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視線のエロティシズム『写真とフェチ』

 「概念としての夏」が好きなように、「概念としての女」が好きだ。

 肌を焼く日差し、青い空と入道雲、浴衣と団扇と打ち上げ花火、夏を想起させるパーツは好ましい。だが、現実は、紫外線、湿度、室外機の熱風、汗臭さもひっくるめて「夏」である。

 同様に、うなじにかかる後れ毛、鎖骨や背骨の盛り上がり、二の腕やふくらはぎの肌感、「あの」気配としか言いようのないフェロモンは好ましいが、現実は、それら以外もひっくるめて「女」である。

 この概念のパーツパーツを切り出すと、様々な「好き」が見えてくる。文字通りパーツとしての「唇」「うなじ」「ふともも」「おしり」や、「濡れたシャツの透け感」「白肌に汚泥」といった状態への偏愛、あるいは「ゴスロリ」や「拘束具」などの外見やシチュエーションに執着する人もいる。

 こうした他人の「好き」をカタログ的に横断することができるのが『写真とフェチ』である。写真家10人の視点から、「白肌と蛸」「肉感ふくよか」「下着の響き」など、それぞれの「好き」を表現している。かなり上級者向けの「好き」が揃っており、驚く一方で、好きの深淵を覗き込むと、たいへん豊かな世界が広がっていることが分かる。

花盛友里
須崎祐次
相澤義和
門嶋淳矢
山本華漸
フクサコアヤコ
渡辺達生
笠井爾示
青山裕企
伴田良輔

ファンタジーとしての女子高生

 たとえば、青山裕企「スクールガール・コンプレックス」の、机に突っ伏している女の子を上から覗き込むアングルとか。必然的にブラウスはピンと張られるため、ブラがくっきりと浮かび上がる。あるいは、制服で体操座りするが絶妙な角度&深度で見えないとか。ちょっとクイッて直すといった、何気ない仕草に無防備なのか挑発なのか決めかねてモヤモヤする、記憶の彼方に沈めたはずの甘苦さを味わう。

蛸と美女

 あるいは、強烈なのが山本華漸「蛸と美女」。黒い背景に白いキャミソールの女の子と巨大な蛸。真っ白に浮かび上がる肌に、ねっとりと絡みつく触手が、たいへん葛飾北斎している。解説によると、北斎の「蛸と海女」を実写でやろうとして、18kg の大蛸を生きたまま用いたとのこと。

Tako to ama retouched.jpg
By 葛飾北斎 - http://picasaweb.google.com/lh/photo/IqaZK0BxaIlKtTVWZJc0ew, パブリック・ドメイン, Link

 北斎よりもええなぁと思ったのは、アワビやヒジキが写ってないところ。インターネットが「なんでもあり」になってから、若い頃あれほど切望していたアワビやヒジキが、「見る」理由にならなくなった。代わりに理由になったのは、わたしの「好き」と重なっているかによる。内ふとももに飛んだ墨が、肌の白さを際立たせ、長いこと凝視させられる。

肉に溺れる

 振り切った方向だと、渡辺達生「ふくよかな女性」。数多くのアイドルや女優、グラビアモデルを撮影してきた経歴からは似ても似つかない写真が現れる。「今まで撮ったことのない女性を撮ろう」として、ふくよかな女性を被写体にする。

 「ふくよか」は控えめな言葉で、「巨体」が相応しい。フレームのギリギリにまで肉体が詰められており、その海に溺れてしまいたくなる魅力に寄せられる。これは撮影テクニックの一つだという。(たとえ室内撮影でも)300mm の望遠レンズでグッと寄せるように撮ることで、肉体のボリューム感を出すことができるという。

 他にも、剥き出た歯列、背中のくぼみ、黒タイツの響き、ひかがみといった様々な「好き」が次々と並べられており、嗜好の可能性は思考の可能性と軌を一にすることが分かる。つまり、好きに限界はないのである。

 官能と陶酔の感度を増やす一冊。

Shasintofeti

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