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人は歌で進化した『人間はなぜ歌うのか?』

 「ロックンロールは骨で聴く」というセリフが好きだ。人類の大半が肉体を捨て、電脳世界で暮らすSF映画『楽園追放』のセリフだ。そこでは、音楽を始め、あらゆる快楽を享受することができる。そんな時代に、生身の体を持ったある男が、ロックは骨で聴くものだとつぶやく。

 これ、すごく分かる。

 彼のようギターを抱えて弾いても分かるし、ライブやコンサートの大音量に包まれても分かる。音楽は、確かに耳からの音を通じて聴くものだが、それだけではない。顔や腕の皮膚や、足下・体の芯から振動を感じ取るものだ。

 なぜなら、体の外から入ってきた音楽が自身と一体化し、自分の中に音楽があることに気づくから。わたしの声が、鼓動が、手拍子が、足踏みが音楽と呼応するものだから。ロックンロールに限らず、音楽は身体で感じ、共に歌い、叩き、踊るもの。静聴を求められるクラシックのコンサートでも、最後は万雷の拍手で応えるでしょ。それも同じことだと思う。

 「人はなぜ歌うのか?」という疑問から、人は歌で進化したという仮説を掲げる本書は、まさにこの点を衝いている。音楽とは何なのかという疑問をひっくり返すと、人間とは何なのかという疑問につながる。この発想がめちゃくちゃ面白い(一方、あやしい面もある)。

 たとえば、人は地上で歌う唯一の種だという。

 もちろん、歌うことのできる種は沢山いる。ウグイスやカナリヤをはじめとする鳥類や、テナガザルなどのサルの仲間、クジラやイルカなど、歌う種は5万4千種におよぶという。

 だが、鳥やサルは高所で暮らしており、地上に住む動物種で歌うものは皆無だという。なぜか? 歌うことによって、捕食獣に自分の居場所を教えることになるから。その証拠に、食べ物を求めて地上に降りるとき、鳥は歌うのを止める。

 そして、地上に住みながら歌う唯一の例外が、人だという。なぜ人は歌うのか? これは、ヒトの進化の過程における最大の謎になる。チャールズ・ダーウィンは『人間の進化と性淘汰』でこう述べる。

「音楽を楽しむことも、音楽をつくりだす能力も、ともに人間の通常の生活に直接の役には立っていないので、これは人間に備わった能力のなかでも、最も不思議なものの一つに数えられるべきだろう」

 時間や精力というリソースを多大に消費する、この「歌う」という現象が、あらゆる社会、文化、地域、時代を超え、なぜこのように普遍的に広がっているのか。本書は、この疑問に真っ向から切り込んでゆく。

 本書によると、「はじめに歌ありき」になる。

 歌は人の誕生とともにあった。子守唄から始まって、子供時代の遊び歌、恋歌、婚礼歌、宗教歌、狩猟の歌、農耕の歌、旅の歌、戦いの歌、癒し歌、葬式の歌と、人生のあらゆる段階につきもので、歌うことは文化のまさに中心にあったという。

 著者は音楽大学の教授で、多声楽の造詣が深い。世界中の伝統声楽の特性を調べ上げ、単旋律(モノフォニー)で歌う文化と、複旋律(ポリフォニー)で歌う文化の分布から、歌う文化の歴史を追いかける。そして、初期人類の進化過程における合唱の重要性を指摘する。はじめにポリフォニーがあり、人類が言葉を獲得していく過程でモノフォニーが生まれたというのだ。

 なぜポリフォニーか。著者は、爪も牙もなく足も遅い弱小グループであったヒトの祖先が、強く大きく見せるために、歌を歌ったのではないかと仮説する。体を叩くドラミングを行い、リズムに合わせて歌を歌ったのではないかというのだ。和声で合唱すると、響きがさらに大きくなる。同時に響く、さまざまな音の倍音が互いにぶつかり合い、その結果、実際より大人数になる響きのメカニズムを説明する(ボージェスト効果)。

 さらに、合唱は食料調達にも用いられたという。もちろん、音を立てたら獲物に逃げられてしまう。だが、ここでの獲物は腐肉だ。要するに、他の大型獣が狩った獲物や、病気等で死んでいる獣を探し、集団で歌いながら囲い込む。既に集まっている獣を追い払うため、集団で足を踏みならし、手拍子をうち、リズムに合わせて大声で叫び、歌ったのではないかという。少人数でより効果的に音を響かせるために合唱は不可欠だったという。

 また、歌は戦いにも不可欠だった。肉食獣や、他のグループと戦うとき、集団で歌を歌うことが非常に効果的だったという。正確なリズムで、大声で歌うことにより、相手に対し、戦闘を行う強いメッセージを伝えると同時に、仲間同士で強い連帯感を生み出し、恐怖や痛みを感じにくくさせる高揚した精神状態に持っていったというのだ。この主張は、サッカースタジアムに行くと、よく分かる。肌をビリビリさせるうねりのような大合唱は、自分という感覚をなくすから。

 すなわち、歌は楽しみのために生まれたものではなく、身を守り、生きる糧を得るために、必要不可欠な技術だったというのだ。

 この証明は、かなり難しい。「歌を歌う」というエビデンスが残らない現象を、世界各地の歌唱文化や伝承の側面や、ヒトの身体に残された機能的・遺伝的要素から炙り出すように説明するしかない。

 他にも、「なぜあらゆる言語において、質問のイントネーションは上がっているか?」「なぜあらゆる新生児はイ音(A)で泣くのか」といった質問も、「人は歌で進化した」で説明しようとする。風呂敷が広すぎるため、論理の飛躍や俗説のようなものが混じっており、音楽研究者の手に余る仕事だと思った。さらに、「ヒトは快楽のために体毛を失った」とか、「ライオンとヒトは共進化した」など、あれ? と思うような主張もある。

 だが、エビデンスが不十分だったり、論理の整合性が取れないからといって、この仮説を捨ててしまうのは惜しい。逆に、この仮説をベースに進化生物学や行動科学、人類生物学からアプローチするなら、もっと面白い世界が拓けてくるのではないか。

 音楽の起源について諸説さまざまある。ハーバート・スペンサーは、音楽を言語から派生したものだとみなし、スティーヴン・ピンカーは「聴覚のチーズケーキ」と進化上は無用なツールだと言った。他にも、「異性を魅惑するため」とか「母子の関係のため」といった説がある。いずれも、音楽はおまけ的なものと位置づけられていた。

 本書が凄いのは、ヒトの進化のど真ん中に持ってきたところ。そしてこの仮説は、エビデンス抜きで、感覚として分かりやすい。ロジックとエビデンスで納得するというよりも、生得的に感じ取るようなもの。本能的に、「骨」で理解しているのだ。

 文字を持たない文化はあるが、歌を持たない文化はない。「はじめに言葉ありき」ではなく、「はじめに歌ありき」だったのではないか。そんな知的好奇心を刺激する一冊。

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