上達の科学『「こつ」と「スランプ」の研究』
スポーツや演奏で上達するときに何が起きているか? この疑問に、身体知の認知科学から迫る。
なにか上手くなりたい目標がある人にとって気づきがあるかも……と思ったが、本気で練習しているなら誰だって知ってる「身体知」の話だ。「体で覚える」とか「腑に落ちる」というやつで、"Don't think! Feeeel!"といえばピンとくるかも。
お手本をコピーするだけでなく、その時の周囲の状況や身体の各部位に意識的になり、ことばと身体の両方で「分かる」ところに持っていくことだ。本書が面白いのは、研究者自らが実験台となり、バッティングの練習に取り入れて実際に上達しているところ。様々な身体知研究の紹介をする一方で、自らの経験に基づいた実感が溢れ出ている。
本書の姿勢はこうだ。これまでのスポーツ科学では、運動力学研究により、身体各部位の動作を要素還元的に分析し、「モノ」としての身体のあり様を明らかにしてきた。運動力学は、イチローのバットのスイングがどのようなメカニズムで成り立っているかを説明してくれる。
しかし、身体とは、他者や計測機器によって客観的に観察される存在であると同時に、本人が内側から体感する主観的存在でもある。周囲の環境や身体の動作について本人が感じ取っている「コト」に焦点をあてない限り、そのそのスイングがなぜヒットになっているかを説明することはできない。「説明できるヒットが欲しい」というイチローの言葉にこの両面性があるとして、本書では後者、すなわち身体知の方向からアプローチする。
たとえば、ボウリングの習得プロセスの事例がある。9ヶ月ボウリング場に通い、999ゲームをこなしながら、身体知の言葉と実践へのフィードバックを書き綴った研究である。興味深いのは、言葉とスコアにある相関が生じているという指摘だ。習得過程で意識している言葉は様々だが、身体の詳細な部位について言及している時期は、いわゆるスランプに陥っており、逆に大雑把な、ほとんど擬態語に近い言葉に収束するとき、パフォーマンスが向上するという結果が得られている。
これは、わたしの空手の稽古の経験に則しても同じだ。新しい形(かた)を習得する際、手足の細かな動きに気を取られている間は試行錯誤をしており、そうした一連の動作がスムーズに(意識せず)できるようになるとき、その動きをまとめて一言で表せるようになっている(心の中でボッとかグイッと言っている)。
そして、重要なのはむしろ、この「スランプ」にあるという。身体と環境に意識的になるときに生まれる違和感や気付き、問題意識をことばにする際、主観的に取捨選択しているという。この模索が、ジェームズ・ギブスンのいう身体知の変数を増やす作業になる。後にもっと大きなことばに収束するが、環境と身体における文字通りパラメータが増えることになるのだ(hoge(x,y) が hoge(x,y,z) になる感じ)。
さらに、網膜上の写像の面積(タウ)を用いた外野手の守備能力の「視覚情報タウ」研究や、オーケストラにおける「まだ聞こえていない音」にどうやって音を合わせられるのか(『あいだ』木村敏)など、身体知とパフォーマンスの興味深い事例を紹介している。
本書は研究寄りのため、ハウツー本として読むと肩透かしを食らうかもしれない(そんな方々がネットに散見された)。よりノウハウ的なものを求めるなら、『上達の技術』がある。練習しているのに伸び悩むのは才能がないからではなく、「努力の仕方」が間違っていると断言する。スランプの時期にやる気が出ないのは「上達する手応え」が得られにくいからだと言う。かけたコスト(努力と時間)に対して最高のパフォーマンスを得るための方法が紹介されている。
たとえば、結果を出せる練習の技術として、「分習法」と「全習法」を解説する。課題を部分に分けて、順番に練習するのが分習法で、それぞれ結合して行うのが全習法になる。最初は分習法で、技能水準が上がるごとに全習法にしていくのがセオリーだという。なぜなら、練習のテーマを決めて、一つ一つクリアしていくことで上達効率が上がり、さらにモチベーションが高められるから。カエサルは分割統治といったが、トレーニングでも同じことが言えるね。
また、反復練習の究極の目的は、最高のプレーを高い確率で、しかも省エネで再現できるようになることだという件は、『「こつ」と「スランプ」の研究』にも通じるところがある。以前のレビューは努力の最適化『上達の技術』に書いたが、お試しあれ。

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