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「見る」をアップデートする『名画読解』

 マルセル・プルーストの「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ」を実現する一冊。これを読むことは、新しい目を手に入れる旅といっていい。

 きっかけはこのツイート。

読書猿先生が紹介した『名画読解』はdainさんで言うスゴ本なり(私見)。dainさんの書評で、新しい目を提供するのがスゴ本だと言っていたが、この本は身体としての眼そのものが変わる実感を得られた。世界の解像度が上がって見えるので是非読んでほしい。教養(雑学)の美術ではなく、観察としての美術

ぶんもう (@sikoubox2357)
あと観察力をガチに高めるなら、FBIやCIA、ニューヨーク市警、ロンドン警視庁でも採用されている(セミナーをやってる人が書いている)『観察力を磨く 名画読解』をどうぞ。

読書猿(@kurubushi_rm)

 これは期待! とワクワクしながら読んだら、それ以上にスゴかった。読む「目」が更新されるのだ。外界の光学的情報を映すハードウェアとしての「目」は変わらないが、そのソフトウェアがアップデートされるようなもの。まぎれもなく、「世界の解像度が上がって見える」。ぶんもうさん、読書猿さん、ありがとうございます。

Meigadokkai

「見える」と「見る」の違い

 「見える」と「見る」は違う。目に入ってくるものを漫然と眺めていることと、能動的に目を凝らして観察するぐらい違う。しかし、どうすれば両者を効率的に切り替えられるのか、分からない。さらに、細部に集中するあまり、最も重要なものを見落としたりする。目に入っていながら「見て」いなかったことを思い知る。

 「見る」はトレーニングにより向上する。あまりに基本的すぎるため、これに気付かない人が多い(というか、わたし自身がそうだった)。そんなわたしは、本書が示す、まず「脳のオートパイロットを切る」から実行した。

 視覚から入ってくる情報はあまりに多い。街の雑踏に立つとき、膨大な色彩や光源、道路や建物の様々な形、歩く人と走る車が、いちどきに目に入ってくる。これらすべてに等しく注意を向けて処理はできない。

脳のオートパイロットを切る

 だから「歩く」とか「道を渡る」に必要な情報を脳が取捨選択する。もっと言うと、「注意する」以前の段階で処理されているという(これが脳のオートパイロットだ)。網膜は視覚情報を受け取るだけの器官ではなく、神経組織から成る脳の一部であり、そこで注意の前処理がなされている。つまり、「人は目で見るというよりも脳で見ている」というのだ。

 この構造を意識して、「見える」ものを「見る」に切り替える。目に入ってくる一つ一つを吟味して、それが何であり、いつどこで起きたか、誰がどのようにしているかを分析する。これ、街中でやるとかなり危険だ。情報量が多すぎて、一歩も動けないだろうし、分析したものが正しいか確かめるのも一苦労だ。

なぜアートなのか?

 そこで、アートが登場する。アートとは何か? 「アートとは、途方もない量の経験と情報の蓄積」だという。絵画であれ彫刻であれ、モチーフが誰か(あるいは何か)、いつ、どこで起きた出来事で、なぜそのポーズをしているのか、予め分かっている。つまり、アートには答えがある。

 さらに、アートは観察者の感情とは独立して、そこに存在する。嫌いな、不快なモチーフだからといって、それを見なかったことにはできない。同様に、自分の好悪とは無関係に、対処が必要な現実の問題は存在する。嫌いだから無かったことにはできない。感情を切り離して対処する上で、アートは現実と同じように向き合うことができる、格好の材料となる。

 アートは、観察力、分析力、コミュニケーション力を鍛えるのに必要なすべてを備えているという。美術作品を見て、そこで何が起きているのかを説明する能力は、会議でも、教室でも、犯罪現場でも、工場でも、あらゆる局面で役立つというのである。

「見る」の実践

 では、アートを用いてどのように「見る」のか。美術作品の場合、「鑑賞する」というほうが適切だが、本書では、「観察する」さらには「観照する」に近いトレーニングになる。

 エッセンスをまとめると以下の通り。

  • 自分の感情をいったん脇に置き、対象と向き合う
  • そこに描かれているものを一つ一つ取り上げ、分析する
  • 重要なものから優先順位をつけ、どんなに当たり前に思えても全て言葉にする
  • 認知を歪めるバイアスを意識して、人に伝える上では客観的事実に限定する
  • 逆に人の意見を元に、対象に再び向き合って、認識が変わる点がないか確認する
  • 集中力は途切れやすいから、必ず休憩を入れる。

 あたりまえじゃん、というツッコミ歓迎。やってみるとすぐ分かるが、その「あたりまえ」ができていない。たとえば、重要なものを見落とす。快不快に左右される判断や、偏見に歪んだ判断を下す。決定的なものを伝えない。事前情報に左右される/耳を貸さない。

 目の前にある、動かないアートであるにもかかわらず、そうした罠のいちいちに引っかかって、自分がいかに「見えていながら見ていなかった」ことを思い知る。自分がいかに「見て」いなかったかを知るためだけでも、本書は有用である

百聞一見、youtubeに如かず

 本書のエッセンスは、わずか50分の動画で知ることができる。著者エイミー・ハーマンがGoogleで講演したものである。タイトルもずばり「Visual Intelligence」。

かなり早口の英語だけど、字幕が出るのがありがたい。本書には出てこないアートが紹介されており、本を読んだ人がこれを観ると、より理解が深まるだろう。

トラブルの渦中で「見る」べきもの

 本書で得られた「見る」能力は、あらゆる現場で役に立つ。著者は、FBIやCIAやNAVY Seals 、警察組織などで講演していることがその証左であり、そのフィードバックも本書で紹介されている。「見る」ことが、それこそ死活問題となるような現場である。

 本書で「グレーエリア」と呼ばれている緊急かつ重要な状況下では、「見る」優先があるという。トラブルが起きていることは分かるが、その規模や発生個所、理由、影響、いつどのように起きたのか、断片的にしか分からない。大規模な事故や災害の現場、ゴシップの炎上などがそう。このとき、「見る」優先度はどこになるか?

 グレーエリアにいる人は、感情的になり、パニックに陥りやすい。何が起きているのかよく分かっていないため、どうしていいか判断できない。そして、往々にして、渦中の人はこの言葉を口にする「いったいぜんたい、なぜこんなことになったのか!」と。

 そして、まさにこの「なぜ」が、最低の優先度だという。いつ、どこで、誰が(何を)、どのようには、「見る」べきものであり、「なぜ」は後回しにせよという。なぜか?

 それは、「なぜ」は分からなくても対処できるから。直接的な原因から発生する影響を回避・解除すれば、当面の問題は解決する。直接的な原因を引き起こした「なぜ」は解決した後であっても、分からない場合が多い。大騒ぎの中で「なぜ」を特定したとしても、それは断片的な情報から憶測で引き出した「原因」であり、感情や偏見のバイアスにかかっている場合が多い(しかも拡散しやすい)。

 そして、バイアスのかかった「原因」は、さらに人々の感情を煽り、問題解決のための「見る」をさらに歪めることになる。従って、手に入らない答えを探して時間を費やすより、今ある情報を「見ろ」というのである。

 この指摘は、ものすごく正しい。長いことシステム屋をやってきて、システムがコア吐いて死んだとき、プロジェクトが炎上してPMが逃亡したとき、偉い人は必ずといっていいほど、「いったいぜんたい、なぜこんなことになったのか!」と叫ぶが、この質問に答えるのは最後にするべきである。

 起きた事実だけを淡々と収集・分析するとともに、そこから発生・派生する影響を調べ、波及しないよう、沈静化するよう手を打つ。分析プロセスと沈静化プロセスは担当を別にして(でないとパニックになる)、間にホワイトボードを置く。そこに書かれる情報は、事実と推測を明確に分けるルールを設ける。わたしが血まみれになって学んだ経験が、本書できっちりノウハウ化されている。

おわりに

 タイトルは『名画読解』だが、名画の見方みたいな話は出てこない。あくまで観察のためのトレーニングツールである。読むことで目が更新され、新しい「目」が得られる。ぶんもうさん、読書猿さん、素晴らしい本を紹介していただき、あらためて感謝します。

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