子どもの目に触れさせないようにしていた作品
結論から言う、見せたいものは隠せ。
子どもは、親の言うことなんて聞かない。これには「絶対」をつけてもいい。幼少ならともかく、成長につれて親の言うことには、反発する・無視する・聞き流す。
ただし、親の「する」ことはマネする。ここテストに出るところ。子どもは、親の「言う」ことは聞かないが、親の「する」ことはマネをする。
だから、親が「これ、好きになってほしいな」と思うものは、そのまま言っても聞かない。反対に、親が好きな「これ」を、子どもの目に触れさせないようにして、コッソリ楽しむ。すると、子どもはどこからか嗅ぎつけて、手に取ってみるのである。
「トットちゃん」より「鬼畜」好き
わたしが嗅ぎつけたのは、『化石の荒野』『鬼畜』『人間の証明』だった。親からすると、『窓際のトットちゃん』『星の王子さま』『はてしない物語』を読ませたかったらしいが、そんな「オモテの本」よりも、親の本棚から盗み読みした西村寿行や松本清張に、えらく興奮したものである。
そんなわたしが親になり、子どもにたっぷり読み聞かせ、自力で読めるようになった頃、「ちと早いかな?」という作品を軒並み仕舞った。もう少し大きくなったら見せるつもりで、子どもの目に触れさせないように隠したのである……
ある日、娘が心底嬉しそうな顔で「お父さん、これ面白いね…」と持ってきたのは、『鋼の錬金術師』。聞けば、何の気なしに探しあて、なんとなく一巻を読み始めたら止まらなくなり、世の中にこんな面白いものがあるのか、イッキに全巻読み切ったという。
一生に一度の、最高の贅沢
予備知識なしでハガレンを一気に読むという贅沢! これは、一生に一度しかできない貴重な経験なり(かなうなら、わたしも記憶を消して読みたい)。連載時は次の話を読むために1ヶ月待ったんだよと言うと、信じられないとのこと。
その後、何度も何度も繰り返し読み返したらしい。話しているだけで分かる、物語の面白さだけでなく、「人間とは何か」といった人間の定義や、「等価交換の原則」など、娘の価値観にも大きな影響を与えている。
振り返ってみると、子どもに薦めたものよりも、子どもから隠した作品のほうが、どっぷりとハマってくれているような気がする。
子どもの目に触れさせないようにした作品
『鋼の錬金術師』は、ちとグロいのと物語的なエグさに、もう少し大きくなってからと隠した。『冴えない彼女の育てかた』は、あざといエッチに中(あた)るのが心配で隠した。手塚治虫の短編集はジェンダー的に不適切なエロを感じて隠した。旧約聖書と新約聖書は「神のみ名のもとになんでもあり」なので隠した。『メイド・イン・アビス』の可愛さとキツさは理解できないと思って隠した。百合はさすがに早いので『青い花』と『きんいろモザイク』を隠した。『この恋と、その未来。』は最高のラノベなので最後に読んでほしくて隠した。
ところが、本棚の裏や戸棚の奥、クラウドの隅にある作品を、着々と見つけては粛々と消化している。上に挙げたのはほぼ全て読み切っている(はず)。子どもからすると、わたしの思惑なんざ、知ったことではない。子どもは、読みたいものを読むし、観たいものを観る。
本だけでなく、アニメもそう。いつのまにか探し当てられ、貪るように観ている。『天元突破グレンラガン』や『輪るピングドラム』、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』も全話視聴済みという。わたしが親の本棚を漁ったように、子どもはわたしのクラウドを渉猟する。
親の役目=準備
わたしも『はてしない物語』を薦めたが、イマイチの反応なりw でも、それでいいのだ。「あんな本があったな」と心の隅にでも置いといて、いつか、ふっと手にしてくれれば。ただし、その「ふっとしたとき」に手に届くところにその一冊が置いてあるか、ないか、それが重要であり、それこそが親の役目じゃないかな。

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