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都心のジャングルで読書会

好きな本を持ちよって、まったり熱く語り合う。それがスゴ本オフ。今回は「美と変身」をテーマに、本やCDをお薦めしあった。

 いつもはラウンジやレンタルキッチンに本を持ちより、CDやyoutubeを流しながら、ビールや唐揚をつまみながらの、「読書会という名を借りた宴会」なのだが、今回は趣きが違う。

 それは、かなり不思議な場所だった。

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 六本木のど真ん中なのに鬱蒼と木が茂るドーム状の空間で、「いつもと違う感」に満ちていた。ドームに音が反響し、相手の声を耳というより全身で聴く仕掛けになっている。目と耳と肌が非日常を訴えてくるのだが、不快ではなくむしろ癒される空間だった。

 実はここ、ポーラとメルセデス・ベンツが提供する「POLA TALKER'S TABLE」という、期間限定の特殊なイベントスペースなのだ。圧倒的な緑の中、ノンアルコールで(ここ重要)、いつものスゴ本オフをスタートする。

 わたしがお薦めするのは、ウンベルト・エーコ『醜の歴史』と『美の歴史』のセット。知の巨人が、古今東西の絵画・彫刻・映画・文学から「醜」「美」の基準で選び取り、それを種にして価値観の普遍性を探究する。

 『醜の歴史』と『美の歴史』を比べると、圧倒的に面白いのは『醜』になる。なぜなら、『美』は移ろいやすい一方、『醜』は絶対的だから。何をもって美人とするかは、時代や文化により異なる。だが美人の腐乱死体は普遍的に醜い。『美』は文化的背景の価値観を反映し、『醜』はその先にある「死」の概念をまとう。そしてもっと面白いのは、「死」と『醜』の境にエロスが潜んでいるところなのだ。[『醜の歴史』はスゴ本]にまとめたので、ご興味のある方はどうぞ。

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 宝塚という断面で「美と変身」を鮮やかに斬ったのが、むろたさんお薦めの中山可穂『男役』。ヅカ版のオペラ座の怪人ともいえる話で、過去の悲運のトップスターと、若くして大抜擢され一流を目指す「男役」の栄枯と愛憎。面白かったのが、「宝塚の男役は、この世には存在しえない存在」であるという点。生物的には女であっても、容姿から振る舞いは男そのもの。しかも、理想かつ究極の「男」であって、けして男装した女ではない。

 「男役」はある意味、男でも女でもない性。そのカップルとなるのは、役の上では「娘役」となるが、本当に付き合いたいのは同じ男役だという。同著者の『娘役』を読むと、虚構の世界の生々しさを感じる。一方、宝塚の方法は、「さくら学院」などのアイドルグループのマーケティングと類似しているという指摘があり、生々しさに拍車がかかる。

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 ハッとしたのが、chicaさんのこの一言「人そのものが、生きることが美しい」。美しい人も、綺麗な景色も、すべて移ろいゆく存在だ。では、はかない美は消えてしまうのかというと、そうではない。人生の中で美しいと感じるその人の中に美があるのであり、個人の生に投影されたものが美であるのなら、美とは人そのもの、生きることそのものになるのではないかという考えだ。

 chicaさん曰く、この考えは、内田洋子『カテリーナの旅支度 イタリア 二十の追想』で気づかされたという。ミラノやローマ、小さな田舎町で出会った、人々の生きざまと思いを描いた珠玉のエッセイは、日常に潜む普遍性が国や文化を超えて迫ってくる。これは旅先で読みたい。

 集まった本は次の通り。POLAさんのイベントレポートは[POLA talker's table ARCHIVE]をご覧くださいませ。ちょっと変わった場所で、少人数・ノンアルコールでするのもいいね。

『醜の歴史』ウンベルト・エーコ(東洋書林)
『美の歴史』ウンベルト・エーコ(東洋書林)
『美術の物語』エルンスト・ゴンブリッチ(ファイドン)
『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』内田洋子(集英社文庫)
『EMBRYA』MAXWELL
『仮面ライダーカブト』(DVD)
『さくら学院 卒業』
『女王はかえらない』降田天(宝島社)
『わたくし率 イン歯ー、または世界』川上未映子(講談社文庫)
『ドラゴンボール』鳥山明(集英社)
『BEAUTIFUL PIGS ビューティフルピッグ』AndyCase
『レディ・レッスン』ケリー・ウィリアムズ・ブラウン
『ロンドンの佳き日』BELNE
『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』リンダ・グラットン(東洋経済)
『大人のための残酷童話』倉橋由美子(新潮文庫)
『二流小説家』デイヴィッド・ゴードン(ハヤカワミステリ)
『男役』中山可穂(KADOKAWA)
『娘役』中山可穂(KADOKAWA)
『叶恭子の知のジュエリー12ヶ月』叶恭子(よりみちパン!セ)
『傾城の恋』張愛玲(平凡社)

 次回のスゴ本オフは、4/22(土)渋谷にて、「読まずに死んだらもったいない」というテーマでやります。ページを繰る手が止まらない徹夜小説から、世界の見方を一変させた凄いノンフィクションまで、これ読んでないなんて損だよーという作品をお薦めくださいませ。詳細・申込は、スゴ本オフ「読まずに死んだらもったいない」をどうぞ。

 また、シミルボン経由でお薦めいただく企画「本とワタシ」選手権も募集中。あなたがお薦めしたい「読まずに死んだらもったいない」作品への熱い思いをお伝えください。大賞5万円、奮ってどうぞ。

[シミルボン:「本とワタシ」選手権]


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「健康の不在」から健康を考える3冊

 失って初めて分かるもの、それは健康。

 風邪で苦しんでるとき、ひどい二日酔いのとき、健康のありがたみが身に沁る。そして、「もっと自分の身体を大事にしよう」と決意するのだが、喉もと過ぎればなんとやら、決意が続いた例なし。普段はあたりまえのように享受しているが、いずれ「あたりまえ」ではなくなるのに。

 また、「健康」は最重要なものであり、これに反したり外れたりするものはノーマルではない、という考えがある。確かに健康であることは大切だが、それを強要するのは違う気がする。「健康のためなら死んでもいい」というスローガンや、「健常者」という言葉に違和感を覚える。

 今回は、この手垢にまみれた「健康」に、疑いの目を向けてみよう。ずばり健康をテーマにした本は沢山あるが、ここでは、「健康の不在」をテーマに健康をあぶりだしてみよう。

 まず直球から。トルストイ『イワン・イリイチの死』を読めば、思わずわが身を抱きしめたくなる。はっきりした頭で考えることができ、自由にできる身体があるというだけで、どれだけありがたいことか、「生きていること」を愛おしく感じるに違いない。なぜならこれは、「健康が失われてゆくこと」のシミュレーターだから。

 成功人生を送ってきた男が病を得、どんどん悪化してゆく。家族の冷淡な様子や、ひとりぼっちで惨めな思い、そして、自分の人生がまったくの無駄であったことを徹底的に思い知らされるところは、あまりにも残酷だ。

 恐れ、拒絶、戦い、怒り、取引、抑うつ、そして受容といった典型的な(?)段階を経ながら、死と向かい合う心理的葛藤を容赦なく暴きたてる。死とは他人にだけ起きる事件だとタカくくっていた順番がまわってきたとき、どういう態度をとるのか。否が応でも「自分の番」を考えさせられる。ここなんて怖いぞ。

なぜ、何のためにこんな恐ろしい目にあうのか。だが、いくら考えても答えは見出せなかった。そしてよくあるように、なにもかも自分が間違った生き方をしてきたせいで生じたことなんだという考えが頭をよぎると、彼は即座に自分の人生の正しさをくまなく思い出して、その奇妙な考えを追い払うのだった。

 気楽・快適・上品といった、健康だった頃の価値尺度は、そのまま彼の人生の虚構を示している。他者との精神的なかかわりを避け、自分の人生を生きてこなかった彼が、死を自覚することで、ムリヤリ向き合わされる。そして、もう、とりかえしはつかない。

 ラストがどうなるかはタイトルで分かる。しかし、「健康が失われてゆく」過程をシミュレートした結果どうなるかは、読み手に委ねられている。ある意味、猛毒となる一冊。

 次は健康の戯画化。筒井康隆『最後の喫煙者』を読むと、健康ファシズムという言葉が浮かんでくる。健康な社会を求めて始まった反タバコ運動が、喫煙者への差別や排斥運動となってヒステリックに過激化していく。タバコと社会という断面で斬っており、(わざと?)コミカルに描いているから風刺的に読めるが、これ、かなり怖い話だね。

 「健康」は、一見、誰も反発したり疑義を唱えられない中立的な善のように見える。誰だって病や苦痛を避けたいもの。健康であるに越したことはない。どれだけお金を積んだって、健康はお金では買えない。もちろんその通りだ。

 しかし、誰も反対しないからこそ、この言葉を使えば、先入観を押し付けることができる。無条件に美徳だと認められるからこそ、そのレトリックに気づきにくい。『最後の喫煙者』は、タバコという分かりやすいレトリックだからこそ風刺になる。だが、現在進行中の健康にまつわる様々な政策やマーケティングに潜むレトリックは、「健康管理国家」というレッテルを貼られるまで、気づかれないままだろう。

 そして、「健康」のパラドクス。シッダールタ・ムカジー『病の皇帝「がん」に挑む』を読むと、「がん」をテーマにしたドキュメンタリーなのに、「健康とは何か」を再考させられることになる。

 本書は、人類とがんとの戦いの歴史なだけでなく、現場の医者たちの手記であり、沢山の患者の闘病記になっている。ウィルスや遺伝学からのアプローチ、古代から現代に至る医療技術の変遷を追う一方で、環境汚染の疫学論争を扱い、たばこ撲滅キャンペーンによる第三世界への「がんの輸出」といった今日的なテーマまで手広い。

 読み進めるにつれ増す違和感は、がんに対する姿勢だ。著者および本書に登場する医師たちは、がんとは闘う相手であり、殲滅すべき「敵」として扱っている。しかし、がん特定の探索過程を通して詳らかにされるその正体は、“わたしたち自身”なのだ。マイケル・ビショップの言葉を借りるならば、「われわれ自身のゆがんだバージョン」である。著者自身は、「生存能力を付与され、活動の亢進した、多産で創意に富む、われわれ自身の寄せ集めのコピー」だという。

 この姿勢は、救うべき患者自身を攻撃することにはならないだろうか。メス、薬、放射線による攻撃で、がんを取り除くためなら、患者を殺してしまってもかまわない。無慈悲で冷酷なまでの執拗さで、患者が副作用に耐えうる限界を押し広げていかなければならないという姿勢は、医学の未来を明るくとらえた無邪気の裏返しだ。そうした先人の積み重ねの跡に、いまが成り立っていることを思い知らされる。

 もちろんこれは過去の話で、今は改善の見込みと患者のQOL(生活の質)との兼ね合いの上で、治療方針が決められる。「健康でないもの」を排除することが医学の目的であるとすれば、その極端な姿はナチスのブーヘンヴァルト収容所の所長の言葉に端的に表れる。「うちの収容所に病人は一人もいない。健康な人と死人だけだ」。

 確かに健康は重要だ。だが、なんのために重要なのか、「健康の不在」から考え直すと、いろいろ炙り出されてくる。健康であることが「あたりまえ」なのか、健康が重要であることを「あたりまえ」だと考えるのかで、さらに炙り出されて面白い。

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生命の本質は「膜」である『生命の内と外』

 これは面白かった。生命の本質として「膜」に着目し、最新の細胞生物学の知見からその仕組みを解き明かす。

 「膜」の内側で自律性を保ちつつ、かつ、「膜」の外側と情報や分子を交換するメカニズムは、そのまま「生命とは何か」に対する一貫的した説明になる。その見事さに驚くと同時に、「私とは何か」をも考えさせる名著なり。

 まず、「生きている」最低条件として、外界から「閉じて」いることを挙げる。自己を囲む膜が、外部と内部を区別していなければ、生命としての安定性や自律性は保てないという。そして、「閉じて」いるからこそ、生命維持に関わる種々の化学反応(=代謝)を効率的に、合目的的に行うことができるというのだ。

 その一方で、「生きていく」ためには、外界から「開いて」いなければならない。代謝に必要な栄養物や酸素などの物質を取り込むため、さらには、不要となった廃棄物を排出するためには、外の環境に対して開いている必要がある。つまり、「生きている」とは、外部から「閉じつつ開く」という存在になる。そして、一見この相反する状態を実現しているのが「膜」だというのだ。

 たとえば、栄養素の摂取における膜の役割について。ヒトをトポロジー的に見るとドーナツ状になる。ドーナツの穴に相当するのが消化器官だ。要所に弁が存在するものの、胃や腸は「外部」になり、共生微生物のコロニーとなっている。そうした外部に対して「閉じ」つつ、グルコースなどの糖を通すため、グルコース・トランスポーターという膜透過のメカニズムがある。この機能は、膜の内外のナトリウムイオンの濃度の差を利用し、その流入エネルギーを拝借することで、グルコースだけを運び込む。

 あるいは、生成したタンパク質の取り込みについて。この凄さを伝えるためは、タンパク質の生成について触れねばならぬ。

 タンパク質は、階層構造をとる。ヒモ状の一次構造(ポリペプチド)から、それを折り曲げた構造をとり、さらにシート状ユニット構造をとることでそれぞれの役割を果たす。タンパク質は、DNAの遺伝コードの文字列に対応するアミノ酸をつなげていくことで生成されることは知っていた。しかし、これはあくまで一次構造にすぎず、これを折り曲げたり編み上げることで、「酸素と結びつきやすい」とか「水に馴染む部分と反発する部分をもつ」といった特性をもつことになる。

 しかし、折り曲げたり編み上げることで一定の大きさをもってしまうと、膜を通過することはできない。そのため、ヒモの状態で膜を通し、通った内側で構造化することで、「開く」範囲を最小限にする。しかも、ヒモを通す穴を開ける際、細胞膜は、一種のエアロックのようなメカニズムを持つ。分子内シャペロンという折り曲げ・編み上げを助けるタンパク質が、このエアロックの役割を果たすのだが、微小空間における「閉じつつ、開く」解説であるにもかかわらず、スペースシャトルのドッキングのようで楽しい。

 2016年のノーベル生理学・医学賞で話題になったオートファジーの理論も、「閉じつつ、開く」視点から説明されている。ヒトの一日の体内アミノ酸の出納は、次の通りだという。

 体内へ摂取する 70g
    ↓
 体内で合成する 180g
 体内で分解する 180g
    ↓
 体外へ排出する 70g

 つまりヒトは、食べたタンパク質の他にタンパク質を作り出している。このタンパク質の再利用は、いったん出来上がった(構造体をとる)タンパク質を分解する必要がある。この分解は、「体の外側で」なされている。

 いま、おかしなことを書いた。体内で起きていることなのに、「体の外側」というのはおかしい。タンパク質を分解するための空間を膜でつくりだし、その中で分解する(体内で分解したら、他の必要なタンパク質も分解されてしまうから)。つまり、オートファジーによる分解機構とは、餌となるタンパク質を「膜の中という"外部"」に持ち出して、そこで分解する装置だというのだ。タンパク質のリサイクル・システムは、この「体の中の外側」でなされている。

 この発想にはガツンとやられた。考えてみれば、体の中に外側を持つことで、「閉じつつ、開く」を実現している。消化器官や呼吸器官は、「体の中」であるにも関わらず、トポロジー的には外側だ。共進化により不可分の関係になっている共生微生物は、「体の外側」にある、生きるために必須の存在だ。そもそもミトコンドリアは細胞内にある「外からやってきた」小器官だといわれている。

 つまり、完全に「わたし」という閉じた存在があるのではなく、さまざまな「わたし以外」へ開かれつつ、それでいて統一性を保っている存在なのだ。

 生命を「膜」で考える好著として、ニック・レーン『生命、エネルギー、進化』がある。これは、「生きているとはどういうことか?」をエネルギーの観点から解き明かした名著である。レビューは[ニック・レーン『生命、エネルギー、進化』は難しかった]に書いたが、生命とは電動であり、そのエネルギーは膜を挟んだ電位差で生じる仕組みを明らかにしている。

 生命と環境を隔てている境界は極薄の膜であり、それは閉じつつ開くことで「生きている」を実現する。そのメカニズムは、知れば知るほど面白い。

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好きな本を熱く語った「本のフェス」

 「本のフェス」は、新しい本との遊び方を提案するイベントだ。小説のワークショップや読書芸人トークライブ、アイドルによる絵本の読み聞かせ、野外ライブなど、「本」について本気で遊ぶ文化祭のような場なり。3/12に新宿で行われたイベントで、スゴ本からも「蔵書公開」「スゴ本オフ」で参加したので、ここでレポートする。

 まず、わたしの蔵書公開。

引きこもりに最適な厨子本棚

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わたしの蔵書より

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 実は、わたし、「自分の本棚」を持ってない。妻や子どもの本棚を間借りしたり、床に積読山脈を造ったり、行きつけの本屋や図書館を自分の書棚の代わりにしたりしてしのいでいる。あっちこっちに散在している蔵書を集め、「厨子本棚」という可動型書棚に並べてもらったのだ。

 「厨子」というだけに仏壇のような面持ちだが、格納するのは「仏」ではない。読書する人なのだ。扉や棚に本を並べ、真ん中に座って観音開きの扉を閉めてもらうと、全面を本に囲まれる安心感でいっぱいになる。まこと読書人にとって理想的な棺桶なり。

仲俣さんの蔵書より

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 しかも、恐れ多くも仲俣暁生さんの蔵書と供に並べていただく。「こんな本の力を借りて生きてきた」というテーマで、100+αの選書なり。好みが重なるところもあれば、ぜんぜん知らないものも多数あって、興味が尽きないラインナップでした(カポーティ『冷血』がなぜか2冊並んでいたのが気になる……)。

『プリキュアぴあ』は名著

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 わたしの場合、最近読んだ本からエログロを抜いただけという統一感のない選書で、プリキュアからウィトゲンシュタインまで、バラエティだけは富んでいたと思いたい。ギャラリーの人波の後ろから眺めているのが楽しかった。皆さん、ディケンズや諸星大二郎といった通好みを手にとってばかりで、誰も『プリキュアぴあ』見ようとしなかった……

chicaさんの蔵書より

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 そして、スゴ本オフ@本のフェス。

 好きな本を持ちよって、まったり熱く語り合う読書会。それがスゴ本オフ。いつもは「SF」や「恋愛」といった、何かしらテーマを決め、それに沿ってお薦め作品を持ち寄るのだが、今回は変えてみた。なるべく沢山の人に来てもらい、興味を持ってもらい、あわよくば飛び入り参加を期待して、フリーテーマ・ノンジャンルでやってみた。

 ギャラリーは30人くらい(?)集まる一方、発表者が6名と少なめで、その分、濃い口のプレゼンになった。いつもはビール片手にほろ酔いで進めるのだが、すごくまじめな雰囲気だったので、呑んでる余裕がなかったw

ギャラリーが多くて緊張しますた

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もちろん『アイデア大全』は放流しませんぞ

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 ささきさんの「理解の範疇を超えた存在と、どう相対するか?」というテーマで『ソラリス』と夫婦間のコミュニケーションを語るのが面白かったし、初参加の方の、ベケットのいつまでも終わらない独白『いざ最悪の方へ』を読むときの「宙吊りの感覚が好きだ」という主張に激しく頷く。ベケットのtweetだと思うといつまでも読めるね。

 わたしは「読まずに死んだら、もったいない」級のスゴ本、『アイデア大全』『自分の小さな「箱」から脱出する方法』『死を食べる』を暑苦しく語った。『箱』と『死』は放流したが、『アイデア大全』は使い倒すつもりなので、「買って読め、一生モノだから(命令形)」と宣言したら、さっそく買っていただいた模様。

 これ、アイデア・ノウハウ集というより、計画的に問題解決を設計・実行するためのツールボックスのようなもの。この「問題」は、ほぼありとあらゆるものに応用が利く。レビューは読書猿『アイデア大全』はスゴ本に書いたので、未読の方は買うべし(命令形)。

 次のスゴ本オフは2つあるぞ。ご興味とご都合のよいときにどうぞ。

◆美と変身
3/26(日) PM 六本木
[詳細と申込み]

スゴ本オフ番外編。POLAとベンツのコラボスペースを借りて「美と変身」をテーマに六本木でやります。「美」だけでも、「変身」だけでもOKで、オススメの本、マンガ、CD、DVDなどを紹介してください

◆読まずに死んだら、もったいない
4/22(土) PM 渋谷
[詳細と申込み]

シミルボンで募集中のコンテスト「読まずに死んだら、もったいない」のテーマでやります。これ読んでないなんて、人生損をしてるよなぁ……という徹夜小説、夢中本、目鱗本を持ち寄って、お薦めあいましょう。

[シミルボン:「本とワタシ」選手権]

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B&Bで読書会する至福について

 時を忘れる書店がある。

 ひとたび店に入ると、あっという間に時が経つ。なぜか膝がガクガクするなぁと思ったら、3時間立ちっぱなしだったとか、昼に入ったのに、気づいたら外が真っ暗だったとか。あるでしょ?

 絶妙な選書と並べ方に惚れ惚れしながら、眺めて触れて試して読んで、ひたすら書物の森を遊ぶ。既読本の両隣のタイトルに惹かれて散策していると、ずっと探してた一冊に出会える(しかも目にしてはじめて、ずっと探していたことに気づく)。同じ棚を再度めぐっていると、さっき見落としてた重要な作品が飛び込んでくる。

 そんな書店の一つに、B&Bがある。下北沢にある、「ビールを飲みながら本が読める」ちょっと変わったお店だ。丸善や紀伊國屋を見慣れている目からすると、小さなお店だ。だが、こっちの方が愉しい。選書のセンスが素晴らしく、探すというより惑う、既知の検索というより未知との遭遇が期待できる、「わたしが知らないスゴ本」が待ってるお店なのだ。

 そこで読書会したら愉しかろうとやってみたら、至福この上なかったので報告する。スゴ本オフの特別編なり。

 一般的な読書会だと、課題本を決めて、それを読んできて、皆で感想を言い合うという場だけれど、スゴ本オフはテーマだけ決めて、それに沿ったお薦め本を紹介しあうオフ会だ。最新情報はfacebook「スゴ本オフ」にある。

 ところが今回は、「課題本なし」「テーマなし」なのだ。唯一の条件は、「B&Bで見つけたお薦め本・読みたい本」になる。既読のオススメを見つけたら、それを紹介しても良いし、未読だけどこれ読みたい! という本についてしゃべってもいい。「なぜその本が気になるのか?」を伝えようとすると、必然的に自分が何に興味があり、何に知的欲求が刺激されるのかを語ることになる。

 これが、めちゃめちゃ、面白い。

 参加される方の「好き」が如実に本に現れている。その「好き」を取っ掛かりとし、自分の興味につながってくる(嬉しい)。同じ書店の同じ棚を見ているはずなのに、掘り出してくる宝がぜんぜん違う(楽しい)。「これ好き!」の熱量が伝わってきて、知的欲求が飛び火して、自分も読みたく欲しくなる(面白い)。

この棚は魅入られる

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並べ方に物語がある

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渋い選書。開いているのは内田百閒『東京日記』

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泥酔文学の金字塔!

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バベットの晩餐会は映画も観たい

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こうの史代さんの名著が!

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同じ棚を見てたのに『南極建築』気付かなかった

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ヤマケイ文庫の『くう・ねる・のぐそ』は大ウケ!(これは読む!)

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コリン・ウィルソンがこんなの書いてたなんて!

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 物理的な2時間が、感覚的には1瞬だった。ご参加いただいた皆さま、ありがとうございます。お店を借り切って、ワイワイしながらブックハンティングするので、10名ぐらいという規模になるので、シリーズ化してもいいかも。

またやりますぞい。facebook「スゴ本オフ」を要チェックや!


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結婚は天国か地獄か

 どちらの答えもありうるし、どちらの答えも無傷じゃ済まされない。せめては先人たちの教訓を糧として、同じ轍を踏まないようにと願うのだが、叶ったためしはない。

ここでは、結婚がはかどる作品をいくつかご紹介しよう。読むだけで経験値を積める。踏まなくてもいい地雷、しなくてもいい喧嘩を避け、なるべく望ましい結婚になりますように……

 いきなり真打、トルストイ『アンナ・カレーニナ』。結婚前でも後でも、これ読むと飛躍的にレベルが上がるので、強くお薦めする。

人生を滅ぼした女から、何を学ぶか。

「女とは愛すべき存在であって、理解するためにあるものではない」といったのはオスカー・ワイルド。これは、夫婦喧嘩という名のサンドバック状態になってるとき、かならず頭をよぎる。

結論から言う。論理的に分かろうとした時点で負け、相手の感情に寄り添えるならば、まだソフトランディングの余地はある。

 しかし、アンナの夫と不倫相手は、そこが分かっていなかった。体裁を繕うことに全力を費やしたり、売り言葉に買い言葉で応じたり。優越感ゲームや記憶の改変、詭弁術の駆け引きは目を覆いたくなるが、それはわたしの結婚でもくり返されてきたことの醜い拡大図なのだ。

 投げつけあう「あなたの言っていることが分からない」の応酬は、「どうせ分かってるくせになぜそういう態度をとるの?」の裏返しだ。大いに身に覚えがあるわたしには、ヴロンスキー(不倫相手)の利己的な愛の吐露が身に染みる。

「じゃあ言ってくれ、きみが穏やかな気持ちでいるためには、ぼくはどうしたらいいんだ? きみが幸せでいてくれるためなら、ぼくは何だってする覚悟だから」

彼女のイライラはどこから来るのか。離婚が決まらない宙ぶらりんの不安感や、上流階級サロンからの侮辱、息子と引き離された悲しみ、そうしたもろもろが中途半端なまま「いままでどおり」を演じようとする乖離が見て取れる。

イライラに明確な原因があって、取り除くなり緩和すれば解決する―――わけない。きっかけは些細な意識齟齬だったり、僅かな行き違いだが、それはトリガーに過ぎぬ。お互いそこは了承してるからいきなり過去の嫌味辛みの応酬となる。「分かろう」とするのは歩み寄りよりもむしろ、「分かってやろう」という上から目線に取られる。「わたしが欲しいものを知っているくせに」。

では、アンナが欲するものは何か。献身的な態度か、巨額な資産か、贅沢な生活か、甘美なひとときか、その全てを受け入れながらも、そのいずれでもないという。独白の形で彼女は表明する。

「わたしが欲しいのは愛だ。でも愛はない。だとしたら、全部おしまい」自分が言った言葉を彼女はくりかえした「だったら終わらせなくちゃ」

物語は一気に不吉な様相になる。だが、彼女が欲したのは、愛そのものではなく、「愛されているわたし」だった。男の目や手や顔やしぐさに愛を見いだすのではなく、男の言葉から愛を受け取るのではなく、ただいひたすら、自分、自分、自分。「愛されているという感じ」を感じたいのだ。

 残念ながら、この判定者は女自身。なのでこの戦いは100パーセント男の負けになる。これが判らぬ男は、女を泣かすか、女から逃げ出すまで無益な消耗戦を続けなければならない。言葉を尽くして、なだめてすかして、思いあまって、しかも何度もくり返して、たどり着くのだ―――この女が分からぬという結論に。だが、この結論そのものが間違っている。女を理解しようとするその態度が、「女を理解する」という設問自体が、誤っているのだ。女は、理解するためにあるのではなく、ただひたすら、愛するためにある。

 その愛し方は、ひたすら尽くす(ヴロンスキー・不倫相手)、すべてを赦す(カレーニン・夫)と男それぞれ。おそらく二人とも、「わたしと○○と、どっちが大事?」という定番の質問の答えを知らないのだろう。そもそも、この質問をされた時点で男の負けなのだが、正解は、「そんなことを言わせて、ごめん」と言いながら、(TPOに合わせて)抱きしめる or 土下座する or 涙を流すだ(ここテストに出ます)

 しかし、これがなかなか厄介だ。プライドというやつが邪魔をする。そして、このプライドというやつが面白い。本書には、リヨーヴィンという、まさにプライドが服を着ているような奴が登場する。そして、彼の生活や事業、結婚観や内省が、微笑ましくて愉快になる。

 実は、「アンナ・カレーニナ」というタイトルなのに、このリヨーヴィンが物語の半分を占める。二人の人生はときに交差するけれど、これは一種のダブル・プロットになる。「不倫の果てに鉄道自殺する不幸な女の話」に絡まるように、「紆余曲折の末、幸せな結婚生活を送る男の話」が続く。ウラジミール・ナボコフは、このリヨーヴィンのパートを評価せず、夾雑物あつかいしている。だが、その秘密は、この物語の一行目に隠されているのではないか。あまりにも有名なこれだ。

幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、
不幸な家族はそれぞれの不幸の形がある。
 非常に興味深いことに、この一行目を読み始めたときは、わたしもこれに同意だったが、読み進むにつれ懐疑的となり、最後に至っては、逆ではないかと考えるようになる。すなわち、何に幸せを見いだすかは人によるが、不幸の形はただ一つ、「不信」という姿をとる。人間不信になったり、不信心だったり、明日が信じられなくなったとき、それを人は不幸と呼ぶのではないか。

 本書は19世紀の貴族社会における恋愛をモチーフとしながら、結婚や家族のおける価値観の問題、モラル、教育、宗教、さらには農業や政治や戦争の問題など、さまざまなテーマを縦横に書き込んだ総合小説となる。

 アンナの濃厚な自己愛の跡を辿っても面白いし、リヨーヴィンのプライドが七転八倒する様を笑ってもいい。トルストイの一見リアリスティックな世界は、同時に象徴、隠喩、寓意にみちた連関の迷路になっている。破滅への兆候を拾っていくとエンタメとして読めるし、恋愛小説として読むと完全にラノベになる。わたしはここから、「結婚」という断面で斬ってみたが、未婚のわたしに読ませたい、先達ならではの知恵(地雷?)が詰まっていた。これは好きに読めばいいだろう、総合小説の懐の深さやね。

結婚前のわたしに読ませたかったスゴ本。結婚後のわたしは、涙ナシには読めないスゴ本。

 次は強烈なやつを。新井英樹『愛しのアイリーン』、結婚の毒本だ。

結婚に純粋さを求める四十路男が、フィリピンの嫁を“買う”ことから始まるエロスとバイオレンス。「結婚とは即ち、金銭と欲望の交換である」主張がこれでもかと濃密に描かれており、一気に読むと中毒になるぞ。ずっと結ばれない二人が、ある出来事をきっかけに一線を(一戦を?)越えてしまうのだが、そこから先はフルスロットルで坂道を墜ちるように転がってゆく。アドレナリン全開で読むべし。

田舎の閉塞感をブチ破る爽快さと、背を焼くような焦燥感と、欲望と金銭の果てのない背徳感を、抉るように貪るように描いている。露悪感がカタルシスにつながる、めずらしい読書となる(新井作品は常にそうなのだが)。結婚とは破滅だが、どこに救いを見いだすかは、読み手の自由だし責任でもある。

 結婚とは、殺し合いであることが、骨身に染みる傑作なのが『ゴーン・ガール』。

 夫婦が、男と女が、ほんとうにわかり合うということは、どういうことか、震えるほどの恐怖と迫力で伝わってくる。虚栄、欺瞞、嫉妬、支配、背信、復讐、嘘、嘘そして嘘……男女にまつわる、ありとあらゆるマイナスの感情を、こころゆくまで堪能できる。「夫婦あるある」すれ違いだと思っていたら、物語のフルスイングに脳天直撃される(しかも、二度も三度も)。

 小説としては典型的な、「信頼できない語り手」で紡がれる。妻の日記と、夫の独白が交互に重なるのだが、どうもおかしい。「ある日突然、妻が失踪する」のだが、妙に冷静で何かを隠しているような夫ニックも、その日に至るまでのナルシズムまみれの妻エイミー日記も違和感を抱かせる。じわじわ不審感が増してくる、この誘導の仕方が抜群に上手いのだ。肘まで腕を差し込んだ腹の探り合いは、気持ち悪さとともに、自分とパートナーの不協和音を増幅させられているようで不愉快になることこの上なし。

 ジェットコースターの頂上、疑惑が暴かれる瞬間、思わず声に出した、「嘘だッ!嘘だッ!嘘だッ!」。そこから先は坂を転げ落ちるように一直線に真っ逆さまに。しかも、その直線上に剃刀やら爆発物が埋めこまれていて、読み手に、登場人物に、物語そのものに衝撃を与える。失踪事件を胸くそ悪いエンタメに仕立て上げるジャーナリズムに反吐が出ると共に、女の愚かしさを徹底的にえぐり出す描写に嫌気が差すし、信じがたいほどバカである男のいやらしさにウンザリさせられる。

 それでもページを繰る手が止まらない(むしろスピードアップする)のは、地獄の先が知りたいから。ただではすまないことは分かってる。こわいもの見たさ、禍々しいものに触れてみたさが読む動機となる。あらゆる予想を裏切ったナナメ上の展開は、ぜひご自身の目で確かめ、驚くべし。

 これらを読むと、結婚とは一種の殺し合いにすぎないことが分かる。理想の自分だったり、自我そのものであったり、価値観の破壊し合いだったり、ともすると互いの命の奪い合いに至ることもある。もちろん極論なのだが、あらゆる結婚をドラマティックに拡大すると、こうなる。

 そして、夫婦愛とは自己愛の一種だと理解できるなら、結婚には、自己を肯定してくれる相手のための演技が必要となる。多かれ少なかれ、意識無意識にかかわらず、夫婦は互いにこれを演る。

 結婚は、相手の瞳の中に自分を見る合わせ鏡のようなもの。ただこの鏡、屈折率が変わっていて、「自分の見たくない姿」を拡大してくれる。本書の夫婦は無間地獄だ。『ゴーン・ガール』のニックは、わたしの最も厭な部分を極大化してくれる。エイミーは、わたしの妻の邪悪な部分をおぞましく見せつけてくれる。噂の怪物を見に行ったら巨大な鏡がありました、というやつ。そのおかげで、妻にもっと優しく接するように相成った。妻の幸せこそが、わたしの幸せであり、彼女が良ければそれでいい、そういう境地に達することができる。

 結婚は天国か地獄か。想像力をストレッチするのに、フィクションは役に立つ。まずはシミュレーションで経験値を稼ごう。

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目が回るマジックリアリズム『めくるめく世界』

 加速度センサーである三半規管に異常をきたすと、ぐるぐる物が回って見えたり、自分の身体が大地に対して回転しているかのような感覚に陥る。「めまい」というやつ。『めくるめく世界』は、読むことで擬似的にめまいを引き起こす、グロテスクで奇想天外な冒険小説なり。

 めまいを引き起こす仕掛けは冒頭すぐに分かる、1章が3つあるから。意味不明だろう? わたしも困惑させられた。これは、セルバンド・デ・ミエルという修道士の波乱に満ちた生涯を追ったものだが、

・事実あったがままに(素描)
・事実はこうでなかったのか(推量)
・事実がむしろこうであってくれたら(願望)

という3パターンで同じエピソードを描く。同じことを3つも読まされるなんて退屈かと思いきや、ぜんぜん違う話に見える。

 よくある「真相はこうでした」的な種明かしもあるけれど、本作はもっとやりたい放題である。対話や事実関係が違うどころか、因果も順序もひっくり返し、死んだ人を生きてたことにしたり、逆に殺したりしてくる。

 善が悪に、追う者が追われる存在に、厳重に監禁されてたはずなのに牢獄からも重力からも自由になっていたりする。同じはずのものが、異なる三面の鏡に映し出され、ぜんぜん違う姿かたちで現れてくるため、ぐるぐると回って見えてくる。荒唐無稽なのに執拗にリアルに描いており、そのギャップが物凄く面白い。

 めちゃくちゃ笑ったのが、牢獄から脱出するシーン。セルバント師の影響力を恐れた当局は、投獄するだけでなく、歯の一本一本、あらゆる関節から睾丸にまで鎖を何重にもかける。独房全体を埋め尽くすほど鎖に覆われ、鎖の網の中で生活するはめになる。食事はスープで、月曜日に鎖の上にぶちまけられたスープが腐った水となって修道士の顔をぬらすのは、土曜の朝だったという。この状況からの脱出は、あらゆる想像力の斜め上を飛翔してゆき、文字通り、腹を抱えて笑った。

 それだけではない。同じエピソードを複数のパターンで描くだけでなく、パターンごとに人称をも変えてくる。「素描」が一人称なら、「推量」は二人称、「願望」を三人称にする。これも読み手を眩惑させるやり方で、セルバント師の話だと自分に言い聞かせていないと、物語の振動に振り落とされてしまうことになるだろう。

 そして、こうした書き分けに法則があると思いきや、中盤にいたってはパターンを逸脱してくる。そうなると、自分が回っているのか、物語が回転しているのか、分からなくなる。

 失ってはじめて気づく。描写や視点、人称の一貫性が物語に重力を与え、それを手がかりとして物語の方向性や加速度を認識していたことに。三半規管を麻痺させる小説に、ただひたすらに翻弄させられる。お薦めいただいたのは、三柴ゆよしさん。ありがとうございます!

 読む「めまい」をどうぞ。

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「本のフェス」で好きな本を熱く語ろう/スゴ本の本棚公開/美と変身のスゴ本オフのお知らせ

 オフ会のお知らせと、わたしの本棚を公開(本邦初?)。

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■「本のフェス」で、好きな本を熱く語ろう

 日時 3/12(日)15:30-16:30
 場所 日本出版クラブ会館(東京都新宿区袋町6)[MAP]
    「本のフェス」大宴会場
 参加費 無料
 内容 好きな本を持ってきて、その魅力を好きなだけ語る
    フリーテーマ、「あなたのイチオシ」を何冊でもOK
 参加方法 facebook「本のフェス」でスゴ本オフ

 観覧だけなら、直接会場にお越しくださいまし。
 飛び入り歓迎
 「本のフェス」は、本との新しい遊び方に会えますぞ!

新しい本の楽しみ方を実践するイベント「本のフェス」。そこで、好きな本を好きなだけ話してほしい。「どうかこれを読んでほしい!」という、あなたの熱い思いのたけを、思う存分ぶちまけて!

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■「本のフェス」で、スゴ本の本棚を初公開

 日時 3/12(日)10:00-19:00
 場所 日本出版クラブ会館(東京都新宿区袋町6)[MAP]
    「厨子本棚」会場
 参加費 無料
 参加方法 直接会場にお越しくださいまし~

実は、「わたしの本棚」を持ってない。嫁様や子どもの本棚を間借りしたり、行きつけの本屋や図書館を自分の書棚代わりにしたり、家のあっちこっちに積読山脈を作ったりして凌いでいる。今回は、そんな散らばった本をぎゅっと集め、「厨子本棚」に陳列するので、ご笑覧くださいませ。

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■「美と変身」のスゴ本オフ

 日時 3/26(日)13:00-16:00
 場所 POLA TALKER'S TABLE(東京都港区六本木7)
 参加費 無料
 内容 「美と変身」をテーマに、あなたがピンときた本を
    語る。本に限らず、映画、音楽、ゲームなんでもOK
 参加方法 facebookスゴ本オフ番外編「美と変身」

POLAとベンツのコラボスペースを借りて、「美と変身」をテーマにした本を語ってほしい。本に限らず、映画・音楽・ゲームなんでもあり。テーマは「美」だけでも「変身」だけでもいいし、もちろん「美と変身」両方でもOK。

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読まずに死んだら、もったいない

「読まずに死んだらもったいない本」を募集するぞ!

[シミルボン:「本とワタシ」選手権]
Shimirubon_800_350

 これ読んでないなんて、人生損をしているよなぁ……という作品、あるでしょ? 普段から周りに推しまくってる人も、隙をうかがって秘かに留めている人も、ぶちまけてほしい。新しい本を新しいだけの理由で飛びつくのは他に任せて、あなたのイチオシを教えてほしい。

  • ページを繰る手が止められず、朝まで寝かせてくれなかった徹夜小説。
  • 何度も何度もボロボロになるまで読み込んで、すっかり覚えてしまったコミック。
  • 読んでない人は幸せ者と断言できる、自分の記憶を消してもう一度読みたいミステリ。
  • 目からウロコをえぐりだし、世界の見え方まで変えてしまったノンフィクション。

 ジャンルを越えて、テーマを超えて、一冊とは言わず二冊でも三冊でも好きなだけ。ただ、その一冊がなぜ「読まずに死んだらもったいない」のか、あなたの言葉で教えてほしい。というか、その一冊は、あなたしか知らない。なぜなら、「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のだから。

 応募案内はバナーよりどうぞ。大賞5万円、佳作1万円ですぜ。

 ちなみに、わたしが推す3冊はこれ。

 『アラビアの夜の種族』古川日出男
 『アイデア大全』読書猿
 『自分の小さな「箱」から脱出する方法』アービンジャー

 この面白さを知らずに死んだらもったいない鉄板が、『アラビアの夜の種族』。平日夜にうっかり手を出したのが運のつき、巻措く能わぬどころではなく、手に付いて離れてくれない面白さ。抜群のリーダビリティと、絶妙な構成力、そして二重底、三重底の、ファンタジーのような歴史小説のような完全娯楽小説【徹夜保証】。もしあなたが読んでいないなら、心底奥底羨ましい。前知識は無いほうがいいので、変に検索してネタバレ見ないように。黙って読め(命令)、ゼッタイ面白いから、と自信をもってお薦めする。そして万が一、億が一にもこれより面白いのをご存知なら、ぜひ教えてくださいませ(懇願)。

 知らない人は損してるなぁと思うのは、『アイデア大全』。いわゆる考え方のヒント集や発想法みたいな顔つきだが、これは問題解決のための叡智を結集したもの。目の前の壁をクリアするために、古今東西の賢人の知恵をどのように借りて、どうやって適用させてゆくか、その具体的な準備と実践が書いてある。本書がそこらの類書と違うのは、計画的な問題解決を見越しているところ。即効を謳う安直なサプリメントのような本ではない(すぐ効く本はすぐ効かなくなる)。そうではなく、現実を捉え直す新しい「目」が手に入るのが、本書なのだ。

 しなくていい苦しみを解消できるのが、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』である。知らない人は無駄な苦痛を味わっていると思う。これに気づくだけで、人生が劇的に変わる。家族や知人、同僚や上司など、他者と向き合うとき「私の中で起きていること」に気づくことで、そこから生じる問題を解消できる。同時に、人生を台無しにするほどの大きな問題を抱えているのは、「私」であることが、イヤと言うほどよく分かる。自己欺瞞から始まる自己正当化と防御のメカニズム、他者への攻撃と他者のモノ化の連鎖が、クッキリと見える。腑に落ちた瞬間、一気に視界がクリアになり、「わかった!」と声に出して叫ぶはず(私は叫んだ!)。そして、生きることが凄く楽になれた。

 これら全部ネットで教わった。『アラビアの夜の種族』は2ちゃんねる掲示板からだし、『アイデア大全』は[読書猿]さんが書いたもの。『自分の小さな「箱」から脱出する方法』は[まなめ]が絶賛してて知った。自分のアンテナだけを信じていたら、生涯絶対出会うことのない本ばかり。読書猿さん、まなめ王子、ありがとうございます!

 次はあなたの番、読まずに死んだらもったいない本を、どうぞ教えてくださいまし。

[シミルボン:「本とワタシ」選手権]
Shimirubon_800_350

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