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事実のフリした意見を見抜く、隠れた前提を暴く、核心を衝く質問をするトレーニング『国語ゼミ』

「2週間でこの変更に対応するということだから、残業時間を増やすか、休日出勤するか、どちらにするか君のチームでまとめておいてくれ」※

 などと言われると、すぐに詭弁センサーが動き出す。

 「2週間でこの変更に対応する」とは、そもそも事実か。何の権限において、誰が、どのようなプロセスを経て決定されたものか。オマエの意見じゃないの? 「残業を延ばすか、休日出勤するか」とあるが、なぜ2択なのか。「対応しない」「品質を下げる」「要員追加」「対応版を後から出す」等は検討したのか。2択なのは、オマエの意見じゃないの?

 そして、オブラートに包んだ形で尋ねると、たちまち皮が剥がれる。客から電話で受けた要求を、進捗会議でそのまま伝えたら、部長がその2択を出してきたとのこと。オマエは御用聞きか!

 実は、重要な問題は※そのものではない。※の中に前提が隠れており、その前提を明確にせずに議論の土俵に乗ってしまうのが、真の問題なのだ。

 たとえば、※に対し、「残業を増やすなんてダメです、ただでさえチームは疲弊しているのに」と返したとしよう。すると、あなたは、「2週間で対応する」前提と、「残業or休出」前提という議論の土俵に乗ったということになってしまう。そして、その前提の中で議論するハメになる。隠れた前提を暴かずに(気づかずに)議論を始めるということは、相手の土俵の中で闘うことになる。つまり、議論を始めること自体が悪手なのである。

 もっと簡単な例を挙げる。パーティーで使われる嫌がらせとして、「いつから君は、君のワイフを殴るのをやめたんだい?」という質問がある。答えは、「YES」でも「NO」でも不利になる。「YES」なら昔殴っていたことを認めることになるし、「NO」なら今でも殴っていることを認めることになる。だから、その質問が事実無根であることから議論を始めなければならない。「ワイフを殴る」前提で吹っかけている土俵に「乗らない」が正解なのだ。

 仕事でワリを食っていると感じるのは、実はこの、「隠れた前提」を暴かないか、気づかないかが原因だ。反対に、「あの人はやり手だ」とか「仕事の回し方がうまい」という人は、この隠れた前提を上手に使う。これは、わたしの苦い経験で得た教訓である。

 それが、p.59に、さらりと書いてある。

 議論を始めるにあたり共有すべき事実・考え方(前提)と、そこで論じるべきことがら(主題)があり、往々にして「主題」ばかりに目が行きがちである。狡猾な人は主題となるべき事柄を、さも前提のように語り、その土俵に乗ったという事実でもって、前提が受け入れられたとする。

 本来は、単なる意見にすぎないことを前提に「まぶす」ことによって見えなくさせ、隠れた前提でもって土俵を作り上げる。乗ったら負け、という土俵なり。狡猾な人は、断定的に、自信満々に言い切る。そして、土俵に乗らない人を無知呼ばわりする。思い当たる人、ありまくり。

 では、どうすればよいか? p.62 「決めつけをはずす」に丸々一節を費やして、練習問題つきで書いてある。そう、本書は、問題集なのである。

 著者は野矢茂樹氏。スゴ本『論理トレーニング101題』を書いた人だが、より噛み砕き・丁寧にしたのが、『国語ゼミ』になる。

 『論理トレーニング101題』のコンセプトはシンプルだ。論理力は感性ではなく訓練で身につく。「解説書なんかいくら読んだって論理の力は鍛えられない。ただ、実技あるのみ」のとおり、やればやった分だけ向上する。相手の立論を正しく読み取り、その論証を批判的に捉えるための、地道なトレーニングを具体化したのが、これである。

 確かに素晴らしい本で、折にふれ絶賛しているのだが……ストイックすぎる。10問も解けば、自分の力が向上しているのがハッキリと分かるのだが、「問題を読む→答えを書く→解答・解説を読む」を淡々と続けるのは、人によっては、ちょっと苦しいかも。あれだ、漢ド・計ドを、地味に、淡々と、延々と、101問やっていくのが好きな、マゾ的素養を持つ人なら向いている。

 だが、『国語ゼミ』は違う。問題数をぐっと減らし(全部で68問に絞っている)、解説を充実させている。さらに、要所要所にイラストや構造図を差し込むことで、理解するスピードを格段に向上させている。問題数を絞ることで、論理力を向上させるために必要な要素が、よりくっきりと炙り出されていて面白い。

 本書の構造をまとめると、以下になる。

  1. 事実と意見を見分け、隠れた前提を見つける訓練(1-2章)
  2. 言いたいことを整理して、効果的に伝える訓練(3-5章)
  3. 「理由」「原因」「根拠」を分けながら、的確な質問をする訓練(6-7章)
  4. 論証の構造を明確化し、メリ/デリを示し、適切に反論する訓練(8章)

 さらに、各章で学んだことを基礎として次章で発展させているため、やればやるほど問題を解くのが上手くなり、好きになるという仕掛け。もし『101題』に苦戦した方がいらっしゃるなら、これを足がかりにするとよいかも。

 ひたすら、楽しく、トレーニングしよう。100冊の解説書を読むよりも、1冊の本書を自分の手で解こう。今回はノート不要、直接書き込めばよろしい。エンピツだけを準備して、ひたすら解こう。なぜなら、論理力は感性ではなく訓練で身に付くのだから。

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トップランナーの図書館活用術『才能を引き出した情報空間』

 すごい人が、どんな風に図書館と付き合っているか(付き合ってきたか)が分かるインタビュー集。

 結城浩さんの『数学ガール』、荻上チキさんの『シノドス』、ビブリオバトルの谷口忠大さん...... その仕事の「結果」は知られているが、各人が「どのように」その仕事に取り組んできたか、結果から知るのは難しい。実は、そこには図書館というシステムが深くかかわっている。本書では、こうしたトップランナーたちが、図書館でどのように鍛えられてきたか、さらに、この情報空間に何を求めているかが、語り尽くされている。インタビューイーは以下の通り(敬称略、掲載順)。

  落合陽一
  清水亮
  前野ウルド浩太郎
  三上延
  竹内洋
  谷口忠大
  結城浩
  荻上チキ
  大久保ゆう
  大場利康
  花井裕一郎
  原田隆史

 インタビュアーは図書館情報学の専門家なので、この情報空間をいかに利用するかというテーマが中心となっている。だが、図書館とのかかわり方を語ろうとすると、それぞれの「知が生み出される過程」を深堀りすることになる。皆さん、何を面白がっていて、どうやって形にしようとしているかを、楽しく知ることができた。

 たとえば、結城浩さんの『数学ガール』。中高生が「数学」に取り組む小説で、わたしに掛けられていた受験数学の呪いを解き、自ら学ぶ楽しさ教えてくれたシリーズだ。ところが、授業風景はほとんど出てこない。代わりに、彼らが数学を議論する場所は「図書室」なのだ。

 なぜ図書室なのか?

 実は、結城さん自身の経験に基づいているという。学校の先生から教えてもらう科目ではなく、学びたい人たちが問答を重ねることこそが、知を愛する姿になる。その姿が描きたくて『数学ガール』を書いたが故、その象徴的な場所として図書室が選ばれたのは、必然だったという。

 もちろん図書室は教育の場としてある一方、「上から下へ」のメインストリームである教室とは別の性質を帯びている。すなわち、通り一遍の授業に不満な生徒が自学自習する場であったり、教科書的な教育からの逃避先という役割も持つ。

 さらに、図書館は対話の場でもある。読書という(著者との対話)をはじめ、同じ知を愛する人たちが集い、グループで学習したり、詳しい人に話を聞く場になろうとしている(この動きを、ラーニング・コモンズと呼ぶらしい)。公立はこだて未来大学の例が出てくるが、壁は全面ガラス張りで透明性が高く、クッションが散らばったプレゼン空間があるという。

 こうした対話を促すアゴラ風の空間を提供し、本に限らずさまざまな知の媒体と結びつけるメディア・センターこそが、これからの図書館に求められるものになるのかもしれぬ。

 また、[ビブリオバトル]を生みだした谷口忠大さんの話が面白い。

 お薦め本を5分で語り、参加者を「読みたい!」気にさせたら勝ちというゲームが、ビブリオバトルである。「人を通して本を知る、本を通して人を知る」というキャッチコピーで、学校や図書館や書店を中心に、全国で展開している。その誕生秘話が面白い。

 もとは、大学研究室での勉強会にかける選書がきっかけだったという。勉強会では、一冊の本をメンバー全員で時間をかけて一緒に読み・議論する。だが、それなりの価値ある本は、なかなか見つからない。選書の締め切りは迫ってくるなか、「なんで俺だけこんな苦労をしなきゃならないんだ!」という逆ギレの叫びが、そもそもの始まりだったという。

 つまり、ビブリオバトルの最初は、優れた本を「参加者全員で」探索する活動なのだ。教授がトップダウンで決めたり、夏休みの課題図書として押し付けられるようなものではなく、むしろ逆で、皆で決めるという「課題図書へのアンチテーゼ」が根っこにある。

 だから、谷口さんが、「あの人はビブリオバトルがうまい」という表現は誤用ではないかと指摘するのは正しい。本そのものよりも、本のプレゼンだけ上手で「勝ち」をさらうことへの指摘である(「勝ち」は発表者・参加者全員の多数決で決まる)。ビブリオバトルは、発表者だけにフォーカスが当たるものではなく、「みんなで本を探す」というプロセスこそが重要なのだから。

 これは、わたし自身がビブリオバトルに参加した経験からも同じことが言える。[文京区図書館]や、[紀伊国屋書店] [その2]などで、同じ印象を持った。「みんなで本を探す」プロセスよりも、「いかに聴衆にウケて勝つか」に傾倒する参加者がいたので気になった。

 「本を探すコミュニティ」を形成する仕掛けとしてのビブリオバトル。図書館利用を活性化させる視点で捉えなおすなら、これは、図書館「を」盛り上げる企画というよりも、図書館「で」盛り上がる企画として広がっていくことを願う。

 すごい人が、図書館をどのように使っているのかを学ぶのもよし、これからの図書館のあり方のヒントを探すのもよし、あるいは、その知的格闘の経緯をうかがい知るのも面白い一冊。

未来をつくる図書館 本書は主に日本の図書館を俎上に載せているが、ニューヨーク公共図書館の事例を紹介した『未来をつくる図書館』と比較すると、もっと興味深いかもしれぬ。

 そこでは、「図書館」という枠を突破し、知的インフラを構築しようとする試みが描かれている。ビジネスインキュベーターとしての図書館、行政機関の窓口としての図書館、地域情報のセンターとしての図書館、芸術に貢献する図書館と、さまざまな試みが紹介されている。文字通り、「図書館で夢をかなえた人々」のストーリーがある。あわせて読むと吉。

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これ面白い!『ゲームの王国』

  寝食わすれて読み耽った。ページが止まらないくせに、終わるのが惜しいとこれほど思った小説は久しぶり。「最近面白い小説ない?」という人に、自信をもってオススメ。

 というのも、次から次へと面白いネタをどんどんぶっ込んでくるから。

 建前(?)はSFだが、中身は盛りだくさん。ポル・ポトの恐怖政治と大量虐殺の歴史を生き抜く少年と少女の出会いと別れを横糸に、ガルシア・マルケス『百年の孤独』を彷彿とさせるマジックリアリズムあり、ウィトゲンシュタインの言語ゲームやカイヨワの「遊び」の本質を具現化したコンピュータゲームあり、貧困の経済学ありデスゲームあり、ともすると発散しがちなネタを、見事にひとつの物語にまとめあげている。

 優れた小説を読むときによくある、記憶の再刺激が愉しい。すなわち、どこかで見たことのある既視感と、よく知ってるはずなのに目新しく思える未視感が、むかし読んだ/これから読む作品を、芋づるのように引き出してくれるのだ。

 たとえば、前半の舞台となるカンボジアの寒村。

 ジョジョの奇妙な冒険のスタンド使いのような、土を喰らい土を操る能力を持つものや、輪ゴムと心を通わせ、輪ゴムで未来を知る異能者、鉄板のように何もしゃべらない(≠しゃべれない)性癖の人が登場する。

 彼らの、ちょっとズレた会話を聞いていると、『百年の孤独』の蜃気楼の村マコンドだけでなく、大量殺人事件「河内十人斬り」を描いた町田康『告白』を思い出す。知性格差のありすぎる者同士のディスコミュニケーションの滑稽さが、テーマも文体も違うのに、ひしひしと既読感を刺激する。

 あるいは、共産主義を厳密に遂行したクメール・ルージュの大虐殺。「革命」「解放」の名のもとに、人々は、家族、住居、職業から切り離され、集団農場へ移送され、強制労働に従事させられる。そして、そこでは、理由もなく銃殺されていく。作業が緩慢という理由だけで銃殺され、身分を隠していた教師・医師・兵士は、「正直に申し出れば殺さない」という嘘に騙され、処刑される。

 人々は、生き延びるために嘘をつき、嘘をついたことを密告されて殺される。「むりやり天国を作ろうとすると、たいてい地獄ができあがる」寸言まんま。わずか4年間で300万人以上虐殺されたという現実は、むかし劇場で観た映画『キリング・フィールド』の地獄絵図を濃密に、詳細に思い出す。

 また、後半に出てくる、「ゲームの概念を脱構築したゲーム」。

 これは、自由意志は幻想に過ぎないことを裏付けたとされるベンジャミン・リベットの実験が下地にある。人が何かを決定をする際、”その意思決定”を示す電気信号に先立って、決定を促す準備電位と呼ばれる脳波が発生していることを明らかにした実験だ。

 すなわち、人は自由に意思を決めているように見えても、実はその前に意志は決定されており、私たちはその理由を「後づけで」作り上げているというのだ(受動意識仮説)。これを応用したゲームは、現在進行中のサイエンス・ノンフィクションを読んでいるようで、ゾクゾクする。これは、人はなぜ嘘のホラーに本当に恐怖できるのか? というテーマに、認知科学&分析哲学で深堀りした『恐怖の哲学』のゲーム版だといっていい。

 バラバラに認識される情報を統合するために後付けで理由をひねりだすのが「こころ」であるならば、そこに割り込み改竄することで「こころ」をハッキングすることは可能だ。主人公は、ある時点でひとつの真理にたどり着く。その件はこうだ。

人生は、わずかに残った印象的な断片と、その断片を補完する現在の自分と、直近の一年間で成立している。記憶はアナログメディアで、再生するたびに劣化し、その劣化を補うために現在の自分が入り込んでくる。記憶は一種の小説だ。いくつかのパーツがあり、細部は存在しない。

 私たちは、羅列された現実を解釈しやすいように因果関係を築き、咀嚼するために物語をひねり出す。人生に物語が必要なのは、不条理すぎる現実に「こころ」を壊さないため。物語は、いわばセーフティ・ネットなのだ。ここは、物語論(ナラトロジー)の名著、千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』を思い出す。

 さまざまなネタをぶっ込みつつ、一級の小説に仕立てている稀有な本。


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オフ会やります、テーマは「最悪」

 推し本を持ってきて、まったり熱く語り合う読書会、それがスゴ本オフ。

 今回のテーマは「最悪」、それも「最悪のトラブル」。このテーマでピンときた、本、映像、音楽、ゲーム、なんでもいいので、あなたのお薦めを教えてくださいませ。

 基本の流れはこんな感じ。

  1. テーマに沿ったお薦め作品を持ってくる
  2. お薦めを1人5分くらいでプレゼンする
  3. 「それが好きならコレなんてどう?」というオススメ返し
  4. 放流できない作品は回収する
  5. 放流会という名のジャンケン争奪戦へ

 あなたのお薦めをプレゼンすると、「それが好きならコレなんてどう?」と推してくる人が出てくるかもしれません。あるいは逆に、あなたが(あなたのお薦め作品を)教えたくなる人に出会えるかもしれません。わたしはこのオフ会をする度に、積読山の標高が高くなりまする。

 これを、休日の午後いっぱいかけて、まったりする。途中参加・退場・見学自由なので、お気軽にどうぞ。最近やったのは「お金」がテーマの作品。「お金」というテーマで本を選んだにレポートしてある。あと、このブログの右側の「過去のスゴ本オフ」に全レポートがあるので、参考にどうぞ。

 タイトル:スゴ本オフ「最悪のトラブル」
 日時:10/21(土)13:00-17:00
 場所:渋谷某所
 参加費:2000円(軽食、飲み物が出ます)
 詳細・申し込みは[facebook:スゴ本オフ・最悪のトラブル]

 本を介して人を知り、人を介して本に出合う、スゴ本オフへいらっしゃいませ~

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『ゲーデル、エッシャー、バッハ』の薄い本が出ます。

 知的冒険の書として『ゲーデル、エッシャー、バッハ』なるものがある。タイトルが長いので、頭文字をとってGEBとしよう。

 GEBは、ダグラス・ホフスタッターという天才が、知を徹底的に遊んだスゴ本だ。不完全性定理のゲーデル、騙し絵のエッシャー、音楽の父バッハの世界を、「自己言及」のメタファーで縫い合わせ、数学、アート、音楽、禅、人工知能、認知科学、言語学、分子生物学を横断しつつ、科学と哲学と芸術のエンターテイメントに昇華させている。

 「天才とは、蝶を追っていつのまにか山頂に登っている少年である」と言ったのはスタインベックだが、ホフスタッターに付き合って知を追いかけていると、とんでもない高みまで連れて行かれることを保証する。

 ただし、このGEB、質量的には鈍器である。とても面白いが、とても重い。

 この厚いGEBの薄い本を作ろうという企画があり、参加させてもらった。「読むとGEBを読んでみたくなり、GEBを読んだらまた読みたくなる」がコンセプト(GEBと不思議の環を成す)だという。

 もとは、「ゆるふわゲーデル、エッシャー、バッハの会」という読書会で、その名の通り、ゆるくGEBを読もうという会だという。発起人の白石さんが、このブログの記事『ゲーデル、エッシャー、バッハ』はスゴ本にピンと来てGEBを手にしたという。嬉しい限りなり。

 そういえば、そもそもGEBを手にしたのは、『数学ガール』の結城浩さんのおかげ。ブログか日記で、「何度読んでも得るものがある」と絶賛していたのを目にして俄然読む気になったのが縁なり。今から思い返すと知的好奇心だけを頼りに冒険に飛び出したわたしの無謀さが、恥ずかしいやら有り難いやら(おかげで素晴らしい旅になったから)。

 この場を借りて、結城さんにお礼を申し上げる。素晴らしい本とめぐり合わせていただいて、そして、素晴らしい本を書いていただいて、ありがとうございます。

 GEBの薄い本は、GEBそのものの早めぐり、GEBの歩き方、音楽方面からの再解釈、腐女子のためのBL化など、薄いわりにバラエティ豊かな同人誌になる模様。わたしは、GEBへの熱い思いを語ったインタビューと、「GEBの読前・読後にお薦めする本の紹介」で参加いたしまする。詳しくは以下をどうぞ。

技術書典3
10/22(日) 11:00-17:00
秋葉原UDX(アキバ・スクエア)
参加無料

サークル名:ゆるげぶ[URL]
配置:き40

 GEBの同人誌って、世界初だろうな......

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