『月がきれい』が好きな人は、『東雲侑子』を読むといい
『月がきれい』が好きだ。
『月がきれい』は、中学生の淡い恋を柔らかく描いたアニメだ。これを観るのが、楽しみのような苦しみになっている。
初心な二人が、ゆっくり恋を育てていく様子が愛らしく、その嬉しさ恥ずかしさが甘酸っぱく伝わってくる。その一方、劣等感と自己嫌悪に苛まれていた自分の過去を思い出し、苦しくなる。
作中、ある重要なタイミングで、村下孝蔵の『初恋』が流れたとき、涙が止まらなくなった。これ、二人がずっと後になって振り返ったとき、あの日から互いの人生が重なり始めたんだということが、視聴者にだけ分かるという演出になっている。シナリオゲームでいう分岐点だね。「好きだよ」と言えずに初恋が終わるルートなのか、「月がきれい」と伝えた夜から始まるルートなのか。
恋が終わってしまう分岐は沢山ある。「想い」に気づかないうちにクラスのみんなにからかわれるエンド。告白玉砕エンド。LINEがつながらなくてすれちがいエンド。親友が好きな人と同じ人を好きになってしまうエンド。性欲に負けるエンド。親の反対エンド。そして、進路先の違いエンド。
二人は、そうした分岐点を越えていくのだろう。そして、アニメのエンディングの背景に流れる大人になった二人のLINEを見ていると、きっと結ばれるエンディングになるのだろう……「きれいな顔してるだろ」エンドだけは避けてほしい。「死なないで……」とつぶやくわたしの背後で娘が不吉なことを言う「“あったはずの未来”エンドなのかも」。
あったかもしれない(と思いたい)妄想に耽ることで、自分の苦くてしょっぱい過去を無かったことにする。「男の過去は上書き保存、女の過去は名前をつけて保存」というが、恋物語に耽るのは、苦い思い出を楽しい経験で上書き保存するため。そんな人に、『東雲侑子』をお薦めする。
『東雲侑子』は、高校生の淡い恋を柔らかく描いたラノベだ。パッケージはラノベだが、この中に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者はいない。無気力で無関心な彼は、まんま「あの頃のわたし」だし、いつも独りで本を読んでる彼女は、「月がきれい」と伝えられた“誰か”になる。照れ屋で臆病な二人の、未熟で不器用な恋に、胸がいっぱいになる。
面白いことに、「恋は一方通行」であることが本書の構成でもって示されている。内的な心情が吐露されているのは彼のみであり、東雲侑子が何を感じているかは、表情やしぐさ、言葉でしか描かれない。彼女もどうやら好きになってくれているみたいだが、それが彼と同じくらいなのか、少ないのか多いのか一切見えない。つまり読者は、彼の観察を通じて彼女の心情を察するしかない。
さらに面白いことに、東雲侑子の情感の動きは、「小説」に託される。彼女は短編小説家であり、何を感じどう考えているのかは、彼女が書いた小説内小説で推し量ることができるという仕掛けだ。ちと古いが、ジョン・アーヴィングの『ガープの世界』の作中作である『ベンセンヘイバーの世界』と構造が似ている。
自分の若い時代を思い返して懐かしむのもいい。良い思い出がないのなら、この記憶を上書きして甘酸っぱくなるのもいい。文学は一生を二生にも三生にもしてくれるのだから。
……とはいえ、時代が変わったなぁと釈然としないのはLINE。わたしが若いころは、そんなに簡単・気軽に(?)メッセージを飛ばす仕組みがなかった…… これも古くなってしまったが、2chコピペ。
女の子の家に電話をかけるときと、
お父さんが出てしまったときの
ドキドキ感は失われてしまった
お父さんはファイアウォール。
「娘はおらん!(ガチャ!)」
お兄さんは攻性防壁。
「なんだお前、俺の妹になんか用か?」
妹はアラーム。
「おねーちゃーん、男の人からでんわ~」
「なにぃ?」←攻性防壁が反応
「なんだと?」←ファイアウォールも反応
お母さんはバックドア。
「代わってあげるわね。うふふふふ」
#お姉さんはしっくりくる位置関係が思いつかなかった。
プリンセス プリンセスDIAMONDSの「初めて電話するときには いつも震える」のも、もう昔話なんだろうね。
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