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円城塔訳『雨月物語』が完全にジャパニーズ・ホラー

 雨月物語は、語り調子で畳みかけるように怖い石川淳『新釈雨月物語』が決定版だった。が、円城塔が上書きした! 硬い語りを残しつつ、きっちり小説に仕立ててある。こいつは怖いぞ嬉しいぞ。ジャパニーズ・ホラーの金字塔『吉備津の窯』はこれで読むと吉。

 ジャパニーズ・ホラーの最大の特徴は、「わけが分からない恐怖」だろう。殺人鬼とかウイルス感染といった物理的に対応できる原因が引き起こす欧米ホラーと違い、真相が分からない。わけが分からないまま恐ろしい思いをし、原因を探してみても、「呪怨」や「穢れ」といった言葉で示すしかない「なにか」で終わる。文字通り、この世のものではないのだから、物理的な対処は効かない。「なにか」が過ぎ去るまで震えているしかないのだ(あるいは、取り憑き殺されるまで)。

 たとえば、スゴ本オフで出会った『残穢』(小野不由美)なんてそう。「怖すぎて最後まで読めませんでした」「もう触るのもイヤ」という曰くつきで紹介されたのだが、"穢れ"が感染する話だ。主人公(≒著者)が身近に起きた怪異現象を調べるうちに……という話をドキュメンタリータッチで描いており、その"穢れ"が読み手にまで感染(うつ)りそうで怖い。

 物理的なウイルスや殺人鬼でない怨念だからこそ、時と場所を超えて聞き手に迫ってくる。上田秋成によって江戸後期に著された『雨月物語』は、そういう怖さを孕んでいる。

 それと同時に、その怨念に至る愛憎も詳らかにされる。その「なにか」が抱いている妄執や執着している人が分かるにつれ、さもありなんと思う。それだけ非道な目にあえば、その恨み晴らさずには成仏しきれなかろう。あるいは、それだけ執着しているものが失われれば、さぞかし心も乱れることだろう───と同情する。愛欲に心乱し生きたまま鬼と化した第8話の「青頭巾」なんてまさにそれ。


 
泣くにも涙は枯れ果てて、叫ぼうにも声がつまって、とり乱して嘆かれ続け、火葬にも土葬にもしようとしない。そのあとは、子供の死顔に頬ずりしたり、手を握り締めてすごしていたようなのですが、とうとう気がおかしくなられ、まるで子供が生きているように振る舞うようになり、肉が爛れていくのを惜しんでは吸い、骨を舐めてと、とうとう食べ尽くしてしまったのです。[円城訳]

 同じ件で石川淳の『新釈雨月物語』も載せておく。石川訳が最高だと思っていたが、比べて読んでしまうと、円城訳のほうが、よりおどろおどろしく、哀しい。

泣くに涙なく、さけぶに声なく、悲嘆のあまりに、なきがらを火に焼き土に葬ることもせずに、顔に顔をよせ、手に手をとりくんで日かずをすごされるうちに、さしもの阿闍梨、ついにこころみだれ、生前にたがわずたわむれながら、その肉の腐りただれるのを惜しんで、肉をすい骨をなめて、やがては食らいつくされた。[石川訳]

 その後、この人外は夜な夜な里に下りて墓を暴いては新しい死体を漁るようになるのだが、問題はここからだ。人外の気持ちに寄り添い、同じ涙を流すことで、その妄執が晴らされるかというと、ならない。めでたしめでたしの予定調和の斜め上を行く。うっかり同情すると、そのまま引きずり込まれる。自然現象のようなものなのだ(ただし、高僧により祓われることで仏の加護を説諭するオチもある)。

 圧巻なのは第6話「吉備津の窯」。様々なジャパニーズ・ホラーの源泉となっている、この美しくも哀しい悲恋は、円城訳で戦慄してほしい。面白いことに、以前の「吉備津の窯」とは読後感が違う。これまで、浮気性の夫のゲスっぷりが因果応報に見えていたのが、円城訳では見慣れない口上があり、物語そのものの印象をがらりと変えている。それは、こんな風に始まる。

「嫉妬深い女は面倒だが、歳を取ると有り難いこともあるものだ」などと言う者がある。妬婦というのは、おとなしいやつであっても、仕事の邪魔をし、物に当たって、隣近所の噂の種になること必至であり、はなはだしくは家を傾け、国を滅ぼし、天下の笑い者になる羽目に陥る。昔から、この種の女で身を滅ぼしたものの数は知れない。

 つまりこうだ。古今の因縁話を引いてきて、嫉妬深い女がいかに恐ろしいかを淡々と語っている。これにより、妻を裏切った甲斐性なしの夫という印象から、女の嫉妬が化けて出る怪談に変化する。石川訳にはこの口上がないので、比べて読むと受ける印象がガラリと変わる。

 怖さの向こう側に、同情してはいけない哀しさがある。そこで人外となったものたちの中にある「鬼」は、まさにわたしの中にもあることに気付いてしまうから。

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