生命をメタレベルで考える『生物圏の形而上学』
これは面白かった。『生物圏の形而上学』は触媒となった一冊なり。
ノンフィクションには、新たな知見を得られるものと、自らの知見と化学反応を起こすものがある。本書は後者寄り。「生命とは何か」について、より根源的でメタ的な視点より捉え直し、わたしの思考の倍率を上げ、妄想を煽り立て、アイディアの触媒となった。
読みながら思い出したのは、街灯の下でカギを探すジョーク。深夜、街灯の下でウロウロしている男がいる。カギを探しているという。一緒に探してみるが見つからない。本当にここで失くしたのかと聞くと、「いや、失くしたのは向こうの暗がりです。あそこは暗くて見えないので、明るい所で探しているのです」というやつ。真に重要なところではなく、定式化できるモデルに固執する経済学を揶揄するために使われるジョークである。
だがこのジョーク、「生命の起源は地球にある」と主張する一部の生物学者にも適用できそうで楽しい。というのも、彼/彼女らは、現在発見されているものが全てで、それ以外のものは存在しないものとして論考を組み立てているから。
「生物とは何か」について、かつては、地表で容易に観察できるものから考察していた。だが、科学技術の進歩により、深海層や、岩盤層といった、人の目が容易に届かない場所で微生物の生態系を見出すようになった。また、高温や高圧、高アルカリといった極限環境で増殖する微生物の存在が明らかになるに従い、生物学の教科書は次々と書き換えを余儀なくされていった。生物とは、街灯の下だけでなく、暗がりにもいるのだ。「人知の及ばぬ環境で、まだ発見されていない生物がいる」と断言したところで、反論する者はいないだろう。
しかし、街灯の明るみにあるものを全てとするあまり、暗がりにいる生物の可能性を切り捨てる人がいる。「生命の起源は地球にある」と主張する人々だ。もちろん、生命の起源を地球に求めるのは結構だが、だからといって宇宙に生命はいないとは言えないだろう。現時点でこれだけ多様な環境で沢山の種類の生命を見出しているのだから、どの暗がりにも「いる」可能性は否定できない。可能性の問題とするならば、街灯の下の「光が当たっている部分」よりも「目の届かない暗がりの部分」の方が、はるかに大きいのにね。
なぜ、彼/彼女らは、「生命の起源は地球にある」ことに固執するのだろう。それは、科学が神に取って代わった(と信じる)ことで説明できるかもしれない。つまりこうだ、「生命を創造した神」に成り代わり生命の起源を説明しようとするならば、「神」の限界を引き継ぐことになるから。その「神」が創造した生命の範囲が、人知の及ぶ陸海空までなら、そこに成り代わった科学の(最初の)限界は、陸海空までになる。地下深層や成層圏、はては地球外の生命まで創造した想像力あふれる「神」ならば、代わりに立つ科学は、拡張された範囲まで説明することを試みるだろう。もちろん「最初の」限界と述べたのは、それを超えるエビデンス(極限環境の微生物等)が見つかるまでの話だ。
ヒトが微生物を見るように、ヒトを見るような存在(例えば神的な存在)を考えてみよう。その存在からすると、ヒトはあまりにも微小でか弱い。だが微小ななりに工夫して生き延び、この地に繁栄している。夜になれば、ヒトの活動が「光」となってその存在の目に届くだろう。明るい場所にヒトが沢山いるから、ヒトはそこで誕生したのか? そんなことはない。ヒトの起源をアフリカに求めるのは、自然人類学における有力な説である。
―――ここまでが、わたしの妄想なり。宇宙・ヒト・微生物を俎上に、ミクロからマクロまで縦横無尽に駆け回る本書のおかげで、妄想がはかどるはかどる。
「生命とは何か」を宇宙から問い直したり、生命をサイズから定義する試みは、読んでて大変楽しい。「なぜ微生物は小さいか?」についてここまで掘り下げた議論は、生細胞を物理的に見たシュレディンガー『生命とは何か』以来なり。「世界をやり直してもヒトは生まれるか?」や「海底火山と氷床下湖に地球外生命のカギを見つける」など、問いの立て方、発想の仕方が抜群に上手いのだ。
たとえば、南極大陸の氷底湖であるボストーク湖を紹介する。厚い氷に覆われ、1500万年も外界から隔絶された湖で、3800メートルの氷床を掘削して得られた湖水サンプルのDNA分析から、未知の微生物が多数存在することが示唆されたという。著者はその目を空に向け、木星の第2惑星「エウロパ」を指さす。表面は氷に覆われているが、氷の殻の下に液体の水、すなわちエウロパの海がある。南極の氷床下湖の探査は、エウロパの氷床下海の前哨戦であり、宇宙生命探査にもつながっているというのだ。
あるいは、2015年から始まっている国際宇宙ステーション(ISS)の「たんぽぽ計画」を解説する。東京薬科大学の山岸教授をリーダーとした宇宙微生物サンプリングのプロジェクトである。ISSの日本の実験棟の曝露部に微生物サンプラーを置いて、ISS軌道高度から採取しようというのだ。もし、地球外微生物が採れたら「世紀の大発見」だし、もし、それがダメで地球の微生物しか採れなくても、「生物圏の範囲の拡大」はやはり大発見になるという。2018年に予定されている最終回収が待ち遠しい。
さらに、カリフォルニア大学バークレー校の研究チームが発表した、「0.0002ミリ以下の微生物」の紹介も興味深い。このバクテリア群はあまりに体が小さいため、ゲノムも小さくなっているという。その結果、増殖や代謝に必要な遺伝子を欠いているが、バクテリア同士が助け合うことで互いの不足を補っているというのだ。ここ近年で明るみに出てきた部分が「生物とは何か」の定義を書き換えようとしている。
現在、地球にいる生物は、地球で適応した生物にすぎない。微生物のレベルで見るならば、宇宙には生命体が「うじゃうじゃ」いると考える。単に暗がりにいるだけで、わたしたちがまだそこを「見て」いないだけなのだ。そして、わたしたちが「見る」日は、思ったよりも近い。そんなワクワクを掻き立てる一冊。
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