読書猿『問題解決大全』はスゴ本
これ、言い切っていいと思うが、わたしが直面するあらゆる問題は、検討済みである。
新しい問題なんてものはない。「問題」をどの抽象度で定義するかにもよるが、新しく「見える」だけで、分析してみれば、分解してみれば、裏返してみれば、再定義すれば、古今東西の人たちがすでに悩み、検討し、着手し、対処してきた問題であるにすぎぬ。
ただし、対応する人にとってみれば、それは新しい問題である。または、初見の状況に直面することもある。だが、人や状況が違えども、問題そのものは、ほどいてみれば、既出なのだ。新しい状況下で、新しい人が、既出の問題を解き直しているといえる。
そして、問題を解決するための方法もまた既出である。わたしが知らないだけで、古今東西の人たちがすでに考え抜いている。ある手法は学問分野になっていたり、またある方法はライフハックやビジネスメソッドになっていたりする。規制や法制度化され、社会常識やルールのように見えていても、それは昔の人が編み出した解決法が化けている場合もある。
そんな先人の知恵を借りないわけがない。「自分のアタマで考えろ」と言う人がいるが、その方法は先人に学ぼう。車輪をもう一度発明する必要はない。ハードルを乗り越える/潜り抜ける/別のものに変えるツールは、既にある。
そして、世にある有用なツールを集大成したものが本書である。
哲学、歴史、経済学、人類学、数学、物理学、心理学、生物学、文学、宗教、神話、そして学際研究の分野で培われた問題解決技法が、37のツールに結集している。アイザック・ニュートンは、先人の研究に基づいて新たに発見することを「巨人の肩の上に立つ」と言ったが、本書を用いることで、「巨人たちの肩の上に立つ」ことができる。既に考え抜かれてきた技法を利用することで、新しい問題を、既出のものと扱うことができるのだ。
本書が一生役立つ理由として、「問題解決」を分かりやすく定義していること。学問やビジネスの問題から生殺与奪の問題、夫婦喧嘩や心身の悩みなど、問題には、大掛かりなものから個人的なものまで沢山ある。だが本書ではシンプルに、「問題解決とは、"~したい"と思うことを実現すること」だという。
問題に気づき、その解決のために自分の行動を計画し、実行することは、人の能力であり、同時に人が人たる条件なのだと言い切る。ここは痺れた。よく生きようと努力することが、人の本質なのだと改めて思い知らされる(この、"よく"は、「善く」「良く」「好く」そして「欲」と、人によりけりだが)。これは、一生のどのような状況でも当てはめることができる「問題」だ。
また、本書が類書と大きく異なるのは、そうした技法を漫然と並べるのではなく、技法の各々が相互に参照・影響しあい、人文知を作り上げていることが立体的に分かるように書いてあるところ。歴史上のそれぞれの現場で問題に取り組んだ軌跡が、脚注の人物、書籍、キーワードのノードでつながり、さらに巻末の年表で時系列に通貫していることが、読めば分かるように構成されている。これは、著者である読書猿さんが、人文書を目指して書いている志の高さの現れだろう。
さらに、本書が凄いと感じるのは、技法を大きく二つに分け、「リニアな問題解決」と、「サーキュラーな問題解決」にしているところだ。
リニアな問題解決とは、直線的な因果性を基礎に置く問題解決であり、理想と現状のギャップを何らかの形で埋めたり、より「上流」の悪原因を取り除くことを目的とする。解決者は、問題の外側から分析し、必要なリソースも問題の外から供給される。
いっぽう、サーキュラーな方はより複雑だ。解決する人もまた、問題を構成する因果のループの中に組み込まれている。問題を問題たらしめている要素もまた、因果ループの中で再生産しており、必要なリソースも解決すべき問題として考慮しなければならない。技法としては、因果ループにゆさぶりをかけるため、例外や逸脱を強めたり、逆説的に介入する手段が紹介されている。ここまで丁寧&簡潔にまとめているのは、本書が初だろう。
37の技法は読んでくれとしかいいようがないが、きっと役に立つ技法が必ずある。
なぜそう言えるか?
なぜなら、わたしが、何年もかけて効果を出しているやり方が紹介されているから。わたしは、様々な本を読み、自分の痛い経験を通じて身につけてきたが、その技法に名前があることを、本書で初めて知ったから。
その中から、ふたつ紹介しよう。
ひとつめは、リニアな問題解決にある、「100年ルール」という技法。問題を前にしたとき、不安で仕方がないときに、「これは100年後も重要なことか?」と自問する方法だ。100年が極端なら30年や5年にしてもいい。本書では、「問題との距離をとる」ことが重要だと説く。
わたしはこれを、リチャード・カールソン『小さいことに、くよくよするな』と、ランディ・パウシュ『最後の授業 ぼくの命があるうちに』で学んだ。イライラしたときのライフハックとして、あるいは、(主に仕事上の)悩み事から距離を置くために編み出した。ほぼ日手帳(文庫サイズ)を使う。
まず、ほぼ日手帳を携帯する。嫌な事や悩み事が思考にまとわりつき、ずっとそのことばかり考え始めると、いったん手帳に書き出すのだ。不安の原因→結果の心配→さらなる不安のネガティブループを、そのまま吐き出す。そして、来年までこれで悩んでいるだろうかと自問する。一年経つと、一冊溜まることになる。
そして、ほぼ日手帳を2冊携帯するのだ。「今年の手帳」と「昨年の手帳」を一緒に持ち歩く( 文庫本サイズである必要性はここにある)。そして毎日一度、昨年の手帳の「今日」を開いて、その時のお悩みを読み返してみる。「あんな時代もあったねと、いつか笑って話せる」には少し早いが、1年置くと、たいていの問題は無害化している。ほとんどが解決済み、もしくは取るに足らない問題でしかなく、極端なやつになると、何だったのか思い出せないものさえある。
それでも、残り続けるものがある。形を変えて何年も何度も登場する。「残る」問題は課題化し手帳の見開きに転記している。ここ10年続けて、わたしのほぼ日手帳の第一ページに記された課題はこれだ→「まず体調。栄養と睡眠をとり、意識して体調を良くせよ」。毎日わたしが「問題」と感じるものの大半は、栄養と睡眠を意識的に取ったあとに相対すると、より問題化が和らいでいる。
ふたつめは、サーキュラーな問題解決である「リフレーミング」。事実を変えるのではなく、そこから得られる意味を変えるという試みである。たとえば、ものは言いようというやつで、他者の評価を(自分の中で)変える言葉がある。あるいは、「よかった探し」や「ネガティブをポジティブに言い換える」というやり方だ。自分が、どのような認知に則っているかに、自覚的になる訓練だ。
落ち着きがない→活動的
デブ→(男)貫禄がある・(女)ぽっちゃり
怒りっぽい→ 感受性が豊かな
わがまま→妥協しない
優柔不断→慎重
しつこい→粘り強い
協調性が無い→独立心が強い
わたしは、このリフレーミングという手法を「妻の怒り」について適用していた。
つまりこうだ。妻が怒り狂うとき、わたしは会話によってその原因を追求し、解消しようと努めていた。怒りの原因となるものがあり、それが怒りという結果を引き起こしているのだと信じていた。
だが、それは間違っていた。いやむしろ、「怒りの原因を分析する」ことは、妻の怒りを劇化する一因となっていることに気付いた。「なぜ怒っているのか」「どうしたらその怒りの原因は解決するのか」について、ノートに詳細に洗い出し、分析し、論理的な対応付けしようとする行為そのものが、妻の怒りを増幅させる原因となっていることが、長期間のサンドバック状態を経て、ようやく分かった。
そして、妻の「怒り」を再定義できないかと考えた。つまり、妻が怒っているとき、その怒りの原因の「何か」ではなく、別の感情が元にあり、その二次的な表出として「怒り」があるのではないかと仮定したのだ。たとえば、心配、苦痛、寂しさ、不安、残念、苛立ち、空腹といった感情や欲求不満的な状況が元にあり、それが「怒り」という形になっているに過ぎないと考えたのである。
妻の「怒り」の意味づけを変えれば、対応が見えるようになった。怒りの予備動作の前に、妻がどのような状況なのかを判断し、その感情を増幅させるように相づちを打つのだ。すなわち、その怒り(の裏側にある感情)はもっともであり、もっと大げさに訴えてもいいものであり、そうなるのも当然だと同意するのである(たとえその矛先がわたし自身でも!)。妻は、怒りの因果ループにゆさぶりをかけられ、拍子抜けし、本当は何に対して怒っていたかに気付くようになる。
つまり、怒りとは二次的な感情なのだ。そして、怒りをリフレーミングすることで、怒り→弁明を求める→弁明に対して激昂するという悪循環のループから逃れることができる。怒りに対処するのではなく、怒りの因果ループのエンジンとなっている一次感情を、怒りを再定義することで見つけ出すのだ。わたしは、スマナサーラ『怒らないこと』でこの技法を学んだが、『問題解決大全』ではわずか7ページでまとめている。
もちろん、ここでわたしが紹介した本は、『問題解決大全』には出てこない。だが、本書を読むと、あなたの中でそれまで蓄えていた様々な知識とつながってくるに違いない。いっぽう、通読する脚注や巻末やエピソード紹介などから、「知りたい」がどんどん芋づる式に増えていく。これは、そんな知恵と知的好奇心のハブとなるような一冊なのだ。
目の前の「問題」は違えども、わたしと同じ悩みに悩み、苦しみに苦しんだ証拠だといえる。歴史上の知の巨人たちの試行錯誤を見ていくうち、「わたしは一人ぼっちじゃないんだ」という気持ちになってくる。本書があれば、いつでも巨人たちを召喚できるのだ。
巨人たちの数は135人。召喚せよ。そして好く生きよ。
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