ホストを操りゾンビ化する寄生生物『ゾンビ・パラサイト』
映画『エイリアン』に、人の腹腔内に卵を生みつける生物が登場する。孵った幼生が胸部を食い破り、悲鳴のような産声とともに飛び出してくるシーンは、ショッキングの極みだった。
その直前で、忘れられない台詞がある。幼生が体内にいるとも知らず、目覚めた男は、腹が減って仕方がないとぼやく。おそらく、幼生が胃腸に残る消化物を食べてしまったのだろう。外に出るくらい成長したことのトリガーとなるのは、男が摂った食事になる。飲食物が入ってきたことで、潮時だと判断したのではないだろうか。
これと同じことが、わたしの体内で起きていると考えることがある。体内にエイリアンが巣食っている妄想ではなく、腸内を中心として「わたし」と共生する微生物(マイクロバイオーム)のことだ。この微生物群の働きが、体調や機嫌と呼ばれる「気分」を左右しているのではないか、と考える。
つまりこうだ。ヒトは食べたものを吸収しているだけでなく、「ヒトが食べたもの」を食べる微生物の代謝物をも栄養としている。ヒト単体での生成が難しいドーパミンや短鎖脂肪酸、各種のビタミンを合成しているのは、腸内の微生物群である。生体リズムや睡眠に重要なセロトニンは、脳よりも腸で生成されるほうが多いと聞く。
こうした微生物の活動は、栄養や気圧といった環境変化により左右され、結果、ホストである人の体調や気分に反映されているのではないか。昔からある「腹の虫が好かない」は案外ほんとうなのかもしれぬ。「今日はあっさりしたものが食べたいな」とか「なんだかイライラする」といった気分に近いものは、身体と微生物の相互影響によると仮説する。なんでも脳に答えを求めようとする限り、絶対に出てこない発想である。
この仮説(妄想?)は、『ゾンビ・パラサイト』を読むとさらに加速する。ホストを操りゾンビ化する寄生生物たちのメカニズムや生態を紹介している。
このホストをゾンビ化する能力は、「パラサイト・マニュピレーション(parasitic manipulation)」と呼ばれ、原生生物から菌類、線虫、昆虫など、系統を隔てた生物界、門をまたがって見られる。そのホストも多岐に渡る。寄生という生存戦略を採用したことにより「ホストを操る」形質が進化上有利だったのであり、同じような適応が平行的に起こったのだと指摘されている。
『エイリアン』そっくりの蝿が登場する。ゾンビ蝿(zombie fly)というおぞましい名が付けられており、ミツバチにしつこくつきまとい、隙を見て胸部に取り付き、一瞬の早業で産卵管を挿入する。体内で孵化した幼虫は、ホストを殺さない程度に組織や体液を餌として育ち、ある日突然、ホストの体を突き破って脱出する。
ダイクアリに感染するO.ユニラテラリス菌も凄まじい。感染したアリは衰弱し、体の自由を失う。死期が近づくと、アリはよろよろと枝や茎を上り、地上25cmくらいの高さにたどりつく。そこは温度・湿度ともに菌の増殖にとって都合のよい場所である。そこでアリは葉脈に大あごで食いつく。数時間後に絶命するが、大あごの周りの筋繊維が収縮するため、つかんだ葉脈を離さなくなる。いわば苗代となるわけだ。
感染してから最後の一噛みまでの一連の動きは、グアニジノ酪酸とスフィンゴシンという化学物質を通じ、菌がアリの脳を操作していると考えられている。菌は寄生したアリの体を乗っ取り、自らの乗り物として動かしているというのだ。
そこでプレステのゲーム"The Last Of Us"を思い出したあなたは鋭い。謎の菌に寄生され、キノコ状の頭部を持つ怪物がうごめく世界でのサバイバルホラーゲームだ。開発者たちは、BBCのドキュメンタリーでO.ユニラテラリス菌の生態を知り、インスピレーションを得たという。
人間に寄生してゾンビ化する菌類はまだ見つかっていないが、可能性は考えられる。白癬菌は、ヒトにとって水虫やタムシの原因となっているが、もとは土壌中にいたケラチンを分解利用できる菌が、動物の皮膚角質層に寄生するよう進化したと考えられている。痒みを引き起こし、掻いてもらうことで感染を拡大する策略は、「ホストを操っている」と言えるだろう。
全人類の3割(20-25億人)に寄生していると推測される「最も繁栄したパラサイト」トキソプラズマの話が興味深い。エイズやがん治療、妊娠中の女性を除き、あまり問題になることはなかったという。
ところが、最近の研究により、パラサイト・マニュピレーションを、トキソプラズマも行っているのではないかという疑いが持たれている。たとえば、トキソプラズマに感染したネズミが、天敵であるネコに警戒心を持たなくなり、ネコに捕食されやすくなるという。トキソプラズマにとっては、終宿主にたどり着くチャンスが増えることになる。
また、トキソプラズマ感染者はそうでない人に比べ、2.6倍も交通事故を起こしやすいことが報告されている。トキソプラズマが、ホストの性格や行動に何らかの影響を及ぼすという仮説は、わたしの妄想をさらに加速してくれる。
そして、この妄想をみごとに結晶化したのが、『恋する寄生虫』になる。失業中の青年と不登校の少女の、実に奇妙な出会いと触れ合いを描いたラブストーリーだ。青年は極度の潔癖症で、少女は視線恐怖症といった悩みを抱え、その対人的な悩みゆえに惹かれあうことになる。
会社や学校に上手く適応できず、生き辛さを感じている人が読んだら、共感と不安がない混ざった、不思議な感覚にとらわれるだろう。それと共に、わたしの妄想は、いくばくかの真実を含んでいることに同意してくれるかもしれぬ。
私という身体が「私」単体でないように、私の自由意志は、「私」単体でないのかもしれぬ。そして、たとえわずかでもこの考えを受け入れられるのであれば、ずっと楽に生きることができる。
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