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知の巨人たちが取り組んでいる問題はこれだ『いま世界の哲学者が考えていること』

 やり方が分かっているものは、哲学に向いていない。森羅万象の問題のうち、やり方どころか、そもそも「問題」とすら認識されていないところから始まるのが哲学である。もしくは、問題の背景や根本領域からメタに捉え直し、やり方そのものを生み出すのが哲学である。

 だから、哲学に取り組むことで、視野は拡張され、思考ツールが集まり、なによりも「問題」そのものを疑う目が養われる。

 たとえば、与件を「物理学の問題」や「経済学の問題」に落とすならば、物理学や経済学の「やり方」で考えるしかない。それは一定の成果を生む一方、それぞれの「学」の前提から離れることはできない。

 しかし、哲学なら、それぞれの学問領域の成果に加え、「問題」そのものを疑い、再定義することで、さらに深く・広く考えることができる。「〇〇とは何か」をその学問領域に囚われずに追求し、「〇〇からもたらされるものは、結局なんなのか」を新しい目で評価することができる。

 そこで他領域を必要とするならば取り込めばいいし、ひょっとすると、新たな「やり方」―――すなわち、新しい学問領域を生み出すかもしれぬ。どんどん専門化・先鋭化する領域に比べ、哲学は自由で面白い。取り組むにあたり、関係が複雑すぎたり、領域が大きすぎて、既存の学問では手に負えなかったり、そもそも問題と捉えられなかった「新しい」問題が並んでいる。

 ・格差は本当に悪なのか
 ・脳科学で道徳を説明する
 ・人類は人工知能によって導かれるか
 ・ヒトゲノムの編集はなにを意味するか
 ・性犯罪者を化学的に去勢する是非
 ・地球温暖化対策の優先順位は?

 こうした問題について、いま世界最高の知の巨人たちが、何を考えているかが一望できる、エキサイティングな一冊なり。ただ、一冊で俯瞰しようとしているため、どうしても浅瀬の紹介になってしまい、読み手の得意・好きな分野だと物足りなさを感じるかもしれぬ。私の場合、人工知能や脳科学、経済と環境、生命倫理あたりはおさらいだった。

 たとえば、「格差は悪か?」の議論は、ハリー・フランクファート『不平等論』の山形浩生の訳者解説が分かりやすいし、人工知能は三宅陽一郎『人工知能のための哲学塾』が広範だ。ちょっと笑ったのが、『不平等論』のamazonレビューにおける2人の評者。どちらも★を一つしかつけていないのだが、自分の見えている領域でしか問題を認識できていない。自分が依って立つ前提を疑えていない好例となっている(もしくは、間違った読者に届いてしまったんだね)。

 実入りが大きかったのは、マルクス・ガブリエルの「新実在論」に触れたこと。物理的な対象だけでなく、「思想」「心」「感情」「信念」さらには一角獣のような「空想」さえも、存在すると考える。精神を脳に還元してしまうような自然主義的傾向を批判し、実在とは物理的なモノやその過程だけではないとして、原理的な次元からの再考を試みるという。科学的実在論の不確実性に揺らいでいるところだったので、いい刺激をもらえた。

 いっぽう、さらに考える余白に気付いた分野もある。「バイオテクノロジーは優生学を復活させるのか」という章で、ナチス型の優生学と現代の優生学の違いについて述べている箇所である。ナチス型の優生学は、国家が主体となって、個人の意志に反し、隔離・断種・殺害した。一方で、現代のバイオテクノロジーは国家の強制がないため、ナチス型の優生学ではないという。あくまでも自由に選び取ることができるデザイナーズベイビーであり、子どもの遺伝子工学的教育に過ぎないという。

 しかし、『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』を読む限り、ナチスが行ったのは「役に立たない人を安楽死させよう」というプロセスを明るみにしただけであり、強制的な介入に仕立て上げたのは、当時のドイツの医療社会であり、ひいては健康を強いるモラル的な風潮である。ナチスと結び付け、葬ることで違いを強調されても、生命の合理化という抽象度では残り続ける。もちろん程度問題なのだが、どの程度を是とするかは、これからも議論する余地がある。

 いま、何が問題となっていて、どこまで議論が進んでいるかを概観できる一冊。

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