではなく)だったのに、今後はその逆が起こると予想する論拠に欠いているように見えます。
>ここまで想定した上で、あらためて「財政破綻とは、インフレ率または名目金利が高騰する状態」と定義する。
これ自体は極めて妥当な定義です。私も拙記事「財政破綻の再定義」https://ameblo.jp/nakedcds/entry-12196890756.htmlでほぼ同様の定義をまとめました。
しかしながら、
>そしてこれは、日本国債への信頼が失われればいつでも発生しうるという。
経済学者らのこの主張は極めて不合理です。財政指標が極めて悪い状況は20年以上続いていたのに、一向にインフレが起きそうな気配がない(むしろデフレ・ディスインフレ型の不況が強固に継続している)ということを全く説明できていないからです。
ここで、拙note「なぜ日本は財政破綻しないのか」の無料部分を引用してみます。
―――――――――――――――――
「著書や研究報告という明確な形でもなくても、新聞・テレビ・雑誌などのメディアの中で、多くの方が「財政破綻」「財政危機」の言説を長らく目にしてきたはずです。
しかしながら、すでにこのnoteを書いている時点で、日本は2017年半ばを迎えているわけです。
事ここに至っては、「いつ財政破綻するのだろう?」と怯えるのは周回遅れ過ぎます。その時期はとうに過ぎたのです。
「一体いつ破綻するんだよ?」と憤るのもいささか反応として遅すぎます。
「なぜ日本は財政破綻しないのだろう?」……これが我々が抱くべき正当な疑問だと思われます。
―――――――――――――――――――――
経済学者らは、「市場は気まぐれ」といった回答にもなっていない回答で、この正当な疑問への回答を回避し続けてきました。(ちなみに、正しい回答は簡単です。現在の(累積)財政赤字の水準が、高インフレを齎すほど過大であるという主張がそもそも嘘だということです。)
>わたしたちの目に触れるのは、「国債の未達」のニュースになる。未達とは、国債が売れ残る状況であり、その分、政府は資金を確保できなくなる。
この記述にはいくつかのミスリードがあります。
一つは、国債の未達は既に度々起こっているという事です。尤も、経済学者らや記事主さんが予想するような形ではありません。金利低下局面(≡国債価格上昇局面)において、国債発行者が価格をオーバーシュートしすぎて、それではさすがに買い手がつかなかった、という形での国債未達です(小泉政権期に置きました)。このときは、発行価格(発行金利)を“微調整”するだけで事なきを得ました。財政支出を弄る必要は全くなかったのです。
財政支出を弄る必要があるとしたら、よほどの低価格でも買い手がつかないという危機的ケース(国債価格暴落ケース)ということになりますが、それを座して許すはずのない主体があります。中央銀行です。中央銀行は、財政履行を含めた経済全体の決済の安定化のために金融調節を行っています。具体的なところは拙note「中央銀行の存在意義と機能限界」https://note.mu/motidukinoyoru/n/n3d0f6613440eに詳しく書いたのですが、簡単に言えば、国債発行や徴税といったベースマネー需要が増加する財政取引の場合、中央銀行は(短期金利の安定のために)先んじて流動性を供給するわけです。(そうしなければ、裁定取引的に短期金利が上昇してしまうため。中央銀行は短期金利を特定の水準に誘導するために一部の国債をベースマネーに変換する部署ですから)
中央銀行の実際の業態を無視して、国債の価格暴落がさも眼前に迫っているかのような欺瞞を書き散らす経済学者の所業は本当にあきれるばかりです。
繰り返しになりますが、そもそも、現行の経済状況において、財政支出が過大だという想定自体が完全に誤りです。それはなぜかと言うと、端的に言えば、インフレが起こる気配が全くないからです。財政支出が過大だとすれば、その時点でインフレが起きていなくてはなりません。経済学者は、財政支出が過大であると言い募りながら、インフレが起きない理由をほとんどまともに説明できていません。
財政支出が過大であり、遠からず高インフレが起きて、支出カットを迫られるという想定自体が間違いですので、記事主さんが後半に議論しておられる財政トリアージの話や、社会保障改革の話は、大変残念なことに全くの無駄話だということになります。
投稿: 望月夜 | 2018.10.09 07:18
拙note「なぜ日本は財政破綻しないのか」のURLを貼り忘れていたので、無料部分全文を併せて貼りなおします。すみません。
→ 「なぜ日本は財政破綻しないのか」https://note.mu/motidukinoyoru/n/nc9c0daaa8e1a
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「日本財政破綻論」は現代日本で極めて根強い風説です。
経済評論家の多くが、多少の違いはあれど日本財政破綻論を唱えています。
代表的な存在として浅井隆がいますが、彼は早くも1996年に「97年の逆襲 国家破産か、超食糧危機か」という著作を上梓しています。他にも、2000年に著した「2003年、日本国破産 警告編」、2005年に著した「小泉首相が死んでも本当の事を言わない理由」、2010年に著した「2014年日本国破産 警告編」などで繰り返し財政破綻論を喧伝しています。
他には藤巻健史(2010年著「日本破綻 「株・債券・円」のトリプル安が襲う」など)、朝倉慶(2011年著「2012年、日本経済は大崩壊する!」など)、小宮一慶(2010年著「日本経済 このままでは預金封鎖になってしまう」など)といった経済評論家が財政破綻論の旗振り役として挙げられます。
財政破綻論を吹聴しているのは経済評論家だけではありません。
2010年著「日本経済「余命3年」 <徹底討論>財政危機をどう乗り越えるか 」では、経済学者(とされている人々)である竹中平蔵、池田信夫、土居丈朗、鈴木亘が財政危機を主張しています。(他にも、代表的な破綻論経済学者としては小黒一正が挙げられます)
加えて、2012年には東京大学の経済学者を中心として『「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会』が立ち上げられています。当研究会の報告が2014年でストップしていることは兎も角としても、経済学者の少なくない(あるいは大多数の)層で財政破綻が予想されていることは間違いないと思います。
著書や研究報告という明確な形でもなくても、新聞・テレビ・雑誌などのメディアの中で、多くの方が「財政破綻」「財政危機」の言説を長らく目にしてきたはずです。
しかしながら、すでにこのnoteを書いている時点で、日本は2017年半ばを迎えているわけです。
事ここに至っては、「いつ財政破綻するのだろう?」と怯えるのは周回遅れ過ぎます。その時期はとうに過ぎたのです。
「一体いつ破綻するんだよ?」と憤るのもいささか反応として遅すぎます。
「なぜ日本は財政破綻しないのだろう?」……これが我々が抱くべき正当な疑問だと思われます。
この当然の疑問に行き着いた人々のために、現時点での回答をコラムとして著したいと思います。
―――――――――――――――――――
投稿: 望月夜 | 2018.10.09 07:21
>>望月夜さん
丁寧なご説明ありがとうございます。望月夜さんのほうが大変詳しい方なので、勉強になります。個々にご指摘いただいた点については、引用されたブログやnoteを参照しながら、確認していきます。
財政悪化が20年以上も続き、「財政破綻するぞするぞ」という警告は、新聞を中心に目にする機会が多いですが、「破綻した」というアナウンスを耳にしません。これは、望月夜さんが主張する、何らかの誤りがあるのか、それとも「まだ」起きていないのかのいずれかだと考えます(※)。
その「何らかの誤り」の是非については大変勉強になるのですが、財政破綻が20年起きなかったから、21年目も起きない理由にはならないと考えます。
そして、起きたときは、わたしたちにとって「想定外の」事象や契機が直接的な原因となるだろうし、被害が甚大であればあるほど、経済学者は「ザイセイ・ハタン」という言葉を使わず、「ブラック・スワン」みたいな新しい名前をつけて、教科書に書きこむでしょう。
どんな名前になるのかは未来の学者に任せるとして、起きた「後」を考えて、できる準備をしておきましょうというのが、本書の趣旨であり、この記事で伝えたいことです。
※もちろん、わたしの仮定が間違っており、財政破綻は、今後50年、100年、絶対確実に起きないこともありえます。それはそれでよかったねという話ですが、全電源が喪失することよりも、ありうる話として、準備だけはしておきたいです。
投稿: Dain | 2018.10.09 20:48
>起きた「後」を考えて、できる準備をしておきましょう
もちろん、起き得る事態を想定して用意するというのは重要なことです。
しかしながら、「空が落ちてくる」という類の見当違いな危機感(杞憂の語源ですね)を持っていると、却って足元の問題に対応できないわけです。
私のnoteでは、実際にありえる(過去にあった)”財政破綻”のパターンについても考察しています。こうした『現実的な』パターンを想定し、それに備えるべきなのです。
もし現代日本に「財政危機」と呼べるものがあるとすれば、それは大衆が『財政が早晩破綻するに違いない!!』という無根拠な妄想に取りつかれることによって、各種投資(教育、インフラ、技術開発etc)が滞り、経済停滞に陥るという意味での、即ち「妄想による自滅」という形での危機であると言えるでしょう。
投稿: 望月夜 | 2018.10.10 08:58
>>望月夜さん
ありがとうございます。望月夜さんほど経済に詳しくないわたしですが、杞憂については、奇しくも意見が一致しそうです。なぜなら杞憂の語源は、「空が落ちてくる」だけでなく、「大地が崩れ落ちる」ことも心配した話ですので、足元の問題でもありますから。
日本経済や財政問題については、まだまだ勉強中のため、望月夜さんのnoteから学ばせていただくつもりです。ですが、不思議に思っていることがあります。
それは、「確信」です。
過去にあった”財政破綻”のパターンが、『現実的な』パターンであり、実際にありえるパターンであることは、その通りだと思います。ですが、過去にあったパターン「だけ」が全てであり、それ以外のパターンが、今後10年、100年、絶対に起きないと、なぜ確信を持って言えるのかが、不思議なのです。
おそらく、上述の、「過去にあった」、「『現実的な』」、「実際にありえる」パターンは、何らかの前提の上に成り立っている議論だからだと見ています。そして、その前提が崩れるようなことがあった場合、「大地が崩れ落ちる」パターンが、『現実的な』ものとなるでしょう。さらに、その前提を崩す直接的な原因が、現時点で思いつかなかった場合、人はそれを「想定外」と呼ぶのだと思います。
そうした、「何らかの前提」は、経済を学ぶうえで大変勉強になります。ですが、「それが全てだ」と確信を持ってしまうのであれば、「”空が落ちてくる”が杞憂の全てだ」と確信を持ってしまうことと同じくらい、危ういことだと思えるのです。
投稿: Dain | 2018.10.11 07:45
>それ以外のパターンが、今後10年、100年、絶対に起きないと、なぜ確信を持って言えるのかが、不思議なのです。
だとすれば、「それ以外のパターン」というのが一体何なのかを説得的に論じることが出来ないと、議論自体が意味のないものになってきてしまいますね。
ちなみに、経済学者の皆さんがなぜ「現在の財政赤字は疑いなく過剰であり」、「いつ高インフレが訪れてもおかしくない」と信ずるのかについては(そしてその信仰の誤りについても)、『経済学的財政破綻論の批判的検討』 https://note.mu/motidukinoyoru/n/n06e8e487fde4 で詳しく論じたことがあります。キーワードは「横断性条件」、そしてその”破れ”です。
経済学者の皆さん的には、起こるかどうかわからない不定形の不安という形で財政破綻論を考えているわけではなくて、彼らなりのしっかりしたロジックがあるのです。(まあ間違いなのですが……・)
その意味で、Dainさんと引用されている著書の著者たちとの間には少なからぬ温度差がありそうです。
投稿: 望月夜 | 2018.10.11 11:17
>>望月夜さん
note「なぜ日本は財政破綻しないのか?」を読みました。
財政における国債の位置付けについて、たいへん勉強になりました。分かりやすくまとめていただき、ありがとうございます。
ただ、表題の問いかけについて、説得的に論じているかというと、わたしが期待したものではありませんでした。「なぜ財政破綻しないのか?」について、noteの答えをまとめると、こうです。
1.ある財政破綻論者の主張に反論できる
2.破綻したあるパターン(外貨建て債務)に当てはまらない
3.高インフレが生じるほど国債を発行していない
1と2は勉強になりますが、現在世の中にある破綻パターンを網羅しているかどうか、わたしには分かりません。
わたしの不勉強により、すでに世の中にあるかもしれませんが、「人口減少により、国債の需要が減る」ことや、「災害の影響で地方債の償還が滞り、政府に皺寄せが集中する」原因による破綻シナリオは、検討に値すると考えます。
気になったのが3です。
財政破綻とは「インフレ率または名目金利が高騰する状態」という定義について、ご同意いただけました。そして、これに照らし合わせると、3は、「まだ破綻するインフレが生じるほど国債を発行していない」になります。
つまり、財政破綻しない理由は、「まだインフレになっていないから破綻しない」→「まだ財政破綻していないから破綻しない」という同義反復に陥ってしまうのではないかと考えます。
コジツケた言い方をしましたが、最初にわたしが心配した、「財政破綻が20年起きなかったから、21年目も起きない」に陥っているのだとしたら、危ういな、と思うのです。
1と2については、また勉強させていただきます。ありがとうございます。noteの執筆、頑張って下さい。
投稿: Dain | 2018.10.11 22:03
①「人口減少により、国債の需要が減る」こと
人口と国債消化は無関係です。もっと厳密に言うと、国債はあくまで通貨との交換物である、つまり、国債を売るということは通貨を買うということと同義であり、国債需要と通貨需要は常に表裏一体なので、人口ではなく国債と通貨のバランス、及び各主体の”通貨”需要こそが重要になってくるのです。
もっとややこしい話をしますと、実は中央銀行というのは、国債の売買を通じて、通貨の”価格”(≡通貨を融通する金利)を調節する部門です。要するに、中央銀行がある一定の金利(政策金利)に誘導するという事は、国債を一定価格に誘導することと全く同じことなのです。(ここらへんの詳しい話は、『中央銀行の存在意義と機能限界』 https://note.mu/motidukinoyoru/n/n3d0f6613440e に平易にまとめました)
要点をまとめると、国債が相対的に需要過少になるということは、通貨政策をまともにする限りにおいてはないですし、そもそも国債は、上記の話を見て薄々感じる通り、純粋な資金調達手段ではなくて、中央銀行が短期金利を誘導するために財務省が用意する金融政策手段として存在しているのです。したがって、まともな金融財政政策が行われる限り、人口それ自体が原因で国債需要が変動するということはないです。
(この話は、どちらかというと拙ブログ記事『中央銀行システムにおける”レガシー”としての国債、そしてOMFへ』 https://ameblo.jp/nakedcds/entry-12388077684.html の方が論点に近いかもしれません)
>「災害の影響で地方債の償還が滞り、政府に皺寄せが集中する」
この場合も、地方債の償還を政府が何らかの形で手助けすれば良いだけの話です。
ややこしいのは、地方債と国債は根本的に別物だということです。国債は、既に述べた通り、準備預金の価格(≡短期金利)を調節するためだけに存在する単なる金融調節手段に過ぎないのですが、地方債はどちらかというと普通の企業の債券に近いのです。ですから、地方債は何のバックアップもなければ普通にデフォルトはあり得ます。この意味で地方財政と国家財政というのは根本的に別物なのです。この構図に近いのが、ユーロゾーンとギリシャの関係、日本政府と夕張市の関係ですね。ギリシャは事実上の財政破綻状態なのに、それより(債務残高GDP比の面で)圧倒的に悪い日本政府がなぜ財政破綻状態にならないのか、という点に繋がってきます。
>「まだインフレになっていないから破綻しない」→「まだ財政破綻していないから破綻しない」という同義反復に陥ってしまうのではないかと考えます。
破綻とインフレを変に区別しようとするからおかしくなっているように見えます。
もっと言うと、自国通貨建て国債に関しては、「財政破綻」というのは”虚偽の問題設定”で、”実際に存在する問題”は”インフレ”なんですよ。
自国通貨建て国債における『財政破綻』 ≡ インフレ というわけです。本当は、財政破綻と呼んでしまうと、外債デフォルトなどの話が混じってきてややこしいから避けるべきなんですよね……。
で、話を戻すと、「本当の問題はインフレなんだから、インフレにフォーカスして考えよう」という話になるわけです。要するに、「過剰なデマンドプルインフレーションにならないように金融財政運営しましょうね」で良いじゃないか、という話になるわけです。
この点でいけば、日本財政には”自国通貨建て国債における『財政破綻』 ≡ インフレ”の面において、「何の問題もない」ということが明らかなわけです。
むしろ、インフレ率が低すぎる≡総需要が弱すぎるという問題は、逆方向の問題を示唆します。つまり、日本の財政規模が小さすぎることによって、日本経済全体が総需要不足に陥っており、本来可能な経済生産が抑制されてしまっている、という全く反対の問題がマクロ指標で浮彫になっているのです。
投稿: 望月夜 | 2018.10.12 11:21
人口減少の話が出てきたので、余談になりますが、ちょっとした不況理論概説を。
人口減少などによって将来的な成長低下が予想される場合、デマンドプルインフレなどとは全く逆の、デフレ-ディスインフレ型の不況が訪れるのである、という経済動態を理論化したのがクルーグマンとエガートソンです。
詳しい話はテクニカルになりすぎるのですが、拙note『なぜ異次元緩和は失敗に終わったのか』 https://note.mu/motidukinoyoru/n/nc33ada6f4907 において、可能な限り平易に説明しました。
あっさり要点を言えば、将来的な成長低下予想は、各人の貯蓄志向を強化し、現時点において不況を齎すという構造です。
こうして起こる不況を解消する方法として、最も確実なものは、財政出動による総需要補正だとされています。
極めてパラドキシカルなのでなかなか受け入れ難い論理的帰結だと思いますが、人口減少等で将来的に成長低下圧力がかかる場合は、むしろ不況回避のために財政拡大が必要不可欠となるという経済動態上の要請があるのです。
投稿: 望月夜 | 2018.10.12 11:56
>>望月夜さん
詳細な説明、ありがとうございます。個々の用語や理論は分かるのですが、それがなぜ、現実においても絶対確実にその通りになると「確信」をもって言えるのか、やはり理解できませんでした。残念ですが、「財政破綻は絶対に起きない」ことを信じられるようになるためには、まだまだ勉強が足りなさそうですね。
経済学を学べば、現実はその通りになると確信をもてるのであれば、それはとても幸せなことなのかもしれません。
noteの執筆、がんばってください。ご多幸をお祈りしております。
投稿: Dain | 2018.10.13 07:58
最後にこれだけは繰り返しておきます。
経済学者の皆々様は、Dainさんのような「漠然とした財政への不安」を持っているわけではなく、彼らなりの間違った論理によって、財政破綻待ったなしという誤った結論を確信的に導いているのです。
そして、そうした見当違いの結論に対して同調的な経済学者、エコノミスト、政治家などのうちの一部は、Dainさんのような、特に根拠があるわけではない漠然とした不安を抱えている人を、無責任に煽る傾向にあるわけです。
こうした、「漠然とした不安」を煽って国民に実害を与えるという活動は、財政破綻デマ以外にも、放射線デマや反ワクチン活動みたいに、極めてよくある構図です。
このような各種”被害”が、可能な限り抑制される社会を志向したいものです。
投稿: 望月夜 | 2018.10.14 07:17
>>望月夜さん
アドバイスありがとうございます。
わたしが「漠然とした不安」を抱えているとするならば、それは望月夜さんが抱いている「確信」にあります。経済学を学ばれたことは分かるのですが、現実がその理論の通りになると確信を持って言えることに、漠然とした不安を抱いています。
これを解消するためにも、もっと経済学を学びます。まずは積読山に刺さっている『クルーグマン国際経済学 理論と政策』を読みます。
これは原書10版の翻訳ですが、現実に合わせて10回改版してきた結果です。わたしは、現実は必ずしも教科書通りにならないという姿勢で、経済学と付き合っていくつもりです。
noteの執筆、がんばってください。ご健勝をお祈りしております。
投稿: Dain | 2018.10.14 09:19
いやぁ~、とっても真摯に向き合った面白い議論でした。
経済学に関してずぶの素人ですが、Dainさんの疑問の「「漠然とした不安」を抱えているとするならば、それは望月夜さんが抱いている「確信」にある」とのことですが、それは同時に、既存の経済学者が主張する「これ以上の国債発行を行えば、財政破綻する」との「確信」への不安も必要なのかなぁ。
「人口減少などによって将来的な成長低下が予想される場合、デマンドプルインフレなどとは全く逆の、デフレ-ディスインフレ型の不況が訪れるのである」が実態のような気がするのですが・・・
最近MMT(現代金融?・貨幣?理論)の登場をによって、経済学の本流が望月夜さんの主張の変わりつつあると感じるのですが・・・
自国通貨建て国債のデフォルトで、望月夜さんの存在をたった今、知って、検索していたら当ブログを見させて頂いた者です。
とてもためになりました。ありがとうございます。
投稿: ミスミス | 2019.04.27 11:40
>>ミスミスさん
コメントありがとうございます。経済学を(古典から現代に向かって)学ぶほど、現象の説明を後追いでしているだけのような印象が強まります。そして、新しいこと、想定外の事象が発生すると、新たな用語や方程式やパラメータ改変をしているように見えるのです。
「未来は確実ではない」という前提すら共有できないのであれば、その「経済学」は、わたしの学んでいるものとは異なるような気がします。
投稿: Dain | 2019.04.27 22:08