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『月がきれい』が好きな人は、『東雲侑子』を読むといい

 『月がきれい』が好きだ。

 『月がきれい』は、中学生の淡い恋を柔らかく描いたアニメだ。これを観るのが、楽しみのような苦しみになっている。

 初心な二人が、ゆっくり恋を育てていく様子が愛らしく、その嬉しさ恥ずかしさが甘酸っぱく伝わってくる。その一方、劣等感と自己嫌悪に苛まれていた自分の過去を思い出し、苦しくなる。

 作中、ある重要なタイミングで、村下孝蔵の『初恋』が流れたとき、涙が止まらなくなった。これ、二人がずっと後になって振り返ったとき、あの日から互いの人生が重なり始めたんだということが、視聴者にだけ分かるという演出になっている。シナリオゲームでいう分岐点だね。「好きだよ」と言えずに初恋が終わるルートなのか、「月がきれい」と伝えた夜から始まるルートなのか。

 恋が終わってしまう分岐は沢山ある。「想い」に気づかないうちにクラスのみんなにからかわれるエンド。告白玉砕エンド。LINEがつながらなくてすれちがいエンド。親友が好きな人と同じ人を好きになってしまうエンド。性欲に負けるエンド。親の反対エンド。そして、進路先の違いエンド。

 二人は、そうした分岐点を越えていくのだろう。そして、アニメのエンディングの背景に流れる大人になった二人のLINEを見ていると、きっと結ばれるエンディングになるのだろう……「きれいな顔してるだろ」エンドだけは避けてほしい。「死なないで……」とつぶやくわたしの背後で娘が不吉なことを言う「“あったはずの未来”エンドなのかも」。

 あったかもしれない(と思いたい)妄想に耽ることで、自分の苦くてしょっぱい過去を無かったことにする。「男の過去は上書き保存、女の過去は名前をつけて保存」というが、恋物語に耽るのは、苦い思い出を楽しい経験で上書き保存するため。そんな人に、『東雲侑子』をお薦めする。

東雲侑子は短編小説をあいしている東雲侑子は恋愛小説をあいしはじめる東雲侑子は全ての小説をあいしつづける

 『東雲侑子』は、高校生の淡い恋を柔らかく描いたラノベだ。パッケージはラノベだが、この中に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者はいない。無気力で無関心な彼は、まんま「あの頃のわたし」だし、いつも独りで本を読んでる彼女は、「月がきれい」と伝えられた“誰か”になる。照れ屋で臆病な二人の、未熟で不器用な恋に、胸がいっぱいになる。

 面白いことに、「恋は一方通行」であることが本書の構成でもって示されている。内的な心情が吐露されているのは彼のみであり、東雲侑子が何を感じているかは、表情やしぐさ、言葉でしか描かれない。彼女もどうやら好きになってくれているみたいだが、それが彼と同じくらいなのか、少ないのか多いのか一切見えない。つまり読者は、彼の観察を通じて彼女の心情を察するしかない。

 さらに面白いことに、東雲侑子の情感の動きは、「小説」に託される。彼女は短編小説家であり、何を感じどう考えているのかは、彼女が書いた小説内小説で推し量ることができるという仕掛けだ。ちと古いが、ジョン・アーヴィングの『ガープの世界』の作中作である『ベンセンヘイバーの世界』と構造が似ている。

 自分の若い時代を思い返して懐かしむのもいい。良い思い出がないのなら、この記憶を上書きして甘酸っぱくなるのもいい。文学は一生を二生にも三生にもしてくれるのだから。

 ……とはいえ、時代が変わったなぁと釈然としないのはLINE。わたしが若いころは、そんなに簡単・気軽に(?)メッセージを飛ばす仕組みがなかった…… これも古くなってしまったが、2chコピペ。

 女の子の家に電話をかけるときと、
 お父さんが出てしまったときの
 ドキドキ感は失われてしまった

 お父さんはファイアウォール。
  「娘はおらん!(ガチャ!)」

 お兄さんは攻性防壁。
  「なんだお前、俺の妹になんか用か?」

 妹はアラーム。
  「おねーちゃーん、男の人からでんわ~」
  「なにぃ?」←攻性防壁が反応
  「なんだと?」←ファイアウォールも反応

 お母さんはバックドア。
  「代わってあげるわね。うふふふふ」

 #お姉さんはしっくりくる位置関係が思いつかなかった。

 プリンセス プリンセスDIAMONDSの「初めて電話するときには いつも震える」のも、もう昔話なんだろうね。

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女の機嫌の直し方

 男が書いたら炎上必至、女の機嫌の直し方。

 胸に手を当て思い当たるトコロ多々あり、ヒヤヒヤしながら読む。妻と口論になったとき、論点を紙に整理しはじめたら激怒されたことを思い出す。「知性に性差はあるのか?」を書いたとき、女性読者から一方的に批判されたことを思い出す。

 本書のエッセンスは2chコピペ「車のエンジンがかからないの…」であり、ゆうメンタルクリニック「男と女の会話は違う!」にある。先に"正解"を書いておこう→「正しいのは常に女性であり、男性から共感をもって寄り添うべき」。この"正解"の裏付けと、実践的な対話を含めて解説したのが、本書になる。

 冒頭はこう始まっている。

女の何が厄介って、些細なことで、いきなりキレることだよな。それと、すでに謝った過去の失態を、何度も蒸し返して、なじること。

 著者は脳科学コメンテーター。なかなか面白い肩書で、「男性脳」「女性脳」という言葉を使いながら、主に自分の経験を基に"女の機嫌"のメカニズムを語る。「〇〇脳」というレッテルに警戒しつつも、わたし自身が苦労して手に入れた教訓と合致するので、お悩みの方には参考になるかと。

 なぜ、女は、思いがけないところで機嫌を損ねるのか。そして、いったん損ねた機嫌を直すのが難しいのはなぜか。この議論に対し、「何が正しくて、何が正しくないのか」という論点を持ち込んでも、全く埒が明かないという。

 つまり、ルールやロジックといった客観に照らして、「正しい・正しくない」という話は、全く通じない。なぜなら、主観(彼女)にとって心地いいか、心地よくないかという話なのだから。正解は「彼女の中」にあるというのだ。

 著者はその理由を、種の保存における自己保全の本能に求める。交尾が済めば即死んでもいいオスと異なり、メスは、子孫を残すために、自分の健康や快不快の状態に気を配る我の強さを持つ。つまり、女性は、「自分の快適さ」に対する責任が違うというのだ。

 男に向けた福音書の触れ込みで、「女ってこうなんですよ」という姿勢で書かれているものの、一方で男を「かわいそう」と哀れみの目で見ることも忘れない。女性の機微に共感せず、ルールやロジックを通そうとすると、妻の無視や職場での断絶を招くことになるからね。

 わたしの場合、「そういう女もいる」「そういう男もいる」といった形で、もっと緩やかに構えている。「男は~」とか「女は~」にしてしまうと、色めきたつことになるから。主語を大きくせず、自分の身の回りの女性に対し、もっと細やかな気配りが必要だと痛感させられる。

 とはいうものの、怒ってしまった女性にはどうすればよいか。著者は、真摯に謝るしかないという。いかなる理由であれ、機嫌が悪くなった彼女の気持ちは傷ついている。その「理由」に着目するのではなく、傷ついた「気持ち」を受け入れる。

 ほぼどんな状況でも使えるのは、「きみの気持ちに気付かなくて、ごめん」だ。これは著者だけでなく、わたしの経験からもお薦めする。目に見える(客観視できる)理由ではなく、目に見えない気持ちに寄り添うのだ。そして、特に役に立ちそうなのが「答えようのない質問への対処」の件である。

 「あなたって、どうしてそうなの?」
 「なんでわかってくれないの?」
 「一緒にいる意味がないでしょ?」

 上記が、3大答えようのない質問である。本来であれば、こんな質問を浴びせられないように話を持っていくのが男の器というものだが、ここまで読んでこられた方なら、どう答えるのが"正解"か、もうご存知だろう。答え合わせは p.148 をどうぞ。

 本書は、取扱説明書の最後にある「困ったときは」そのもの。西野カナを伴奏にお薦めする。

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ブラック人生における光『あまりにも騒がしい孤独』

 過酷であるほど、彼が大切に抱える光の愛おしさが伝わってくる。その輝きが、知的で美しい存在が、めちゃめちゃに潰されてゆくのを全身で感じる。

 「なんでもあり」が小説だが、この苦痛は耐えがたい。本を読むのが好きな人ほど、息苦しさを感じるだろう。なぜなら、彼の仕事は、運び込まれてくる本を圧縮機で潰し、紙塊を作ることだから。

 本ばかりでない。食肉解体業者が運び込んでくる、蝿がたかった血まみれの紙も一緒に圧縮する。ゲーテと蝿、ニーチェと鼠が一体化された紙塊を、祭壇のように恭しく並べる。知的で美しいものと、醜怪でグロテスクなものが渾然一体となって、読み手の前に並べられる(ここで悲鳴をあげたくなる)。

 背景にはプラハの春がある。1968年にチェコスロバキアで起きた民主化運動で、ソ連の軍事介入により、文字通り「圧殺」された。大学教授をはじめとする知識人は職を終われ、言論の自由は奪われ、厳しい検閲と徹底的な統制を受けたという(この言論弾圧を「正常化」と呼んでいるのが最高の皮肉なり)。

 ブラック企業、ブラックバイトが現代なら、ブラック人生はこれだろう。価値あるものを(価値あるものだと分かっている人の手で)容赦なく潰す。

 もちろん、そうした経緯をそのまま書くわけにはいかぬ。だからフラバルは、下水道の鼠の争いや蝿、潰されてゆく膨大な量の本に仮託する。ナチズムとスターリニズムが重なりあう過酷な生き様を、ときに滑稽に、ときにメランコリックに描く。

 ブラック人生の中で光る、ささやかな抵抗や、大切な思い出が愛おしい。その描き方が、奇妙で興味深い。可愛い少女と人糞、肉蝿の黒雲とジプシー女のきれいな陰毛、憧れの人の生き方とその人の肉塊など、対照的な要素を並べることで、ビジュアル的に互いに引き立たせるように描いている。

 たとえば、少女と人糞。主人公が、初恋の娘と踊る場面だ。彼女の髪を飾る長いリボンに付いた人糞が飛び散るシーンは、夢に出るほど強烈だった。そして、そのシーンが美しく切ないほど、くるくると回転する彼女がまき散らす人糞の生々しさが、しかめっ面で見守る若者たちの目線が、彼の思い出の中で一層の輝きを増す。真っ黒な人生のうち、目を背けようもないほどの存在感を放っている。

 絵にも描けないおもしろさ。シュールで、グロテスクで、滑稽で、美しい傑作。ご堪能あれ。

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「正しい政策」がないならどうすべきか→コンセンサスの重なりを泥臭く探す

 運転免許の年齢制限をするべきだ。

 18歳未満という制限があるように、ある年齢以上にも制限を設ける。強制返納、保険料の加算、速度制限つき車などのオプションを準備し、「高齢者の運転」がない社会をつくる―――そんな話を妻とする。

 飲酒運転の厳罰化のように、制度化されるまでに大勢の犠牲者が出るのだろうねとか、いやいや「多数」はまさにその高齢者なのだから、無理じゃないかしらね、といった話に落ち着く。しかし、我が家にとっての「正しい政策」は、別の家庭にとって「正しい」とは限らない。

 『「正しい政策」がないならどうすべきか』は、そんなわたしにとってドンピシャの読書になった。原題は"Ethics and Public Policy"(倫理と公共政策)なのだが、まさにタイトルどおり、「正しい政策」がない場合どうすべきか(どうしてきたか)が書いてある。

 急いで補足しておかねばならないのだが、本書で取り上げるテーマは以下の通りで、「高齢者の運転」は含まれていない。そして、イギリスにおける政策問題の事例のため、日本とは事情が異なってくる。

 ・動物実験
 ・ギャンブル
 ・ドラッグ
 ・安全性
 ・犯罪と刑罰
 ・健康
 ・障碍
 ・自由市場

 それでも得るもの大なのは、現実で直面する政策課題に対し、哲学者がどのように取り組んでいるか、生々しい側面とプラグマティックな「落としどころ」が整理されているから。どのような価値に基づき、どんな利益をめぐって対立が生じているかを泥臭く手際よく分析し、哲学、歴史学、社会学、科学的なエビデンスを用いながら、一定の解決策を導く手腕は鮮やである。

 たとえば、健康の章で、「皆保険の導入→健康の平等」とは真逆のエビデンスと検証をする。国民保健サービス(NHS)が導入された結果、高い階級の人はさらに健康になる一方、それ以外は改善されていない報告を紹介する。皆保険制度は、病気やケガへの「心配」を低減するメリットがあるが、健康の決定要因の一つに過ぎないという。

 そして、健康セキュリティという概念を用い、健康を取り戻すべく医師の指示通り「休む」ための家族のサポートや社会的なセーフティがないことが大きな原因であるという仮説を示す。つまり、皆保険は人生の質を向上させるかもしれないが、それは部分的に過ぎないというのだ。

 面白いのは、哲学者が自ら哲学の限界を認識しているところ。哲学そのものではなく、哲学と政治をつなぐときに生じる限界である。わたしたちの価値観は沢山の源泉があり、文化的・宗教的な伝統に由来する。そうした価値の対立に対し、理路整然と秩序づけることは、不可能だという。道徳的価値の多元性に基づくならば、「正しい政策」など存在しない。

 そのため、「正義の原理」といった道徳原理を定め、そこから「正しい社会への処方箋」を書くといったこれまでの政治哲学者の役割に対し、本書は懐疑的な立場をとる。

 たとえば、ピーター・シンガーの「すべての動物は平等である」という主張や、ジョン・スチュアート・ミルの自由原理に基づく議論が俎上に上るが、これらを「小奇麗に」公共政策に適用したとしても、何も解決しないという。「もし哲学者が真実は発見され、論争は終わったと言い張るのなら、彼または彼女は論争が自分抜きで続いていくのを知ることになるだろう」とまで言い切る。

 では、どうするのか。自分が正しいと考える原理から出発するのではなく、現在の政策と国民が広く抱いている感覚から出発することを強調する。対立状況を把握し、哲学的な一貫性が無いという批判を覚悟しつつ、多くの人が歩み寄れる境界線を見いだすべく検討せよという。

 価値が多元化した現代において、「重なり合うコンセンサス」を模索する社会的合意を重視するアプローチは、泥臭く複雑である。しかし、絡まりあったロジックを解きほぐし、価値と利益対立の関係を質し、すり替えられがちな論点の焦点を合わせ、各人が判断すべきトレードオフを評価する。哲学者抜きで議論が進んでいかないよう、こうした仕事にこそ、哲学者が汗を流すべきなのだろう。カール・マルクスの墓石には、こう刻まれているという。

「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだったが、大事なことは世界を変えることだ」

 わたしが「正しい」と考える「運転免許の年齢規制」という政策は、さまざまな価値判断と利害関係を孕んでいる。本書に従うなら、これもコンセンサスを得るため、さまざまなディレンマ・トレードオフを経た「手を汚す」仕事になるに違いない。

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『タンパク質の一生』はスゴ本

 物質がいかに生物になるか、その精妙なプロセスを垣間見ることができるスゴ本。

 ヒトの体には、60兆個の細胞があり、それぞれ80億個のタンパク質を持っているという。本書は、細胞というミクロコスモスで繰り広げられるタンパク質の、誕生から死までを追いかけると共に、品質管理や輸送のメカニズム、プリオン病やアルツハイマー病といった構造異変による病態を紹介する。今までバラバラだった知識がつながるとともに、既知で未知を理解することができて嬉しくなる。

 いちばん大きな収穫は、DNAの遺伝情報から複雑なタンパク質ができあがる仕組みを知ることができたことだ。タンパク質を構成する要素は、アミノ酸だ。アミノ酸は、アミノ基(-NH2)とカルボキシル基(-COOH)を持った化合物で、わずか20種類でタンパク質を構成している。

 では、どうやってアミノ酸を並べることで複雑な機能を持つタンパク質ができあがるか? 本書を読むまで、DNAに書いてある通りにアミノ酸を並べれば、タンパク質が勝手にできあがるものだと思っていた。これは半分しか合っていない。

 もちろん、DNAの遺伝情報が指定するのは、アミノ酸を一列に並べる、まさにその順序だけである。DNAの情報をmRNAとして読み出し、tRNAとリボソームによって一個一個のアミノ酸との対応付けをして並べる。DNAがヒモだから、そこから転写されるアミノ酸もヒモであり、アミノ酸が並べられたものも、ヒモ状になる(ポリペプチドという)。

 だが、並べればそれで終わりではない。コラーゲンのような細胞構造を担ったり、酵素のように代謝に直接関係するためには、ヒモ状では不十分で、それぞれの機能を果たすため、立体的な構造をとる必要がある。ヒモができれば、あとは勝手に折れ曲がったり編みこまれたりするわけではない。

 そこで、分子シャペロンというタンパク質が登場する。シャペロンはフランス語で介添え役のことで、いわば「分子の介添え役」という意味だという。本書では、分子シャペロンを電気餅つき器にたとえ、ポリペプチドから三次元構造を作るメカニズムを説明する。ヒモ状のポリペプチドを取り込んで、蓋をして中で折りたたんだ後、必要としている場所で蓋を開けて取り出す。アミノ酸を並べたモノを生命の要素に変える、その精妙なメカニズムにうなるほかない。

 他にも、できあがったタンパク質を輸送する方式について、葉書や小包に喩えて解説したり、タンパク質の品質管理システムを工業製品に喩えて説明する。また、現在の細胞生理学ではどうしても説明のつけられないプリオン病は、「いま解っていること」「解っていることから説明できないこと」の境目に迫っている。

 著者は、人間社会のアナロジーを細胞世界に持ち込むことに慎重になりつつも、理解の助けになるときには大胆にあてはめてくれる。おかげで、「ここは研究で解明されている」点と、「ここはその喩え」に分けて知ることができた。

 「どのようにそうなっているか」は、「なぜそうなっているのか」を考える便であり、未知を既知で知る驚きと喜びが潜んでいる。

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痛みの科学『痛覚のふしぎ』

 ディズニー映画『ベイマックス』の好きなセリフに、「今の痛みを1から10段階で言うと、どれくらいですか」がある。

 主人公ヒロの「痛い!」という言葉に反応し、スキャンして体温や脈拍など定量的な数値から健康状態を把握するのに、「痛み」だけは自己申告してもらうしかないところが面白い。ベイマックスがロボットだからではなく、痛みは主観的なものだから。

 だが、分子生物学の進歩に伴い、痛覚に関連する機能分子や遺伝子の構造が明らかになってきている。また、fMRIを始めとする脳のイメージング技術の進展により、脳の活動部位や神経回路網を可視化することで、脳における認知の理解が急速に進みつつある。

 その結果、「外部の刺激がなぜ痛みを引き起こすのか」「刺激がどのように脳に伝えられて"痛み"として認識されるのか」といった痛覚のメカニズムが分子レベルで電気生理学的に説明できるようになっている。興味深いことに、「痛み」が熱さ・冷たさ、味覚と密接に結びついているが、これは哺乳類の進化の過程での最近の出来事らしい。

 さらに、単純な「刺激→認知」の直線的な構造ではなく、情動的・感情的要因に「痛み」が影響を受けていることも明らかになっている。外部刺激がない慢性痛が、「痛み」として脳で処理される仕組みを見ると、著者の「痛みとは記憶である」主張に頷きたくなる。ヒロが負った心の傷の「痛み」は、思い出から来るものだから。

 最も興味深く感じたのは、トウガラシの"辛さ"を感じるカプサイシン受容体を解析して明らかになった、痛みとは熱であり味であるという研究だ。カプサイシン受容体は「熱」の侵害受容器でもあり、カプサイシンそのものだけでなく、熱の侵害刺激でもTRPイオンチャンネルが開き、電気信号が脳に伝えられ、「熱い」と感じる。TRPイオンチャンネルは、その構造から複数の刺激に対応しているという。

 受容体  活性化する温度   刺激例
――――――――――――――――――――――――
 TRPA1    15℃      大根、生姜、ワサビ
 TRPM8    12℃      ハッカ
 TRPV3    30℃      樟脳
 TRPV1    43℃      トウガラシ
 TRPV2    52℃      炎

 つまり、熱くて「痛い」と感じる刺激も、冷たくて「痛い」と感じる刺激も、共通の基本構造は同じであり、その刺激は脳の共通の入り口である"視床"を通って大脳で知覚・記憶される。痛みとは熱であり味に結びついた経験なのである。

 痛いとき、痛みに注意が行くと強まり、気がそれると弱まることはないだろうか。虫歯の治療中に、歯科助手から柔らかいものを当ててもらい、痛みが和らいだことがあった(後に、それはクッションだと知った)。あるいは、憂鬱なときに、より「痛み」を強く感じることはないだろうか。この主観的な痛みは、中脳における水道周囲灰白質(PAG)という細胞集団の働きだという。

 PAGは、侵害情報を脳に伝える門番の役割を担っており、主観的な痛みをもたらす痛みの司令塔ともいえる存在らしい。そして、PAGを中心として視床に分布している受容体こそが、モルヒネの受容体になる。つまり、モルヒネは主観的な痛みそのものに効くからこそ、強力な鎮痛作用があるといえる。

 そして、痛みとストレスは密接な関係があるという。大事な面接や分娩時といったストレスがかかるとき、体内でβエンドルフィンと副腎皮質刺激ホルモンが産出される。前者はモルヒネ受容体と結びつき、鎮痛作用があり、後者はストレスを和らげる作用がある。この産出が不十分だと、ストレス耐性が低下するのみならず、痛みへの感受性が上がることが予想される。

 つまり、外的な刺激を「痛み」として認知するには、記憶や気分にされる。この性質を利用して、痛みの記憶を「上書き」することで和らげたり、手術ができない膵臓がんの患者に対し除痛することで延命するといった研究が紹介されている。

 痛みの科学の最新成果を眺めているうちに、主観的な「痛み」のメカニズムも見えてくる。未来のロボットは、「今の刺激は5ですが、あなたの痛みは7ですね」と答えてくれるようになるかもしれない。

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読まずに死んだらもったいない48作品

 「こんなに面白いのに、読んでないのは損してる」という本がある。「面白い」のところには、「タメになる」「心が洗われる」などが入る。徹夜保証の小説だったり、良く生きるための教養書だったり、完結するまで死ねない漫画だったりする。

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 5/8締め切りで、シミルボンの[「本とワタシ」選手権]で募集している。わたしが選考するので、楽しみでならないのだが、待ちきれなくてスゴ本オフのテーマにした。スゴ本オフとは、お薦め作品をまったり熱く語り合う読書会なのだが、まさに「読まずに死ねるか!」級の、とっておきが集まった。

 まずわたしから。読書猿『アイデア大全』を強力に推す。考えるヒント集みたいな顔つきだが、今晩の献立から一生を賭すに事業学業の進め方まで、なんにでも応用できる。これは、問題解決のための人類の叡智を結集したもの。即効を謳う安直なサプリメントのような本ではない。すぐ効く本はすぐ効かなくなる。そうではなく、現実を捉え直す新しい「目」と「手」が手に入る。

 たとえば、対立関係にある相手に問題ありとする構造(me vs you/problem)から、ホワイトボードに問題を可視化することで、問題と私たち(problem vs us)にする手法がさらりと書いてある。わたしは自分の経験から学んだが、これ読めば苦労しなくて済んだのにと思うと、声を大にして言いたい、「読め! あなたが楽しく楽するために」と。

S07

『アイデア大全』は紹介用と布教用で3冊持ってきた!


 「読まずに死んだらもったいない」の「読まずに死ぬ」が自分でなかったらという、すぎうらさんの指摘にハッとする。そして、親の最期の看取りの際、追われるように読み始めたという、深沢七郎『楢山節考』を紹介してもらう。因習に閉ざされた棄老山伝説を小説に昇華した名作で、死への社会観念が変化しているいま、もう一度読まれるべきなのかもしれない。

 そして、自分が死ぬまでに読むべき本は沢山ある一方で、誰かが死ぬ前に読むべき本もあるのではないか、という視点は、確かにその通りだと思う。親が死ぬことに向き合い、保険になるような一冊が、『楢山節考』なのだ。

 「読まずに死んだらもったいない」作品は、すでに世の中に出ており、自分がまだ読んでないだけという前提でいたが、「いま連載中で、最終回になる前に死にたくない」という発想もあることを、sngkskさんに教えてもらう。


 その通り! 自分だけでなく、作者も含めて最終回まで死ぬなよ、と祈りたくなるような確定傑作。『グイン・サーガ』を終わらせられずに逝った栗本薫のことを考えると、『ワンピース』や『ヒストリエ』はそうなりませんように……と祈りたくなる。sngkskさんの激推しは原泰久『キングダム』、史実に基づいているので、最後は秦の始皇帝になるはずなのだが、とてもそう思えない逆境が続く。「読まずに死ねるか」級の、命をつかんで離さない確定傑作。これは読む!

S04

読まずに死ねるか!『キングダム』

 「読まずに死んだらもったいない」を、「仲直りせずに死んだら後悔する」と考えたのが、よしおかさん。そして、数学と仲直りするためのベストな一冊、吉田武『虚数の情緒』をお薦めする。思い返せば、三角関数を習ったあたりから、数学を避けてきたという。仕事や生活で、直接三角関数を扱うことがないけれど、それは表立って出てこないだけで、3DCGや力率など、数えきれない裏側を支えていることは分かっている。

 だからこそ、数学を学び直したい。数学と和解したいという。この本を読んだからといって数学と仲良くなれるとは限らないけれど、1年前に読んでから、数学に対する苦手意識が随分減ったという。よしおかさんは「虚数の情緒読書会」を主催し、読みたい人、読んだ人、読んでいる人でゆるゆると語り合っているので、興味のある方はぜひどうぞ。かくいうわたしは、200ページのあたりで挫折中なので、この機に再開してみようかと。

S02

数学と仲直りするための『虚数の情緒』

 「読まずに死んだらもったいない」のド直球、こんなに面白い本を知らないなんて、人生損している! と断言できるのが、やすゆきさんが持ってきた『シャンタラム』(グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ)、oyajidonさんお薦めの、『背教者ユリアヌス』(辻邦生)。どちらも、予備知識ゼロでいいから(むしろネット検索しないでと言いたい)とにかく読め、という徹夜小説であり夢中小説でありスゴ本。『シャンタラム』は読んだけれど([『シャンタラム』はスゴ本])、『ユリアヌス』は凄い凄いと聞いているので、読む!

シャンタラム1シャンタラム2シャンタラム3
背教者ユリアヌス1背教者ユリアヌス2背教者ユリアヌス3

S01

『背教者ユリアヌス』は徹夜小説

 おそらく、ケン・フォレット『大聖堂』、中島らも『ガダラの豚』、古川日出男『アラビアの夜の種族』といった、四の五の言わず読め、面白いことを保証するから。そして、万が一にも、これより面白いものがあるならば、教えて欲くれ、という傑作なんだろうなぁ……

S05

ドーキンス『進化の存在証明』は読みたい

 以下、集まった「読まずに死ねない」マスターピースばかり。皆さんのお薦めは、[読まずに死んだらもったいない]で募集中ですぞ。ぜひ、教えて欲しい。

  • 『アイデア大全』読書猿(フォレスト出版)
  • 『侍女の物語』 マーガレット アトウッド(ハヤカワepi文庫)
  • 『チャイナ・メン』マキシーン・ホン キングストン (新潮文庫)
  • 『楢山節考』深沢七郎(新潮文庫)
  • 『虚数の情緒』吉田武(東海大学出版会)
  • 『ニューロマンサー』ウィリアム・ギブスン(早川書房)
  • 『流転の海』宮本輝(新潮文庫)
  • 『女生徒』太宰治(新潮文庫)
  • 『寄生虫なき病』モイセズ・ベラスケス=マノフ(文藝春秋)
  • 『源氏物語』谷崎潤一郎訳(中公文庫)
  • 『国をつくるという仕事』西水美恵子(英治出版)
  • 『幸田文の箪笥の引き出し』青木玉(新潮文庫)
  • 『この世の美しきものすべて』ヤロスラフ・サイフェルト(恒文社)
  • 『背教者ユリアヌス』辻邦生(中公文庫)
  • 『誘拐』本田靖春(ちくま文庫)
  • 『本当に生きるための哲学』左近寺祥子(岩波書店・岩波現代文庫)
  • 『BUTTER』柚木麻子 (新潮社)
  • 『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』佐々涼子(早川書房)
  • 『トーマスのほん』
  • 『キングダム』原泰久(集英社)
  • 『ふたりからひとり ときをためる暮らし』つばた英子 つばた秀一(自然食通信社)
  • 『シャンタラム』グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ(新潮文庫)
  • 『くらやみの速さはどのくらい』エリザベス・ムーン(ハヤカワ文庫)
  • 『アルジャーノンの花束を』ダニエル・キイス(ハヤカワ文庫)
  • 『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』ジョン・グローガン(ハヤカワ文庫)
  • さくら学院6th アルバム『約束』
  • 『読んでいない本について堂々と語る方法』バイヤール,ピエール(ちくま学芸文庫)
  • 『学習の図鑑LIVE植物』
  • 『小説 言の葉の庭』新海誠(角川文庫)([柏大輔『88』]を聴きながら読むと良いとのこと)
  • 『全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路』松本 修 (新潮文庫)
  • 『花の慶次』隆慶一郎/原哲夫(ジャンプ・コミックス)
  • 『種の起源』チャールズ・ダーウィン(岩波文庫)
  • 『ビーグル号航海記』チャールズ・ダーウィン(平凡社)
  • 『進化の存在証明』リチャード・ドーキンス(早川書房)
  • 『烏に単は似合わない』阿部 智里(文春文庫)
  • 『獣の奏者』上橋 菜穂子(講談社文庫)
  • 『東方の夢―ボナパルト、エジプトへ征く』両角 良彦(講談社文庫)
  • 『オイラーの贈物』吉田 武(東海大学出版会)
  • 『コインロッカー・ベイビーズ』村上龍(講談社文庫)
  • 『ドラえもん』藤子不二雄(小学館)
  • 『勇午 ロシア編』赤名 修/真刈 信二(講談社漫画文庫)
  • 『キラリと、おしゃれ―キッチンガーデンのある暮らし』津端 英子/津端 修一(ミネルヴァ書房)
  • 『南アルプス山岳救助隊K-9 レスキュードッグ・ストーリーズ』樋口明雄(山と渓谷社)
  • 『るろうに剣心』和月 伸宏(ジャンプ・コミックス)
  • 『新平家物語』吉川英治
  • 『私の生きた証はどこにあるのか』H.S.クシュナー(岩波現代文庫)
  • 『冴えない彼女の育て方』丸戸史明(富士見ファンタジア文庫)
  • 『不在の騎士』イタロ・カルヴィーノ(白水Uブックス)

S06

『勇午』は面白いぞ!

 次回のスゴ本オフのテーマは、「ハマる瞬間」。恋でも趣味でも運命でも、なにかにハマる瞬間、墜ちるトキメキがテーマですぞ。その瞬間が描かれた作品そのものを持ってきてもいいし、その作品にハマった自分自身について語ってもよし。本でも音楽でも映像でもゲームでもなんでもOK、6月に渋谷でする予定です。

 最新情報は[スゴ本オフ]をチェックしてくださいませ。

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