目が回るマジックリアリズム『めくるめく世界』
加速度センサーである三半規管に異常をきたすと、ぐるぐる物が回って見えたり、自分の身体が大地に対して回転しているかのような感覚に陥る。「めまい」というやつ。『めくるめく世界』は、読むことで擬似的にめまいを引き起こす、グロテスクで奇想天外な冒険小説なり。
めまいを引き起こす仕掛けは冒頭すぐに分かる、1章が3つあるから。意味不明だろう? わたしも困惑させられた。これは、セルバンド・デ・ミエルという修道士の波乱に満ちた生涯を追ったものだが、
・事実あったがままに(素描)
・事実はこうでなかったのか(推量)
・事実がむしろこうであってくれたら(願望)
という3パターンで同じエピソードを描く。同じことを3つも読まされるなんて退屈かと思いきや、ぜんぜん違う話に見える。
よくある「真相はこうでした」的な種明かしもあるけれど、本作はもっとやりたい放題である。対話や事実関係が違うどころか、因果も順序もひっくり返し、死んだ人を生きてたことにしたり、逆に殺したりしてくる。
善が悪に、追う者が追われる存在に、厳重に監禁されてたはずなのに牢獄からも重力からも自由になっていたりする。同じはずのものが、異なる三面の鏡に映し出され、ぜんぜん違う姿かたちで現れてくるため、ぐるぐると回って見えてくる。荒唐無稽なのに執拗にリアルに描いており、そのギャップが物凄く面白い。
めちゃくちゃ笑ったのが、牢獄から脱出するシーン。セルバント師の影響力を恐れた当局は、投獄するだけでなく、歯の一本一本、あらゆる関節から睾丸にまで鎖を何重にもかける。独房全体を埋め尽くすほど鎖に覆われ、鎖の網の中で生活するはめになる。食事はスープで、月曜日に鎖の上にぶちまけられたスープが腐った水となって修道士の顔をぬらすのは、土曜の朝だったという。この状況からの脱出は、あらゆる想像力の斜め上を飛翔してゆき、文字通り、腹を抱えて笑った。
それだけではない。同じエピソードを複数のパターンで描くだけでなく、パターンごとに人称をも変えてくる。「素描」が一人称なら、「推量」は二人称、「願望」を三人称にする。これも読み手を眩惑させるやり方で、セルバント師の話だと自分に言い聞かせていないと、物語の振動に振り落とされてしまうことになるだろう。
そして、こうした書き分けに法則があると思いきや、中盤にいたってはパターンを逸脱してくる。そうなると、自分が回っているのか、物語が回転しているのか、分からなくなる。
失ってはじめて気づく。描写や視点、人称の一貫性が物語に重力を与え、それを手がかりとして物語の方向性や加速度を認識していたことに。三半規管を麻痺させる小説に、ただひたすらに翻弄させられる。お薦めいただいたのは、三柴ゆよしさん。ありがとうございます!
読む「めまい」をどうぞ。
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